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時刻は午後十二時。場所は喫茶店のカフェテラス。
「ナタリヤさんがいないと、なんだか寂しいですね」
「ま、アイツもいつも働いてるんだ。たまに休ませるのも悪くはないだろ」
テラスで昼食をとるカズヤとロジャーは休暇をとっているナタリヤの話をしていた。やはり普段一緒にいる同僚がいないと、どうもいつもと違うように感じてしまうのだ。紅茶を飲みながらロジャーは今後の仕事について思い出していた。
「しばらく怪盗が出てこないおかげで我々もいつもより仕事が楽で助かりますね」
「バカヤロウ。仕事が楽になるのはあいつらを捕まえた時だ」
「そ、そうですけど……」
「どっちにしろ、対策書類だの報告書だの書かなきゃなんねぇから、楽になることはないだろうが」
と、言われてしまうとそのとおりである。カズヤは小さく肩を落とした。
「へー、珍しいな。二人がこっちで昼飯なんて」
意外そうな声を上げたのは喫茶店にやって来たシルヴァ。金の瞳をぱちぱちと瞬かせてロジャーと、それからカズヤをみた。
「ああ、こんにちはシルヴァさん」
「……カズヤ、お前、あんなのより年上なんだからさん付けなんてしなくていいんだぞ?」
「おい、誰があんなのだ?」
「いやー、でもシルヴァさんって何か年上みたいな雰囲気が出てますし」
「カズヤ、それはどういう意味か聞かせてもらおうか?」
眉間に皺を数本寄せたシルヴァはロジャーとカズヤをみる。ロジャーはにやにやと笑っているが、カズヤは一体何がシルヴァの機嫌を損ねたかわかっていない様子でおろおろとしていた。そんな怪しげな空気が漂う中にやってきたのは、やはりジーンだった。
「まあまあシルヴァさん。それで、ご注文は?」
「コーヒー」
「かしこまりました。あ、お二人とももう少しで出来ますので、待っててくださいね」
「ありがとうございます、ジーンさん」
にこりと微笑むジーンにカズヤも微笑み返す。二人の間に漂う何か穏やかな雰囲気にシルヴァは少しだけ自分とロジャーの間には絶対ありえない雰囲気だな、と思って苦笑いを浮かべた。
***
時刻は午後四時。場所はマリオンの館。
「本当に、またこんな風にナタリヤちゃんと会えて嬉しいわ」
玄関でナタリヤに声をかけるマリオンは楽しそうに微笑んでいる。ナタリヤも「ええ、本当に」と笑った。
「お見舞い、ありがとうね。私、ミノリアさんの焼いたシフォンが本当に好きなのよ」
「母のシフォンは美味しいですからね。私もよく焼いてもらっています」
「じゃあ、今度はお礼に私が何かお菓子を作ろうかしら。だから、明日もまた来てくれるかしら」
「ええ。もちろんですよ、おばさま」
ナタリヤはマリオンに礼をして「それじゃあ」と、館を出た。マリオンは小さく手を振り、門を出てゆくナタリヤの背中を見つめた。それからナタリヤの姿が見えなくなった後、マリオンは一つの部屋に入った。
「……ナタリヤ・メルティーン、美しくなったわね……」
カーテンが閉められて薄暗いその部屋で、マリオンは小さく呟く。
「いいわ、あの美しさ……私も、あの美しさが欲しいわ……」
そして、マリオンはカーテンを小さく開いて、外の様子を見る。夕暮れ頃、女子学生たちが何人か歩いている。
「……美しさが、欲しい」
マリオンはカーテンを閉めた。
***
翌日。時刻は午前十時。場所は聖クロス・リュート学園のとある教室。
「昨日も出たんですって、不審者!」
そんな学生一人の言葉に、教室がざわめく。さすがのアリアも、読書をしていた顔を上げてその学生の言葉を聞いた。
「本当に?!」
「ええ。でも、やっぱり声をかけられただけだって……」
「やだ、怖い!」
「何でも黒いコートの人なんでしょう?」
「一人で帰れなくなっちゃうわ……」
「本当に……」
少女たちの言葉は暗く、不安げなものである。今日は誰と帰ろうか、なるべく早く帰ろう、親に迎えに来てもらおう、などと話している中で、アリアの耳にとある会話が聞こえてきた。
「噂によると……、声をかけられた子って、しばらく学校を休んでいるそうですって」
「やっぱり怖いからかしら」
「そうじゃなくって! 何か、本当に生気を失ったようになるらしいの……」
生気を失う。その言葉に何か引っかかりを感じたアリアは、静かに本を閉じた。
***
時刻は午後十一時。場所は喫茶店。
「こんにちは、ジーンくん」
「珍しいですね、ナタリヤさん。私服でご来店なんて」
ジーンの言うように、ナタリヤが喫茶店に来る時は大体ロジャーやカズヤと一緒の時、つまり仕事の時なので、青いワンピースに白いカーディガンを合わせたナタリヤの姿はなかなか見られないものである。
「ええ、少し休みを頂いたからね」
「ロジャーさんとカズヤさんが言っていましたよ、ナタリヤさんがいないのは寂しいって」
「あら、そろそろ復帰しないといけないかしらね」
くすり、と笑うナタリヤの姿に、ジーンは何か違和感を覚えた。きっと、あまり見かけない私服のせいだからだろう、と自分を納得させた。
「それで、こちらで食事ですか?」
「いいえ、今日は持ち帰り。人と会うから、こちらの美味しいデザートを頂こうと思って。イチゴのタルト、二つお願い」
「かしこまりました」
注文を受けたジーンは店内に戻る。ナタリヤは近くの椅子に座って、空を見上げた。晴れている空を、白い雲が流れてゆく。
「ナタリヤ?」
そんな風にぼんやりと空を見上げていたとき、突然声をかけられたナタリヤは顔を声のほうに向けた。そこには驚愕、と言ったような表情のシルヴァがいた。
「シルヴァくん」
「ナタリヤ、だよな……本当に」
「あら、そんなに私が私服でいることが意外?」
悪戯っぽくナタリヤが笑って尋ねると、シルヴァは少し照れたような様子で「いや、そう言う意味じゃ……」と視線を反らして小さく呟く。何だかんだ言って、まだまだ若いのよね、とくすりと笑っていると店からケーキの箱を持ってジーンが戻ってきた。
「お待たせしました。こちらがイチゴのタルトです」
「ありがとう、ジーンくん。これ代金ね」
ナタリヤは立ち上がり、ジーンに代金を渡して箱を受け取った。
「それじゃあね。ジーンくん、シルヴァくん」
ワンピースをふわりと浮かせて、ナタリヤは店を去った。その姿を、呆然とした様子でシルヴァが見つめている。そんなシルヴァを見て、ジーンが小さくにやりと笑って言った。
「シルヴァさん、もしかして見とれていました?」
「なっ!? 何言って……」
「でも、今日のナタリヤさん、本当に綺麗でしたよね。いつもと違う雰囲気で」
ジーンの言葉にシルヴァは無言で、小さく頷いた。
***
時刻は午後四時。場所はマリオンの館。
二人は今日も館の中で、日の光を浴びながらお茶をしていた。ふと、マリオンはナタリヤの全身をゆっくりと見て、ため息混じりに言った。
「その姿なら、きっといろんな男の方から声をかけられるでしょうね」
「そんなことありませんよ、おばさま。普段はこんな格好できないんだから」
マリオンの言葉に苦笑いでナタリヤが答える。普段の格好といえば刑事の時のスーツで、ほとんどこんな女の子らしい格好はしない。ただ、今日の姿を見て先輩や同僚はどんな反応をするのだろうか、と少しは思っていた。
「おばさまだって、昔はよくお声をかけていただいたんでしょう?」
ナタリヤが言うと、マリオンの顔が少しだけ引きつった。口元の笑みが、歪な形になる。
「……おばさま?」
「そ、そんなことは無かったわ。私は、どちらかと言うと引きこもりがちな性格だったから」
ぎこちなく答えるマリオンに「そう、なんだ……」とナタリヤは控えめに返事をした。何か話題を変えようと、ナタリヤが部屋の中を見たとき、ふと鮮やかな色を見つけた。
「おばさま、あれは何?」
「え?」
ナタリヤが指さす先には、花瓶に飾られた一輪の薔薇があった。それは、本来なら在りえない『青薔薇』だった。
「ああ、これ。これはね、私の大切なものなの」
そう言って、マリオンはその薔薇をナタリヤに見せる。
「ただの造花じゃなくて……宝石?」
「そう。とても美しいでしょう」
そのとき、ナタリヤの目に今までにはない青い輝きが見えた。宝石で出来たその造花は、何か心の奥を揺らすようにナタリヤは感じた。それと同時に、突然の目眩が襲ってきた。
「っ……」
「ナタリヤちゃん?」
「な、んでもないですわ、おばさま……。ごめんなさい、何だか今日は調子が悪いみたい」
「そう……。なら、無理はせずに帰ったほうがいいわ」
マリオンが優しく声をかけると、ナタリヤも頷いて、帰ることを決めた。ナタリヤの体を支えながら、マリオンは玄関まで送る。
「本当に大丈夫?」
「ええ。ごめんなさい、おばさま。心配をかけてしまって」
「いいのよ。気をつけてね」
ナタリヤは少し具合の悪そうな様子で頷くと、そのまま館の門をくぐった。背中が見えなくなった頃、マリオンは部屋に戻った。窓の外を見たとき、マリオンの目には想像もしていなかったものが映った。
「……そう」
マリオンの目には、男と、その男の肩を借りて歩くナタリヤの姿があった。それから目を反らすように、マリオンは部屋を出た。
一方、門を出た直後のナタリヤは、目眩からくるふらつきを抑えるために門に寄りかかっていた。
「何かしら、これ……」
急に襲ってきた目眩に心当たりがないか探していると、やはり連日の仕事のことを思い出した。この程度で倒れるようじゃ、刑事としてまだまだだ。そう思って歩き出そうとした時。
「ナタリヤさん?」
ナタリヤが歩き出そうとした先に居たのは、買い物袋を提げているジーンだった。驚いたような顔をしてナタリヤを見つめていたが、すぐにナタリヤの元に駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか、ナタリヤさん!」
「ジーン、くん」
「顔色が悪いです。どうかなさったんですか?」
「ううん、何でもないの。ただ、急に目眩が……」
何でもない、と言うにはやけに声がかすれている。それに、顔の様子も何か違う。先ほど店でナタリヤを見た時に感じた何かと同じものだった。
「ちょっとね、親戚の所に遊びに行っていたの。でも、仕事の疲れがでちゃったみたいで……」
「そ、そうですか……。自宅まで送りますよ」
「大丈夫よ、心配しなくても」
「そんな! お願いします、送らせてください」
そう言ってジーンは少し強引にナタリヤの腕を自分の肩に回した。ナタリヤはしばらく呆然としていたが、「ありがとう」と小さく微笑んだ。
そしてジーンは視線をナタリヤが出てきた館に向ける。窓の一つから、人の影が見えた。そして、そこにはやけに鮮やかな『青薔薇』が見える。
「……あれは」
ナタリヤにも届かない小さな声で、ジーンは呟いた。
***
同時刻。場所は総合病院。
「……何だか、様子がよろしくなかったようですね」
病室を出たアリアは、先ほどまで会話していた同級生の様子を思い出して小さく零した。その同級生は連日起こっている事件の被害者の一人で、事件以降入院している。
「本当に、そうですね」
アリアの呟きに同意したのは、ユメリア。二人はお見舞いということで病院に来たのだが、同級生の様子はどこか変だった。
「まるで、老け込んだみたいです」
「ユメリアさん……」
あまりにも率直な意見に、アリアは辺りの様子を見た。病院と言う事もあって、あまり学生の会話を気にしている様子はない。そんなアリアの様子を知らずに、ユメリアはアリアに尋ねる。
「でも、アリアさんも思いませんでしたか? 何だか、一気に老けてしまったみたいに」
「それは、少し思いました……」
事実、その同級生は言葉にもあまり反応はなかったし、目は虚ろだった。力が抜け切ってしまい、表情も本来の若さを失っているようにアリアは見えた。
「でしょう? やっぱりこの事件、ただ事ではないんですよ」
「そうですけど、私たちにはどうしようもないんじゃ」
「うーん……。事件状況はそれとなく聞いたのですが、何だか曖昧な感じでしたし」
それとなく、とユメリアは言うが、実際は「一体あの時何があったのですか?!」と同級生にダイレクトに聞いていたので、そのフォローをするアリアは正直疲れた。が、それによって事件状況がうっすらと把握できた。
犯人は多分女。暗い中で黒いコートを着ていて、顔ははっきりとわからない。ただ、その同級生の目に映ったのは『青色』だったと言う。
「この青色が、この事件を解決する手立てだと思うんですよね」
「確かに、それもそうですね。でも、青色、ですか……」
「一体何でしょう?」
うーん、とユメリアが唸る横で、アリアは確信していた。『マグウェルの宝』が、関わっている、と。