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時刻は午後三時。場所はリュート学園正門前。
いつも兄と帰るアリアは時間通りに正門の前に立っていた。そんなアリアの中には、まだあのユメリアの表情が残っていた。普段とは全く違うユメリアの様子に、アリアは何ともいえない不安を抱いている。
「……どうしたのかしら、ユメリアさん」
自分が訊いても、ユメリアは口を開かなかった。よほど重大なことなのだろうか、と思いを馳せていた時、アリアの視界にユメリアの姿が入ってきた。
「あっ、ユメリアさん!」
アリアが声をかけるが、俯きがちに歩いているユメリアの耳にはその声は届かない。そのまま、ユメリアは校舎の裏へと行ってしまった。
「ユメリアさん……」
何があったのだろうか。ただ、アリアはそれが心配だった。眉間に小さな皺を寄せて、アリアはユメリアの歩いてゆく背中を見つめる。
「アリア?」
その時、後ろからジーンが現れた。振り返ったアリアの、少し泣きそうな顔を見て驚きを隠せないと言った顔をしている。
「兄さん……」
「何かあったの?」
「……ちょっと、来て!」
「えっ?!」
突然アリアはジーンの腕を掴んで、ユメリアの向かったほうへと走り出した。腕を引かれるまま走るジーンは、全く状況を把握出来ずにいた。
「アリア?! どうしたんだ、急に!」
「静かに! ……ちょっと、心配なことがあるの」
アリアはそう言った後、校舎の裏にある雑木林の木陰に隠れた。ジーンもその後ろに立ち、アリアの視線を追う。
「……ユメリアさん?」
「うん……」
雑木林を抜けた先には、小さな礼拝堂があった。ここに来る生徒はほとんど少ないのだが、時々、祈りをする生徒がいると言う。そんな礼拝堂に、ユメリアが入って行った。その横顔は、何も事情を知らないジーンでも普段とは違うことを強く感じさせた。
「何か、あったの?」
「多分……。でも、ユメリアさん、何も言わなくて……」
アリアは胸の前で両手をきゅっと重ねる。そして、二人はユメリアに気づかれないように礼拝堂に近付いた。
「お願い……です……」
中から、ユメリアの声が聞こえた。今にも泣き出しそうな、震えた声。
「助けて……シルヴァを、助けてください……!」
礼拝堂の中、ユメリアは両膝をついて天に祈るように叫ぶ。
「シルヴァが、ナイトメアのはずがない! そんなはず、あるわけない!! なのに、どうして……シルヴァが捕まらないと、いけないの……!」
とうとう、ユメリアの目から大粒の涙が零れた。それでもユメリアは言葉を続ける。
「お願いします、シルヴァを助けて……! 誰でもいい、お願いだから……!」
そしてユメリアは両手で顔を抑えて大声で泣き始めた。何もできない自分の無力さと、誰にもいえない苦しさを吐き出すように。
一方、外で話を聞いていたアリアとジーンは言葉を失っていた。アリアは口元に手を当てて、少し顔を青くさせている。
「……どういうことだ」
やっと口を開いたジーンから出てきたのは、それだけだった。何故、シルヴァが自分――ナイトメアとして捕まっているのか。全く事情を知らなかったジーンの瞳は震えている。アリアも不安そうな顔をして、ジーンを見上げる。
「シルヴァさんが、捕まった? そんな、わけ……」
「多分、事実だ」
一日シルヴァが店に来なかったこと、レイラとも連絡が取れなかったこと。可能性としては、かなり高い。アリアはぎゅっと目を閉じた。
「私たちのせいで……」
それから二人はすぐに礼拝堂から離れ、家へと向かう道を歩いていた。
「……どうするの、兄さん」
「どうする、か……状況が全く把握できないのに、動くわけにもいかない」
「でも、それじゃあ、ユメリアさんは……」
自分と全く関係がない、とまでは行かないが、『マグウェルの宝』とは無関係のシルヴァがナイトメアとして捕まっているというのはジーンたちに重い罪悪感のようなものを抱かせた。眉間に深い皺を寄せ、ジーンは思考をめぐらせた。その時、
「どうした、ジーン」
「え……?」
突然声をかけられたことに驚いたジーンは、はっと顔を上げる。そこにはロジャーとジーンの見知らぬ男がいた。心配そうな目を向けるロジャーに対し、後ろの男、ガーニは明らかに不機嫌そうな顔を浮かべている。
「ロジアル、何をしている」
「ああ、悪いな。知り合いでな」
ロジャーがガーニに向かってそう言うと、ガーニはどうでもよさそうな顔をしてジーンとすれ違った。その時、ジーンとアリアは何かを感じた。そんな二人の様子を見てロジャーは首をかしげる。
「……二人とも、どうした? そんな、驚いたような顔をして」
「えっ、いえ、なんでも……そういえば、あちらの方は?」
ジーンがごまかすように尋ねると、ロジャーは少し苦い顔をしてさっさと歩くガーニの背中を見た。
「この間言った、新しい上司サマだ。昔の、友人だったんだがな」
「……だった?」
アリアが何気なく繰り返すと、ロジャーははっと目を大きく開いた。小さく首を振り、アリアのほうを微笑んでみた。
「何でもない。しかし、そんな二人揃って暗い顔をして、どうしたんだ?」
「いえ、その……少し、考え事をしていただけですから」
ジーンはいつも通り微笑んでロジャーに言う。隣のアリアもこくこくと頷くのを見て、ロジャーは「そうか」と納得したように頷いた。
「それよりロジャーさん。上司さんは……」
「ああ、そうだな……あまり深く考えすぎるなよ。そんな顔してたら、転ぶぞ」
ふっと微笑みながらロジャーは言って、ガーニの背中を追った。ジーンとアリアはロジャーと、そして先を行くガーニの背中を見つめた。
「……兄さん、さっきの人」
「ああ、そうだな」
シルヴァが捕まった件と、ロジャーたちの新しい上司の男から感じた――『マグウェルの宝』の気配。その二つはきっと、関係するとジーンもアリアも確信していた。
「許さない、関係ない人間を巻き込むなんて……」
アリアは憎々しげに、ガーニの背中を――彼の持っている『マグウェルの宝』に向かって呟いた。
一方、ロジャーがガーニに追いつくと、ガーニは鋭い睨みをロジャーに向けた。
「一般人と何を長々と話していた」
「別に。世間話だ」
「そんなことだから、貴様は上に登れない」
「あいにく、俺は上に行くために刑事をやっていない」
そんなロジャーの言葉を聞いていないようで、ガーニは早足で歩く。ロジャーも同じように歩き、ふと、ガーニの横顔を見た。
「……ガーニ、お前……どうしたんだ」
ロジャーの問いかけに、ガーニは足を止めた。ロジャーも足を止めて、じっとガーニの顔を見つめる。
「昔も言っていたが、今は、それと全然違う。『あの事件』のためじゃない、お前は固執しすぎている」
「……ロジャー」
ガーニの口から出た声は、先ほどまでとは違ってやけにかすれている。久しぶりに呼ばれた愛称に、ロジャーははっと肩を震わせた。ガーニがロジャーに向けている瞳はわずかに震えている。それからガーニは目を閉じた。
「俺は、……」
何かを言いかけたガーニだったが、シャツの上から胸の下の何かを握り締めて首を振った。
「貴様には関係ないことだ、ロジアル」
ガーニがロジャーに向けた視線は、先ほどの感情の震えなどなく、むしろ感情が存在しなかったというような冷たいものだった。そしてガーニはロジャーに背を向けてさっさと歩く。ロジャーは、肩の力を落として、先を行く友の背中を見つめた。
「ガーニ……」
***
時刻は午後四時。場所は、警察署の地下の一室。
「そろそろ、吐いたらどうだ? シルバルヴァ・ゴードン」
警察署に戻ったガーニはすぐに地下へと向かい、シルヴァに暴行を加えていた。腹を蹴られ、頭を石の壁に強く打ったシルヴァの意識は、不安定だった。しかし、それでもガーニの問いにははっきりと答える。
「最初から言っている。俺は、ナイトメアじゃない」
「その言葉は聞き飽きた。こんなやり取りをしても、楽にはなれない」
そしてガーニはシルヴァの髪を掴み、無理矢理立ち上がらせる。シルヴァは、ぐったりと腕を伸ばしたまま、ガーニの操り人形のように顔を寄せた。それでもシルヴァの瞳は、ガーニを捕らえている。
「……こんなことをして、何になるんだ」
「私が上に登るためのステップだ。一言『私がナイトメアだ』と言えば、それでいい」
「誰がテメェの階段になるか」
吐き捨てるようにシルヴァが言うと、ガーニはシルヴァの頭を壁に叩きつける。強い衝撃がシルヴァの頭を駆け巡った後、ガーニはシルヴァの腹に膝蹴りを入れた。「うっ」とシルヴァがうめき声をあげ、その場に倒れこむ。咳き込むシルヴァを、ガーニはただじっと見つめていた。
「楽にしてやる。私はそう言っているのに、何故君は聞かない?」
「……俺が、ナイトメアじゃないからだ。何で、俺がナイトメアだと言わないといけない」
「馬鹿め」
ガーニはつま先で強く、シルヴァの腹を蹴り上げた。背中と頭を強く打ったシルヴァの意識は、闇に落ちる手前だった。
「貴様に死なれては困るからな。だが、このままが良いのなら、望みどおり一生ここに入れてやろう」
見下すガーニを、シルヴァはふらつく意識の中で見つめた。その時、シルヴァの瞳に見慣れない色が見えた。
ガーニの胸元に輝く光の正体を確認する前に、シルヴァの意識は完全に闇に落ちてしまった。がくりと倒れたシルヴァを見て、ガーニは冷たい視線を送る。それから、ガーニはシャツの下から何かを取り出した。
それは、指輪のついたネックレスだった。その指輪を手に取ると、ガーニの表情が悲しげに歪む。
「エリーゼ……」
ガーニが呟くと、指輪についていた黄色の石が強く輝いたようだった。
一方、ナイトメア対策本部の部屋。ロジャーは、カズヤに渡された書類に目を通していた。
「……やっぱりか」
読み終えたあと、ロジャーが小さく零す。その言葉に、ロジャーをじっと見ていたカズヤとナタリヤは驚きを隠せなかった。
「やっぱり、って……じゃあ、本当に、ガーニッシュ警視正は」
「噂は聞いていた。自白だけで事件解決なんて、おかしいとは思っていた」
ため息混じりにロジャーが言うと、ナタリヤが「そんな……」と小さく言った。
「なら、シルヴァくんも……」
「多分、だろう。……嘘であって、欲しかったな」
眉間に皺を寄せて、ロジャーは小さな声で言った。そんな悲しげなロジャーの姿を見て、カズヤは口を開いた。
「先輩と、警視正との関係って、一体……なんですか?」
「友人だった。俺は、今でも友人であると、信じたかったんだけどな」
俯き、ロジャーは大きく息を吐いた。うっすらと開かれた目は、わずかに震えている。
「学校の同期だった。別にあいつも最初は出世することを目標にしていなかったさ……『あの事件』があるまでは」
ロジャーはそれだけ言って、口を閉ざした。カズヤもナタリヤも、それ以上は何も聞けなかった。
***
それは今から十数年前の話だった。
「エリーゼ!! しっかりしろ、エリーゼ!!」
ガーニは感情的に叫び、抱かかえている女性に声をかける。が、彼女の胸からは血が大量に流れていて、その瞳は虚ろなものだった。それでも、ガーニは叫び続ける。
「エリーゼ! エリーゼ!!」
ぼろぼろと涙が落ちる。それは、彼女の胸から流れる血と混ざり、どちらがどちらだったのかわからなくなる。その血は、ガーニの白いシャツにも赤い色を移す。
「どうして……どうして、彼女が……!」
エリーゼ・リティシアは一発の銃弾を受けた。その銃弾は、ガーニと同じように警察に属する者が放ったものだった。
「何故だ!! 何故、彼女を救わなかった?!」
とある事件を追っていたガーニの上司は、誤って彼女を撃った。が、その事実――『エリーゼ・リティシアが撃たれた』という事実は、その上司の権限によって揉み消された。警察が一般人を誤って撃ったとなれば、問題は大きくなる。
エリーゼは一命を取り留めたものの、現在も延命装置につながれてまともに会話もできない。そんなエリーゼに対して謝罪も何もない警察に対して、ガーニは憤りを抱いていた。例え事実が消えても、彼女の傷は消えないのだ。
「……俺は、変えなければいけない」
ロジャーはその事件以降、一度だけガーニに会った。ガーニの顔には恋人を撃たれた悲しみよりも、警察に対する憎しみの表情が映っていた。
「間違っている。こんなことをするために、俺は警察に居るわけじゃない」
「告発、するのか?」
ロジャーが尋ねると、ガーニは小さく首を振った。そして、強い意志を感じさせるような瞳で、ガーニははっきりと言った。
「俺が告発して、奴らがいなくなっても、同じような人間はいくらでも居る。なら、俺が全てを変える」
「変える?」
「そうだ。俺が出世して、それで上に登って、こんなふざけた体制を変える」
普通ならバカにするような言葉だったが、真剣なガーニの顔を見ていると本当に成し遂げるのではないのか、とロジャーは思った。
***
午後五時。場所はジーンとアリアの住むアパート。
「……どうするの、兄さん」
家に帰ったアリアは不安げな表情でジーンに尋ねる。ジーンは、眼鏡を外して窓の外を見つめていた。日が傾き始める時間、眩しい光がジーンの瞳の中にも入ってきていた。
「今日だ」
「え?」
「状況はわからないが、あの男が警察関係者で、持っているのは確かだ。なら、早く行く」
「まさか、……警察に?!」
アリアが驚いたように声を上げると、ジーンはアリアのほうを向いて頷く。そんな兄の姿を見て、アリアはしばらくぱちぱちと瞬きをしていたが、諦めたかのように大きく息を吐いた。
「本当に、兄さんって無理ばっかりするわね」
「悪いな。だが、このまま長く放置はできないだろう」
無関係の人間が、自分たちのせいで捕まっている。その上、それが『マグウェルの宝』が原因の可能性が高い。そうなると、一刻を争う事態になる。
「私、そんな兄さんが嫌いじゃないわ」
「そう言ってくれて、どうも」
「予告状がこんな急なんて、誰も想定していないでしょうね」
アリアがため息混じりに言うと、ジーンは少し苦い笑みを浮かべた。