時刻は午後二時。場所は喫茶店。

「今日は少し早めに閉めようか」

 店長の唐突な言葉に、ジーンは「え?」と驚いたように声を上げ、配達から帰ってきたレイラも食器を整理していた手を止めてぱちぱちと瞬きをした。

「ほら、今日はあのダンサーの舞台があるじゃない。あれで人が流れてるみたいだし、ねえ?」

 店長の言うように店内には人はおらず、いつも流れている店長の好みの曲が店内にだらだらと流れていた。

「そう、ですね……」

「じゃあ、レイラくんの片付けが終わったら閉店としよう。私も行く予定があるからね」

 にこ、と笑って店長はズボンのポケットから何かの紙を取りだした。それは、今日行われるリーザスのステージのチケットだった。

「これで、奇跡の復活のダンサーと怪盗が見れるって言うからお得だよね」

 そう考えるか、と思いながらジーンは乾いた笑いを浮かべた。

「それで? ジーンくんやレイラくんも行くのかい?」

「……予定は、ない」

「僕もです。もう、チケット手に入らないですしね……」

「確かにねえ。あ、レイラくん片付け終わったね。それじゃあ、今日はお疲れ様」

「お疲れ様ですー」

 そしてジーンとレイラはそれぞれエプロンを外し、店の外に出る。そこに、一人の少女が立っていた。

「ユメリアさん?」

「あっ、こんにちは!」

 入り口の前で立っていたのは、ユメリア。学校帰りのようで、鞄を持ったままである。

「どうしたんですか? 今日はもう、喫茶店閉まっちゃったんですけど……」

「そうなんですか。あの、レイラさんは」

「……どうしたの」

 ジーンに続いて出てきたレイラが、ユメリアに声をかける。その姿を見て、ユメリアはほっとしたような表情を浮かべた。

「よかった、まだ帰ってなくって。えっと、これを……」

 そう言ってユメリアは鞄の中から一つの封筒を取り出し、レイラに差し出した。

「……これは」

「今日の、あの舞台のチケットです」

 ユメリアの言葉に、レイラの後ろに立っていたジーンがはっと目を開いた。ユメリアはちらりとジーンを見たあと、微笑みを作りながら言葉を続けた。

「その、シルヴァが観に行きたかったみたいで。ちょうど、クラスの子が余らせて困っていたから、良かったら、って」

「……そう」

「あの、私から渡してもあいつ、素直に受け取らないでしょう? だから、レイラさんと一緒なら、行ってくれるかな、って」

 ユメリアの笑みは、ぎこちない。それに気付きながらも、レイラはユメリアが差し出した封筒をそっと受け取った。

「ありがとう、ユメリア」

「……はい」

「それじゃあ、僕はお先に失礼しますね」

「あ、あの!」

 ジーンが去ろうとしたとき、ユメリアが大きな声で止める。

「アリアさん、今日、元気がなかったんです。何か、あったんですか……?」

「……何でもない、ですよ」

 ふ、と穏やかに笑うジーン。しかし、その笑みを見て、ユメリアは一瞬『怖い』、と感じた。よく似ているはずのアリアとジーンの表情が、まるで別人のように思えた。

「それでは、失礼します」

 そう言って、ジーンは二人に背を向けて歩く。レイラは、その背中をじっと見つめていた。

「レイラさん……。ジーンさん、何か」

「わからない。けれど……」

 ユメリアの問いにレイラは首を振ったが、視線を封筒に落とす。

「……必ず、わかる」

「……え?」

「ユメリア、どうしてこれを、私に?」

 レイラが封筒を見ながら尋ねると、ユメリアはやはり苦い笑みを浮かべた。

「……シルヴァに、連絡がなかったんです。多分、お姉ちゃんたちはあえてしなかったんだと思います。でも、シルヴァはそんなこと望んでないし……私に出来ることって、これぐらいしかないから」

 今までなら自分が突っ走って捜査協力に行っていたはずだった。けれど、姉が自分を守ろうとしていること、そして、自分が何も出来ないことをユメリアは理解していた。

「レイラさんなら、シルヴァを助けてくれるって思ったんです。ほら、あいつって言わなくっちゃ何もしないし、口は悪いし、それから……」

 シルヴァの姿を思い出しながら、ユメリアは少しだけ泣きそうになった。何故、こんなに自分は無力なのだろう、と胸が苦しくなった。その時、そっとユメリアの肩にレイラの手が乗せられた。

「大丈夫。私が、シルヴァを守るから」

「……お願い、します」

 そっと、ユメリアの頬に一筋の涙が落ちた。

 ナイトメアの予告した時間まで、あと、七時間。

 

***

 

 時刻は午後四時。場所はアリアの自室。

「……兄さん」

 アリアが学校から帰ってきた時点で、家には誰もいなかった。帰り道に喫茶店の前を通ったが、すでに店は閉まっており、兄も家にいるだろうと思っていたのだが、その姿はない。

「……どうして、なの」

 おそらく、予告の時間までどこかで過ごすか、あるいは周囲を探るのだろう。いつもならば、それは二人で行うことなのに、と呟いてアリアは目を閉じた。

 今までずっと、一緒だったはずなのに。どうして、一緒に居られないの。ねえ、兄さん。

 問い掛ける相手はそこには居ない。アリアは目頭が熱くなっていることを感じた。

――俺は、お前を守りたいんだ

「私だって、守りたいのに……!!」

 互いに思いあっているはずなのに、互いの思いは届かない。

 アリアは顔を押さえて、部屋の隅で一人泣いていた。

 その頭を撫でる相手は、そこには居ない。

 

***

 

 同時刻。場所はリーザスの舞台が行われるホールの周辺。

「おや? ジーンくんじゃないか」

 声をかけられたジーンは一瞬びく、と肩を震わせたが、相手を見て安心したように微笑んだ。

「ああ、ヒロキさんですか……こんにちは」

「どうも。どうしたんだい? そんなにびっくりした様子で」

 ヒロキが不思議そうに尋ねると、ジーンは「いやあ……」と苦い笑みを浮かべた。

「もうすぐナイトメアが来るって話じゃないですか。だからちょっと、怖くて……」

「怖い? へえ、ジーンくんはナイトメアが怖いんだ」

「いや、なんて言うか……やっぱり、犯罪者じゃないですか、彼って」

 その言葉に、ヒロキはぱちぱち、と瞬きをする。何を当たり前のことを、と思いながらも、この町の人々がナイトメアやテール・クロスのことをどこかアイドルのように取り扱っていることを思い出した。怪盗と言ってしまえば響きはいいが、実際は強奪犯なのだ。

「確かにね。でも、ナイトメア効果のおかげか、はたまた不死鳥効果のおかげか、ここは大盛況だねえ」

 ステージ周辺には人がごった返しの状態で、ジーンとヒロキがいる少し離れた場所でも人々の声がまるでスピーカーから発せられているかのように聞こえてくる。

「ジーンくんも、このステージを観に?」

「いえ。ちょうど仕事終わりで、どんな感じなのかなって見に来ただけだったんですが……想像以上です」

「へえ、意外だねえ。前の“クイーンズ・ティア”の時は観に行ったのに、今回は行かないんだ」

「ええ、まあ……。前ので、人ごみにかき乱される恐怖を味わいましたし」

 ははは、と乾いた笑い声をあげるジーンに、ヒロキは同意する。あの人ごみの中に進んで入りたいと思う人間はそうそういないだろう。そう思いながらも、ヒロキはジーンに背中を向けた。

「まあ、おれはまた味わいに行ってくるよ。せっかくナイトメアが近くで見られるかもしれないからねえ」

「気をつけてくださいね。人ごみ、大変そうですし」

 ジーンが言うと、ヒロキは手をあげてひらひらと振って、人ごみの中に消えた。

「……怖い、ねえ」

 人ごみの中に入りながら、ヒロキはふと、先ほどジーンが言っていた言葉を思い出した。

――やっぱり、犯罪者じゃないですか、彼って

 そう語るジーンの言葉は、まるでナイトメアの被害にあったかのように感じられた。しかし、ナイトメアがジーンのものを狙った、ということはなく、ジーンとナイトメアは全く関わりのない存在のはずである。

「……いや」

 無関係ではない。ヒロキの中で、何かがそう言っている。また情報屋の勘かもしれないが、それが今まで外れたことはない。

 

 一方、ヒロキを見送ったジーンは人ごみに背を向けて歩き出す。方向は家ではなく、どこか別の場所だった。

「……怖い、か」

 夜になると姿を現すもう一人の自分。

 黒い髪と闇色の瞳を持つその人物は、今の自分とは全く違う姿をしている。

「……もう、陽が沈むか」

 ジーンは足を止めて、夕陽が傾くのを見た。もうすぐ、夜がやってくる。

 ナイトメアの予告の時間まで、あと、五時間。

 

 

 

 

 

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