時刻は午後四時。リーザスの公開練習が始まった。
会場にいる人々はリーザスがステージに登場した瞬間、歓声を上げた。しばらく姿を見せなかった舞姫の元気な姿に、喜ぶファンが黄色い声を上げて手を振る。
音楽が鳴り始め、ステージの上にいるダンサーたちが踊り始める。高く跳び、すばやく走り、くるりとターンを決めて、再び飛ぶ。その中心で踊るリーザスの姿には、つい先日まで入院していたとは思えないほどの勢いがあった。頬に滴る汗が、ステージを照らすライトでキラキラと輝いている。
踊りが始まった途端、会場はしんと静まった。人々は目の前で行われているダンスに集中して、誰も言葉を発することが出来なかった。
「……」
その中でも、特にアリアはじっとステージを見つめていた。むしろその視線は、睨んでいるようなものだった。視線の先にあるのはリーザス――の、アンクレット。
「……間違いない」
大きな音楽が響く中、アリアは小さく呟く。リーザスの足元を輝かせている橙の輝きは、ただの光の反射ではない。そう確信して、アリアはステージに背中を向ける。
「あ、アリアさん……?」
「ごめんなさい、少し、気分が悪くなったので」
その場を去ろうとするアリアに驚きの声を上げた同級生に対し、アリアは早口に言って、人ごみを掻き分けて去った。
人々は、何も知らないでリーザスの踊りに魅了されている。歓声をあげ、きらきらとした視線をステージに向けている。
「これが、あの人の望みなのかしら」
そして、アリアは人ごみを抜けてふり向く。ステージ上の舞台は終わっているようで、ステージの中央でリーザスが深く礼をしていた。顔から、ひたひたと汗が落ちてステージに輝く。橙の光は、さらに強さを増していた。その光を見つめるアリアの表情は、険しい。
そのまま人ごみから離れて歩いていると、前方に見慣れた姿が見えた。
「兄さん!」
アリアは、ジーンに声をかける。その声に気付いたジーンは、足を止めてゆっくりと振り向いた。
「アリア」
「兄さんも観に行ってたのね」
「……ああ」
「じゃあ、見たよね」
何が、とは言わなくてもわかる。ジーンが沈黙している様子を見て、アリアは確信した。
「早くどうにかしないとね。あのままだと、あのダンサーが」
「今回は俺だけで行く」
低い声で、ジーンが言う。その言葉の意味がわからず、アリアは「え」と声を上げた。それからアリアは兄の顔を見ると、普段の温厚な顔は無く、鋭い瞳で遠くを見つめていた。視線は、アリアとは合わない。
「……何、それ。どういうこと」
「俺一人で問題ない。だから、お前は」
「何言ってるのよ、兄さん。今までと同じでしょ?」
「違うから、言っているんだ」
「あの男のこと?」
アリアは怒りを含んだような口調でジーンに尋ねた。
「確かに、あの男は強い。兄さんと同じくらいの魔術を使ってた。でも、私と兄さん二人なら」
「お前は来るな。そう言っている」
「どうしてよ!」
とうとう、アリアは声を荒げた。視線を合わせようとしない兄に苛立ちを覚えたアリアはジーンの肩を掴んだ。
「どうして、聞いているの!! ねえ、兄さん、教えてよ!」
「アリア」
ぱん、と乾いた音。アリアははっと目を開き、自分の手がジーンの肩から離れるのを見た。アリアの手を振り払ったのは、目の前にいる、アリアの兄。
「……来るな」
今まで聞いた中のどれよりも低い、ジーンの声。その声に、アリアは恐怖を覚えていた。
「兄、さん」
アリアが呼ぶと、ジーンは一瞬だけアリアを見た。瞳は黒と表現するにはあまりにも暗い、闇色に染まっていた。ジーンの瞳に映るアリアの表情は、完全に恐怖に染まっていた。
ジーンは何も言わずにアリアに背を向けて歩き出した。アリアは何もいえず、ただ去ってゆく兄の背中を見つめるしか、できなかった。
***
時刻は午後六時。場所は中央広場のステージ。
誰もいなくなったステージの中心に、リーザスは立っていた。すでに他のダンサーやスタッフはスタジオに戻って今度の舞台についての打ち合わせを始めている。しかし、リーザスはそこに行かず、ただステージに立っていた。
「……私は、踊れるのよね」
再確認するように、リーザスは呟く。
少し前までは、ステージに出ることが怖かった。あのけがをしてしまってからステージに立つのが怖くなり、それから足が動かなくなってしまった。けがは治っているのに足が動かない理由、それはリーザスが一番わかっている。
「私は、踊れる」
再びリーザスが言った直後、ぱちぱちと拍手の音が響く。突然の音にリーザスはあたりをきょろきょろと見た。
「そう、貴女は踊れるのです」
舞台の袖から出てきたのは銀髪の男――ジール。拍手をしながら、ゆっくりとリーザスに近づく。
「良かったですね、リーザスさん。無事にけがも治って、復帰できて」
「……あなた、それは嫌味のつもりかしら」
リーザスはジールに睨むような瞳を向ける。しかしジールはそれに動じた様子も見せず、微笑んだままだった。拍手を止めて、リーザスの一歩前ほどで立ち止まったジールはゆっくりと目を開いた。
「貴女からこの舞台を……いや、踊りを奪おうとする者が現れます」
「……それって、ナイトメアのこと?」
唐突なジールの言葉だったが、『奪う』という単語で話題の怪盗の名前がすぐに出てきた。しかし、ナイトメアが踊りを奪う、という意味がわからずリーザスはジールに聞き返した。
「わかっているのでしょう? 何故、貴女が再び踊れるようになったのかを」
びくり、とリーザスは体を震わせた。そして自分の体を抱くように肩をぎゅっと掴んだ。わずかに体を震わせているリーザスを見て、ジールは口元に笑みを浮かべる。
「そうね……あなたがこれをくれたから、でしょう」
「ええ。わかっているのなら、それでいいです。では、どうすればよいか、わかるでしょう」
ジールはゆっくりとサングラスを外す。金に輝くジールの瞳を見たリーザスは一瞬大きく目を開いたが、すぐに元の大きさに戻った。が、瞳はどこか虚ろで、ジールの方を向いているはずなのに焦点が合っていないようだった。
「……守る、の。私には、力が、ある、から」
呟くリーザスの声は、かすれて消えそうなほど小さなものだった。ジールはその言葉を聞き逃さず、リーザスの言葉を聞いて満足そうに微笑んだ。
「そう、貴女には力がある。僕が与えた、力が」
リーザスは頷いて、ジールとすれ違うように舞台の袖に入った。ジールはステージの中心に立ち、正面を見る。
「……さあ、舞台の始まりだ、ジーン」