午後六時。場所はリーザスの舞台が行われるステージの客席。
その客席のうちの一つに、シルヴァとレイラの姿があった。
「……」
シルヴァもレイラも無言で、ただ正面のステージを見つめていた。
まだ公演まで時間があるというのに、多くの人々が集まっている。人々の話題はリーザス本人のこと、そして今日現れるであろう怪盗ナイトメアのこと。それを聞きながら、シルヴァはふと、いつかのことを思い出していた。
世界的な歌姫に対する予告状が出されたとき。ナイトメアの予告状がありながらも歌姫――フィニア・ディ・アキルモートはステージを行うと決心した。そのときのシルヴァはナイトメアに興味などなく、フィニアに言われたからという理由でステージを観に行っていた。
しかし、今日は違う。
「シルヴァ、これを」
レイラが仕事を終え帰ってきての第一声。封筒を差し出しながらレイラはじっとシルヴァを見つめていた。少しだけ嫌な予感を感じながら、シルヴァは封筒を受け取り、中身を見た。
「……何で」
封筒の中から出てきたのは、リーザスのステージのチケット。
「ユメリアが、シルヴァに渡すように、と」
「何でユミィが……」
「シルヴァが、したいことをするため」
レイラの言葉に、はっとシルヴァは顔をあげた。
「シルヴァに、ナイトメアの件で連絡がなかったことは私も、ユメリアも知っている。だから、ユメリアはシルヴァを心配していた」
「あのバカが」
人の心配するようなやつだったのか、と呟きながらも、そうであることは理解していた。ユメリアがいつも自分に向ける心配の視線に気付いていたが、まさかここまでするとは思っていなかった。
「……ありがとうな、ユミィ」
小さく呟いたシルヴァが扉に向かって歩き出そうとしたとき、レイラがその腕を掴んだ。
「……レイラ?」
「私も、行く」
その言葉にシルヴァははっと目を開いた。
「ダメだ!」
「何故」
「それは……」
理由はなかった。だが、絶対にレイラをナイトメア事件の現場に――ジールに近づけてはいけないと感じていた。何がそう思わせるかはシルヴァには理解していなかったが、それでもただ拒むことしか出来なかった。
「シルヴァ。私は、シルヴァを守る」
「……何を」
「私はシルヴァを守るためにここに居る。だから、お願い。一緒に、行かせて」
それは、シルヴァが知る中でレイラが唯一頼んだことだった。いつもそばに居る彼女が、こんなにも必死な言葉で、何かを頼むということは今まで一度もなかった。
「……わかった。お前がそんなに言うなら、一緒に行こう」
レイラの言葉を聞いて、シルヴァは自分の中に欠けていた考えに気付いた。
――俺がレイラを、守ればいいだけだ
そうして、シルヴァとレイラは共にリーザスの舞台を観に行くこととなった。
シルヴァもレイラも、無言のままでまだ誰も立っていないステージを見つめていた。騒がしいステージ周辺と不釣合いな、二人の間に漂う重い沈黙。しかし、その沈黙はあっさりと崩れ去る。
「やあやあ、シルヴァくんじゃないか」
「……は?」
ゆっくりとシルヴァがステージから声のほうに視線を向けると、ここ数日ずっと見続けている男の姿が目に入ってきた。
「ヒロキ、お前」
「やはり君も来ていたんだねえ。あ、隣失礼するよ」
そう言うと、シルヴァの隣にヒロキが立った。シルヴァは複雑そうな表情を浮かべて視線をヒロキからそらす。ヒロキのほうはシルヴァの方を楽しげに見ていたが、少し視線をずらしてレイラの姿を見た。
「君は、確か……。喫茶店にいた店員さん、だよね?」
「……そう」
「へえ? シルヴァくんの恋人?」
「はあ?」
ヒロキに対し無視を決め込んでいたシルヴァだったが、唐突なヒロキの言葉に明らかに苛立ったような表情を浮かべて声を上げた。
「さっきからお前の口はぺらぺらぺらぺら無駄に動きやがって。隣で五月蝿いんだよ」
「あ、図星?」
「黙れ」
からかうようにヒロキが言うと、シルヴァは思い切りヒロキの頭を殴った。ごっ、という鈍い音はヒロキの頭の中でがんがんと響く。
「痛いなあ……。で、実際彼女とはどういう関係なんだい?」
「うちの助手だ。ったく、お前が近くに居ると面倒くさいことこの上ないな」
「はは、そう言うなよ。ちょっと面白い情報、手に入れたからさあ」
ぴくり、とシルヴァの眉が動いた。それに気付いたヒロキは、へらりとした笑みから、情報を売りつける時のにやりとした笑みに変わった。
「この舞台、リーザス・ナーティロットしか出ないよ」
「……は?」
予告ではリーザスのダンススタジオのメンバーが出る、という話だったはずだ。普通なら舞台をひとりでするということは考えられない。シルヴァが驚いたように瞬きをしているのを見て、ヒロキは満足げに笑う。
「何故、彼女は一人で舞台に出るの?」
シルヴァの代わりに質問したのは、レイラだった。幼く見える彼女も立派な探偵の助手か、と思いながらヒロキは説明を始める。
「どうやら、リーザスのやり方についていけなくなったから、らしい。ナイトメアの予告状が来てまでステージをするのは普通の思考では考えられない。怪盗が来るって中でいつも通りの舞台なんて出来るはずないからね。でも、リーザスは強行開演の姿勢を変えない。だから、メンバーはみんなリーザスから離れた、って言うわけさ」
そう言うヒロキの視線は、客席の中にある女性に向けられている。不安げな表情で、ステージを見つめているその女性たちこそ、リーザスのダンススタジオのメンバーである。シルヴァも同じように女性たちを見た。
「あれが……」
「シルヴァくんは、何故、リーザスが舞台に出続けると思う?」
突然、ヒロキはシルヴァに尋ねた。シルヴァは驚いたようにぱちぱちと瞬きをしたが、小さく首を振ってその問いに答えた。
「仕事だから、だろ」
それは、以前歌姫、フィニアが言っていた答えだった。その時の彼女は、何かにとり憑かれたかのように仕事に執着しているように思えた。きっと、リーザスも同じなのだろう、とシルヴァは思っていた。
「仕事だから、ねえ……。だとしたら、彼女はきっと寂しい人だ」
「はあ、そうだろうなあ」
ヒロキの推測に、シルヴァはどうでもよさそうに返事をして、視線をヒロキからステージに向けた。
「なら、もう一つ質問だ。シルヴァくん、君は何故、ここに来たのかい?」
その問いは、先ほどまでと違って低い声で問われた。シルヴァの確信を突こうとするような、鋭い言葉。
「俺は……」
シルヴァの中にある、確信とは程遠い何か。しかし、それは口に出してしまうと消えてしまいそうな気がした。
「……ん? どうしたんだい?」
「お前に言う必要はねえよ、ヒロキ。いちいち人に探りいれるな、気持ちわりぃ」
「おや、ひどい」
シルヴァの言葉に、ヒロキは肩をすくめて笑った。
***
時刻は午後七時。場所はリーザスのダンススタジオ。
「……先輩、本当に良かったのでしょうか」
ダンススタジオの前に響くのは、ナタリヤの声だった。不安を抱くその声は、ナタリヤの前にいるロジャーの背中に向けられる。
「どうせ俺たちはあの舞台の警備につけない。なら、俺たちなりに探りを入れようじゃねえか」
「探り、ですか?」
ナタリヤと同じくロジャーの背後についていたカズヤが、驚いたような声を上げる。
「リーザスの舞台復帰には、ジールが関わるような何かがある。あいつが手の内を明かさねえって言うなら、こっちから探り入れるしかねえだろ」
「しかし、これじゃあ不法侵入になるんじゃ……」
「バカヤロウ。そうならないようにするんだろうが」
ロジャーはダンススタジオのドアをノックする。が、中から反応はない。ナタリヤとカズヤがそっとドアに耳を当てたが、人の声は一切聞こえない。
「……反応、ありませんね」
「やはり、皆さん舞台に行かれているんじゃ……」
「いや」
ドアノブを軽く回すと、鍵で引っかかりもせずに素直に回った。がちゃ、と音がして扉が開かれた。
「開いた……?」
「行くぞ」
ロジャーは驚くナタリヤとカズヤを置いて、さっさとスタジオ内に入る。照明が一切灯されていない室内は薄暗く、外から入るわずかな光でしか視野を得られない状態だった。先日リーザスと話した接客室を通り過ぎ、ロジャーは一番奥にあるレッスン場にたどり着いた。ガラス張りのドアから室内を覗くと、中で、誰かが倒れているのが見えた。
「……おい!!」
ドアを勢いよく開け、ロジャーは室内に入る。倒れている男に駆け寄り、声をかけた。
「おい、大丈夫か? しっかりしろ!!」
「う……うう……」
声をかけられたその男は、うっすらと目を開く。
「どうしたんだ。一体、何があった」
「リーザス、を……」
かすれた声で、男は必死で言葉を続けようとしていた。ロジャーは黙って、男の言葉の続きを待つ。
「助けて、くださ……い」
「助ける? どういうことだ、リーザスに何があった?」
「わからない……。けれど、彼女は、普通ではない……あれは……彼女じゃない……!」
男はそう言うと、突然「うっ?!」と声を上げて強く目を閉じた。痛みに苦しむような表情を浮かべたあと、男はまた、意識を失った。
「おい?! おい!! ……気絶したのか」
「先輩!」
ロジャーを追いかけてきたナタリヤとカズヤが、レッスン場に入ってくる。
「先輩、どうされたんですか?」
「この男が、リーザスを助けろ、と」
「彼は……リーザスさんの恋人の、エルフォード・グロースさんですよ!」
ロジャーの横に倒れている男――エルを見て、カズヤが大声で言う。リーザスの恋人、という単語を聞いて、ナタリヤが疑問を抱いたように呟く。
「恋人って、確か彼もダンサーじゃなかったかしら。なら、何でここにいるの? 今から舞台だって言うのに……」
「……ジールが、近づけさせなかったか」
ロジャーの推測に、ナタリヤとカズヤははっと目を開いた。
「じゃあ、彼を襲ったのはジールさん……?!」
「そんなこと、どうして?」
「わからねえ。だが、……」
ロジャーは倒れているエルの姿を見て、それから窓の外を見た。すでに日は落ちてあたりは暗くなっている。
「ナイトメアが狙う何かに関わっていることは、間違いない」
ナイトメアの予告の時間まで、あと、二時間。