雨が降り続けている。

「思い出すね、あの日のことを」

 ざあざあ、と、雨が地面や壁にぶつかる音が室内に響いていた。

「あの日も、こんな雨だった」

 窓の外を見るジールの目元にはサングラスがかかっていない。金の右目がぼんやりと光を灯している。

「忘れるはずがない。忘れられるはずがない。君も、僕も、忘れることはないはずだ」

 ざあざあ、と、雨の音がする。ジールは不気味ともいえるような穏やかな笑みを浮かべていた。

「僕に隠し事をするなんて、できるはずがないだろう? そうだろう、ジーン」

 

 雨が降り続けている。

「っ……?!」

 突然の感覚に、眠っていたジーンは飛び起きた。全身に、気持ちの悪い汗がついている。

「今のは、……まさか」

 ざあざあ、と、雨が地面や壁にぶつかる音が室内に響いていた。

 ジーンはゆっくりと、左目に手を当てた。指の隙間から、金の光が漏れている。その表情は怒りのようでしかし悲しみのような、暗く重いものだった。ジーンは目を閉じて、左目から手を離す。目の端から、涙の筋が一つ落ちた。

 

 

***

 

 翌日。時刻は午前九時。場所はダンススタジオ。

「はぁっ……はぁっ……」

 リーザスは一人、汗だくになって練習をしていた。全身から零れ落ちる汗が、床にたまっている。

「エル、私……、私、できるはずなの……」

 荒い呼吸をして、リーザスは壁一面に張られた鏡を見る。鏡に映る自分に向かい、リーザスは言葉を続けた。

「置いていかないで……『思いが強ければ、願いは届く』はずでしょ……?」

 呟いた瞬間、リーザスは床に座り込んだ。瞳から涙が零れ始め、汗と混ざって顔を全体的に濡らした。突然、自分から出た涙に困惑したリーザスは目を大きく開く。そこから、さらに大粒の涙がこぼれる。

「――それが貴女の答えですか?」

 そのとき、聞き覚えの無い男の声がした。リーザスがハッと顔を上げて声のほうを見ると、そこにはやはり見知らぬ男が立っていた。銀髪の輝く髪に、目の色を隠すような黒いサングラス。自分しかいないはずの、しかも部外者がなかなか立ち入れないはずのスタジオに現れたその人物に、リーザスは不審の目を向ける。

「あなたは、誰?」

「ずっと、手に入れたかったはずでしょう」

 男がリーザスの足を指さしながら言った。指が示す先にあるのは、オレンジの石がついたアンクレット。それを見て、リーザスは納得した。

「あなたが、これをプレゼントしてくれたファン? 名前は、確か――」

「貴女がずっと求めていたものですよ。僕は、貴女が舞うための翼を与えただけです」

「翼……? ああ、舞台のことかしら」

 気味の悪い男だ、とリーザスは思った。口元に笑みを浮かべて言うくせに、表情はサングラスのせいで読み取れない。本心からの言葉なのか、そうじゃないのか、リーザスには判断できなかった。

「その翼があれば、貴女はどこにでも行けますよ。そう、ステージの上でも、どこか遠くでも」

 男の言葉に、リーザスの目が大きく見開かれた。そのまま勢いで立ち上がり、男の胸倉を掴んだ。

「ふざけないで!! こんな悪趣味なものを贈ってきて、そんなことを言うなんて!! 私に消えて欲しいなら、素直にそう言いなさいよ!!」

「そう思うのなら、外しても構いませんよ。その、アンクレットを」

 冷静に、男は言った。リーザスは先ほどまで怒鳴っていた勢いを無くし、男の胸倉から手を離した。その手は、わずかに震えていた。

「わかっているのでしょう? それが、貴女にとって重要なものであること。守るための力であること」

「私、にとって……」

「ステージ上の立ち位置、あのスポットライトの中心。あそこに、貴女は立っているのでしょう?」

 リーザスのアンクレットが、オレンジの石が、光を放ち始める。その光を見て、男は口元に歪んだ笑みを浮かべた。リーザスは力を無くしたかのように床に腰を落とした。

「それとも、貴女が立ちたいと望む場所は……そこではないかもしれませんね。けれど、それは奪われたくないもの」

 男はそっとしゃがみこんでリーザスと視線を合わせた。男がゆっくりとサングラスに手をかけるのを、リーザスは力ない瞳で見つめる。そして、男はサングラスを外した。

「貴女には力がある。奪われたくないものを守るための力、が」

 瞬間、リーザスの視界がオレンジに染まる。男の瞳の色も、わからないくらいに眩い光だった。

 

***

 

 時刻は午前十時。場所は喫茶店。

「ジーンくん。具合、悪い?」

「え?」

 厨房で食器の準備をしていたジーンに、店長が心配そうな目を向けて尋ねた。ジーンはぱちぱちと瞬きをして聞き返すように声を上げると、店長はうんうんと頷いている。

「昨日、アリアちゃんを迎えにいってずっと看病してたんでしょ? お疲れじゃない?」

「いえいえ、大丈夫ですよ」

「そう? そういえば、アリアちゃんは?」

「休んでいたら授業に遅れるから、って言って学校に行っちゃいました。まあ、本人は大丈夫そうでしたけど……」

 と言っているジーンの方が「大丈夫」と言えないような表情をしている。不安そうに眉をゆがめて、それでも笑みを作っていた。

 アリアの見た夢。そして、自分自身が体験した感覚。その二つから考えられることは、『マグウェルの宝』が関わっていること。しかし、それだけわかっていても行動に移せない。

「本人がそう言っている以上、僕には何も言えませんし」

「それはいいけど、君のほうは? 大丈夫そうには見えないけど」

「まあ、心配性なものなので」

 あはは、と笑いながらジーンが言うと、店長は「確かにねえ」と笑った。

「あまり無理はしないでくれよ。大切な店員がつぶれると困るからね」

「はい、わかりました」

 そう言うと、店長は納得したように厨房の奥へ行った。店長の姿が見えなくなったと同時に、ジーンは大きく息を吐き出す。

「……大丈夫そうじゃない、か」

 悪い予感が全身を包み込む。ジーンはぎゅっと目を閉じて再び息を吐き出した。そして、厨房を出て店内に入ると、いつも見かける姿があった。

「いらっしゃいませ、シルヴァさん」

「おう」

 ジーンの言葉に、シルヴァはいつも通りにやる気の無いような返事をする。ジーンがあたりを見渡すと、少しだけ驚いたような顔をした。

「あれ、今日はヒロキさんとご一緒じゃないんですか?」

「何で俺がアレと一緒って話になってんだ……?」

 シルヴァは、心底疲れたようなため息を吐き出した。体中のたまった空気を出そうとするようなシルヴァを見て、ジーンは「アレって……」とヒロキに少しだけ同情した。

「嫌いなんですか、ヒロキさんのこと?」

「あいつは話が長いからな。どうでもいい話までぺらぺらされるのは疲れる」

 趣味、の一言で何でも探ろうとするヒロキのやり方は、シルヴァとしては気持ちのいいものではなかった。確かに腕のある情報屋なのはわかるが、どうしてもそこが気に食わなかった。

「そう、なんですか? でも、いろいろ面白い話は聞けそうな気がしますけどね」

「面白い話、ねえ……」

 はあ、とまたため息を吐き出してシルヴァは首を左右に動かして、ぼきぼきと関節を鳴らした。

 

 

 

 

 

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