時刻は午後一時。場所はホテルの一室。
「やっぱり何も出てこない、か」
諦めたようなため息を吐いたヒロキは、ノートパソコンを閉じて、そのままベッドに倒れこんだ。
「事実しか知らない、ねえ。そんなこといわれるとは思わなかったなあ」
先日、シルヴァに喫茶店で言われた言葉はヒロキの中に深く残っていて、それが今もヒロキが『ロストロスの悲劇』について調べる原動力となっている。しかし、ヒロキの求める情報は見つからない。
「……事実? 待てよ」
何かを思いついたかのようにヒロキは呟き、体を起こす。そしてノートパソコンを再び開いてキーボードを叩き始める。しばらく画面を見つめていたヒロキの顔に、笑みが浮かんだ。
「なるほど。確かに、事実だけじゃこんなに動くはずはないか」
ノートパソコンの画面には一人の老人と、その隣に立つ少年の写真が映っていた。
***
同時刻。場所は警察署・ナイトメア対策本部。
「……これは、どういうことだ」
ロジャーはデスクについているジールのすぐそばに立ち、新聞を持って尋ねた。深刻そうな表情を浮かべて言うロジャーとは違い、ジールは動じた様子もなく、穏やかな表情を浮かべたままである。
「これ、とは、何のことでしょうか?」
「この記事、お前は何か知っていたのか」
そう言ってロジャーは新聞を叩きつける。そこには、『不死鳥が舞い戻る!』という大きな見出しが出ていた。
「何も知らなかった、というと嘘になりますね」
「なんだと……?」
「ナイトメアは、彼女を狙う。僕はそう、目星をつけていたのです。ただ、先日ロジャー刑事に言われたときには確信が持てなかったので、はっきりといえなかったのですが」
ジールは小さく息を吐き出し、それから口元に笑みを浮かべた。苛立ちの視線をジールに向けるロジャーを見ていたカズヤは、決心したように口を開いた。
「ジールさんは、どこからそういった情報を手に入れられているのですか?」
「どこから、ですか。そういうことは、あまり軽々しく言うものではないと思うのですが……貴方も、ご存知ではないのですか?」
「……どういう、意味でしょうか」
問われたジールはカズヤの方を見て、微笑む。サングラスの下から感じられる視線は、まるで貫こうとしているようなものに感じたカズヤは小さく震えた。
「身近な人が、いるのではないかと思いまして」
くすり、と笑いながらジールは言う。その言葉にカズヤの目は大きく開かれた。
「それに、貴方自身も―――」
「五月蝿い!!」
カズヤから発せられた、怒鳴り声。普段のカズヤからは想像できないようなその声に、ロジャーもナタリヤも驚きを隠せない表情でカズヤを見つめていた。しかし、ジールは一切表情を変えていない。
「失礼しました、余計なことを言いましたね。けれど、僕にも触れられたくないものがあるのですよ。貴方と、同じように」
ジールの言葉にカズヤははっとした表情を浮かべた。泣きそうな表情を浮かべたカズヤは俯いて、震える声で言った。
「……僕のほうこそ、失礼しました。すみません……、少し頭を冷やしてきます……」
そう言ってカズヤは逃げるように部屋から出た。扉の閉まる音が、やけに部屋に響いたようだった。
「今の言葉は、どういう意味だ」
しばらく続いていた室内の沈黙を打ち破ったのはロジャーだった。
「どういう意味、とは?」
「カズヤに言ったことだ。あいつ自身、ってどういうことだ」
「それは、僕の口から語ることではありません。カズヤさん自身のことですから」
「なら、何故お前が知っている?」
ロジャーの苛立ちを含む問い方にも、ジールは笑みを浮かべて穏やかに答える。視線は、ロジャーではなく持っている書類に向いていた。
「先ほどカズヤさんに言った通りです。このようなことは人に言うことではないのですよ」
口元の笑みが、ジールの言葉の無気味さを浮き立たせているように、ロジャーには思えた。
***
時刻は午後三時。場所はシルヴァの事務所。
「いきなり人の家に来て、何のつもりだヒロキ」
「昨日のパンケーキのお礼、だよ。好きなものをとるといいよ」
にこにこと楽しそうに微笑むヒロキと向かい合って座るシルヴァの表情は、いつも以上にけだるそうなものだった。テーブルの上に置いてあるケーキの箱にも興味を示していないシルヴァは、頬杖をついて窓の外を見ている。
「どうでもいい」
「そう? なら、おれはこのチョコケーキを貰うよ」
「それで、用件は何だ」
楽しそうにケーキを取ったヒロキに、シルヴァは呆れながら尋ねた。大した用件じゃない、と判断したシルヴァはさっさと用件を聞いてしまおうと思っていた。が、それは簡単に終わるような話ではなかった。
「君が、どうして『ロストロスの悲劇』を調べなおしたかわかったんだよ」
「……は?」
予想もしていなかった言葉に、シルヴァは驚きの声を上げた。その反応を見て、ヒロキは口元ににやりとした笑みを浮かべる。
「やっぱり。おれが来たこと、大したことじゃないと思っていたね」
「……どういうことだ。何を知った」
睨みながら問うシルヴァに対して、ヒロキは小さく鼻で笑った。
「君と、マグウェル・ロストロスのことだよ」
言いながら、ヒロキは持ってきた鞄の中から何枚かの書類を取り出す。その中には、一枚の写真が入っていた。その写真を見たシルヴァの表情が驚きを表した。
「……それは」
「懐かしいだろう。けれど、まさか名探偵と言われている君が、こんな感情で動くとは思わなかったね」
ヒロキはシルヴァに写真を差し出す。受け取ったシルヴァは険しい顔をして、写真を見つめる。
「マグウェル・ロストロスと君の父親は教師と教え子の関係だった。その関係で、君もマグウェル・ロストロスと知り合うこととなった」
「……ああ」
ヒロキの言葉に、シルヴァは肯定の返事をした。ヒロキは一枚の書類を手にして、それに目を通す。
「君と、マグウェルは親しい仲だったらしいね。だからこそ、君は信じられなかったのだろう? マグウェル・ロストロスがあの事件を起こした事を」
あの事件―――『ロストロスの悲劇』。一人の老人が、自分の息子夫婦を殺害して、自分の孫に手をかけようとし、最終的に自害したという事件。平和が続くイノライズ国では大きな話題となった。
「息子夫婦とは何か言い争いをしている様子があったらしい。その意見の食い違いから、衝動的に殺害してしまったんだろう。こんなこと、というのは言い方が悪いけれど、よくある事件じゃないかい?」
「世界で色々知ってるお前にとってはよくある事件だろうな。けど、俺にとってはそうじゃない」
マグウェル・ロストロスがそのようなことをする人間ではない。シルヴァはそれを確信して、事件を一人再調査していたのだった。
「彼の人間性を知っているから? そんな個人的な感情を事件に持ち込んでいいものなのかな」
「知るか。俺は思ったことをしてるだけだ」
「思ったことを、ね。君もまだまだ青いわけだ」
くすくすと笑うヒロキをシルヴァは睨む。もちろん、睨み程度でヒロキが笑いを収めることは無かった。
「テメェも同じじゃねぇのか。自分が気になったから、この事件を調べたんだろ」
「その通り。これは誰かの依頼じゃなく、おれが個人的に知りたいから調べただけだ」
「なら、人のことが言えるのか?」
「そう言われると……言えないね」
満面の笑みを浮かべて、ヒロキは答えた。そして、手にしていたケーキを一口ほおばった。
「うん、なかなか美味しいね。あそこの喫茶店はなかなかいい味のセンスをしているね」
「……お前の目的は何だ。何をするために、調べている」
「おれは、調べることが目的。その先は、情報を渡した相手が決めることだ。あ、このシュークリームが美味しそうだよ。君も食べるといいよ、シルヴァくん」
ヒロキは箱の中からシュークリームを取り出し、シルヴァに差し出した。まだ納得のいかないシルヴァだったが、ヒロキがそれ以上語る様子がないため、差し出されたシュークリームを受け取るしかできなかった。