***

 

 時刻は午後六時。場所は警察署資料室。

「シルヴァさん、まだかかりそうですか?」

「あー」

 何だか気の抜けそうな返事を聞いて、カズヤは小さくため息を吐いた。

 昼食を食べに一人で喫茶店に行くと、シルヴァがいて、そのシルヴァが突然「資料を調べさせろ」と言い出した。資料室を特別に開けてから、既に五時間以上は経っている。

「……あの、シルヴァさん」

「あ?」

 カズヤがシルヴァに声をかけると、苛立った風に返事をされてしまった。カズヤがびくりと肩を震わせると、シルヴァはその様子に気付いて「あー……」と言いながら頭をがりがりと掻いた。

「悪い、つい読むのに集中してた」

「い、いえ。それで、何について調べてたんですか?」

「ナイトメアの事件」

 そのシルヴァの言葉に、カズヤは驚いたように瞬きをした。今までの警備の時にはあまり乗り気ではない様子のシルヴァしか見たことのないカズヤにとって、それは予想外の言葉である。

「何故、また? シルヴァさんは、てっきりナイトメア関係に関わりたくないと思っていたのですが……」

「そうは言ってもどっかの若作り刑事が手伝え! とか何とか言って来るだろ」

「た、確かに……」

「それに、気になってな」

 シルヴァは持っている資料のページをめくる。つい先日の剣舞師の一件について載っているページだった。

「わざわざ、この剣の宝石部分だけ盗んでやがる。なのに、あの双子は何にも言って来なかった」

「ええ。その……」

 カズヤは何かを言いかけて、俯いた。その様子を見て、シルヴァはじっとカズヤの言葉を待った。

「何だかあの二人、宝石を盗まれてから、人が変わったような気がしたんです」

「変わった?」

「はい。ただ、僕の見た感じだけであって、実際は何も変わっていない。それはわかっているんですが、やっぱり違う気がしたんです」

「……まあ、それは何となくわかるけどな」

 それはあの歌手も、学生も、剣舞師も同じ。シルヴァは一連の事件をまとめた資料の本を閉じ、元の場所に戻した。

「悪い、カズヤ。もう少しかかる。あとは俺が……」

「いえ、それは任せられませんよ。シルヴァさんは探偵であっても、ここでは『一般人』なんですから」

「……悪いな」

「何となく、覚悟はしてました。終わったら、携帯に連絡入れて下さい。しばらく自分の仕事をしますから」

 にっこりと笑って、カズヤは資料室を出た。内心申し訳なく思いながらも、シルヴァは一冊の本を手にとった。

「…………『ロストロスの悲劇』、か」

 そこに書かれた文字を小さく呟き、シルヴァは本を開いた。

 

***

 

 時刻は午後七時。場所はジーンとアリアのアパート。

「兄さん、本当に見たの?」

「ああ、間違いない。で、アリアのほうは?」

「多分、何かしら関係あると思う。普通じゃないわ、あんなの」

 ジーンは夕方に会ったナタリヤの様子とその館にあった薔薇の事を、アリアは入院していた友人の様子を報告しあい、お互いの確信を強めた。

「マグウェル、か」

「……まさか造花なんて、考えなかったわ」

「ナタリヤさんが見てきたらしいからな。それに、あの様子はアリアの言っているものと同じだ」

「面倒なことになってるわね。持ち主、かなり使いこなしてるわ」

「ああ……」

 アリアが少し感情的になりながら言うのに対し、ジーンは至って冷静だった。その頭の片隅には、夕方に見た人影の姿があった。窓の向こうを見つめて、小さく零した。

「……まさか、な」

 

***

 

 時刻は午後九時。場所はメルティーン家。

「……っ」

「お姉ちゃん、大丈夫!?」

 ナタリヤが目を覚ますと、そこにはユメリアが心配そうな顔をしているのが見えた。

「ユメ、リア……?」

「顔色が悪いよ、お姉ちゃん。ジーンさんが送ってくれたって聞いたときは心配で!」

「大丈夫よ、ユメリア……」

 ナタリヤは体を起こして、額に手を当てる。熱は無い。が、まだ頭の奥で何かが揺れているような気がした。

「本当に、大丈夫なの?」

「ええ。ごめんね、心配させて」

 ナタリヤはユメリアの肩を寄せて、ぎゅっと抱いた。そのとき、ナタリヤの鞄の中から着信音がした。鞄をあさって、携帯を取り出し相手を確認した。

「もしもし」

 電話の相手を見た時点で、どんな内容かはだいたい予想はしていた。だから、そこで聞いた言葉に驚きは無かった。しかし、そのあとがナタリヤの想像を越えていた。

「……嘘でしょう?!」

 

***

 

 時刻は午後九時。場所は警察署資料室。

「たっ、大変です!!」

 連絡をしろ、と言ってきたはずのカズヤがどたばたと大げさな音を立てて資料室に入ってきた。シルヴァはぶつりと集中が切れてしまい、カズヤのほうを睨む。

「何だ?」

「な、ナイトメアからの予告状です!」

「……何?!」

 シルヴァは乱暴に本を閉じて、棚に戻した。それからカズヤに駆け寄り詳しい情報を聞いた。

「予告されたのはマリオン・ローズメイルの、造花。どうやら宝石で出来ているようです。予告時間は明日の午後九時です」

「ったく、こんなタイミングで」

「ところで、シルヴァさんのほうは何か見つけることは出来ましたか?」

 カズヤの何気ない問いに、シルヴァは小さく息を吐いただけで、何も答えなかった。

 

***

 

 翌日、時刻は午前四時。場所はマリオンの館の前。

「悪いな、ナタリー。休暇中だって言うのに」

「いえ、大丈夫です」

「……本当に、大丈夫か?」

 警備の準備のために来ていたロジャーは、少し遅れてきたナタリヤを見て違和感を覚えていた。普段と同じスーツ姿のナタリヤなのだが、何かが違って見える。体調が悪そう、とは少し違う何か。

「久しぶりに見たせいか、その」

「何でしょうか、先輩」

「……お前、夜更かしでもしたか?」

「は?」

「いや、顔が老けて見えると言うか疲れて見えると言うか……」

「女性に対して失礼な方ね」

 ロジャーとナタリヤの会話に割って入ったのは、マリオンだった。不機嫌そうな顔をして、ロジャーを睨んでいる。その剣幕にロジャーは引きつった顔をした。

「いや、その……」

「これだから男は嫌なのよ。警備はおまかせしますけれど、私と館には近付かないでもらえる?」

 マリオンは刺々しくそう言ってナタリヤの肩をそっと抱いた。二人並んだ姿を見て、ロジャーは一瞬どちらが年上なのかわからなくなった。

「大丈夫、ナタリヤちゃん」

「え、ええ……大丈夫です」

「そう。あまり無理はしないでね」

 ロジャーに見せたものとは全く違う穏やかで優しい表情でナタリヤに声をかけたマリオンは、また館に戻った。その姿が見えなくなった頃、やっとロジャーが口を開いた。

「ナタリー、知り合いか?」

「はい。私の、親戚です」

「親戚、ねえ……」

 そう言って、ロジャーは持っていたマリオン・ローズメイルに関する資料に目を通す。

「つい先月まで入院していたらしいが、理由はわかるか?」

「いえ。その、私も最近久しぶりに会ったので……」

「そうか。じゃあ、今回怪盗が狙っている『青薔薇』ってのは?」

「マリオンおばさまの持っている、造花だと思われます」

「それは宝石で出来てるのか?」

「ええ。青い宝石で……って」

 後ろから聞こえた問いに流れで答えたナタリヤがロジャーとは違う声に気付いて振り向くと、そこにはシルヴァの姿があった。ロジャーも驚きを隠しきれない様子でシルヴァに言った。

「シルヴァ?! 何でお前来たんだ?!」

「お前がいつも『来い、来い』言うから来てやったんだろうが。そんな態度なら俺は帰るぞ」

「ま、まあまあシルヴァさん……」

 シルヴァの後ろで苦笑いを浮かべてカズヤがなだめる。シルヴァは「で?」と言ってナタリヤに話の続きを求めた。

「それはどんな宝石だ」

「どんな、って言われても……私もよくわからないわ。宝石になんて詳しくないから」

「そうか……」

「それで、警備の状況はどうなってますか?」

「警備の状態は……って、ユメリア!?」

 横からひょっこりと現れたユメリアに、ナタリヤが驚きの声を上げる。そしていつの間にかカズヤから資料を奪い、警備状況を確認していた。

「なるほど、今回はこのようになっているのね……」

「何でお前がいるんだ、ユミィ」

「何でって、私は探偵の助手! あと、レイラさんも夜には来るって言ってたわよ」

「はぁ……。まあ、いいけどな」

 半分諦めのシルヴァの言葉にユメリアが満足する一方、ロジャーは再び驚きを隠せずにいた。怪盗に無関心だったはずのシルヴァがわざわざ警備に来て、しかもいつもならさっさと帰らせようとするユメリアを「まあ、いい」の一言で片付けたのだ。どこかで頭でも打ったのか? とロジャーは少し心配を始めた。

「ナタリヤ、その宝石って見せてもらえるか?」

「多分、私もついていけば大丈夫だと思うわ」

「じゃあ、頼む」

 そしてシルヴァとナタリヤの二人は一緒に、マリオンの館の中に入って行った。

 

「おばさま、マリオンおばさま」

 マリオンの部屋の扉をノックしながら、ナタリヤが部屋の中にいるマリオンに声をかける。しばらくして、扉がわずかに開き、その隙間からマリオンが顔を出した。

「ナタリヤちゃん……に、そちらの方は?」

 ナタリヤの顔を認めて穏やかになったマリオンだったが、すぐ隣にいるシルヴァを見てその顔は険しくなる。シルヴァは少し引きつった顔をして会釈をした。

「こちらは探偵のシルバルヴァ・ゴードンさん。警備をしてくれていて、今回狙われたあの宝石を見せていただきたいって」

「……ごめんなさい。私、あれを人に見せるのが不安で不安でしょうがないの。あれは、私の大切な物だから……」

「そう、ですか」

 どこか弱々しい言葉に、シルヴァはそれ以上何も言わなかった。確かに自分の大切な物を狙われているのだから、人に見せたくない気持ちは理解できる。

「じゃあ、私たちは警備の方に戻るわね」

「待って、ナタリヤちゃん」

 背を向けて歩き始めたシルヴァとナタリヤに、マリオンの声がかかる。

「……一人でいるのが不安なの。お願い、時間が来るまで、一緒にいてくれる?」

「ええ、もちろんよ。シルヴァくん、先輩に伝えてくれるかしら」

「ああ、わかった」

 シルヴァが頷くと、ナタリヤはマリオンの部屋に入った。その部屋の隙間から、青く輝く薔薇の造花がシルヴァの目に届いた。

「あれが、『青薔薇』……」

 そして、ナタリヤの肩に触れたマリオンの表情が歪なものだったことには、誰も気付かれずに、扉は閉ざされた。

 

「おい、シルヴァ」

 玄関前に戻ったシルヴァにロジャーが声をかけた。

「ナタリーはどうした?」

「マリオン、だったか。あの女と一緒にいる。一人でいるのが不安らしい」

「そうか……」

 と、言ったロジャーだったが、その表情はやけに心配そうな顔をしている。

「どうした?」

「シルヴァ。お前、マリオン・ローズメイルが何歳に見えたか?」

「……は?」

 全くナイトメアに関係のないロジャーの問いに、シルヴァはその意味がわからずに訊き返すしか出来なかった。

「お前、まさか職務中に女を口説こうとしてるのか?」

「バカヤロウ、誰がするか。で、どうなんだよ」

「そりゃ……ナタリヤより少し年上ぐらいだろ。二十代後半って所か」

 シルヴァの話を聞きながら、ロジャーは先ほども見ていた書類に目を通していた。

「ロジャー?」

「マリオン・ローズメイルの年齢は、四十七歳だ」

「……は?」

 今度はロジャーの言葉の意味を理解してシルヴァは訊き返した。

 

 

 

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