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「くそ、全然システムが作動していない」
ヒロキは屋上でパソコンのキーボードを打ち続けていた。怪盗ナイトメアが入ったであろう特別展示室の映像が欲しいのだが、全くカメラが作動していない様子だった。
「やっぱり、地道にやるのは限界か……なら」
そう言ってヒロキはズボンのポケットからUSBメモリを取り出した。黒い本体には白い文字で『H』と記されている。
「和哉に怒られるかな。まあ、仕事柄しょうがないでしょ、ってことで」
そんな独り言を言いながら、メモリをコネクタに差し込んだ。そして先ほどよりもさらに速いスピードでキーボードを打つと、画面にいくつもの表示が現れた。
「……なんだって?」
中心に表示された文字は『Error』。赤い文字で点滅しながら表示されるその文字を見て、ヒロキは大きな息を吐いた。
「ひどい話だな。人がわざわざこんな小さな国に来たって言うのに、この扱いとは……」
と、言いかけてヒロキは望遠鏡で美術館のほうを見た。倒れている者や、そういった者を助ける者、そして必死に怪盗と奇術師を探す者など、混乱しているようだった。テープを張られた外側でも、中で何が起こっているのか興味津々と言うように野次馬たちが美術館のほうを見ている。
「いや。おれですら見れないというのだから……もっと面白いものがあるのかもしれないな」
にっと歯を見せて笑いながら、ヒロキは望遠鏡で美術館を見ているのだった。
***
テールは水槽の前に立ち、杖を向けた。目を閉じると杖の石が白く光り、その光は少しずつ魔法陣を描き始めた。
「お願い……!」
呟いてテールは目を開く。陣が水槽にぶつかると、小さなひびが入った。
「強度が高すぎる……、こんな術……」
こんな術を使える人間は一人しか――ナイトメアしかいない。そう思いながらも、テールは再び魔法陣を作り始めた。
テールが陣を作る様子を見ながらナイトメアは向かってくるジールの剣を避けていた。一刻も早く、ルシアナを助けねばと水槽を見れば、視界にジールが入ってくる。
「人の心配をする暇が、あるのかな」
目の前に金色の光が現れて、腹に強い衝撃が走った。ナイトメアの体は宙を舞い、地面に叩きつけられた。
「ぐっ……」
「その程度のものとは思わなかったね。てっきり、僕と同じ程度の力を持っていると思っていたのだけれど……」
小さく息を吐きながら、ジールは残念そうに言う。ナイトメアは腹を押さえながら立ち上がると、ジールに向かって剣を構えた。肩で荒く呼吸をしているナイトメアを、ジールは憐れむように見た。
「やはり君では器が足りないようだ。その金の瞳は、僕が頂くよ」
ジールは言い終えると同時にナイトメアに向かって剣を振った。ナイトメアはそれを避け、水槽に向かって走り出すが、ジールはそれを許さない。
「君には渡さないよ、ナイトメア!!」
ナイトメアの背後から再び金の光の魔法陣。背中に直接その光を受けたナイトメアの全身に、強い痛覚が走る。
「ぐあぁっ?!」
叫び声と同時に、ナイトメアの手から剣が離れた。それを見たジールがにやりと勝利を確信した笑みを浮かべる。
「終わりだ、ナイトメア。君の、負けだ」
「そうでも……ないさ」
かすれたナイトメアの声を聞いて、ジールの顔色が驚きのものに変わる。ナイトメアの剣は地面をすべり、テールの足元に落ちた。
「今だ、テール!」
ナイトメアが叫ぶとテールは剣を掴み、水槽に入っているひびに向かって突き刺した。
「何だと?!」
ジールが声を上げる。直後、テールの入れていたひびは剣によって深くなり、水槽全体に広がった。それを見たナイトメアの口元が上がる。目の前に広がる光景が信じられない、というようにジールは目を大きく見開いてひびの入った水槽を見た。そして、視線を倒れているナイトメアに向けて、叫ぶ。
「これを狙っていたというのか……ナイトメア!!」
ジールの叫びを聞いて、ナイトメアは目を閉じてゆっくりと立ち上がる。ジールの方を向き、その目を開いた。
「そうだ。お前を相手するほど、俺は暇じゃない」
その左の金色の瞳は、強い輝きを放っていた。それと呼応するようにテールが突き刺した剣も強い光を放ち、水槽は完全に割れた。ぱんっ、と弾ける音がすると粉々に砕けたガラスと水槽の中に入っていた水が飛び散る。が、それは地面に落ちる前に青い光となって消滅した。
そして水槽の上のほうにいたルシアナは水槽の消滅と同時に地面に墜落しそうになったが、テールがそれを受け止めた。
「っう……うぅ……」
どうやらわずかながらに意識はあるらしい。テールはそんなルシアナの様子を見てほっとした表情を浮かべ、ルシアナを地面にゆっくりと横たわらせ、白い光を当てた。
「はは……はははははははは!」
ジールが笑い声を上げる。天を仰ぐように上を見ながら笑うジールを、ナイトメアは訝しげな表情で見る。
「ああ、そうか……君は、本当に僕から奪うことが得意だね。また、僕から奪って……」
そして笑い終えたジールは、大きく息を吐いて剣を構えた。ナイトメアを見る金の右目は、強く輝いている。
「僕は、許さない」
「同じことを言わせるな。俺は、お前の相手をする暇はない」
ジールが走ると同時にナイトメアは左目に手を当てた。剣の無いナイトメアに向かうジールの表情に余裕の笑みが浮かんだ。
「力では僕のほうが上だろう?!」
ジールは叫び、剣をナイトメアに向かって振りかざす。しかし、その剣はジールの手から消滅した。
「何っ?!」
剣が向かっていた先にあったのはナイトメアの右手と、金の光の魔法陣。ジールがそれらを見た直後、ナイトメアの蹴りがジールの腹に入った。
「ぐあぁっ!!」
無防備な状態で蹴りを受けたジールはそのまま吹っ飛ばされて、地面に叩きつけられた。そして、ナイトメアは“クイーンズ・ティア”に近づいた。
「……感情を糧にする石。それのどこが、最高の美だと言う?」
ナイトメアの声は低く、叫びだすのを抑えているというようなものだった。“クイーンズ・ティア”の紫色の光は少しずつ弱くなり、そして消えた。
「君には……わかるはずだ、ナイトメア」
ナイトメアの背後から声がした。かすれた声を出して、体をふらつかせながらジールは立ち上がった。
「そう、君にはわかる。金の瞳を持つ、君なら……」
「そんなものは違う!」
ジールに向かって声を上げたのは、テールだった。ルシアナに光を当てながら、テールは怒りに満ちた声で言った。
「感情を歪ませて輝くものなんて、本当に美しいはずがない!」
テールは振り向き、ジールの顔を見た。先ほどまでは水槽を破壊することに集中していたため、その時初めてジールの顔を見たテールは、その両方の目を大きく見開いた。先日、アリアとして出会った銀髪の男だったからだ。
「あ……っ」
「どうやら、君には……いや、君たちにはわかってもらえないようだ。残念だよ」
残念、という言葉を出しているジールだったが、その表情はやけに楽しそうだった。テールは眉間に皺を寄せて、怒りの表情を浮かべる。
その後ろにいたルシアナがゆっくりと目を覚ました。目の前がはっきりと見えないが、記憶はナイトメアが館内に入ったところまであった。まだナイトメアがいると確信したルシアナは、胸ポケットから小さな携帯電話のような機械を取り出し、そのボタンを押した。
次の瞬間、室内にベルの音が鳴り響いた。その音を聞いたジールの表情がはっとなり、それから視線をルシアナに向けた。ルシアナはベルを鳴らした後再び気絶したようで、目を閉じている。
「そうですか……何も用意しないで良いと、言ったはずですが」
外が騒がしくなり、館内に走ってくる足音が響いた。ジールは一瞬、開かれた扉のほうを睨んだが、すぐに穏やかな表情になってルシアナのほうを向いた。
「使えない駒だ」
言うと同時に、ジールはルシアナに向かって手を出した。その手から陣が描かれてルシアナに向かった。突然の出来事にナイトメアははっと目を見開いた。
「ルシアナ!!」
白い光が生まれ、金の魔法陣が消えた。ジールが驚きを隠せないように大きく目を見開くと、その目の前にテールの顔があった。
「何っ」
「人を利用するなんて、許せない!!」
そしてテールはジールの腹のあたりに向けていた杖を強く光らせた。どん、という音がしたと同時にジールは部屋の奥まで吹き飛ばされた。
「ナイトメア!」
「ああ」
近づいてくる足音を聞いて、ナイトメアとテールは特別展示室から抜け出した。ジールは全身に強い痛みを受けながらも、意識を失ってはいなかった。しかし体は動かず、ただ去ってゆくナイトメアとテールを見ることしかできなかった。
「くっ……ここまで、とは……ね」
嬉しそうにジールは言う。ゆっくりと目を閉じると、そのままぐったりと倒れたのだった。
***
翌日。時刻は午前十時。場所は美術館特別展示室。
「ありがとうございます、ジールさん」
「いえ。僕は、するべきことをしたまでですよ」
開館前の展示室にはルシアナとジール、そして刑事たち三人の姿があった。ジールはサングラスをかけていて、その金の瞳は隠れていた。
「それでも、感謝しています。あなたは、“クイーンズ・ティア”を守ってくださったのですから」
「それも館長である貴女の協力があったからです」
「私はただ、あなたに警備をお任せしただけですから」
ルシアナは小さく微笑んでジールに言った。言われたジールのほうは口元に穏やかな笑みを浮かべていた。が、サングラスの下の目は全く笑っていない。
「それでは失礼します。少し、ナイトメアにやられてしまって体が疲れてしまっていますので」
「本当に、ありがとうございました」
先日までとは違って、ジールはルシアナに興味が無いというようにさっさと展示室を出て行った。その背中に、ロジャーは不審の目を向けた。そんなことに気づいていないルシアナは、ロジャーたちの方を見た。
「刑事の皆さんも、ありがとうございました」
「俺たちは何もしていない。結局、すべてはあいつがしたからな」
「そんなことは……」
「ところで、この“クイーンズ・ティア”は本物なのか?」
唐突なロジャーの問いに、ルシアナだけではなくカズヤとナタリヤも驚いたような顔になった。カズヤが展示されている“クイーンズ・ティア”を見たが、ルシアナは小さく息を吐いて答えた。
「紛れも無く、本物です。出された形跡も無く、私がこの目で確認しました」
「そうか……それならいい。捜査協力、ありがとうございました」
ルシアナの答えに少し不満そうだったが、ロジャーは深く礼をして部屋を出た。隣のナタリヤも礼をしてロジャーに続くのを見て、“クイーンズ・ティア”を見ていたカズヤは慌ててルシアナに向かって「失礼します!」と言って二人の後を追った。
「先輩、どうしてあのような質問を?」
美術館を出たあと、ナタリヤはロジャーに尋ねる。それに同意するようにカズヤも頷いた。
「気になってな。あのジールの態度の変化」
「それはそうですが……でも、それだけで……」
「それだけじゃねぇよ」
と、カズヤの言葉をさえぎるようにロジャーは続けて言った。
「あの石、光がないように見えた」
「え?」
ロジャーの言葉の意味が解からず、カズヤが声を上げた。ナタリヤもぱちぱちと瞬きをして驚きの表情を浮かべた。そんな二人を気にしない様子のロジャーは首を回しながら「あー」と声を上げた。
「今から報告書も作らねぇといけないからな。眠気覚ましと朝飯ついでに喫茶店でも行くか」
「……それも、そうですね」
「は、はい!」
話を変えられた気がする、と思いながらもナタリヤとカズヤはロジャーの提案に乗って喫茶店に向かった。
「……で、何で居るんですか兄さん」
「ああ、朝から和哉に会えるなんて! 今日は一日、いい日になるだろう! いや、おれの人生は最高だ!」
喫茶店前についた瞬間、どこからとも無くヒロキが飛んできて昨日と同じようにカズヤに抱きついた。その現場を初めて見たナタリヤはぽかんとした顔でカズヤを見つめている。
「カズヤ……そういう趣味なの」
「違いますから、ナタリヤさん!! ああもう兄さん! 誤解を招くから離れてください!!」
カズヤが泣きそうな声で叫ぶが、ヒロキは嬉しそうに笑ったまま離れようとはしない。そんな光景を見て、ロジャーもナタリヤも苦笑いを浮かべる。
「朝から何やってんだよ、お前らは……」
ふあ、とあくび交じりに良いながらシルヴァがやってきた。
「ようシルヴァ。寝不足か?」
「当たり前だろうが……結局、奇術師にこてんぱんにされたからな」
はあ、と疲れたようにシルヴァが言うと、やっとヒロキから開放されたカズヤが「そうですよねぇ……」と頷いた。それから一同は喫茶店に入った。
「おはようございます。今日は皆さんお揃いなんですね」
「ああ、ジーン……って、どうしたんだ、それ」
やってきたジーンを見てロジャーが驚いたように言った。ロジャーの言う『それ』とは、ジーンの頬に張られている大きなガーゼだった。
「これですか? いや、昨日部屋の片付けをしていたときに切っちゃって。それで、アリアが大げさに手当てして……」
「なんだかその光景が思い浮かぶわ」
くすり、と笑いながらナタリヤが言うとロジャーとシルヴァが頷いた。カズヤも小さく笑うと、一人話題についていけないヒロキが首をかしげながらジーンに尋ねた。
「アリアって?」
「僕の妹のことです」
「アリアちゃんはすごいぞ。学園の最優秀生徒だからな」
何故か自分のことのようにロジャーがアリアのことを言うと、ヒロキはふっと鼻で笑った。
「そんなことを言ったら、うちの和哉なんかもっとすごいですからね!」
「兄さん、僕のことは関係ありません!!」
「和哉はなぁー」
カズヤの自慢を始めたヒロキと、それを止めるカズヤを見てジーンは苦笑いを浮かべた。それからヒロキを止め終えたカズヤが大きく息を吐いて、ヒロキに尋ねた。
「それで、弘樹兄さん。もう“クイーンズ・ティア”も見終わって、国に帰ってくれるんですよね」
「いや」
言い切ったヒロキ。その言葉に、ロジャーやナタリヤやシルヴァも驚いたが、それ以上にカズヤが驚いていた。
「はぁぁぁぁ?!」
「何だよ、和哉。そんな大声をあげて」
「いや、って言ったよな。どういうことだよ」
ぱくぱくと口を動かすカズヤに代わって、シルヴァが訊いた。にこにこと笑いながらシルヴァを見て、ヒロキは楽しそうに言う。
「あの怪盗、想像以上に面白いねえ。だから気になっちゃって」
「へー、じゃあどうするんだよ」
「しばらくこの国に居るよ。ま、どうせ他に行く予定も無かったからね」
にっと笑って言うヒロキに、カズヤは肩を落とした。そんな二人の様子を見て、ロジャーたちが笑い声を上げた。
一方のジーンは、顔をそらして空を見上げた。昨日の夜、対峙したジールの姿を思い出して眉間に皺を寄せる。
「……ジール……」
「おーい、ジーン。注文いいかー?」
ロジャーの声を聞いてジーンははっと眉間の皺を解いて、ロジャーたちの方を向いた。
「はい、どうぞ」
警察署のある一室の窓際に、ジールは立っていた。広がる空を見て、小さく息を吐いた。
「予想以上の輝きだったよ、ジーン……。あの輝きは、美しかった」
サングラスをはずすと、金色の右目が光を灯していた。ジールは、にやりとした笑みを浮かべる。
「けれど、僕は取り戻さないといけない。君の、その金の瞳と――――」
部屋に、ジールの笑い声が響いた。