***
翌日。時刻は午前十時。場所はシルヴァの探偵事務所。
「本当にありえない! 何でこんなに埃まみれなの?!」
ばん、と大げさな音を立てて開かれた窓から、埃が煙のようにもくもくと上がる。
「シルヴァ、こんな空間でよく息してられるわね! 本当に、どうかしてるわ!」
「……朝からぎゃあぎゃあと…………」
学校がないということで、九時前から事務所にやって来たユメリアは、事務所の片付けを着々とこなしていた。無理矢理叩き起こされたシルヴァは、ソファに寝転んだまま、ユメリアの片付けの様子を見ていた。
「そういえば、レイラさんは今日も仕事?」
「ああ、そうだな」
「レイラさんが働いてるのに、何であんたは働かないのよ!」
そんな怒鳴り声と同時に、シルヴァの体は傾く。そのまま、地面に叩き落された。
「いでっ」
「全く、あんたも片付けなさい! 何よ、この書類の雑な置き方!」
ユメリアはシルヴァのデスクに、大量の書類を置く。そこからも大量の埃が舞った。
「本当になんで、こんな空間にいられるの?」
「うるせぇな。ったく、片付けりゃ良いんだろ……」
はあ、と大きく息を吐いてシルヴァは立ち上がる。その時、玄関からチャイムの音が鳴った。シルヴァは玄関の方を向いたが、首を振ってデスクの方に歩き始める。
「……客か? まあ、片付け中だし」
「こんの、バカシルヴァ!!」
ユメリアは怒鳴って走り出し、すれ違ったシルヴァの頭を強く叩いた。その勢いのまま、ユメリアは玄関の扉を開けた。そこには、二人の男が立っていた。
「申し訳ありません、今、片付け中なのでもう少し待って……」
「悪いが、待つ時間はない」
一人の男がユメリアの言葉を遮って、強引に部屋に入る。その後ろから、もう一人も続く。
「え、ちょっと!」
「ユメリア」
二人を止めようとしたユメリアの後ろから、名を呼ぶ声がした。そこには、ロジャーとナタリヤ、カズヤの姿があった。
「ロジャーさんに、カズヤさん……に、お姉ちゃんも……?」
そして、先に入った暗金色の髪の男――ガーニはソファに座って自分の後頭部を撫でているシルヴァの前に立った。その後ろには、あの銀髪の男もいる。
「シルバルヴァ・ゴードンだな」
「……誰だ、テメェら」
「警視正のガーニッシュ・フォルトバーグだ」
そして、ガーニは懐から一枚の紙を取り出し、シルヴァに向けて広げた。
「シルバルヴァ・ゴードン。お前を、怪盗ナイトメアとしての窃盗事件の容疑者として、連行する」
「……は?」
突きつけられた紙にも、同じようなことが書かれている。意味が解からない、とシルヴァが呆然としてガーニを見つめていると、後ろからユメリアが走ってやってきた。その表情は、怒りに満ちている。
「どう言う事ですか?! シルヴァが、ナイトメアなわけないでしょう!」
「何だ、君は」
「シルヴァの助手、ユメリア・メルティーンです!」
「関係の無い者は黙っていてもらおうか」
「関係者よ!」
ユメリアがガーニに向かって叫ぶと、その肩をナタリヤが掴んで制止した。
「ユメリア、落ち着きなさい!」
「落ち着いていられないわ! お姉ちゃんだってわかってるでしょ、シルヴァがナイトメアのはずがないわ!」
そんなこと、ナタリヤたちにもわかっている。しかし、ユメリアの言葉に誰も、何も言わなかった。
「どうして……」
「悪いが、これは決まっていることだ。無関係の君に、何も言えることではない」
「そうか」
シルヴァは、大きく息を吐いて立ち上がった。ガーニは、シルヴァの表情を見てフッと笑った。
「来てもらおうか、シルバルヴァ・ゴードン」
「……ああ」
諦めのような、低い声。そしてシルヴァの手に、手錠がかけられた。それを見ていたユメリアの顔はさあっと青くなる。
「待ちなさいよ! そんなはず、あるわけ無いでしょう?!」
「ユメリア!」
ガーニに飛び掛りそうになったユメリアを、ロジャーが抑えた。
「離して! 離してロジャーさん!」
「落ち着けユメリア、ここでお前が暴れても何にもならない!」
「だからって、だからって!!」
泣きそうなユメリアの声を聞き、ガーニはユメリアと、その肩を押さえるロジャーを見る。それから、室内を見て、小さく息を吐く。
「もう一人はいないようだな……まあ、いい。行くぞ」
シルヴァを強引に引っ張り、ガーニとシルヴァ、それから銀髪の男は事務所を出る。
「シルヴァ! シルヴァ!!」
「ユメリア、落ち着きなさい!」
「違うわよ! シルヴァが、シルヴァのはずがないでしょう!!」
叫ぶユメリアの目から、ぼろぼろと涙が零れた。それからユメリアが黙ると、ロジャーはゆっくりとユメリアを放した。ユメリアは、力を失ったかのように、床に座り込む。
「違う……ありえない、ありえないわ……」
「……ユメリア、さん」
カズヤが小さく名前を呼ぶが、ユメリアは俯いたまま、涙を零している。ナタリヤはそんなユメリアに寄り添い、背中を優しく撫でる。そして、ロジャーの握られた拳は、小さく震えていた。
***
時刻は午後四時半。場所は再びシルヴァの探偵事務所。
「ただいま」
扉を開けて、仕事を終えたレイラが部屋に入る。が、その部屋の主であるシルヴァの姿はない。デスクの上には片付けの途中であろう書類の山があった。昨日、ユメリアが朝から片付けをすると言っていたはずだ、とレイラは思い出した。
「レイラ・ソーディルだな」
背後から声がした。レイラが振り向くと、そこにはガーニがじっとレイラを見下すように立っていた。その後ろに、ガーニの部下の男はいない。
「……誰」
「ガーニッシュ・フォルトバーグだ。お前を怪盗ナイトメアの事件の関係者として連行する」
「……シルヴァは」
自分のことよりも先にシルヴァのことを言ったレイラを、ガーニは小さく鼻で笑った。
「安心しろ、現在取り調べ中だ」
安心、というような言葉が似合わない冷淡な声でガーニは答える。レイラはガーニの瞳をじっと見た後、視線をガーニの瞳から少し下に落とした。それからゆっくりとレイラは目を閉じた。
「…………わかった」
レイラは小さく頷き、ガーニと共に事務所を出た。
***
時刻は午後九時。場所は警察署地下のある一室。
「……バカじゃねぇか、テメェ」
「私は、君がそうだと思うのだがね」
そこは部屋と言うよりは牢獄、という言葉が似合うような場所だった。レンガのような壁で囲まれ、唯一の入り口は鉄格子。地下のため、窓は無い。
シルヴァは警察署に連れられた後、ガーニにこの部屋に入れられた。壁に繋がっている首輪と鎖、手にも鎖をつけられて、動けない状態になっている。
「さっさと自分がナイトメアであることを認めたまえ。そうすれば、すぐに楽にしてやる」
ガーニはそう言って、動けないシルヴァの腹を蹴る。
「うっ!?」
「私も長々と苦しい思いをさせたくは無い。それとも、まだ続けるつもりか?」
腹を蹴られたシルヴァは前のめりになって咳き込んだ。ガーニは感情を映さない瞳で、咳き込むシルヴァを見下していた。
「……まあ、いい。今日はここまでにしてやろう」
ガーニはそう言って、部屋を出る。カツカツ、という階段を上る音が、部屋に反響した。
「……ふざけやがって」
足音が完全に聞こえなくなった時、シルヴァは小さくぼやいた。体を起こすと、じゃらり、と鎖と地面が擦れ合う音がした。シルヴァは、腕を持ち上げて鎖を見る。
「何が楽にしてやる、だ。どうせ、俺が負けるに決まってるだろ」
そして、シルヴァは壁に寄りかかった。
体中が痛い。足にも腕にも傷がついている。口の中には血が広がり、鉄の味がした。
部屋に入れられたシルヴァは、首と手に鎖をつけられた後、ガーニから暴行を加えられた。自白させるため、とはいっても、無抵抗のシルヴァに対して一方的な暴行をガーニは繰り返した。そのときのガーニの瞳は、感情を映さない、冷たいものだった。
「っ……!」
全身に痛みを感じたシルヴァは強く目を閉じる。
上の階にあがったガーニは、ナイトメア対策本部の部屋に戻って来ていた。銀髪の男がガーニのデスクの後ろに立っていて、ガーニが戻ってきたのを確認すると、一枚の書類を渡した。
「ガーニッシュ警視正」
デスクで男から受け取った書類に目を通していたガーニに声をかけたのは、カズヤだった。その眉間には、小さな皺が寄っている。
「何だ」
「シルヴァ……ゴードン容疑者は、今、どちらに?」
「君が知る必要はない。君には、別件を頼んだはずだが」
「申し訳、ありません……」
ガーニの一言にカズヤは俯き、肩を小さくさせた。室内には、カズヤとガーニ、銀髪の男だけだった。三人しかいない室内では、ガーニの書類をめくる音と、カズヤがパソコンを叩く音しか響かなかった。
「ナガナミ」
唐突に、ガーニがカズヤを呼ぶ。はっと顔を上げたカズヤは立ち上がり、「はいっ!」と裏返ったような声をあげる。
「今日はもう、いい」
「……は?」
「あの男を確保した時点で、君たちの仕事は終わっている。君のその仕事は、私が引き継ごう」
ガーニは睨むように、カズヤを見た。
「しかし……」
「聞こえなかったのか? それとも、簡単に言ったほうがいいか?」
ガーニが言いたいことをカズヤはその視線から感じていた。「邪魔者は早く帰れ」と言う事だろう。何か言おうと口を開きかけたが、その口から言葉が発されることはなかった。カズヤはぐっと強く、拳を握った。
「……失礼、します」
荷物をまとめ、カズヤは部屋を出た。何も言えなかった自分に対して苛立ちを感じているカズヤの歩みは、その苛立ちをぶつけるかのように強いものだった。いつもの柔らかい表情はそこにはなく、眉間には深い皺が寄っている。
「カズヤ」
急に名を呼ばれたカズヤはぴたりと止まって、辺りを見た。後ろに、壁に寄りかかっているロジャーの姿があった。
「先輩!」
「帰りか?」
尋ねるロジャーは平静を装っているように、カズヤには思えた。
「はい。……ガーニッシュ警視正に、言われまして」
「そうか」
「ところで、ナタリヤさんは?」
「ああ、あいつはレイラのところにいる。ガーニに、言われたらしい」
どうりで、とカズヤは部屋にナタリヤがいないことに納得した。きっと同じように、遠まわしに『邪魔』と言われたのだろう。
「先輩は、どうされるんですか?」
「ああ、俺はもう少しやってから帰るつもりだ」
「そう、ですか」
「まだ、明日もあるだろうからな。しっかり休んどけ」
そう言ってロジャーは壁から離れてカズヤに背を向け歩き始めた。そんな背中を見て、カズヤは抱いていた疑問をロジャーに尋ねることに決めた。
「先輩!」
「……なんだ?」
「先輩と、ガーニッシュ警視正は一体……」
「友人、だった」
わずかに見えたロジャーの横顔は、少しだけ泣きそうなものだった。それ以上ロジャーは何も言わず、そのまま歩き出した。
「……先輩」
また、何も言えなかった。カズヤは背中を見つめたまま、拳を強く握り締めた。
「失礼します」
ロジャーが部屋に入ると、ガーニが書類から顔を上げた。が、それは一瞬で、すぐに視線を書類に戻した。まるで、全く興味を示していないように見える。そんなガーニの後ろに立っていた銀髪の男は、ガーニの耳元に顔を近づけた。
「ガーニッシュ警視正」
「……ああ。もう、いいぞ」
「失礼します」
男はそう言って、ドアの前で立っているロジャーとすれ違うように部屋を出た。その口元には、にやりとした笑みが浮かんでいた。
そして、ロジャーは部屋に入り、扉を閉めた。部屋には、ロジャーとガーニの二人だけになる。
「……ガーニ」
ロジャーが呼ぶと、ガーニは書類に向けていた視線を、ロジャーに向ける。じっと、睨むようにロジャーを見つめた。
「その名で呼ぶな、そう言ったはずだが」
「相変わらず、物を覚えるのが苦手でな」
「……相変わらず、か」
ガーニの言い方に、感情が含まれているようには思えなかった。ロジャーは目の前にいる友人が、はるか遠くに居るように感じた。
「まさか、お前が俺の上司になっているとは思わなかったな」
「上司に向かってお前とは、よく言える」
「昔から、上を目指していたお前らしい。まだ、若いのによくそこまで登ったな」
「……まだだ」
何か憎々しげに言うガーニに、ロジャーは疑問の瞳を向ける。ガーニは睨むようにロジャーの顔を見つめた。
「私は、まだ上を目指さなければならない。貴様のように、現場で動くだけが全てではない」
「何故、お前はそんなに上を目指すんだ、ガーニ」
ロジャーの問いに、ガーニは何も答えない。その代わりか、ぎゅっとシャツの胸元を握った。