***

 

 館内に入ることができたナイトメアは、特別展示室に向かって走っていた。しかし、館内がやけに静かなことに疑問を覚えていた。

 罠どころか、人が一人もいない。警備員が多く配置されていた外とは対照的である。

そして仕掛けられているであろう防犯システムも一切作動せず、ナイトメアは特別展示室の扉の前にたどり着いた。

「罠も、追手もなし……。この奥に、何かあるのか」

 中からは宝の気配を感じる。間違いなくこの奥にあるのはわかっているのだが、それ以上のものを感じた。そしてナイトメアは扉を蹴り開けた。

「……」

 中は暗い。照明は灯っておらず窓にはカーテンがかかっている。ナイトメアが部屋に入ると、照明が点いた。

「……」

 ナイトメアの前方に“クイーンズ・ティア”とそのそばに立つルシアナの姿が現れた。ルシアナの手にはジールから受け取った拳銃が握られ、その銃口はナイトメアに向けられている。

「動かないでください。怪盗、ナイトメア」

「……お前は」

「私はルシアナ・クリーサ。この美術館の館長です」

 ルシアナの瞳はじっとナイトメアを見つめているが、感情が映し出されていない。淡々とした口調で、ルシアナは言葉を続けた。

「この部屋には特殊なセンサーが張り巡らされています。あなたが一歩動けば、ここに閉じ込められます」

「お前も、一緒だが?」

「だから私がいるのです。あなたが閉じ込められたなら、私がこの引き金を引きます」

 はっきりと、ルシアナは言った。

「私はこの“クイーンズ・ティア”を……いえ、美しいものを盗もうとするあなたを許しません」

「そのためには、引き金を引く、と」

「そう。あなたを殺しても、構わない」

 ためらいのない言葉。しかし、はっきりと言い切ったルシアナの表情はどこか虚ろだった。まるで、感情が失われつつあるかのように。

「……」

 これも、宝の効果か。一刻も早くルシアナを“クイーンズ・ティア”から離さねばと思ったナイトメアが動き出そうとした。

「動くな!!」

 叫んだルシアナが引き金を引こうとした次の瞬間。

 照明が落ちて、“クイーンズ・ティア”の置かれている台を中心に、青い光の円が生まれる。その円の中にはルシアナもいて、何が起こったのかわからない様子でその円を見ている。

「これは、一体……?!」

 ルシアナが呟くと、円の内部に青い光で模様のように図形や文字、印などが細かく現れ始めた。それを見たナイトメアの目が大きく開かれた。

「そこから離れろ!!」

 ナイトメアの叫びを聞いて、ルシアナがナイトメアの方を向く。ルシアナの目の前に薄いガラスのようなものが現れたと同時に、目の前が歪んだ。

「っ?!」

 呼吸ができなくなる。そのとき、ルシアナは自分が水中にいることに気づいた。何故、と思う暇もなくルシアナは逃げ出そうと考えた。上を見たが、光の円は天井にもあった。

「どういうことだ、これは……魔法陣……?!」

 ナイトメアの目の前には光の円でできた筒状の水槽のようなものが現れた。その中に、何も状況を把握できていないルシアナが出ようと、ガラスを叩いている。

「この部屋に、特殊なセンサーなどない」

 その時、部屋から別の声が上がった。ナイトメアが声のほうを向くと、そこには男が立っていた。ゆっくりと歩き、水槽の方に向かっている。ルシアナはその男を見て、口を開いた。何かを叫んでいるようで、口から大量の泡が出ている。

「すみません、騙すようなことをしてしまって。しかし、貴女には協力してもらうと言ったでしょう?」

 それから男はくすりと笑って懐から何かを出した。それは、紫色の石。

「あと、そちらにある“クイーンズ・ティア”は偽物です」

 それを聞いた瞬間、ルシアナの表情が泣きそうなものになる。男は一切そのルシアナの様子を気にしていないようで、微笑んだままナイトメアのほうを向いた。

「ナイトメア、やっと君に会うことができたよ。僕は、嬉しくてしょうがないよ」

 男が言った瞬間、窓のカーテンが開かれた。入り込む月明かりによって、ナイトメアは男の姿を把握した。

「お前は……!」

「そう、覚えていてくれたようだね」

 銀色の髪、目を隠すかのような黒いサングラス。口元には笑みが浮かべて男、ジールは大きく息を吐き出した。

「忘れられたかもしれないと、不安に思っていたよ。もう、十年も前だからね」

「忘れるものか……あの日のことを……!」

 ナイトメアは金の左の瞳を怒りで震わせた。低く、搾り出すようなその声を聞いたジールは肩を震わせて笑う。

「そうだね……忘れられるはずがない。僕も、忘れられなかったよ……」

 そしてジールはサングラスをはずして、地面に落とす。サングラスの下から現れた金色の右目がぼんやりと光り始めていた。

「君がその金の瞳を奪った日を」

 

***

 

 ルシアナは、目の前で何が起こったのかわからなかった。

 突然現れた円の光に包まれたかと思うと、自分は水中に閉じ込められてしまった。ナイトメアの罠かと思ったが、それは違うことがすぐにわかった。

「ジール……!」

 叫びたいが、水の中にいる自分にはそれができない。現れたジールの姿を見たとき、ルシアナは裏切られたことを理解した。

「すみません、騙すようなことをしてしまって。しかし、貴女には協力してもらうと言ったでしょう?」

 水中とは思えないほどはっきりとジールの声が届いた。ルシアナは必死になってジールに向かって叫ぶが、声が出ない。代わりに、口から大量の水が入り込んだ。このまま続けたら、溺れてしまう。それは解かっていてもルシアナは叫び続けようとした。

 自分を囮に使ってナイトメアをおびき出すことが許せなかったが、それ以上に “クイーンズ・ティア”を、芸術品を囮に使ったことが許せなかった。ジールに向かって叫び続けていると、彼は何かをルシアナに見せた。

「あと、そちらにある“クイーンズ・ティア”は偽物です」

 聞いた瞬間、ルシアナの中で何かが崩れるような音がした。ジールの持つ紫色の石を見たとたん、今までジールに向かって叫んでいた言葉が消えたようだった。それからジールは自分に興味を無くしたかのように、ナイトメアの向いた。何かを言っているようだったが、ルシアナの耳には何も聞こえなかった。

 どうして、こんなことになってしまったのか。ルシアナは涙が出そうだった。

「守りたかった、だけ……なのに」

 父と一緒に来た美術館。見て回ったきらきらと輝く芸術作品。それをみて微笑みあう父と、自分。幸せそうに観てまわる人々。ルシアナは、そういった人を守りたかっただけだった。

「どうして……」

 その瞬間、ルシアナの目が閉ざされた。

 

***

 

「ルシアナ!!」

 ナイトメアがルシアナの異変に気づいて、水槽に向かって走り出そうとした。

「行かせないよ、ナイトメア」

 ジールが右目に左手を当てた。そして、その手をナイトメアに向けると、金の光の円がいくつも現れた。

「魔法陣か……!」

 ナイトメアが呟くと同時に、その魔法陣がナイトメアに向かってきた。なんとか避けるが、ひとつが頬のすぐそばを通った。ナイトメアの頬に、血の筋が走る。

「仕方ない、あまり傷つけたくはないのだけれどね」

 その声が聞こえたと同時に、ナイトメアの目の前にジールが現れる。ナイトメアが大きく目を見開くと、ジールはにやりと笑みを浮かべた。

「仕方ないか」

 ジールの金色の瞳が輝く。そして右手にも光が現れ、それは形を作り始める。ナイトメアが後ろに跳躍した直後に、ひゅん、と風を切るような音がした。

「うーん、使い慣れないなあ。まあ、何とかなるかな」

 着地したナイトメアは、金色の剣を持って困ったような笑みを浮かべるジールを睨んだ。その視線に気づいたジールはにこりと楽しそうに微笑んだ。

「どうする、ナイトメア? 一方的に僕に切られたい?」

「……断る」

「そうこなくちゃ。僕もあまり、退屈はしたくなくてね」

 ナイトメアが右手を前に向けると左の金色の瞳が輝き、手の中に金色の剣が現れた。ジールは満足げな笑顔を浮かべた後、ナイトメアに向かって走り出した。ぎん、と剣のぶつかり合う音が室内に響く。

「こうやって君に再会できたことは、君がこんなことをしているおかげだよ」

 剣を振るいながらも、ジールは楽しそうに言葉を続ける。ナイトメアは何も言わずに、ジールに向かって剣を振り続けている。

「こんな風に、人から宝を奪うことをする。まさに、僕からすべてを奪った君らしいね」

「黙れ!!」

 ナイトメアは叫ぶ。ナイトメアの振るった剣は、ジールの剣によって防がれた。ぎりぎりと剣が擦れあう音がする中で、ナイトメアとジーンは睨みあう。

「美しい」

 ジールは、ナイトメアを――金色に輝く左目を見ながら言った。剣はかたかたと震えて、互いに力が加わっているにも関わらず、ジールの表情は至って穏やかだった。

「君のその金の左目は、本当に美しい。僕が、求めるものだ」

「……」

「君にはわかるはずだ、この美しさはどこからくるものか」

「……」

 ナイトメアは何も言わない。ジールはナイトメアの剣を押し返すと、その姿を水槽のすぐ横に現した。

「感情の高まり。それこそが人間のもつ最高の美であり、『マグウェルの宝』が最も美しく輝く瞬間だ」

 目を細めてジールは言った。自分の右目に手を当てると、指の間から金色の光が漏れる。

「だからこそ、宝は人の手の中にあるべきだ。最高の美しさを、輝きを得るために」

「何が最高の美しさだ」

 話に割り込むように、ナイトメアが口を開いた。ジールは少し驚いたような顔をしたが、すぐに笑った。笑って何も言わず、ナイトメアの言葉を待った。

「その石は、人の感情を糧に輝くだけだ。そんなものの輝きが、最高の美だと言うのか」

「ああ、そうだ。だからこそ、僕はこの金の瞳を持った。そして、彼も気づいた」

 彼、という言葉にナイトメアの顔が険しくなる。ジールはにやりと笑いながら、その名を呼んだ。

「マグウェル・ロストロスも、ね」

 そしてジールはナイトメアに向かって走り出す。ナイトメアも剣を構え、走り出した。再び、剣と剣とがぶつかり合う高い金属音が鳴り響いた。

「さあ、返してもらおうか。その金の瞳と、『彼女』を」

「返せ、だと? ふざけるな。お前のものでも、何でもない!」

 ナイトメアがジールの剣を振り払い、ルシアナのいる水槽に向かった。が、背後から金の光が輝くのが見えた。

「行かせはしないよ」

 ジールの声がすると、金の魔法陣がナイトメアに向かって飛んできた。腕や足にかすって、そこから血が出る。

「くっ……!」

「ひとつ、彼女には嘘を吐いていたのだけれど……何か、わかるかい?」

 ルシアナに背を向けて、ナイトメアはジールに剣を向けた。ジールが、笑みを浮かべている。

「そこにある“クイーンズ・ティア”は、『マグウェルの宝』は本物だ」

 瞬間、水槽の中にあった“クイーンズ・ティア”が紫の輝きを放つ。ナイトメアが振り向いて水槽を見ると、ジールが大声をあげて笑った。

「ははははは! ああ、何て美しいのだろう! これこそ、絶望の輝きというものだろうか!」

 大げさな言い方をするジールの声を聞いて、ナイトメアはぎりぎりと歯を食いしばった。ジールを見れば、嬉しそうに笑い声を上げている。

「貴様! 何故、こんなことを!!」

「最高の輝きがみたいからさ。こんなにも強く輝いているのは、彼女の絶望が深いからだろう」

 ルシアナではなく、輝く石にしか興味のないジールは楽しそうに言う。そしてその興味は、ナイトメアの左目にも向けられている。

「美しいよ、ナイトメア……。その怒りに震える金の輝き。その輝きは、僕が貰うよ」

 ジールがナイトメアに手を向けた。そこから再び魔法陣が現れかけた時、激しいガラスの破裂音があたりを包んだ。

「これは」

 驚いたような口ぶりで、ジールは水槽の背後にあった窓を見た。そこには、テールの姿があった。

「……何よ、これ」

 天井まである筒状の水槽。その中には女性と、“クイーンズ・ティア”。そんな光景を目の当たりにしたテールは、驚きを隠せずに小さく零した。

「ナイトメア、これは?!」

「テール、その水槽を壊せ!」

 ナイトメアは叫んだと同時にジールに向かって走り出した。テールに気をとられていたジールは一瞬反応に遅れたが、何とか剣を避けた。

「美しい。最高の輝きが、あの中にあるはずだ」

「貴様には渡さんぞ、ジール」

「久しぶりに僕の名を呼んでくれたね」

 囁くように、そして、嬉しそうにジールは言った。ナイトメアは奥歯を食いしばり、ジールに向かって走り出した。

 

 

 

 

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