[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。
時刻は午後二時。場所は警察署。
「……失礼します」
重い扉を閉めて、ロジャーは部屋を出た。大きく息を吐いたあと、扉の向こうまで見るかのような鋭い睨みを向けた。
ナイトメア関連事件の報告書を提出するたび上からぐちぐちと言われるはずなのだが、今日は何も文句を言われず、ただ淡々と書類を受け取って確認されただけだった。その異様な雰囲気に不気味さを感じたロジャーは疑問を抱きつつも何も言わずに部屋を出た。
「何だ、一体……。気味がわりぃな」
「おや。ロジャー刑事じゃないですか」
突然声をかけられたロジャーが思考から抜けて前を向くと、そこには太い黒縁の眼鏡をかけた男の姿があった。
「……ヒロキ?」
「これは偶然ですね、ロジャー刑事」
にこにこと笑いながらロジャーの方にむかって手を振るのはロジャーの部下であるカズヤの兄、ヒロキだった。何故こんなところに、とロジャーが思っているとヒロキがロジャーのもとにやってきた。
「どうして、って顔ですね」
「ああ、まあ、な」
「おれが何をしてるかご存知でしょ、ロジャー刑事」
「何って……」
一瞬考えたが、ヒロキの職を思い出してロジャーは「まさか……」と呟く。その呟きを聞き逃さなかったヒロキはにっこりと笑って「ビンゴ」と言って人差し指を立てた。
「おれ、情報屋ですから。警察に情報売るのも仕事なんですよ」
「お前って、そんなにすごいヤツだったのか」
「世界各国回ってますからね、情報網が広いんですよ」
そう言って、ヒロキは持っていたスーツケースを持ち上げて見せた。弟とは打って変わって恐ろしいヤツだな、とロジャーが思いながら苦笑いを浮かべると、ヒロキが「そうだ」と声を上げた。
「ロジャー刑事。今から時間、ありませんか?」
「まあ、あるが……。残念だけど、カズヤは今日、休みだぞ」
「ああ、それは残念だ。でも、これはロジャー刑事にお話したいことなんですよ」
「俺に?」
ヒロキと接点の見出せないロジャーはぱちぱちと瞬きをした。ヒロキはふっと楽しそうな笑みを浮かべた。
二人は場所を変えて、休憩室のテーブルにつき、向かい合って座った。
「で? 話って言うのは何だ?」
「先日の、“クイーンズ・ティア”の件についてです」
ヒロキの言葉に、ロジャーの眉がぴくりと動いた。その反応を見てヒロキは確信の笑みを強く浮かべる。
「ロジャー刑事は外の警備でしたよね。あの時、館内はどのような状況だったかご存知ですか?」
「いや、俺たちは外の警備のみってことで中の状況は知らされていない。ついでに、その後も何も言われていない」
全ては、新しく来た協力者によって動かされていた。ヒロキは頷きながらロジャーの話を聞いている。
「なるほど。では、あの時の警備状況をご存じではない、と」
「ああ。館長が中の警備はいらない、って言ってきたからな。よっぽど美術館の警備システムに自信があったんだろう」
「なら、面白いことを教えてあげますよ」
そう言って、ヒロキはあたりを見渡す。休憩室にはロジャーとヒロキ以外は誰もいないのだが、ヒロキは少しロジャーの耳元に顔を近づけて小さな声で言った。
「あの時、警備システムはひとつも作動していませんでした。それどころか、防犯カメラも動いていません」
「……は?」
ロジャーが驚いたような声を上げて、ヒロキの顔を見る。ヒロキは何も言わずに、笑みを浮かべたままだった。
「どういうことだ、それは」
「そのままの意味です。確認なら美術館に聞けばわかりますよ。多分、『あの時のシステム履歴は残っていない』とか適当なことを言われるでしょうが」
「その情報は、本当なのか?」
「自信はありますよ。これでもおれは、情報屋ですから」
言葉どおり自信に溢れる表情を浮かべるヒロキを見るロジャーだったが、いまいち信用できなかった。しかし、先ほどヒロキが歩いてきたほうには警察の上層部がいる部屋があった。そんなところに情報を手渡していたとしたら、かなり信頼されている情報屋なのだろう。
「なんなら和哉に確認しても構いませんよ。いや、逆に怒られるかな……」
「それはいいとしても、何でこのことを俺に話したんだ?」
別にロジャーに話す必要はなかったはずだ。すでに上層部に言っていれば、動いてロジャーたちに指示を与える。上層部の手にかかれば、美術館内の警備システムについても吐き出させることはできる。それなのに、ヒロキはわざわざロジャーに話したのだ。
「何故、と言われたら理由はないんですけどね。ああ、このことはお偉いさん方には言ってませんよ」
「……なんだと?」
「彼らはナイトメアの事件に関わりたくない、といった様子でしたから。で、先ほどのロジャー刑事の質問に対してですが……あえて言うなら、面白そうな予感がしたから、ですかね」
ヒロキは目を閉じて、眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。それからスーツケースをもって立ち上がった。
「さて、おれはこの辺で失礼します。捜査、頑張ってくださいね」
にっこりと笑みを浮かべてヒロキは休憩室を出た。何か胸に疑問のようなものが残るロジャーは去ってゆくヒロキの背中を見つめることしかできなかった。
ヒロキも先ほどまでの笑みを消して、何かを深く考えているような表情を浮かべている。
――ナイトメア事件対策本部の人間が、館内の警備外されるなんて異常だ
廊下を歩きながら、ヒロキは考えを深めた。あごに手を当てて考えていたその時、肩が誰かとぶつかった。
「あ、すみません」
「いや、こちらこそ。つい、考え事をしていたもので……」
ヒロキは肩をぶつけた人物を見た。銀色の髪に、目元を黒いサングラスで隠している男だった。
「僕のほうも考え事をしていて、周りが見えなくなっていたみたいです。本当に、すみません」
口元ににやりとした笑みを浮かべるその男に、ヒロキは何か不気味さを感じた。わずかにヒロキは表情を引きつらせた。
「では、失礼します」
男はそれからすぐにヒロキに背を向けて、歩き始めた。ヒロキは少し男の背中を見ていたが、すぐに出口に向かって歩いた。
「……なんだ、今の男は」
何故か、気味が悪いと思った。しかし、それ以上にヒロキの心を占めるものが生まれた。
「気になるな、何者か……」
自分が出てきた警察署を見上げて、ヒロキはにっと歯を出して笑った。
一方、ロジャーはヒロキから聞いた話を頭の中で繰り返していた。本来なら作動しているはずの防犯システムもカメラも作動せずに、ナイトメアに侵入された。そんなバカな話がありえるか、とロジャーが舌打ちしたときだった。
「こんにちは、ロジャーさん」
休憩室に、声が響く。ロジャーがはっと顔をあげると、そこには穏やかな笑みを口元に浮かべるサングラスの男――ジールの姿があった。
「何か、考え事をなさっていたのですか?」
「まあ、そんなところだな」
お前の警備について考えていた、とはいえないロジャーはごまかすように答えた。
「わざわざ、こんな場所に来て?」
「さっきまで知り合いが居たからここにいただけだ」
「お知り合い、ですか」
言いながらジールはサングラスのブリッジを押し上げた。ジールの言い方に何か気味の悪さを感じたロジャーが今度は尋ねた。
「そう言うお前は、どうしてここに来た?」
「用事を終えたので、休憩をしようと思いまして」
「用事?」
「ええ」
深い内容は語らない、と言うように頷いたジールを、ロジャーは睨むように見つめていた。やはり、この男の考えが読み取れない。そう思いながら、ロジャーは話を振った。
「ナイトメアの件は、どうなっている」
「どうなっている、とは?」
「前みたいに、何を盗むかわかってるんじゃないのか? いわくつきの何かでも見つけてきたんだろ」
「残念なことに何もわかっていません」
予想していなかった返事に、ロジャーは驚いて目を大きく開いた。
「以前の盗みで僕も負傷してしまいましたからね。しばらく動けなかったもので」
「で、何もわからない、ってか」
これのどこが特別協力者だ。そんな思いをこめてロジャーがジールを睨むと、ジールは大きく息を吐き出した。
「本当に申し訳ありません。でも、ひとつわかることがあります」
「わかること?」
ジールの言葉の意味がわからず、ロジャーが聞き返す。ジールの口元に浮かぶ笑みが、確信を帯びていた。
「不死鳥が、舞い戻るでしょう」
「……どういう意味だ、それは」
「そのままの意味です。では、僕は失礼しますね」
説明もまともにしないまま、ジールはその場を去った。誰も居なくなった休憩室で、ロジャーは大きく息を吐き出した。
「全く、何だ……。俺のわからねぇところで、何が起きてやがる……」
***
時刻は午後三時。場所はシルヴァの探偵事務所。
自分のデスクについて、シルヴァはぼんやりと本を読んでいた。が、読んでいたといっても内容は全く頭に入ってこず、別のことに思考が働いていた。
「ジール・ルーズレイト……」
サングラスを外した下に現れた金に輝く右目と、口元に浮かぶ怪しげな笑みにシルヴァは何か気味の悪さを感じていた。以前シルヴァが捕まったときにシルヴァと接触したのはあの男だったのに、次に会ったときはまるで何事もなかったかのように「はじめまして」などと言った。そのことも不気味だったが、それ以上の何かをあの金の瞳から感じていた。
「何だ、あいつは一体……」
「シルヴァ?」
目の前からかけられた声にシルヴァがはっと顔を上げると、そこにはユメリアの顔があった。首をかしげて、不思議そうな顔をしている。
「どうしたのよ、そんな怖い顔して」
「……いや、なんでもない」
「そう。あ、もしかして今日一日外に出てないんじゃない?」
ユメリアは言いながらシルヴァのデスクの上を見る。ごちゃごちゃと書類や本が散乱しているデスクの上を一通り見たユメリアが、大きなため息を吐き出した。
「やーっぱりね。雨だから、なんて言い訳は聞かないわよ」
「別に俺の勝手だろうが」
「雨でも働いている人が居るのによく言えるわ。ねえ、レイラさん」
そう言ってユメリアが振り向く先には、レイラの姿があった。ちょうど帰ってきたばかりと言った様子で、雨で少し濡れてしまった服をタオルで拭いていた。
「……どうしたの?」
「シルヴァ、雨が降っただけで引きこもるんですよ。普段から外に出ないくせに」
「シルヴァがいいのなら、それでいい」
レイラの答えにユメリアが驚いたように目を開いた。それからむっと表情を曇らせて、ユメリアはシルヴァのほうを見る。
「私はよくないと思う! レイラさんが外で働いてるのに、あんたは何してんのよ!」
「探偵」
「してないくせに!」
「はいはい、うるせぇな」
大きなあくびをして、シルヴァは視線をユメリアからそらすように横を向いた。シルヴァの反応に、さらにユメリアの表情がむすっと曇って歪む。
「もう! 人が心配してあげてるのに!」
「あーあ、ありがとうよ。感謝してる」
「嘘吐いてるんじゃないわよ! そんな棒読みで!!」
ぎゃあぎゃあと怒鳴るユメリアの声を聞きながらシルヴァは大きなため息を吐いていた。またいつも通りかよ、と思ったときに、この感覚が久しぶりだったことに気づいた。
「……シルヴァ?」
突然黙ったシルヴァに違和感を覚えたユメリアは、眉をひそめてシルヴァに尋ねた。思考に浸っていたシルヴァはユメリアのほうをゆっくりと見る。
「何よ? さっきからぼーっとして、どうかしたの?」
「いや……、何でもねぇよ」
「そう……?」
「二人とも、お茶は」
ユメリアの後ろから、レイラが声をかけた。感情を映さない表情と、声色のレイラは少し首をかしげていた。
「じゃあ、いただきます。あ、私もお手伝いしますよ」
「そう……。シルヴァは」
「……俺も、貰う」
シルヴァが返事をするとレイラは頷き、ユメリアと一緒に台所に向かった。その背中を見て、シルヴァは小さなため息をついた。その脳裏には、また、ジールの姿が映っている。
***
時刻は午後六時。場所はとあるホテルの一室。
「……ふざけているね」
ノートパソコンのキーボードを乱暴に叩いたヒロキは笑みを浮かべているが、その目は一切笑っていなかった。それから黒縁の眼鏡を外して、椅子の背もたれに全身の体重をぐっとかけて、背伸びをした。
「警察調べれば、何かわかるかと思ったけど……全く外れじゃないか。あーあ、無駄な時間を過ごしちゃったよ」
こんなことするぐらいなら、和哉のところにでも行けばよかった。そう思いながらヒロキは大きなため息を吐いて、テーブルの上に置いたコーヒーを飲んだ。すでに冷え切っていたが、喉を潤すにはちょうどよかった。
「全く情報のない男、か。興味深いけれど、探りようがないというのが腹立たしい」
自分が知り得ない情報はない、という自信を持っていたヒロキにとって、たった一人の男の情報が見つからないということはプライドを傷つけられたようなものだった。しかし、今回調べた件は『情報屋』として調べたのではなく、あくまでヒロキ個人で調べたものであり、調べきれなかったとしても誰にも影響を与えないのだ。
「そうだ。ついでだから、ナイトメア関係の情報を頂こうかな」
先ほどまでの苛立っていた様子とは一変、にやりと楽しそうな笑みを浮かべてヒロキは眼鏡をかけた。再びキーボードを叩くが、その速度は先ほどまでより随分遅くなっている。
「さすが、和哉。ハッキング対策をしっかりしてくれているな」
パソコンの画面には『Error』と白い背景に赤い文字で大きく記されている。それでもヒロキはキーボードを叩くことをやめなかった。しかし、画面に何の変化もみられないと感じたヒロキはアダプタにメモリを挿した。
「まだまだ甘いぞ、和哉」
瞬間、画面におびただしいほどの英字と数字が現れ、ヒロキはそれを見ながらキーボードを叩き続けた。
***
時刻は午後十時。場所はユメリアの自宅。
「どうしてナイトメアは盗まなかったのかしら」
ユメリアは机の上に広げてある新聞を睨むように見つめている。そこには『ナイトメア、盗み失敗か?!』という大きな見出しが載っていた。それは先日、美術館に“クイーンズ・ティア”を盗むという予告状が来た事件だった。しかし、結局美術館に“クイーンズ・ティア”は残り、ナイトメアは盗みを失敗するという形になったのだ。
「シルヴァも何も言わないし、お姉ちゃんも最近会ってくれないし……」
ユメリアは、最近のシルヴァの様子がおかしいことに気づいていた。特に、レイラに視線を向けているときのシルヴァの表情が気になっていた。
そして、姉のナタリヤも「忙しい」という理由でなかなか会えないのである。
「何があったの……?」
ユメリアは大きく息を吐いて、新聞の上に突っ伏した。
「わかんないよ、シルヴァも、お姉ちゃんも……」
目を閉じて、ユメリアは泣き出しそうな声で呟いた。