***

 

 同時刻。場所は美術館。

「どうしよう……」

 広い館内を、アリアは心細そうな表情で歩いていた。その手には美術館の案内地図があるのだが、アリアは現在自分がそれのどこにいるか把握できていなかった。

「はぁ……」

 学校の芸術鑑賞の授業で美術館に来たアリア。自由行動の時間に、館内を巡っている間に完全に迷子になって閉まっていたのだ。もう一度地図を開くが、やはり自分がいる場所がわからない。

「誰かいないかしら……誰かいれば、聞けるのに」

 はあ、と再び大きな息を吐いてアリアは歩く。地図を見ながら歩いていたアリアは、向かい側から人が来ていたことに気づかずにぶつかってしまった。

「きゃっ」

「おっと」

 勢いで倒れそうになったアリアの手を、誰かが掴んだ。

「大丈夫?」

 声をかけられたアリアは声のほうを見る。そこにはサングラスをかけた銀髪の男がいた。アリアはぱちぱちと瞬きをして男を見つめた。

「はっ、はい」

「そう。ところで君、学生さん?」

 男はアリアから手を放して尋ねた。アリアが頷くと、男は口元に穏やかな笑みを浮かべた。

「もしかして、迷子になった、とか?」

「え、ええ……。学校で、鑑賞に来たのですが……迷ってしまって」

「そう。でも、こちら側は関係者以外立ち入り禁止の区域だよ」

「えっ?! そうなんですか……」

「よかったら、僕が案内しようか?」

 突然の男の提案に、アリアは驚いたような顔になる。

「い、いいんですか?」

「もちろん。僕も、少し鑑賞をして帰ろうと思っていましたから」

 どうでしょうか、と男は首をかしげながら尋ねた。アリアは少し考えてためらいがちに頷いた。

「お願い、します」

「はい」

 それから二人は美術館内を並んで歩いた。アリアは、隣を歩く男の横顔をじっと見つめた。初めて会うはずなのに、何故かそんな気がしなかったのだ。

「美しいですね」

「えっ?」

「僕は、こういった美しいものを見ることが好きなのですよ」

 くすりと笑いながら言う男の言葉にアリアは少し顔を赤らめた。自分が美しいなんて言われたのかと思った、なんて恥かしかった。

「芸術品は、特に美しいと思います」

「そう、ですね」

「どうして美しいか、わかりますか?」

 まるで授業の一風景のように、男はアリアに問う。アリアはその質問の意図がわからず男の顔を見て首をかしげた。

「どうして、なんて考えたことありません……。でも、美しくあってほしいと思ってつくっているから、とか」

「その考えもおもしろい。僕は、こう考えています」

 そう言って、男はアリアに背を向け、一つの絵を見上げて言葉を続けた。

「人の中にある感情が高まった時、それこそが最も美しい瞬間だと思います」

「感情の、高まり……?」

「そう。この芸術作品一つ一つに作者の感情がこもっている。だからこそ、美しいと人は思うのです」

 ゆっくりと振り向いて男はアリアを見る。

「こんな考え、おかしいですよね」

「いいえ……すごく、素敵な考えだと思います。私には、全然思いつかなかった考えです」

「そう言ってもらえて、嬉しいですよ」

 男はにこりとアリアに微笑んだ。その時、

「アリアさん!」

 アリアの名を呼ぶ声。アリアが男から視線を反らして声のほうを向くと、そこにはユメリアの姿があった。慌てている様子で、アリアに向かって手を振っている。

「ユメリアさん」

「アリアさん、もう集合時間が近づいてますよ! 急いでくださいー!」

「あっ、はい!」

 時計を見ると、確かに集合時間まで十分ほどしかなかった。

「ここで大丈夫です、ありがと……う……」

 振り向くと、男の姿はなかった。アリアは驚きを隠せずにぱちぱちと瞬きをしていると、後ろからユメリアの声が響く。

「アリアさん! 急いでー!」

「は、はい!」

 アリアは急いでユメリアの元に向かう。それから、もう一度先ほどいたところを見たが、やはりあの銀髪の男の姿はなかった。

「お礼、言えなかった……」

 小さく呟きながら、アリアはユメリアとともに集合場所へと向かった。

 

***

 

 時刻は午後六時。場所は警察署・ナイトメア対策本部室。

 その部屋の前に、珍しくシルヴァの姿があった。明らかに面倒くさそうな顔をして、頭をがりがりとかいている。

 十数分前、シルヴァの携帯に連絡が入った。事務所で読書をしていたシルヴァは、携帯の画面に表示された名前を見て顔を引きつらせたが、しぶしぶ電話に出た。

「もしもし」

[おう、今日はちゃんとお前が出たな。てっきりユメリアが出るかと思った]

 からかうような声で、ロジャーが言う。シルヴァがそんな声を聞いて大きく息を吐くと、電話の向こうのロジャーが笑い声を上げた。いつも喫茶店でするような会話と変わらないようなものだった。

「で、何の用だ」

 シルヴァが何気なく尋ねると、ロジャーが沈黙した。顔が見えないけれど、何かが変わったようにシルヴァは思った。

[今すぐ、署に来てもらえないか]

「……は?」

[悪いな、急で。さっき、決まったことでな]

「別に、いいが……何か、あったのか?」

 ロジャーのやけに控えめな言い方に、少しシルヴァは気味悪く思っていた。普段ならば[うるせぇ、文句言うな。さっさと来い、バカヤロウ]ぐらいは言ってくるはずのロジャーが[悪いな]などと言ってきたのだ。シルヴァは眉をひそめてロジャーの言葉を待つ。

[……実はな、ナイトメア対策本部に新しい協力者が来てな]

「協力者……?」

[で、そいつがお前と会いたいと言ってきてな。だから、来てもらえるか?]

「ああ、わかった」

 シルヴァは頷き、電話を切った。それから、現在に至る。

「シルヴァくん、来てくれたのね」

 その時、廊下の向こう側から歩いてきたナタリヤがシルヴァに声をかけた。その表情は、わずかに驚いているようなものだった。

「まあな。ロジャーがあんな態度だったのが気味悪くて」

「そう。……それも、仕方ないでしょうけどね……」

 ぽつりと呟いたナタリヤの言葉に、シルヴァは疑問を抱いた。それからナタリヤに案内されて、シルヴァはその協力者の待つ接客室へ向かった。ナタリヤが扉の前に立ち、ノックをする。

「失礼します、シルヴァくんを連れてきました」

「ありがとうございます」

 扉の向こうからロジャーではない、どこかで聞いたことのあるような声がした。シルヴァがその声を誰のものかと思い出していると、ナタリヤが扉を開いた。そこに、ロジャーともう一人の男がいた。

「お前は……!」

 部屋の中にいたのは、ジール。薄暗い部屋の中でも目を隠すようにサングラスをかけている。

「こうやって会話をするのは、初めてですね」

「何を……」

 シルヴァが小さく零すが、ジールはそれに重ねるように言葉を続けた。

「ナイトメア関連事件の特別協力をしています、ジール・ルーズレイトです。はじめまして、シルバルヴァ・ゴードンさん」

 何がはじめましてだ、と言いたかったシルヴァだが、何故か声が出なかった。引きつった表情のシルヴァを見て、ロジャーが口を開く。

「まあ、驚いているだろうな。前回の件で、お前もジールを見ただろうから」

「そうですね。ガーニッシュ氏の件に関しては、本当に申し訳ありません。僕も、彼のしていることを知っていれば、止めることができたはずです……」

 申し訳なさそうにジールが言う。その姿を、シルヴァはただ何も言えずに見るだけだった。

「少し、彼と二人で話してもよろしいですか? 今回のことも、僕から説明したいので」

「わざわざ、お前が?」

 ロジャーが少し、疑うようにジールに訊き返した。ナタリヤも睨むようにジールを見つめている。二人から漂う不穏な空気の中でも、ジールは穏やかな笑みを浮かべるまま。

「彼も、僕と同じ立場です。警察ではない視点でナイトメアを追う、仲間ですから」

「…………わかった。いいか、シルヴァ」

 まだ疑っているような表情のロジャーだったが、ジールの言葉に何も言い返せないという様子でシルヴァを見る。シルヴァは、目を閉じて頷いた。

「ああ、俺も少し話がしたいからな」

「何かあったら、すぐに言え」

 シルヴァの耳元で、ロジャーが小さく言う。そしてロジャーはナタリヤをつれて部屋を出た。扉の閉まる音を確認したシルヴァは目を開いて、ジールの顔を見る。

「それで、今回のことって言うのは?」

「もう聞かれたかと思いますが、美術館で公開予定のある“クイーンズ・ティア”についてです」

 やはり、とシルヴァは思った。昼間にヒロキと会話していたとき、カズヤがすぐに反応していたのを見て、ナイトメアに関連することだろうとは思っていた。

「ナイトメアが、それを盗むってか?」

「はい。確実に」

 ジールは言い切った。あまりにも断定的な口調に、シルヴァは疑問を抱いた。

「何故、そこまで断定できる? 予告状も何も来てねぇだろ」

「彼は確実に“クイーンズ・ティア”を狙います。それ以外を狙うはずがありません」

「その自信は、どこから出てくる」

「君は、どう思いますか? ナイトメアが狙うものについて」

 唐突に問われて、一瞬言葉が出なかった。ジールは口元から笑みを消して、じっとサングラスの下からシルヴァを見つめていた。

「僕は、彼が狙うものがただの宝石でないと考えています。そして、この“クイーンズ・ティア”もただの宝石ではない。持つ者には必ず死が訪れるなんて、普通の宝石でありえますか?」

「だが……ナイトメアが狙う宝石が、ただの宝石でないとは言い切れないだろ」

「本当に、そう思っていますか?」

 ジールははっきりとした口調で尋ねた。びくりと、シルヴァの肩が震えた。

 ナイトメアが狙うものは、ただの宝石ではない。それはあのマリオンの造花を狙ったナイトメアと戦ったときに、ほぼ確信していた。しかし、それが本当にあるのかは未だにシルヴァはわからない。むしろ、存在してほしくないとも思っていた。

「君のように優秀な探偵なら、彼が狙うものがただの宝石でないことぐらいすでに掴んでいると思っていたのですが、どうやらその程度ですか……」

「人をバカにしたいのか、テメェ」

「バカになんて、そんな。ただ、期待はずれだっただけですよ」

 くすくすと、楽しそうにジールは笑う。目の前の男が一体何を考えているのか読み取れないシルヴァは、睨むようにジールを見つめるだけだった。

「冗談ですよ、シルバルヴァさん。ああ、それともシルヴァさんと呼んだほうがいいでしょうか?」

「好きにしろ。それで、結局お前は何が言いたい?」

「君も僕も同じ考えに至ったと思っていたのです。でも、そうではなかったようで……」

「……お前ほどの自信はないが、薄々は感じていた。ナイトメアの狙うものが、普通じゃないってことは」

 それを聞いたジールの口元ににやりとした笑みが浮かぶ。

「でしょうね。やはり『ゴールド・アイズ』の名を持つだけの名探偵ですね、素晴らしいです」

 そしてジールはシルヴァに背を向け、窓に寄った。外を見ながら、ジールは言葉を続ける。

「その宝に特別な何かがあるとしたら、どうしますか?」

「特別な、何か……」

 それは、あの時ナイトメアに尋ねたものと同じ。

「そう。例えば、『魔法の石』……いや、『マグウェルの宝』」

 ジールの口から出たその単語を聞いて、シルヴァは眉間に深い皺を寄せた。何かを、思い出したような表情である。

「伝説の時代に偉大な力を持った魔術師が、自らの力を結晶化させたもの。それは、ある男の手によって見つけられたと言われています。しかし、それが事実かどうかは闇の中」

「そして、ナイトメアがそれを狙っている、と」

「可能性はなくもないでしょう? 話としては、こちらのほうが納得いきませんか?」

 ジールはシルヴァの方を向いて、にこりと微笑んだ。

「納得いくかは、別問題だな。……俺からも、質問をさせてくれ」

「何でしょうか?」

 シルヴァはじっとジールの目元、サングラスの下にある瞳を睨むようにして見ながら、尋ねた。

「お前は一体、何者だ」

「……そうですね」

 視線を感じたのか、ジールは小さく息を吐いてサングラスをはずした。そこに現れた、左右の色が違う瞳、金の右目を見て、シルヴァは驚きを隠せずに大きく目を開いた。

「お前……、その瞳は……」

「いい反応ですね。この瞳を見て、そういう風に言われたのは初めてかもしれません。普通は誰も触れないですから」

 にこりと穏やかに微笑んでジールは言う。

「僕は彼に大切なものを奪われた者です。僕にとって、大切な……」

 うっすらと目を開いて言うジールの言葉に、シルヴァはどんな意味があるのかわからずにいた。

 

 

 

 

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