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時刻は午後八時。場所は美術館特別展示室。
「……これが、正しい選択なのかしら」
着々と進む準備の様子を見て、ルシアナは小さく零した。展示室の中心には小さな台があり、その上に紫の石が輝く“クイーンズ・ティア”が載せられた。窓から入る月明かりにあたる“クイーンズ・ティア”の輝きは、それまでルシアナが見てきた芸術品の中でも最も美しいと思わせるほどだった。
「私は、“クイーンズ・ティア”を守りたい。芸術品を、守りたい……」
目を閉じてルシアナはジールと会話したときのことを思い出した。
「貴女は何故、そんなにも“クイーンズ・ティア”を守りたいのですか?」
刑事たちがいなくなったあと、ジールが唐突に口を開いた。ルシアナはその言葉の意味が分からず、ぱちぱちと瞬きをしてジールの顔を見つめた。
「それが芸術品であり、この美術館で展示されるものであるからです。私は館長として、作品を守らねばならない義務があります」
「それだけですか? ただ、貴女が館長であるから守らないといけないのですか?」
口調は穏やかなのに、まるで問いただされているようにルシアナは思った。恐怖からか、ルシアナは声が出なかった。
「ごく一般的な回答でしたね。けれど、貴女の中にはそれ以上のものがあるはずです」
「それ以上の、もの……」
心の奥を、見透かされている。ルシアナは胸のあたりが冷たくなっていることに気づいた。首の後ろ側から、冷たい汗がすっと落ちた。
「何故貴女は館長になったのですか?」
ジールはじっとルシアナの顔を見つめている。サングラスの奥にあるジールの視線が、自分の胸を鋭く貫いているようにルシアナは思った。苦しい、逃げ出したい、と思っていても足は動かない。
「何故貴女はここにいるのですか?」
問われても、答えられない。ルシアナはそう思っていたはずなのに、口が動いていた。
「私、は……好き、だか、ら」
「好き?」
「芸術作品が、美しいものが、好き、だから……」
幼いころから美術館で作品を見ることが好きだった。芸術作品はルシアナの目にはきらきらと輝いて見えた。休みの日になると、ルシアナはいつも美術館に勤めていた父のもとに行った。
「好きなの……ずっと、見ていたいくらい」
「ずっと見ていたいのですね」
「そう。私は、見ていたい……そして、私以外の人にも……」
「素晴らしい。貴女は、美しいものを愛しているのですね」
ジールは優しくルシアナに言う。そして少しずつルシアナに近づき、抱きしめた。ジールの胸にルシアナの顔があたる。ジールは耳元で優しくルシアナに囁いた。
「許せますか、それを独占しようとする存在が」
「……許せない」
「怪盗ナイトメアは、美しいものを独占しようとしています」
「許せ、ない」
ルシアナの言葉を聞いたジールの口元に、笑みが浮かんだ。
「僕も、同じですよ」
「……私は、許せない」
誰もいなくなった特別展示室で、ルシアナは小さく呟いた。彼女の目の前には、紫色が輝く“クイーンズ・ティア”があった。四角い透明なケースに入れられても、ティアラはきらきらと誇らしげに輝いている。
「怪盗ナイトメアを、許さない」
そしてルシアナは会場を出たあと、携帯電話で連絡をとった。
「もしもし、……ジール、さん」
***
翌日。時刻は午前八時。場所は聖クロス・リュート学園の教室。
「アリアさん、知ってましたか?」
突然ユメリアがアリアのもとにやってきて、むすっとした表情で尋ねてきた。
「知っていた……?」
「これですよ、これ!」
ユメリアはアリアの机に一枚の紙を置いた。どうやら広告らしく、カラーでティアラの写真が載っている。下には『緊急公開!』と大きく書かれている。
「美術館で今日から公開される展示品、ですよね」
「そうですよ! 昨日はこんものなかったのに、今日からなんてずるいですよね!」
「確かに……。でも、緊急で決まったのですから」
「それにしても、わざわざこんなことを書くなんて不思議ですよね」
ユメリアが言う「こんなこと」とは、ティアラの説明文のことである。
「持つ者には死が訪れる、ですか……」
「そういうことを書くのは、不謹慎だと思います」
そのとき、アリアの隣の席に座っていた同級生、リオス・ノーリウォンが苛立ったような声で会話に入ってきた。アリアたちが驚きの視線で彼を見ると、リオスははっとしたような顔をして小さく微笑んだ。
「すみません、つい……。でもこんなことをしてまでも、人寄せがしたいのでしょうか、と思って」
「そうですね。人寄せにしては、少しやりすぎです」
アリアはリオスの少し悲しげな表情を見て、同意した。
以前、リオスは宝に取りつかれそうになったことがあった。その際に両親を亡くしているため、このような記事が許せなかったのだろう。アリアはそう思いながら、広告に載っているティアラ――“クイーンズ・ティア”を睨んだ。
今朝、新聞を読んでいたアリアは“クイーンズ・ティア”の広告を見つけた。最初は昨日行ったばかりだったのに、と少し残念に思っていただけだったのだが、詳細を読んだ瞬間、声を上げた。
「兄さん、これ!!」
「どうしたんだ、アリア?」
「見て! ちょっと!!」
朝食の準備中だったジーンの腕を引っ張り、広告を見せた。ジーンも「何だよ、ただの広告……」と言っていたが、アリアと同じように驚きを隠しきれないような顔になった。
「何だ、これ……」
大きく『持つ者には死が訪れる』と書かれたあとに、このティアラがどういった経緯で美術館に来たかが書かれていた。手にした個人は実際に死亡したと記されていた。
「兄さん、これって」
「ああ、多分そうだ。この色からしてもな……」
広告に載っている“クイーンズ・ティア”には紫に輝く石がついていた。そして、ジーンは頷いてアリアに広告を渡した。
「どうせ今日は休みだからな。俺が美術館に行ってくる」
「うん。ごめんね、兄さん……。昨日、気づけたらよかったんだけど」
アリアが申し訳なさそうに言うと、ジーンはその頭を優しくなでた。穏やかに微笑むジーンの顔を見て、アリアはふと昨日あった男の姿を思い出していた。サングラスをかけていたため顔をちゃんと認識できたわけではないが、何故か男とジーンが似ているように思えたのだ。
「あの人……」
「アリア?」
「う、ううん。なんでもない」
そんな朝の出来事を思い出しながら、ユメリアが机の上に置いた広告を見つめた。
「一体、どういうことかしら……」
***
時刻は午前十一時。場所は美術館。
本日から緊急公開される、いわくつきの美術品“クイーンズ・ティア”を観ようと多くの人が美術館に殺到していた。普段の様子からは想像できないほどの人が、美術館にいる。
「想像以上だな……これは」
ジーンは引きつった顔で、人の波をかき分けて展示室へ向かう。しかし、すでに見終わって帰ろうとする人や我先にと人を押して行こうとする波によって思うように進まない。そんな時、ジーンの耳に聞きなれた声がした。
「おーい、店員さーん?」
最初は誰のことかわからなかったジーンだったが、その声が誰のものかわかって声のほうを向いた。
「ヒロキさん?」
太い黒縁の眼鏡をかけた男、ヒロキが人の波から少し離れた場所からジーンに向かって手を振っていた。波を横切って、ヒロキのもとに向かうときには肩で呼吸していた。
「お疲れ様、店員さん。って呼ぶのも変だよなあ……えーっと」
「じ、ジーン……です。ジーン・ローレイズ」
「ジーンくんね。しかしすごいねえ、この人」
ヒロキは楽しそうにごった返す人の波を見て言う。呼吸が整ったジーンもヒロキと同じ方を向いて、先ほどまで自分がそこにいたのかと少し衝撃を受けた。
「ほ、本当にそうですね……びっくりしました。こんなに人がいるなんて」
「何でこんなに来るのかな? “クイーンズ・ティア”の噂はこの国でも有名だった?」
「噂って、あの『手にした者には死が訪れる』って話ですか?」
「そうそう。どちらかというとマイナーな話だからね」
「そうだったんですか。広告には大きく書かれていましたけど」
ジーンが何気なく言うと、ヒロキは少し驚いたような顔をした。その表情の変化を、ジーンは見逃さなかった。
「わざわざそんなことを書くのかい? 不思議なことをするね。そんなの、芸術品のマイナスイメージのはずなのに」
「でも、マイナスどころかプラスになってますよね……この人の波だと」
しかし、ヒロキの言うとおりだとジーンも感じた。今までも美術館で特別展示が行われることがあったが、こんな風に噂まがいのことを大きく書いたことはなかったはずだ。むしろ、普通ならそんなことを書く必要もないだろう。
「何で書いたのかな。気になるなあ」
ヒロキはくすりと笑いながら言う。まるで、新しい研究対象を見つけた研究者のようだとジーンは思った。そんなジーンの視線に気づいたのか、ヒロキはジーンの方を向いて尋ねた。
「そういえばジーンくんは、今日はお休み?」
「はい、そうです。今日はお店自体がお休みなんで」
「えー、そうなの? コーヒーとパスタ、美味しかったからまた食べようと思ったのに」
「すみません……また明日は開いていますから」
ジーンが言うと、ヒロキは「そっかー。じゃ、おれは失礼するね」と言って別の展示室に向かって歩き始めた。背中が遠くに行ったのを見たジーンは、再び人の波の中に入って特別展示室を目指した。
特別展示室には、やはり多くの人がいた。なんとかたどり着いたジーンは、人と人との間から“クイーンズ・ティア”を見た。紫の輝きが、ジーンの目に入る。
「間違いない……」
その輝きから、ジーンは確信した。
一方、美術館の警備室にはルシアナとジールの姿があった。特別展示室の様子を映す画面には“クイーンズ・ティア”を観ようと殺到している人々の姿があり、それをルシアナはじっと見つめている。
「この中に、ナイトメアがいるのですか?」
「さあ。それはわかりませんが、確実にナイトメアは“クイーンズ・ティア”に気づいたはずです」
ジールの自信ありげな言葉にルシアナは頷いた。これから新聞広告以外にテレビやラジオでの告知をはじめようと考えていたルシアナだったが、彼女の予想を上回る人の殺到に正直驚いていた。
本来ならここまで告知をするつもりはなかった。いつもと同じように美術館前の掲示板や公共施設でのポスターだけの告知をするつもりだったが、ジールとの相談の結果、急遽広告を入れることとなったのだ。
「ありがとうございます、ルシアナさん」
「何が、ですか?」
「我々に協力してくださったことに。貴女なら、わかってくれると信じていましたよ」
「……私は、許せないだけです。本来なら人々に美しいと思わせるはずの物を、盗むということによって独占するナイトメアが」
呟くように言うルシアナの瞳に、紫の輝き。ルシアナの言葉を聞いたジールの口元に、笑みが浮かんだ。それはまるで、何かの勝利を確信したような笑みだった。