***

 

 時刻は午後五時。場所はジーンとアリアのアパート。

「勝負よ、兄さん」

「……は?」

 仕事から帰ってきたジーンは、唐突なアリアの言葉にただそれだけしか返せなかった。

「何? 何だって?」

「だから、勝負よ。私と、勝負しなさい」

 むすっとしたアリアの顔を見て、ジーンは嫌な予感しかしなかった。料理対決なんて言われたら、自分が圧勝して逆にアリアを怒らせてしまうだろう。どうしたものか、とジーンが考えている間にもアリアは言葉を続けていた。

「私と、盗みで勝負するの」

「……はい?」

 想像もしていなかった勝負内容に、ジーンの眼鏡が傾いた。ぱちぱちと瞬きをするジーンにアリアは二枚のカードを見せた。

「同じ日程の予告状を出して、ナイトメアとテール・クロス、どっちが先にその目的の物を盗めるかどうかを勝負するのよ」

「ちょっと待て、俺たちの盗みは遊びじゃない。それに、一人で対処できないものだったらどうする」

 ナイトメアとテール・クロスが盗むものは『マグウェルの宝』と呼ばれる、魔術を秘めた宝石である。二人で盗むにも大変なものがあると言うのに、それを勝負のために一人で盗むというのにジーンは不安を覚えた。しかし、アリアは動じた様子も見せずにあっさりと言った。

「大丈夫よ。盗むものは『マグウェルの宝』じゃないもの」

「……はぁ?!」

 とうとうジーンは大声を上げた。

「ゴーディア・ジョフィアーズ、あの成金オヤジの胡散臭いお宝を盗むのよ」

「待て! それはただの犯罪だろうが!!」

「大丈夫よ。盗んだ後、ちゃんと返せば」

 けろっとした様子で言うアリアにジーンは頭を抱えた。どうしてこんなことになったんだ、とジーンは頭を抱えながら思っていると、アリアはびしっとジーンに向かって指を指した。

「勝負よ、兄さん! これで兄さんが勝ったら私が料理できないことを認めて、今後は一切料理に関与しないわ。でも、兄さんが負けたら、私に謝ってちょうだい!」

「いや、謝るのはいくらでも……」

「意味ないわよ、そんなの! とーもーかーく、明日の夜十時、決行よ!」

 こうなってしまったら、もう誰の止めも聞かないアリア。ジーンは出そうな涙を抑える代わりに、大きく息を吐いたのだった。

 

***

 

 時刻は午後九時。場所はゴーディアの住む豪邸。

「ったく、ふざけおって……あの小娘といい、あの男といい……私をバカにしおって」

 そう言って、ゴーディアはワイングラスに入っているワインを一気に呑みこんだ。その時、ゴーディアの執事らしき男が慌ててゴーディアの部屋に入ってきた。

「大変です、旦那さま! 旦那さまの宝に、予告状が!!」

 その言葉を聞いた瞬間、ゴーディアはワインを噴出した。げほげほと咳き込んだ後、ゴーディアは部屋に入ってきた執事の胸倉を掴んだ。

「何だと?! どういうことか、説明しろ!!」

「はっ、はいぃ!」

 泣きそうな顔をしながら執事はゴーディアに促されるまま説明をした。

 予告状は二枚。ナイトメア名義のものと、テール名義のものである。盗むと予告した物は『最高の秘宝』としか記されていない。

「『最高の秘宝』だと?」

「旦那さま、まさかあの……」

 執事が小さく呟くと、ゴーディアははっと目を大きく見開いた。

「ふ、ふざけるな! あの宝のことは誰も知りはしないはずだ!」

「し、しかし、旦那さまの『最高の秘宝』と言ったらやはり、あの宝しかないのでは……」

「……くっ」

 どこであの宝のことが漏れてしまったのだろうか。ゴーディアは小さく舌うちをして、それから部屋を飛び出た。後ろで執事が呼び止めていたが、そんなものを気にせずにゴーディアは走る。そして、屋敷の一番奥にある部屋に入り、重い扉の金庫を開いた。

「これは、盗まれる訳にはいかん……!」

 呟くゴーディアの額には玉のような汗がべっとりとついていて、瞳はおろおろと震えていた。

 

***

 

 時刻は午後十一時。場所は警察署。

「くっそ……ナイトメアも空気読んで予告状出せって話だ」

「仕方ありません。彼らが出すタイミングなんて、我々には把握でき無いのですから」

 あくび混じりに言うロジャーに対して、ナタリヤは冷静に返す。それでもロジャーはまだ不満なのか、不機嫌そうな顔をして大げさにあくびをする。

「先輩、ナタリヤさん、情報入りました!」

「あー、ご苦労さん」

 慌しく部屋に入ってきたカズヤに対してもロジャーは気だるそうに返事をした。そんなロジャーの様子に疑問を持ちながらも、カズヤは予告状の情報を伝えた。

「今回の予告状は二枚。ナイトメアと、テール・クロスそれぞれからです。目的のものはゴーディア・ジョフィアーズ氏の『最高の秘宝』ということです」

「『最高の秘宝』? それで、ゴーディア氏は何か知っているの?」

「どうやら知っているようですが……」

「が?」

 語尾の濁ったような言い方にロジャーが顔を上げてカズヤを見る。ナタリヤも首をかしげながらカズヤを見ると、わかりやすいぐらい続きが言いにくそうな顔をしている。引きつった苦笑いを浮かべるカズヤは持っている書類を読み上げた。

「ゴーディア氏本人が何も言わないんです。その、狙われている『最高の秘宝』が一体どんなものなのか」

「ったく、あのオヤジ……こういうときだけ口閉じやがって……」

 ロジャーは大きく、呆れたように息を吐く。ため息混じりに「だからあのオヤジと関わるのは嫌だったんだよ……」などとぶつぶつ文句を垂らしていた。

「先輩、そうは言ってもどうしようもありません。カズヤ、ゴーディア氏は警備を要請している?」

「はい。『厳重な警備ぐらい、警察の技術を持てばいくらでもできるだろうが。金ならいくらでも払ってやる』とのことです」

「まんまあのオヤジの台詞をいうな、カズヤ……」

 はぁぁぁぁ、と腹のそこから大きなため息を吐いたロジャーを見て、カズヤは疑問に思った。

「あの、先輩はどうしてそんなにゴーディア氏を毛嫌いしていらっしゃるのですか?」

「……ああ、そうだよな。お前、こっち来てあのオヤジに関わってないんだよな」

「なるほど、だからカズヤはそうも平気なのね」

 ロジャーの言葉にナタリヤが納得したように頷いた。どうやら、ナタリヤもゴーディアに対して何か嫌悪を抱いているらしい。

「ええっと……噂だけは聞いたことはあるのですが……。そんなに、ひどいんですか?」

「ひどいも何も。あの成金オヤジ、性格も捻くれやがって、面倒なことこの上ない」

「些細なことで人にけちをつけるのが得意なのよ。あと、女を変な目で見てくるし」

「う、うわぁ……」

 普段ならロジャーを制止するような立場であるナタリヤでさえ文句を言うのだから、よっぽどの人間なのだろう。カズヤは苦笑いを浮かべてそう言うしかできなかった。よくある成金オヤジの典型的な例である。

 気づいたらゴーディアに対しての文句の言い合いになっていたロジャーとナタリヤだったが、ナタリヤが思い出したかのように話を切り替えた。

「しかし、警備を要請されたにはこちらも出向かわなければ」

「ああ……。そうだ、カズヤ。お前、あのオヤジのそばに居ろよ」

「ええ?! 僕がですか?!」

 ロジャーに指名されてしまったカズヤは大きな声を上げる。助けを求めるようにナタリヤを見るが、ナタリヤもうんうんと強く頷いている。

「カズヤ、頑張って」

「そんなぁ、ひどいですよナタリヤさん!」

「もしかしたら俺たちがそう思っているだけであって、あのオヤジだっていい奴かもしれねぇしな」

「先輩、全然説得力ありません!」

 カズヤが強く叫ぶと、いつの間にかロジャーが目の前に立っていて、ぽんぽんとカズヤの肩を叩いた。

「ま、お前なら何とかなる。任せるぞ」

「ひどいですよぉ……」

 泣きそうなカズヤの声は、空しく部屋に響いたのだった。

 

***

 

 翌日。時刻は午後一時。場所はゴーディア邸。

「貴様のような刑事が、私につくだと?」

「はぁ、はい……」

 誰か一人、刑事を自分のそばに置くように。そう言ったが、実際に来た刑事、カズヤがやけに頼りなさそうな青年だったので、ゴーディアは鼻で大きく息を吐いた。

「いや、自分もナイトメア関係の事件には多く携わっていますし、ご安心」

「何がご安心だ。ったく、金は払うと言ったのに……」

 ゴーディアはカズヤに背を向けてぶつぶつと文句を零し始めた。だから自分がするのは嫌だったのに、とカズヤは小さく息を吐いた。

 一方の外では、着々と警備の準備が行われていた。

「いいかー、とりあえずねずみ一匹入れないようにしとけー」

「……先輩、もう少しやる気を出したほうがよいかと」

「正直今日は乗り切れないな。どうせ、あいつの宝とか言うのも対した物じゃないだろ」

「しかし、ナイトメアからの予告状が来ていますし」

 ナタリヤがどう言おうとも、今日のロジャーはやる気を出すつもりがないらしい。ナイトメアという単語を出しても気だるそうな顔をしているロジャーを見て、ナタリヤはシルヴァのことを思い出した。

「そういえば、今日はシルヴァくんがいないようですが」

「ああ、呼ばなかった。面倒だったからな」

 と、ロジャーはあっさりと言ってしまった。あまりにもあっさりと言ってしまったので、ナタリヤは一瞬聞き逃しそうになった。

「呼んでない?」

「どうしたナタリー?」

「いえ……てっきり、すぐに連絡したのかと」

「面倒だろ、わざわざ呼ぶのも」

「ふざけんなよ、このバカ刑事」

 その時、ロジャーの後ろから声がした。そこにはちょうど話題の人物、シルヴァが明らかに苛立ったような笑みを浮かべて立っている。その手には新聞紙が握り締められていて、そこで初めてナイトメアの予告状の存在をしったらしい。

「あら、シルヴァくん」

「あら、じゃねぇよナタリヤ。お前もお前で、なんで何にもしてねぇんだよ」

「私は先輩が連絡してくれたのかと思っていたのよ。今までもそうだったし」

「じゃあ、なんで連絡しなかったんだよロジャー」

 そう言ってシルヴァがやる気のないロジャーに詰め寄ると、ロジャーは大きく息を吐き出した。

「お前、誰に予告状が来たか知ってんのか?」

「あ?」

 どうやら、知らないらしい。新聞の一面は『ナイトメアの予告状、来る!』とだけでかでかと書かれているので、シルヴァはその文面だけ見て、ロジャーの所に来たらしい。

「誰って……」

「ここ、どこだかわかってる?」

 ナタリヤの問いを聞いて、シルヴァは視線をロジャーから少し上に向けた。

「……あの成金オヤジの家?」

 予告状の文面だけ見て、警備している家を探して来たらしいシルヴァは、ゴーディアの邸宅を見て引きつった顔を浮かべた。

「そういう事だ」

「だけどなあ、お前、やる気なさすぎるぞ」

「うっせぇな。誰もやる気なんて出やしねぇよ」

 ロジャーの言う通り、警備をしている警官たちの顔にもいまいちやる気が感じられない。

「……こんなのが警察でいいのか?」

「警備してやってるだけありがたいと思え。こんな紙、配られたらな」

 ロジャーは一枚の紙をシルヴァに渡した。そこに記されているのは屋敷内の警備システムが配置されている場所とそのシステムの性能のよさについて、そして『せいぜい頑張りたまえ、警察の諸君。君らの出来がよければ、金はいくらでも払ってやる』の一言である。

「うわぁー……」

「丁寧に警備担当者に一枚一枚配りやがってたぜ」

「貰った瞬間、帰ろうかと思ったわ」

 ロジャーに便乗するようにナタリヤも言う。警官たちのやる気が見当たらない理由が、はっきりとわかった。納得したシルヴァはロジャーたちに背を向けて歩き始めようとした。

「じゃあ、俺は帰るかな……」

「待ちやがれシルヴァ。テメェ、ここまで来て『帰る』はねぇだろう?」

 がし、とロジャーがシルヴァの腕を掴む。さらにはナタリヤがシルヴァの括られている髪を引っ張った。

「いって?!」

「いいじゃない、シルヴァくん。頑張ればお金が入るらしいわよ」

「ふざけんな! お前らがやる気出してない中、誰がやるか!」

「少しでもお金を貰って、ユメリアに給料の一つでも払ったらどうなの?」

「あいつは、勝手に来てるだけだろうが!!」

 シルヴァが叫ぶが、ナタリヤはにっこりと微笑んだままシルヴァの髪を引っ張り続けている。ロジャーも不気味な笑みでシルヴァの腕をぎりぎりと握り始めた。

「ロジャー、てめ、本気で人の腕を握るな!」

「いいじゃねぇか、お前から来たんだろう? 好きにしても許すからよぉ」

「いだだだだだだ」

「こう言うときこそ、名探偵の腕が鳴るってものじゃないかしら?」

「むしろ名探偵の腕が折れる!! 放せお前ら!!」

 泣き叫ぶようにシルヴァが言うと、二人の力はさらに加わった。

「なら、どうする?」

「わかった! 警備に協力すりゃいいんだろ?!」

「素直でよろしい」

 ナタリヤが言ったと同時に、ロジャーもナタリヤも手を離した。バランスを崩してこけそうになったシルヴァは、ロジャーに握られた部分をがしがしとさすった。

「お前ら、本当に刑事かよ……」

「こうでもしてなきゃ、刑事なんてやってらんねぇよ」

 シルヴァのぼやきにロジャーは、はん、と鼻で笑いながら言い捨てた。

 

 

 

 

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