ナイフと恋―Death and Love―
この思い、素直に伝えたい。
どうして本人を前にすると、何も言えなくなるのだろう。
素直に伝えたいのに。伝えたいのに……
「早く滅べ谷原――――――――――ッ!!!!!」
***
出会いは最低だった。
「困ったものだな、最近の女子高生ときたら、みんながみんなスパッツと言うものを履いている。これではまるでパンチラのロマンがないではないか」
男は私のスカートの中を仰向けに寝ながら見ていた。まずそのシュチュエーションに至った原因も普通ではないのだが、男の発言は問題だろう。いや、問題だ。
「しかしうーん……安心しろ少女。君のパンツを金を払ってまでも見たいとは思わないよ。そりゃ、君が見せてくれるのなら、しかもそれが無料なら俺だって考える。むしろ、それはとても嬉しいな。うん、そうしたらどうだい少女」
その言葉を聞いた瞬間、私の中にあった感情を抑える理性と呼ばれるものたちが一気にぶっ飛んだ。
「ふっざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」
叫びながら、私は足を高く上げて、男の鳩尾に踵を一気に落とした。男の鳩尾から少し不気味な音がしたけれど、そのときの私はそんなことを気にしていなかった。むしろ、私の本能は叫んでいた。『今すぐ殺してしまえ!』と。
叫んだのはもう何年ぶりだろう。いや、もしかしたら生まれて二回目かもしれない。一回目は生まれてすぐに自分の誕生を示すためのあの泣き声。それ以降、あまり泣かない子だったと両親はよく言っていた。私もそう思う。だから、どうして私は今叫んだのか、理解できなかった。そして、何故殺意を抱いたのかもわからなかった。ただ、そのときの私の頭は『目の前の男を殺せ!』と叫んでいたのだ。だから、その叫びに誘われるがままに私は男に踵落しを入れていた。
「……あ」
男の腕はぐったりと伸びていて、目は静かに閉ざされている。私は男から離れた。これは、私が殺してしまったことになるのだろうか……いや、でもどうでもいいや、と思っていた。とりあえず、そのままその場から去ろうとしていた。
が。
「待て少女!」
「きゃ、あ?!」
突然先ほどまで饒舌だった男の声が響いた。しかも、その死んだと思われた男に足をがっしりと掴まれている。
「お前、名前は!?」
「しししし、しの、東雲!」
「そうか、東雲! 俺はお前に惚れた!!」
その言葉を聞いた瞬間、私は男の足を思いっきりもう一方の足で踏んだ。正当防衛だ。
「気持ち悪い! 死ね!!」
「いいや、お前が俺の気持ちを受け取るまでは死なないね!!」
「はぁ?! 何なんだお前は!」
「俺の名前は谷原だ!」
「聞いてない!!」
腹が立ったので、私は足をずっと踏み続けた。男の、谷原の骨がばきばきばきと音を立てていたが気にしないことにした。それから疲れた私は、谷原の足を踏むことをやめて、見下すことにした。みっともない顔をしていたが、谷原の顔立ちは悪くない。もしも普通に街中で見かけたら「あ、かっこいいな」と思っただろう。ただし、今の谷原は私に踏まれてだらしく変な方向を向いている手首を見てうっとりとしている。
「……お前、何者だ……」
「ああ、だから俺は谷原。さっき通り魔に刺されたんだ」
……は?
「通り魔に刺された?」
「そうそう。ほら」
よっこいしょ、と言って起き上がった谷原の横腹には確かにナイフが刺さっていた。谷原はその横腹に刺さったナイフをおもむろに抜いた。私はその様子を呆然と見た。
「犯人逃げたからなぁー……でも凶器残しちゃって、どうするんだろ」
「血は?」
「血?」
谷原の持つナイフには銀色の輝きはあるが、本来なら付いているであろう血の色が全くない。
「お前の血は透明なのか?」
「安心しろ、俺の血は赤い。でもどうしようこのナイフ……」
困ったように谷原はナイフを見つめてそう言った。銀色がキラキラと輝いている。
「さて、東雲。俺はお前に惚れた」
「何で」
「こんなに素直な思いをぶつけてくれた人間は初めてだ。それに、俺を見ても逃げない。最高の伴侶だ」
「待て。誰がお前と私が結婚すると言った。勘違いするな」
私はそう言って谷原の腹を強く蹴った。谷原は再び仰向けに倒れる。強く蹴ったため谷原は頭を強く打ったようだったが、そんなに痛そうにしていなかった。
こいつ、変人だ。
「そういう態度も、俺は嫌いじゃない。素直に思いを伝えられるお前が、俺は好きだ!」
こいつ、変態だ。
――何で私は、こんな目にあったのだろうか。
その日の帰り、友人たちと別れた私は気分的に近道をしようと思ってビルとビルの間にあるちょっと細い道に入った。そこは正直、綺麗な道とは言えない。でも、通り抜けるのにそんなに時間はかからないのであまり気にしていなかった。いつもと同じように道に入り歩くと、異物がそこに横たわっていた。
ぐったりと仰向けに倒れるスーツの男。一目見て、その男が死んでいるのは理解できた。胸も上下してないし、目も閉ざされている。完璧に死んでいる。私は困ってしまった。これはどうすればいいのだろう。健全な女子高生にわかるはずのない問題だ。
通報? こんな人通りのない裏路地通った私が怪しまれる。
声をかける? 死体に声をかけるなんて、絶対に嫌だ。
無視? これが一番いい。私にも死体にも害はない。
私は無視を実行するため、男の真横を通った。そのとき、足元から唸り声が聞こえた。私は足を止めた。そして、
「困ったものだな、最近の女子高生ときたら、みんながみんなスパッツと言うものを履いている。これではまるでパンチラのロマンがないではないか」
こんな事を言われて……と、つまり最初に至るのだ。確かに、私があの時裏道を通らなければこんな男――谷原と出会うことはなかった。けれど後悔というのは無駄。結果はどうやっても結果なのである。
「東雲」
「馴れ馴れしく呼ぶな」
「お前は学生か?」
「お前の目は節穴か。それとも光を見れなくさせてやろうか」
何で私はこんな裏道でこんな変な男、いや変態男と話しているのだろうか。
「目が見えなくなるのは困るな……東雲の姿が見れなくなってしまう」
「それが私にとっての幸せだ」
「そうか! 東雲の幸せのためなら仕方ない、俺は命をかけても構わない!」
谷原は両手を大きく広げて叫んだ。……相手にしたら、身がもたない気がする。
「さあ東雲! 俺の目を節穴にするがいい!」
「断る」
「そうか……東雲がしたくないのなら仕方がない」
もう何なんだこの男。そう呆れているけれど、何故か楽しく思っている部分があった。
きっと学校の友人たちが、この時の私を見たら「誰?」と思うだろう。こんな口調で話すのはほとんど初めてだ。初めてなのだが、何故かそれが心地よい。学校で友人たちと会話するよりも心も体も軽く思えた。
「さて……そろそろ行かなくちゃな」
「さっさと逝け。死ね」
「だからな、東雲。俺はお前に愛をぶつけ尽きるまで、死ぬわけにはいかないよ」
笑いながら谷原は言う。その笑顔を、不本意だけれど「かっこいい」と思ってしまった。それから谷原は落ちていた鞄を開いて中から上着を出す。先ほど通り魔に刺されてしまったせいで、穴が空いてしまったから着替えるのだろう。何で予備を持っているんだ。
そして谷原は「それじゃあ」と爽やかに去って行った。私はぼんやりと遠くなってゆく背中を見た。
多分、これが「恋に落ちる」ということなのだろう。私は納得した。落ちていたナイフを、私は手にしていた。
***
地方ニュースで、『消えた死体? 通り魔自首も、遺体はなし』というものがやっていた。ある若い男が「人を刺して殺した」と近くの警察署に自首したらしいが、刺し殺した場所には何もなかった。遺体も、遺体から出たであろう血も、凶器のナイフも、何もなく普通の薄汚いビルの裏路地がそこには広がっていた。
まさか、と思った。私は鞄の中にあるナイフを見た。谷原という変人で変態に出会ったこともナイフを拾ったことも家族には言っていない。とりあえず、ナイフは刃の部分を新聞紙でぐるぐる巻きにした。別にナイフを拾ったからといってナイフから声が聞こえるわけでもないし殺意なんて起きやしない。
私はごくごく普通の女子高生。家は裕福ではないし、でも貧乏でもない。俗に言う中流。平々凡々万歳。お父さんはどこかの企業で長年務めているけれど、そんなに上の地位には立っていない。よくお母さんが「もっと上を目指しなさい」とお父さんに叱るけれど、そんな上に立つ人ではないと思う。一方のお母さんも普通の専業主婦。時々内職をしていたり、パートに出たりしている。そんな二人の間に生まれた私には、別におかしな部分はない。
「気をつけてね、こんな変な人がいるんだから」
「うん」
「最近は怖いな……防犯ブザーでも買おうか?」
「いや、携帯あるから大丈夫。そんな防犯ブザーって年じゃないよ」
お母さんとお父さんの言葉に返事をしながら私は朝食を食べる。ごくごく普通の女子高生の、ごくごく普通の朝食。何の変哲もない、よくある風景だった。
それから学校に着いて、友人と会話。
「そういやさー、昨日のロンハー見た?」
「見た見た! もうさ、ありえなくない?!」
「あのドッキリでしょー! マジウケたよね」
昨日見たテレビの話で一緒に盛り上がる。あの芸人がひどいよね、とか、あの俳優超かっこいい! とか、ドラマの主題歌携帯に落とした、とか。ここで私は一切昨日の奇妙な話を出していない。多分、普通なら「昨日変な男に会ったんだけど!」って言うところなのだけど、私は谷原の話を出すつもりはなかった。鞄の中のナイフの存在は、忘れかけていた。
「大体さ、あそこまで本気になるってどうなのよ」
「でもその本気見れるのがいいよねー。本当にウケたし」
「しかも騙し手かなり役者じゃない?! ちょっと感動したんだけど」
「確かにぃー」
「やー、似てないし!」
こんな会話で盛り上がる私たち。朝の地方ニュースの話題は一切出てこない。女子高生には大した興味を抱かせない話だったからだろう。今更変人や変態が増えても騒がなくなったのは、平和ボケのせいだろうか。
時々、眠気と戦いながら授業を受け終われば解放の時間。部活に所属していない友人たちと一緒にマックによったり、近くの小物屋行ってアクセサリーとか見たり、本屋で好きなタレントの写真集を見たり……ごくごく普通の女子高生たちの放課後。
「そんじゃ、また明日ねー」
「ばいばーい」
「さらば者ども!」
「いつの時代だよー!」
「それじゃあねー」
別れの挨拶を交わして私は一人、別方向に歩く。今日は絶対にあの裏道は通らない。今日、じゃなくって一生。絶対に。
「東雲!」
「え」
私は振り向く。爽やかに笑うスーツの男……谷原がいた。
「谷、原」
「おお、よく俺の名前を覚えていてくれたな東雲! いや、最近の女子高生はあまり物覚えが良くないと聞いていたからな、うん。でも俺はお前のことを忘れる事ができなかったよ。あの鋭い素直な言葉、強い踵落し、いやあ嬉しかったね。それに、俺のあの体質を見ても恐怖を覚えなかったあたり、俺は感動した! 東雲、愛しているぞ!」
「気持ち悪い、何を一気に語っているんだお前は」
谷原を見ると、何故か口調が変わってしまう。けれど、先ほどまで友人たちに使っていた言葉よりもずっと楽なのは事実だ。何でだろう、女子高生らしくない。でも、何故か楽だった。
「すまない。いや、まさかこんな所で『偶然』お前と出会えるとは思っていなかったからな」
「……偶然?」
偶然にしては、タイミングが良すぎる。
「谷原、お前、私がどこの学校に通っているか調べたのか? 制服でわかるだろうけれど」
「そ、そんな事ないぞ。お前が真中高校の一年三組の出席番号十四番だなんて、知らないぞ」
「お前ふざけるな。クラスまでならまだしも出席番号まで知っているなんて、気持ち悪いぞ。どこでその情報入手した?」
「それは、企業秘密だ」
「本当にお前は気持ち悪いな谷原、死ね」
「ああ、それも愛情表現だと思って受け取るよ」
本気で気持ち悪い。私は谷原の腕を掴んで歩き始めていた。谷原が「え?」と声を上げていたけれど、そんなことも気にせずずかずかと歩く。そして、気が付いたら私は昨日谷原と出会ったあの裏道にいた。警察の規制などもなく、難なく入る事ができた。
「どうしたんだ、東雲? こんな人が少ない場所に入って……」
「変な勘違いをするな谷原」
私は谷原の手を離して、鞄を開いた。谷原は疑問符を顔にくっつけたような表情をしている。そして私は新聞紙で巻かれたナイフを取り出した。
「東雲……もしかして俺に差し入れ…………」
「勘違いをするなと、言っただろうが!」
刺した。
谷原の、胸を刺した。
ナイフが人に、谷原に入る感触……正直、気持ち良いと思った。
「おや」
谷原が瞬きをして、胸に刺さったナイフを見る。私は谷原の胸からナイフを抜いた。
「東雲、せめて一言言って欲しいなぁ。またスーツ買い換えないといけないだろ」
そう言って谷原は上着を脱いで、鞄から替えを取り出してきた。端から見たら何事もない、ごくごく普通の社会人に見える。顔は、普通よりも少し上のかっこいい。むしろ普通より少し上じゃなく、とてもかっこいい。
「……谷原、怒らないのか」
「何を?」
「私が、お前を刺したこと」
谷原は少し首をかしげた。全く怒っている様子はない。
「普通、いきなり死ねって言われて胸刺されたら死ぬだろう……じゃなくって、怒るだろう?」
あんまり普通じゃないけど。胸刺されたら死ぬほうが先だけど。
「うーん、そうだなあ……俺自身、あんまり刺されることに憤りを覚えなくなっちゃったからなあ」
「刺されても平気だから?」
「多分。でも、いきなり知らない人に刺されたら何で? ってなるけど」
「じゃあ、私は?」
谷原は笑った。
「だって、それは東雲の素直な行動だろう。それなのにどうして怒る必要があるんだ!」
それに、お前は俺の好きな人だから。そんな言葉を谷原は平然と言った。
「谷原、上着脱いで」
「うん?」
よくわかっていないようだったが、谷原は素直に着なおした上着を脱いだ。私は谷原の胸に寄りかかり、谷原の腹にナイフを突き刺した。血は、出ていない。
「谷原」
「何だ、東雲」
「お前のこと、嫌いじゃない。むしろ……」
「ほ、んとうか?」
谷原の顔を覗き込むと、驚きを隠せない表情で私を見つめていた。だから、私は頷いた。
「本当に、本当か? 東雲、本当なのか?」
「嘘、だったら?」
「うわー……それはかなり悲しいなあ。死んでしまうかもしれない」
「じゃあ嘘」
「じゃあ、って事は本当だな!」
何か、その言い方が腹だたしい。ので、ナイフを一回抜いてもう一回刺した。
「東雲、嬉しいよ。俺もお前が好きだ」
「あんまりいっぱい言うな。腹だたしい」
そして足を蹴る。
我ながら、不器用な愛情表現だと思う。
***
「うっそ、彼氏できたの?」
クラスでのその言葉に、びくりと反応してしまった。声のしたほうを向くと、友人が別の友人を見て驚いたような顔をしている。私もその子の傍に寄って、話を聞くことにした。
「う、うん」
「マジか。うっわ、うちら先越されたよ」
「軽くショック。で、どんな人?」
「えっと、年上」
「先輩?」
尋ねると、彼女は首を振った。
「え、じゃあ、えん……」
「違うって! えっとですね、兄ちゃんの仕事場の同僚の人」
「はぁー……意外に年上趣味なんだ」
「意外って何よ、意外って。でも、優しい人なんだ」
彼女はうっとりとした表情で新しい恋人について語り始めた。現在二十五歳、私たちより九歳年上となる。お兄さんとは仲がよく、家に遊びに来てもらった事がきっかけで出会ったらしい。最初は音楽の趣味が合ったことから始まり、ライブに一緒に行ったり二人っきりで出かけたりして、恋人となったらしい。
「ねえねえ、その人かっこいい?」
興味があったので、私は聞いてみた。
「かっこいい、って言うよりはかわいいかも」
「いいなあ、年上の彼氏」
「あれ、でもそういう人いるんじゃないの、自分?」
隣にいる友人を見る。そうなの? と、私は顔を覗き込んだ。
「別にね、そういう関係じゃないって」
「えー、牛丼作ってあげるなんて普通しないよ。ねぇ?」
私に話振られても……でも、赤の他人に牛丼は作ることは無いだろう。私は頷いた。
「そ、そういうそっちはどうなの? なんか、ないの?」
なんか、といわれて思い出したのは谷原の顔だった。
そういえば私、昨日告白したんだった。谷原がとても嬉しそうに私の顔を覗き込んだことを思い出して……何となく気恥ずかしくなった。あんな素直にものを言えたのは、幼い頃以来だったような気がする。谷原の前だと、どんな隠し事もできないと思う。
「あ、やっぱり居るの?」
「テレビの向こう側にね」
「うっわー、寂しい」
「平面には恋してないから安心して」
私が言うと、友人二人は大笑いした。きっと二人には、谷原のことは言わないだろう。
そして、帰りに友人たちと別れると自動販売機の裏に谷原がいた。
「東雲、お帰り」
「気色の悪い発言をするな谷原、滅べ」
「東雲は、本当に素直なんだな」
そう言って谷原は私の隣で歩き始めた。
「気持ち悪い」
「どこら辺が?」
「発言が」
「そうかなー……俺は東雲に俺の気持ちを伝えてるだけだけど」
「はぁ……」
呆れるしかない。まるで子犬みたいな輝いた目で谷原は私を見てる。見た目は立派な大人なのに。それでも、そんな谷原をかっこいいと思ってしまうのは私が末期だからだろう。無性に刺したい。
「東雲は、俺の事が好きか?」
「何で」
「うわ、ひどい」
「犬って、調教する時どうすると思う?」
私の言葉に谷原は数回瞬きをして、「へ?」と声を上げた。
「餌を与えないで、行為を覚えさせようとするだろ。餌ばっかり与えてたらどうせお手とかお座りとか覚えないし」
「まあ、そうだな」
「つまりそういう事」
「……俺、調教されてるの?」
調子付かせないようにしてるの。
「それに、安っぽくなるだろう。何度も言ったら」
「うーん、そうか?」
「私はそう思うんだ」
私が言うとやはり谷原は納得していない様子だった。谷原には、一生理解出来ない領域なのだ。