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***
雨の音は、ざあざあと響く。
そんな雨の中を、仕事を終えたレイラは一人傘を差して歩いていた。傘に当たる雨の音は少しずつ、大きくなっている。
「……」
手には大きな買い物袋を抱えて、家路へとゆっくり歩く。いつもと変わらない帰り道の、はずだった。
「……」
レイラの視界に、雨の灰色の中にはない、はっきりとした色が入った。
***
ざあざあと、雨の音。
事務所兼自宅で、本を読んでいたシルバルヴァ・ゴードンは小さく息を吐いて時計を見た。本を読み始めてからもう三時間も経っている。そろそろ、同居人のレイラが帰ってくる頃かと思ってシルヴァは本を閉じた。ちょうどそのとき、扉が開かれた。
「……、レイラ?」
扉の向こうからやって来たレイラを見て、シルヴァは呆然とした表情になった。何故か腕組みをしているレイラは、傘を差していたにも関わらずひどく濡れていたのだ。
「何でお前、そんなにびしょびしょなんだよ」
「猫……」
猫? とシルヴァが聞き返そうとしたとき、レイラの腕からひょこっとその猫が顔を出した。
「ね、こ」
白い毛の、灰色の目の猫はきょろきょろとあたりを見て、あくびをするように小さく鳴いた。まだ小さなその猫は、レイラの小さな腕の中にちょうど良く収まっている。
「何で?」
「外に、いた」
「いや、そりゃ外に猫の一匹や二匹いるだろ」
「雨、だから」
そのレイラの言葉を聞いて、シルヴァはぴくりと小さく肩を振るわせた。レイラの腕の中にいる猫は、レイラの顔を見てにゃぁ、と鳴いた。
「……そうだな、雨だもんな」
「猫、拭いてくる」
「ちょっと待て」
シルヴァは慌ててレイラに駆け寄り、肩を優しく掴んだ。
「まずお前がシャワー浴びて来い。風邪ひくぞ」
「……」
しかし、レイラはじっと猫を見つめている。
「俺が拭いてやるから、大丈夫だ。お前が風邪ひいたら、こいつにうつるかもしれないだろ?」
諭すようにシルヴァが言うと、レイラは小さく頷いて猫をシルヴァに渡して、それからシャワールームへと向かった。猫を渡されたシルヴァは洗面所からタオルを取って猫を包む。
「雨だから、か」
先ほどレイラが言った言葉をシルヴァは小さく呟いた。タオルでがしがしと拭くと、猫はくすぐったそうにけれど楽しそうに鳴き声を上げる。
「お前は、似てるようで全然似てねぇな」
少し嬉しそうにシルヴァは猫を拭く。そして猫はするりとタオルから抜け出して体をぶるぶると振るわせた。ある程度水分はとっているため水が飛んでくることはなかった。猫は事務所を興味深げに見ていたが、すぐにシルヴァに捕まってしまう。
「あんま動くんじゃねぇよ。暴れでもされたら困るからな」
ぶっきらぼうにそう言うとシルヴァはタオルで猫を包んだ。
ざあざあと、雨の音が響いている。ざあざあと、シャワーの音。
「……」
レイラはシャワーを浴びながら、目を閉じる。ざあざあと耳に届く音は雨なのか、シャワーなのかわからなくなりそうになって、ゆっくりと目を開けた。白いタイルが目の前にある。
「……雨」
ざあざあ、と、雨の、音。
***
「きゃー! かわいいー!!」
レイラがシャワールームから出ると、猫を抱えて微笑むユメリアが居た。そんなユメリアを仕事用のデスクについているシルヴァはどうでもよさそうな目で見つめている。
「ったく、うっせぇな……」
「うるさいじゃないわよ! こんなにこの子、可愛いじゃない!」
「はいはい」
「もう、シルヴァって本当にリアクション薄いわよね。あ、レイラさんこんにちは!」
「……」
ユメリアから挨拶をされたレイラは何も言わずに小さく頷いた。それから首にかけたタオルで濡れた髪を拭きながらソファに座る。
「この子、レイラさんが拾ってきたんですか?」
「……そう」
「こんな雨の中、まだ小さいのにかわいそう……野良かな?」
「そんな野良がいるか。飼い猫だろ」
あくび混じりにシルヴァが言うと、ユメリアは猫を優しく撫でながらシルヴァを睨んだ。
「証拠は?」
「首輪」
「え?」
きょとんとしたユメリアからシルヴァはひょいと猫を取って、猫の首元の毛を少しかき分けた。すると、黄色い首輪が現れた。
「あ、本当だ……」
「それに、こんな毛並みのいい野良猫は居ないだろ。あと、野良は大体もうちょっとやつれてる」
「なんかそういうとこだけシルヴァって観察力良いわよね」
あきれたようなユメリアの言葉に「うるせー」と一言返してシルヴァはレイラの隣に座り、深く息を吐いた。
「何よ、そのため息」
「ユミィが来ると、無駄に騒がしくなるなあと思ってな」
「失礼な!」
「……でも」
いつものシルヴァとユメリアの言い争いが始まろうとしたとき、レイラが小さく口を開いた。
「嫌いじゃ、ない」
「…………え?」
突然の言葉に目をぱちぱちとさせるユメリアに対して、シルヴァはふっと笑ってレイラの頭を撫でたのだった。
***
しとしと降る雨は、少しずつ弱まっていた。
ジーンとアリアは同じ傘の下、同じ歩調で歩いていた。少し呆れたような顔をして、ジーンはアリアに尋ねる。
「雨が降るってあれだけ言ってただろう? 何で持っていかなかったんだ」
「だって、荷物増えるでしょう。それに」
「それに?」
「兄さんが迎えにきてくれるって思ったし」
アリアが言うと、文句を言おうとしたジーンは言葉に詰まった。それから出そうと思った言葉を、笑うようなため息に変えた。
「持って行ってないことに、気付くと思っていたのか」
「私が、雨を嫌いなことを知ってるのは、兄さんだけだし」
そういうアリアの表情は少しだけ暗く、悲しげなものだった。そんな表情を見たジーンはアリアの肩を引き寄せて自分に近づけさせた。
「え?」
「え、何でそんな意外そうな表情してるんだ」
「だって急に兄さんが引き寄せたりするから……」
「雨に濡れそうだったからね。それに」
それに、と続けて何かを言おうとしたジーンだったが、小さく首をふった。
きっと言ったら、怒られるだろう。「寂しがってるから」なんて。と思ってすぐに自分の行動を思い出した。
「何でもない」
「そんな中途半端にしないでよ、兄さん。気になるじゃない」
「何でもないから、気にしなくていい」
ジーンは少しだけ恥かしそうな表情になった顔をアリアから反らした。そんな兄を見てアリアはむっと表情を曇らせる。一体ジーンが何を言いかけたか、アリアにはわからなかった。
「もう……」
と、アリアが視線を兄から雨降りの道に変えると、そこに空色の傘を差した女性がきょろきょろとあたりを見渡している姿があった。
「……あの人」
「え?」
アリアの声に気付いたジーンも、同じ方を向く。傘の隙間から見えた女性の表情はどこか心配そうなものだった。ジーンとアリアは少し顔を向き合わせて、それから女性に近付いた。
「あの、どうかなさったんですか?」
ジーンが声をかけると、女性ははっと視線をジーンたちに向けた。
「えっと、実はその……飼っている猫が……」
「猫?」
「ええ。勝手に抜け出しちゃったみたいで、……すぐに帰ってくると思ったけれど、この雨だから……」
女性は少し上を向いて、大きく息を吐く。
「濡れて風邪でもひいたら、困るから……」
「そうですね……、まだしばらく降り続けそうですし」
アリアが言うと女性は困ったような笑みを浮べた。
「すみません、心配させてしまったみたいで。じゃあ、私あっちの方を探しますので……」
「あ、あの」
立ち去ろうとした女性にジーンが声をかけた。女性は驚いたような顔をしてジーンを見る。
「ちょっと頼れる人を知っているんですが、よろしかったら一緒にそこに行きませんか?」