時刻は午前十一時。場所はリュート学園の教室。
アリアはずっと、朝から口を利いてくれない兄のことを考えていた。
何故、予告状を一人で出したのか。何故、行かせてくれないのか。何故、何も言ってくれないのか。アリアには全く解からないことばかりであった。
「――どうですか、アリアさん?」
「……え?」
思考から戻ってきたアリアは突然声をかけられたことに驚きの声を上げた。アリアに声をかけてきた女子生徒たちが、不安げにアリアを見ている。
「アリアさん、どうされました?」
「ご、ごめんなさい……すこしぼんやりして、話を聞いていなくて……」
「実は、今日のダンスの舞台、チケットはあるんですけど私用事で参加できなくて……」
女子生徒の一人が、持っている封筒をアリアに渡しながら言う。中身を確認すると、チケットは二枚入っていた。
「もしよければ、ジーンさんと一緒に……」
「ごめんなさい。兄は用事があるみたいで、いけないんです。私も、まだあまり体調が良くなくて」
「そうですか……。どうしよう、このチケット、勿体無いし……」
「なら、私に戴けませんか?」
女子生徒に声をかけたのは、ユメリア。突然の声に、女子生徒たちは驚いたようにユメリアを見た。
「ユメリアさんが?」
「ええ。もし、よろしければ、ですけど」
「もしかして、シルヴァさんと一緒に行くの?」
誰かがからかうようにユメリアに言う。いつもなら「別に、そんなのじゃないですから!」と顔を真っ赤にさせて否定するのだが、
「いえ、一緒に行くのは、私じゃないんです」
ユメリアは苦い笑みを浮かべて答えた。その反応に、アリアも女子生徒たちも驚いたような表情を浮かべた。
ナイトメアの予告状が出されたというのに、シルヴァの元にロジャーからの連絡が来ていない。いつもならすぐに連絡が来るはずなのに、とユメリアは姉に確認しようとしたがいつも電話が繋がらない。予告状が急に出たことで現場が忙しいからだ、と理解はしていたが納得できずにいた。
「……くそ」
新聞を見て小さく呟くシルヴァの姿を見たとき、ユメリアは自分に何かできないかと考えた。
「どうぞ、ユメリアさん」
女子生徒はユメリアにチケットの入った封筒を渡す。ユメリアは中身を見て、「ありがとうございます」と礼を言って自分の席に戻った。ユメリアの様子を見て、女子生徒の誰かが呟く。
「何だか、ユメリアさん……元気なかったね?」
「うん。どうしたんだろう……」
「……シルヴァさんと何かあったとか?」
ひそひそと話す女子生徒たちの言葉を聞きながら、アリアはユメリアの背中を見た。いつもと違う、弱々しいような姿に一瞬、自分を重ねた。
ナイトメアの予告の時間まで、あと、十時間。
***
午後十二時。場所はリーザスたちの舞台が行われるステージの裏側。
リーザスは苛立った表情で楽屋にいた。その楽屋にはリーザス以外はおらず、しんと静まっている。
「……ふざけないでよ」
ナイトメアのことに対する不安は皆同じであり、そして、ステージに執着するリーザスへの恐怖も同じだった。結局、今日のステージに出る、と言った者は誰もいなくなってしまった。
「……ねえ、どうしてなの」
リーザスは三面鏡の前にうな垂れて座り、小さく零す。
「エル、私の願いは、どうして叶わないの……?」
エルは昨日の晩から姿を見せない。リーザスが覚えているのは、夜遅くまで一人で練習をしていて、エルに声をかけられたところまで。
――ナイトメアの予告状に合わせて舞台をする必要はない……。もしも、もしもまたお前に、何かあったら
何故、エルが必死に自分に声をかけていたのかリーザスは理解できていない。そして、エルの言葉に自分がどのような言葉で返したのか思い出せない。もしかしたら、何も言わなかったのかもしれない。練習に必死で、声だけ聞いていたのかもしれない。それに呆れて、エルは帰ったのだろう。そう考えて、リーザスはゆっくりと顔をあげた。
鏡に映っているのは、リーザス・ナーティロットのはずだった。しかし、その顔の生気はわずかしかなく、本来その顔にあるはずの表情が一つもない。まるで人形だ、と自分で呟いて、乾いた笑みを浮かべる。それすら、人の表情に見えない。
その時、楽屋の扉がこんこん、とノックされる。リーザスはびくり、と肩を震わせた。
「ど、どちら様?」
こんな表情を誰かに見られたくない、と首を振り、扉の方に声をかける。
「喫茶店からの配達です」
扉の向こうから聞こえてきた女の声に、リーザスは「ああ」と一つ納得したように頷いて、扉を開けた。長い銀髪の少女が、紙袋を持っている。そういえば、昼時に食事を注文していたな、と思い出して少女が差し出した袋を受け取った。
「ありがとうございます」
「……」
笑顔一つも見せず、リーザスの言葉に少女は小さく礼をしてその場を去った。無愛想、というよりは先ほどのリーザスの表情と似ているように思えた。何が違うかリーザスはわからないまま、扉を閉めて、昼食を摂ることにした。