時刻は午後四時。場所は警察署、ナイトメア対策本部室。

「……」

 パソコンを打つ手を止めず、それでもナタリヤは向かいの席のジールを睨んでいた。ジールは手元にある書類を見つめていて、ナタリヤの視線に気づいていないような様子でいる。

「……」

 そして、ナタリヤの隣の席に座るカズヤは、二人の間に漂う不穏な空気を感じ取っていたが、何も言い出すことはできなかった。うかつに口を開けば、導火線に火がついてしまうような気がした。

 ユメリアと話を終えたナタリヤの様子が、明らかに苛立っていたことに疑問を抱いていたカズヤだったが、ナタリヤに続くように入ってきたジールの姿を見て何か嫌な予感を感じていた。そして、カズヤのその予想はあたっていたようだった。

「ジール、さん」

「なんでしょうか、ナタリヤさん」

 沈黙を打ち破ったナタリヤは、手を止めて、ジールを見つめた。ジールのほうも書類を机の上に置き、ナタリヤのほうを見る。

「何故、ユメリアの協力を許可したのですか」

「では、逆に質問しましょう。何故、彼女の協力を断ったのですか?」

 くすり、と笑いながらジールが訊き返す。ナタリヤの表情はさらに険しいものとなり、奥歯をぎりぎりと食いしばっているようだった。

「僕の知る限り、ユメリア・メルティーン……、つまり貴女の妹さんはナイトメアに対して有効な罠を仕掛けることができると思います」

「それは、」

「それに、言い方は悪いですが、警察は僕やシルヴァさんのような民間人にも協力を求めているのが現状。なら、彼女に協力してもらっても問題はないでしょう?」

「けれど、あの子はまだ学生です!」

「僕は構いませんよ。有能な人間に、年齢など関係ありませんから」

 その言葉に、ナタリヤだけではなくカズヤもぴくりと反応した。それは言い返せば、ナタリヤやカズヤが有能ではないという意味にも取れるのだ。

「現在、ナイトメアの犯行を止められるものはありません。そのきっかけとなるものがあるのなら、正直、何だっていいはずです」

「……っ!」

 何も言い返せない。カズヤは視線を少し下に向けて、ナタリヤは握っていた拳を震わせていた。ジールはそんな二人を見て、口元に小さく笑みを浮かべた。

「もちろん、みなさんの力も必要です。しかし、これからはそれだけでは足りないかも知れないと、僕は考えているのです」

「……わかりました」

 声を震わせて、ナタリヤは言った。何もいえないカズヤは、この場にロジャーがいれば、と強く思ったのだった。

 

***

 

 同時刻。場所はヒロキが宿泊しているホテルの部屋。

「この依頼は、ナイトメア対策本部の刑事としてのものですか? それとも、ロジアル・ハスフォードさん個人としてのものですか?」

 喫茶店から帰ってきたヒロキのもとに訪ねてきたのは、ロジャーだった。

「後者だ。あくまで、俺の個人的な依頼として受けてくれないか」

「意外ですね。てっきり、ナイトメア関連のお話かと思いました」

「ナイトメアに関わるかもしれないことだ。だが、まだはっきりとはわからない……」

 語尾を弱めながら言うロジャーの言葉に、ヒロキは首をかしげる。

「それで、知りたい情報は?」

「不死鳥が、舞い戻る」

 唐突な言葉に、ヒロキは数回瞬きをした。てっきり人物か、それとも物の名称かと思っていたヒロキにとって、その言葉は想定していなかったもので、リアクションができなかった。

「ふ、不死鳥?」

「何か聞いたことはあるか?」

「まあ何かしら見つかると思いますけど」

 そう言ってヒロキがノートパソコンを開き、キーボードを叩き始める。しばらくかかるかもしれない、と思ったロジャーが胸ポケットから携帯電話を取り出そうとしたときだった。

「ロジャー刑事、すごいですね」

「……あ?」

「たった今、入ってきた情報と一致しましたよ。『不死鳥が舞い戻る』というキーワード」

 一瞬、言われた意味がわからずロジャーはしばらく何も言わなかったが、数秒遅れで「は?」と声を上げた。

「どういうことだ? たった今、入った情報って言うのは……」

「そのままの意味です。とある新聞社のオンライン記事ですが」

 ヒロキがディスプレイをロジャーのほうに向けて、説明をはじめた。

「多分、一時間後ぐらいに更新される予定のものですね」

 ロジャーはその画面に出ていた文字を見て、驚愕の表情を浮かべる。小さく開かれた口から「嘘だろ……」と零れた。

「不死鳥が舞い戻る、まさにこの見出しと同じものです」

「これ、お前が作ったってことはないのか?」

「それは情報屋の禁忌ですよ、ロジャー刑事」

 にこり、と微笑みながらヒロキはロジャーの問いに答える。微笑んでいるはずなのに、笑みが冷たいように思えたロジャーは少し表情を引きつらせた。それから視線をヒロキから画面に変えて、記事を読む。

「リーザス・ナーティロット……この間けがしたダンサーか」

「有名ですよね、彼女。でもそのけがで主演舞台が延期になったとか」

 ヒロキが言うような内容が記事にも記されていた。主演舞台の練習中に、ステージ上から転落してしまい、足にけがをしてしまった。けがの治療のため舞台の公開を延期したのだが、リーザスが復帰するという話はしばらく出てこなかった。

「ありがとうな、ヒロキ」

「いえ、むしろこちらが感謝したいです。おれの知らなかった情報が手に入りましたし」

 パソコンの画面をヒロキの向けながらロジャーが言うと、ヒロキは満面の笑みを浮かべて礼をした。

 

***

 

 時刻は午後十時。場所はシルヴァの探偵事務所。

 シルヴァはソファに横たわり、手にしている書類を見つめていた。それは、喫茶店でヒロキから受け取ったものだった。

「『ロストロスの悲劇』、マグウェル・ロストロス……」

 ぼんやりとした表情でシルヴァは書類に何度も出てくる単語を呟く。そして、テーブルにその書類を置いて天井を見つめた。

「……あいつ、どこまで知ってるつもりなんだよ」

 書類に記されているのは、十年ほど前に起こった『ロストロスの悲劇』という事件の詳細だった。

 マグウェル・ロストロスという男が、自身の息子夫婦を殺害。その後、自らの命を絶った。生存者は、息子夫婦の間にいた、マグウェル・ロストロスの孫にあたるまだ十歳の少年と、六歳の少女だった。マグウェルは考古学の研究を行っていたらしく、そのことで息子夫婦との食い違いや研究が思ったように進まなかったことから、一家心中を図ろうとしたものと見られている。

 事件はそれで犯人の死で解決、マグウェルの孫たちは親戚の家に引き取られて、その後は本人たちの心の傷を広げないように、ということで警察でも知られていない。

 しかし、その事件に疑問を抱いたのが『ゴールド・アイズ』――シルヴァだった。

 

「事実しか知らない奴には、わからねぇことだよ」

 喫茶店でヒロキに『ロストロスの悲劇』について尋ねられたシルヴァは、そう言い放った。言われたヒロキは驚いたように数回瞬きをして、数秒遅れて「え?」と聞き返した。

「事実しか、知らない? まあ、確かにおれは『ロストロスの悲劇』が起こったという事実しか知らない。でも、それと君が事件を調べなおしたことにどういう関連があるんだい?」

「何でテメェがそんなことを気にする」

「だって、おれは情報屋だから。知らないことは何でも知りたくなるのさ」

 にこり、と微笑むヒロキに対し、シルヴァの表情は苛立っているようなものだった。

「ジーンよりも、お前のほうこそ、よっぽどジールの野郎に似てるな」

「え、そう? へえ、彼はこんな性格なんだ……」

「俺の一番嫌いなタイプだな」

「ああ、ふられちゃった」

 笑いながら言うヒロキの言葉に、シルヴァはどうでもよさそうに息を吐いた。

「さて、そんな話はいいとして。シルヴァくん、もしかして何か知っているのかい?」

「何かって、何だ」

「もちろん、『ロストロスの悲劇』の真相についてだよ。あの事件に疑問を抱く、ということは何かを知っているということになるはずだ」

 ヒロキは鞄から数枚の書類を取り出し、シルヴァに渡した。そこには、『ロストロスの悲劇』についてが記されている。

「何か、か……」

 それは、ヒロキは知らないがシルヴァは知っている事実。

「それがわかんねぇって、お前も大した情報屋じゃねぇな、ヒロキ」

「……へ?」

「急用を思い出したから、帰る。それはこれのお礼だ。お前にやるよ」

 そう言って、シルヴァはテーブルの上にコーヒーとパンケーキの代金を置いて去った。一口も食べられていないパンケーキは、ヒロキの前に放置されたままだった。

「おれを挑発するなんて……。やるね、『ゴールド・アイズ』さん」

 ヒロキはにやりと笑って、シルヴァの皿のパンケーキに手を伸ばした。

 

 外から、雨の音がした。シルヴァが時計を見ると、時刻はすでに十二時前になっていた。

「もう、こんな時間か……」

 呟きながら、シルヴァは身体を起こす。すると、テーブルの上にはコーヒーが置いてあった。手を伸ばすと、できたてのように温かかった。

「……レイラか」

 コーヒーを飲むと、喫茶店のものよりも少しやわらかいような味がした。同じ人間がつくったはずなのに、とシルヴァは思いながらコーヒーを飲み干した。

 雨の音が、事務所の中を包んだ。

 

 

 

 

 

 

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