時刻は午後十時。場所はダンススタジオ。

「いいのか、リーザス」

 薄暗いレッスン場で、公開練習が終わってからもずっと一人で踊り続けていたリーザスに、エルは尋ねる。リーザスを見つめる瞳は、不安げに震えている。

「ナイトメアの予告状に合わせて舞台をする必要はない……。もしも、もしもまたお前に、何かあったら」

「私は、もう大丈夫よ」

 エルと一切目を合わせずに答えるリーザス。先ほどまで踊り続けていた疲れを感じさせないはっきりとした答えの声に、エルは何も言えなくなった。数秒の沈黙の後、ゆっくりとリーザスはエルの顔を見た。

「リーザス……」

 笑っているはずなのに、生気が全く感じられない。エルを見ているはずなのに、視線を感じられない。エルは、そんなリーザスの姿に恐怖を覚えていた。

「どうしたんだ、リーザス! お前、一体どうして」

「思いが強ければ願いは届く……ねえ、私、ずっと思っていたのよ」

 リーザスは一歩ずつ、エルに歩み寄る。エルはびくりと肩を震わせ、逃れようとするように一歩ずつ震える足で後ろに下がる。が、壁にぶつかり、それ以上下がれなくなってしまった。

「置いていかないで」

「……え?」

「私、怖かった。ステージに上がることも、ステージに上がれないままみんなに……あなたに置いていかれることも怖かった」

「置いていくって、何を言ってるんだ……?」

 リーザスはエルの問いには答えず、エルの胸にしがみついた。いつかも同じように胸にしがみつかれた時があったが、その時とは何かが違う。それは薄暗い室内でリーザスの表情が見えないせいなのか、震えている自分のせいなのか、それともリーザスの中にある何かのせいなのか、エルにはわからなかった。

「でも、もう平気。私にはあなたに追いつくための……願いを叶えるための力があるから」

 瞬間、エルの目の前が橙の光に包まれた。何が起きたかわからなかったエルの意識は、ふっと暗闇の中に落ちる。

「そう、貴女には力がある」

 倒れたエルを見下すリーザスの背後から、男の声がする。リーザスが振り向くと、そこにジールの姿があった。

「さあ舞台は明日です。貴女が再び舞う時が……願いを叶えるときがやってきますよ」

「ええ、わかっているわ」

 ふっと笑うリーザス。瞳のなかの輝きは、まるでアンクレットの宝石に奪われたかのように失われていた。

 

***

 

 翌日。時刻は午前九時。場所は警察署ナイトメア対策本部。

「……ジールさん、それは本気で仰っているのですか?」

「はい」

 苛立ちを露にするナタリヤの真正面に立つジールは穏やかな表情のままで頷いた。

「リーザス・ナーティロット周辺どころか、会場自体に特別警備をつけない。これはどういう判断ですか?」

「おびき寄せてそのまま確保する。ああ、もちろんリーザスさんの許可のもと行っていますよ」

「おびき寄せるのはいいが、どうやって捕まえるつもりだ」

 ナタリヤが口を開きかけたのを見て、ロジャーが先に尋ねる。その質問は想定済みだったのか、ジールは笑みのままだった。

「今回は特別な協力者がいますから、その方と協力して確保するつもりです」

「その協力者っていうのは、リーザス・ナーティロットのことか」

「……どうして、そうお考えになられたのですか?」

 ロジャーの問いに、ジールが訊き返す。図星を突いたか、とロジャーが思いながらジールの質問に答えた。

「どういうルートか知らないが、お前とリーザスが何らかの接点を持っているのはわかっている。そこから説得したんだろ、あの館長の時のように」

 以前の事件も、自分たちは警備に関わることが出来なかった。ジールが何らかの方法でナイトメアが狙った物と関係する人物と接点を持ったから。

「なるほど、そうですね。否定はしませんよ」

「だが、手のひらを明かすつもりはない、ってか?」

「ええ」

 ジールは、笑ったまま。ロジャーのはっきりとした言葉を聞いても、ナタリヤの鋭い睨みを受けても、カズヤの不信な視線を受けていても、ジールは表情を崩すことはない。

「貴方たちが知る必要はない。知っても意味はない。そうではないですか?」

「どういう意味ですか、それは」

 あとわずかで叫ぶ、というような震えた声でナタリヤが尋ねる。

「簡単な話です。貴方たちには僕と同じことは出来ない」

「いい加減に……っ」

「ああ、そうだな。そうかもしれないな」

 ナタリヤの怒りの声を抑えるように、ロジャーがナタリヤの肩を掴んだ。

「だが、少しぐらい教えてくれてもいいんじゃないか? お前は、『特別協力者』なんだからよ」

「それと、僕の手の内を見せることは別問題です。それに、教えてしまったら僕の仕事がなくなってしまいますからね」

 微笑むジールとは対照的に、ロジャーたちの表情は暗い。何を考えているのか、何をしようとしているのか、ジールの考えが全く読めない三人は、ただ、ジールのすることを見ることしかできないのだった。

 ナイトメアが予告した時間まで、あと、十二時間。

 

***

 

 午前十時。場所はダンススタジオ。

「何してるの?! 今のステップ、遅れてるわよ!!」

 音楽が止まり、リーザスの怒鳴り声が響く。鏡に向かって踊り続けていたダンサーたちは動きを止めて、荒い呼吸をしていた。そして、一人がゆっくりとリーザスに近づき、声をかける。

「リーザス……、あなた、本気なの?」

「何が」

「今日の舞台よ……。ナイトメアの予告があるって言うのに、本当にする気なの?」

「どういう意味?」

 ふっと笑みを浮かべながら聞き返すリーザスを見て不気味に思ったダンサーは一歩引いた。他のダンサーたちの表情も不安げで、怯えているようなものになる。

「ど、どういう、って……」

「そんなに私が主演の舞台に出たくないって言うの? 私が戻ってきたことが不満?」

「そういうわけじゃなくって……」

「それならステージにいなさい。あなたも私も、ステージで踊ることが仕事でしょう。無駄な話はいいわ、次、するわよ!」

 リーザスがぱんぱん、と手を叩いて大きな音を鳴らすと、ダンサーたちはしぶしぶという様子で踊りの準備に入る。が、そのとき何人かのダンサーたちが自分の荷物を持って部屋を出始めた。

「もう付き合ってられないわ。あたしたちは帰るわ」

 ばん、と強く扉は閉められる。残されたダンサーたちも不安げな表情のままでリーザスを見つめている。

「……リーザス、どうしたのよ? 何で、そんなに……」

「私たちは、ダンサー。黙って踊ればそれでいいのよ」

 はっきりと、感情が全くこめられていない口調でリーザスは言い切った。

「その場を奪おうとする者は……絶対に、許さない」

 ナイトメアが予告した時間まで、あと、十一時間。

 

 

 

 

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