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時刻は午後六時。場所は美術館の外。
美術館の周りには立ち入り禁止のテープが張られ、そこから身を乗り出して多くの人々が中の様子を見ようとしている。午後の開館の時間には美術館は開かず、代わりに玄関前にある掲示板にナイトメアからの予告状が張り出されていた。それから警察が来てテープを張ったのだが、噂は噂を呼び、『死を呼ぶティアラを怪盗ナイトメアが狙っている』という話はすぐに広がって、野次馬が多く集まってしまったのだ。
「おう、来たかシルヴァ」
そんな表からではなく、裏口からシルヴァはやってきた。どうやら野次馬の中をかき分けたらしく、少し髪や服に乱れが見えていた。左手に紙袋を提げているロジャーが右手をあげてシルヴァに声をかけると、シルヴァは疲れきった表情でロジャーのもとに向かった。
「ったく、何だこのお祭り騒ぎは」
「多分、ナイトメアの予告状が張り出されたからだろう。今まで、予告状が公開されることはなかったからな」
そう言って、ロジャーは持っていた紙袋をシルヴァに投げるように渡した。受け取ったシルヴァは少し驚いたような顔をした。
「……これは?」
「衣装だ。こんな人が多いと、お前がここにいるのがバレるだろ」
「ああ……」
紙袋の中身は黒いジャケットと帽子が入っていた。
「悪いな、わざわざ用意してくれて」
「別にかまわねぇよ。むしろ、お前が来るとは思わなかった」
ロジャーは少しため息混じりに言った。その言葉の意味が解からず、シルヴァは首をかしげた。
「何でだよ。いつもなら警備の手伝いしろ、って言ってくるだろ」
「ジールが何をしようとしてるかわからねぇ。だが、奴の言うとおりにナイトメアからの予告状が来て、現状は奴に有利だ」
それはシルヴァが思っていたことと同じだった。ジャケットを着て、帽子を被ったシルヴァを見たロジャーは穏やかに笑った。が、すぐに「あ」と何かを思い出したかのように声を上げた。
「何だよ」
「忘れ物。これつけろ」
ロジャーは懐から何かを取り出し、シルヴァの顔につけた。それは、太い黒縁の眼鏡だった。度は入っていない、伊達眼鏡をかけられたシルヴァはぱちぱちと瞬きをしている。
「何だ、これ」
「おう、完璧。これでパッと見はシルヴァに見えねぇぞ」
「人で遊んでねぇか、ロジャー……」
「服は全部ナタリーが用意した。眼鏡はヒロキを見て、思いついた」
シルヴァはその言葉を聞きながら、楽しそうに服を選んでいるナタリヤの姿を想像した。選ぶなら自分の服を選べよ、などと思いながら歩き始めたロジャーの後ろをついていった。
「カズヤとナタリヤは?」
「他の場所の警備を任せてる」
「中は?」
「知らん」
一瞬、シルヴァは聞き逃しそうになった。「は?」とシルヴァが聞き返せば、ロジャーは大きなため息を吐いてシルヴァのほうを振り向いた。
「ジールが完全に主導権を握ってやがる。俺たちは、あいつが伝えてくるまで何にも知らされねぇ」
「んなことが……」
「何したか知らねぇが、館長がジールに協力的になってな。俺たちにはどうしようもねぇってことだよ」
言いながら、ロジャーは美術館を見た。完全に封鎖されてしまった美術館の中で何が起きているのか、ロジャーもシルヴァも知ることができない。ロジャーの眉間に深い皺が寄る。
「正直、俺はあの男が気にくわねぇ」
「ロジャー……?」
「あの男は何を考えているかわからん。俺たちに教えるつもりもねぇだろう。だが、俺たちが奴の手の中で踊りまわっているようで気にくわねぇんだよ」
「……そうだな」
ジールの口元に浮かんだ笑み、そして言葉。それを思い出したときに、先ほどレイラを見たときに感じた嫌な予感がまた蘇った。シルヴァはぞくりした冷たいものを背中に感じながら美術館を見上げた。
「俺も、気にくわねぇな」
***
時刻は午後九時五十分。場所は美術館前。
相変わらず野次馬は減らず、むしろ予告状の時間が近づくにつれて人が増えているようだった。一般人だけではなく、新聞記者やテレビ局も来ており美術館前は普段の静けさを失っていた。
「本当にナイトメア来るのかなぁ」
「本物を写真に取らなくちゃ!」
「カメラスタンバイいいかぁ?! いいショット取って、一面に出すぞー!」
「こちらは現場です。あたりは人が多く、混雑しており……」
ざわつく人ごみの中を避けるかのように、美術館近くの屋上にヒロキはいた。望遠鏡を目に当てて、人ごみの様子を見ている。
「すっごいねぇ、野次馬精神って奴は。こんなに人が来るものなんだねぇ」
そう言いながら、ヒロキは望遠鏡を美術館の中庭に向ける。ちょうどそこに、警備員と打ち合わせをしているカズヤの姿があった。普段の穏やかそうな顔とは違って、鋭い瞳で警備員に何かを言っている。そんな弟の姿を見て、ヒロキは小さく微笑んだ。
「成長したなあ、和哉。だが、変だな……」
次に視線を向けたのは美術館の窓。はっきりと中の様子が見えるわけではないのだが、中に人のいる様子がない。それを確認した後、自分の足元においていたノートパソコンを手にとった。かたかたと何かを打ち込むと、画面に美術館の設計図のようなものが現れた。
「……なんで、こんなことになっている?」
画面に映し出されたものに疑問の声を上げて、再びキーボードを叩いた。すると、美術館内の様子が映し出された。防犯カメラの映像のようだ。
「警備は中にゼロ。まるで盗んでくれと言う様子だが……」
それから特別展示室の映像を見ようとしたが、何も映し出されない。
「おかしい……。何故ここに、カメラがないんだ……?」
ヒロキが呟いたそのとき。
時刻は、午後十時。
「きゃぁぁぁぁぁ!!」
誰かの叫び声に、はっとヒロキは美術館のほうに視線を向ける。パソコンを置いて望遠鏡を覗き込むと、野次馬たちがいる人ごみから白い煙が上がっていた。
「まさか、あの中にナイトメアが?!」
突然あがった煙に、人々は混乱する。テレビの映像は煙のおかげで何も映し出されず、ただ叫び声だけを捕らえていた。
「One」
そんな中で、少女の声が響く。
「Two」
カメラが動き出し、人々も声の主を探そうと足を止めた。
「Three!」
あたりに白い光が生まれる。人ごみの方を向いていたカズヤはその光を見て、名を叫んでいた。
「テール・クロス!!」
いつもと同じ白い光。それを見まいと、カズヤが腕で顔を隠していると前方に人の気配を感じた。
「そこか!!」
カズヤが顔をあげた瞬間、目の前、それも数センチの距離のところにテールの顔があった。青い瞳の中に、カズヤの顔が写っている。
「なっ……」
「前の、お返しよ!」
同時に桃色の光が灯された。「しまった」という時にはすでに遅く、カズヤは倒れてしまった。その直後、周辺から警備員たちが現れた。
「奇術師だ! 捕らえろー!!」
一人が叫ぶと、その場にいた十人以上の警備員たちが一斉にテールに向かう。しかしテールは驚く様子もなく、むしろ楽しそうな表情を浮かべて向かってくる警備員たちの方に走り出した。
「捕まえれるものなら、捕まえてみなさい!」
白い光をともした杖を警備員たちに向ける。が、その杖は何者かの蹴りによって遠くに飛ばされた。
「何?!」
「何度も食らっているだけじゃ、ありませんよ」
いつのまにか、テールの目の前にカズヤが立っている。どうやら先ほど倒れたのはフェイントだったらしい。手には警備員の一人が持ってきた竹刀が握られている。
「丸腰の女の子に、武器なんて。可愛い顔して、ひっどーい」
「ご安心を。僕の目的は、あなたではないですから」
その言葉に驚いたテールの横を、カズヤが走り抜ける。そして、カズヤはその先にいる人物に竹刀を振るった。
「ナイトメア、覚悟!!」
竹刀は地面に叩きつけられ、その一歩後ろといった所にナイトメアがいた。食らっていたら、と考えたナイトメアの表情は引きつっていて、それからカズヤとの距離をとるように後ろに下がった。が、カズヤはナイトメアに向かって駆け出している。
「逃がしません!」
「気合が入っていることで……」
前回以上の気迫を感じたナイトメアはカズヤの竹刀を避ける。そのとき、背後に人の気配を感じた。
「ナイトメア!!」
テールの声が耳に届く。ナイトメアは跳躍して、カズヤの竹刀と後方からの攻撃を避けた。そしてその二人から距離を置いた場所に着地した。
「シル……『ゴールド・アイズ』さん!」
「カズヤ、無理して呼ばなくてもいい。っつーか不自然だろ」
後方から現れたシルヴァが呆れたようにカズヤに言う。名を呼びかけたカズヤは「す、すみません」とぺこぺこ礼をした。ナイトメアの表情は引きつったままで、竹刀を持つカズヤと特に何ももっていなさそうなシルヴァを見比べた。
「さっさと捕まえるぞ」
「はい!」
シルヴァの言葉に頷くと、カズヤの緩んだ表情が再び引き締まったかのように鋭くなる。シルヴァもまた、縄を取り出してナイトメアのほうを見た。
「……」
状況は、不利。ナイトメアは目を閉じて、小さく息を吐き出した。しばらくの沈黙の後、ナイトメアが目を開いた。
「先に行かせてもらう」
ナイトメアが走り出した瞬間、カズヤとシルヴァも同時に走り出した。カズヤが竹刀を振りかぶり、シルヴァが縄をナイトメアに向かって投げようとしたそのとき。
「Three!」
ナイトメアの後ろから白い光。完全に攻撃態勢に入っていた二人は、その光を真正面から受けてしまった。
「何っ?!」
目の前が真っ白になる。カズヤは強く目を閉じたが、すでに遅かった。シルヴァも強い光にぐらりと体を揺らした。手で光を隠して前を見ようとするが、何も見えない。
「くそっ……!」
しばらくすると、あたりがしんと静まり返る。ようやく目が見えるようになったシルヴァとカズヤがあたりを見ると、そこにはナイトメアの姿はなかった。
「しまった、逃げられた!」
「いや、まだいるみたいだぜ……」
「え?」
シルヴァの言葉にカズヤが訊き返す。すると、くすくすと笑う声が聞こえた。
「私がお相手なのは、嫌かしら。探偵さんに、刑事さん?」
杖を構えるテールが、二人の前に立っていた。シルヴァは顔を引きつらせ、カズヤは再び竹刀を構えた。
「お前の相手が一番厄介だっての……」
そんなシルヴァのぼやきを聞いて、テールはにこりと微笑んだ。