時刻は午後四時。場所はダンススタジオの休憩室。
「私にお客さんと聞いて、ファンの方かと思ったのですけど……そうじゃないみたいね」
練習中だったリーザスは、客が来たという連絡を受けて練習を抜け出して休憩室にやってきた。本人の言うように、若いファンかと思っていたようだったが、そこにいたのはスーツを着た男女だった。
「取材? なら、先にアポとってもらわないと」
「取材に近いが、ちょっと違うな」
男は言いながら、懐から手帳を取り出した。女も同様にリーザスに手帳を見せる。
「……警察?」
「ロジアル・ハスフォードだ。こっちは部下の、ナタリヤ・メルティーン」
「少し、お話を聞きたいと思いまして」
「話?」
身に覚えの無いリーザスは首を傾げながらロジャーの方を見る。
「いや、事件が起きたわけじゃない。むしろ……起きるかもしれない」
あいまいなロジャーの言葉にリーザスは「は?」と声を上げた。それを見て、ナタリヤがリーザスに尋ねる。
「最近、何か変わったことがあった、ということはありませんでしたか。どんなことでも構いません」
「わからないわ。大体、何が起こるかわからないのに、変わったことって言われても……」
当たり前の返答を受けて、ロジャーたちは頷いた。
ロジャーとナタリヤは、ジールの言った『不死鳥が舞い戻る』という言葉に関わるリーザスが次のナイトメア事件に関係すると考え、実際に本人に当たることにした。が、本人は何もわかっていない様子で、困惑している様子だった。
予想通り、と思ったナタリヤはその場を去ろうと立ち上がった。
「わかりました、ありがとうございます。先輩」
「……一つ、訊きたい事がある」
ロジャーの口から出てきた言葉に、リーザスが、それ以上にナタリヤが驚きの表情を浮かべた。
「今まで、入院していたはずなのに、何で急に復帰した?」
「どういう、ことですか? それは」
明らかにリーザスの表情が引きつる。その表情の変化をロジャーは見逃さず、じっとリーザスを見つめた。
「急に復帰って、主演舞台がもう迫ってるのよ? それで、どうしてまだ入院していられるって言うのかしら」
「逆だな。そんなに公開が迫っている状態で復帰できない。感覚を取り戻すにも時間がかかるはずだ」
リーザスの頬の筋肉がぴくぴくと不気味に動いている。明らかな苛立ちの表情を見て、ナタリヤはロジャーを制止するように肩に手を乗せた。
「先輩、そろそろ」
「初めての主演舞台、だと聞いた。その若さで主演なんて、かなりのプレッシャーだっただろう」
「……」
「けがで入院して、さらに練習時間が削られて焦った反面、安心した部分もあるんじゃないのか?」
「いい加減にしてくださるかしら」
叫びだそうとしているのを抑えるようにリーザスは言った。肩が小さく震え、眉間の皺は深く寄っている。
「先ほども言ったけれど、公開が迫っていて、練習しなくちゃいけないのよ。あなた方を相手にしてる暇はないの」
早口にそう言ってリーザスは立ち上がり、部屋を出た。扉は叩きつけられるかのように強く閉められ、激しい音が部屋に響いた。
「……先輩、何故あんなことを」
「気になったからな。それに、あの様子からすると事実だったんだろう」
「それは、そうですが……」
「多分、何かあったんだろうな。入院中に」
ロジャーは小さくため息を吐いて、立ち上がった。
「どうせ病院に事情を聞こうと思ってもまともに聞けんだろうな。何が起きたわけじゃないからな」
「どうしますか?」
「また、あいつの世話になるか」
そう言ってロジャーは携帯電話を胸ポケットから取り出した。
***
時刻は午後五時。場所はジーンとアリアのアパート。
「アリア、体調は大丈夫か?」
「心配しすぎよ、兄さん。ちょっと貧血気味だっただけなんだから」
早退したアリアは、ジーンに言われるままに部屋で休むこととなった。今もベッドに横になった状態で、心配する兄に苦笑いを浮かべている。
「そう言っても倒れたものは倒れたんだ。また無理して倒れられたら困るだろう」
「うん……ごめん、迷惑かけて」
「……そうじゃない」
俯きがちにアリアが言うと、ジーンはベッドのそばに椅子を持ってきて座った。その表情は穏やかな笑みのようだったが、どこか悲しげなものにアリアには見えた。
「迷惑なわけ無いだろ。お前に何かあったら、……」
ジーンは言いかけて、言葉を止めた。突然に途切れたジーンの言葉に、アリアは小さく首をかしげた。
「……兄さん?」
呼ばれて、ジーンははっと意識を取り戻したかのように目を大きく開いた。それからいつもと変わらぬ笑みを浮かべてアリアの頭を撫でた。
「大切な妹なんだ。だから、今はゆっくり休むんだ」
「うん。ありがとう、兄さん」
頭から伝わる、ジーンの体温。そのぬくもりを感じて、アリアの顔に笑顔が映った。
***
同時刻。場所は警察署の資料室。
「カズヤ」
薄暗い資料室にいたカズヤは名を呼ばれてはっと顔を上げた。入り口のすぐそばに、ナタリヤが立っていた。
「ナタリヤ、さん……」
「少しは落ち着いた?」
「すみません。取り乱して、しまって……」
カズヤは再び俯き、小さな声で謝罪した。ナタリヤは小さく笑みを浮かべて、カズヤのそばに行った。
「お兄さんと、何かがあったの?」
「え?」
「お兄さんに対して苦手意識がやけに強いから、昔何かあったのかと思って」
的を射抜くようなナタリヤの言葉に、カズヤは黙った。黙り込むカズヤの姿を見て、ナタリヤは一瞬妹の姿を思い出した。
「似てる」
「にて、る?」
「ユメリアにそっくり。困ったときに黙り込む姿、そのままよ」
「兄さんにも、よく言われてました。お前は困ったり都合が悪くなったりすると、すぐ黙るって」
カズヤの言葉に、穏やかさが戻ってきた。それは幸せな過去を懐かしむような声色だった。しかし、表情はすぐに悲しげなものとなる。
「でも、兄さんは、何も言ってくれなかったんです」
「何も?」
「何でもできるから、何も言わない。僕にとって憧れだったけれど、全てを奪う人だったんです」
想像もしていなかったカズヤの言葉に、ナタリヤはただ黙ってカズヤを見つめるしかできなかった。