05
それから数日後。
「……日に日に、大変なことになっていますね」
「まー、フリジアさん直々の訓練って、大変じゃないことがないからなあ」
カフェテラスで、テーブルに突っ伏して完全に沈黙しているミリーネを見ながら、ルースとデュオが苦い笑みを浮かべていた。
「それで、ルースの方はどうなんだ?」
「私ですか? 私は今までと変わらず、と言いますか……」
「それはよかったわね……」
突っ伏していたミリーネが、まるで腹の底から出すような低い声でルースの言葉に反応した。びくり、と肩を震わせるルースとは対照的に、デュオは「おお」と楽しそうな声を上げる。
「おはよう、ミリーネ。機嫌はどうだ?」
「ただでさえ訓練で疲れてるっていうのに、あんたの声を聞いて最悪よデュオ……」
まるで二日酔いで潰れたみたいだな、とのん気に考えながらデュオはミリーネの頭をがしがしと乱暴に撫でた。
「フリジアさんの訓練は最初さえ乗り越えれば後は楽だ。ここまで耐えれるなら、余裕余裕」
「その根拠は何よ……」
「ん? 経験談」
デュオが手を離しながら言うと、ようやくミリーネが顔を上げた。その表情は、デュオの言葉が信じられない、と言うようなもの。ミリーネの反応にデュオはにやりとした笑みを浮かべた。
「言っとくけど、俺だってあの人の部下なんだからな? それも直属の部下。これがどういう事かわかるか?」
「……あんたって、意外とすごい人なんだ」
「意外って……」
ミリーネの疲れ切った声に、ルースがささやかなツッコミを入れる。それからデュオは、そこに一人足りないことに気づき、「ん?」と声を上げた。
「そういえば、リュウは?」
「それが、この頃見かけなくて……」
デュオの疑問に答えたのは、苦い表情を浮かべたルースだった。
「見かけない?」
「はい……。実習に全然出てこなくて……。その、物騒な噂を聞いたんですけど」
「物騒な噂?」
ルースの口から出てきた単語を、デュオは疑問符多めに繰り返した。
「甘い!!」
怒声が響くのは、第一隊の特別訓練室。しかしそこは、先日デュオとリュウが使用した場所とは別のものだった。先日使用した部屋は魔術訓練に対応したものであるが、そこは体術訓練に用いられる――言わば学校の体育館のような場所である。
そして、そこにいるのは。
「調子乗ってんじゃねえぞ、クレイジー・ブラック!!」
怒声、何かが床に倒れる音、何かが床に叩きつけられるような音、荒い呼吸。
「んだよ……期待してたのに、この程度か、テメェ」
不機嫌そうな表情を露わにしながら相手を睨む、第一隊所属魔術士レン・リコーリス。第一隊に入隊して間もない彼であるが、学生時代から鍛えられている体力は第一隊の中でも上位に位置しており、戦闘センスはずば抜けている『脅威の新人』とも言われている。
そんなレンと訓練室にいたのは、床に倒れこみ荒い呼吸をしているリュウ。額にたまった汗を手で拭い、レンを睨んでいた。
「何だ、その目は」
「……まだだ」
「あぁ?」
「まだ、やれる」
立ち上がりながら、リュウはレンに向かって言う。レンは立ち上がったリュウを見て、口元に小さな笑みを浮かべる。
「へえ。噂になるぐらいなんだから、もうちょっと俺を楽しませろよ」
にい、と歯を見せて笑うレンを、リュウは睨む。そして、リュウは勢いよく、レンに向かって走り出した
真っ直ぐに走ってくるリュウの動きを読むことは簡単だった。自分の目の前に向かってくる相手を、真正面から殴る。レンがすることは、ただそれだけのはずだった。
レンの視界から、リュウが消えた。
「……何」
言葉は、続かなかった。気配を感じて横を見れば、強い衝撃が腹部に加わった。
「ぐあっ?!」
衝撃のまま、倒れこみそうになったレンだったが、何とか足に力を加えて踏ん張った。しかし、想像以上の力の加わり方に、レンは驚きを隠せなかった。
「……っ、テメェ」
目の前にいる、自分より小柄な少年から出されたとは思えないような力にレンは苦い笑みを浮かべる。一方、レンに一撃を加えたリュウはいつの間にか息を整えており、腹を押さえているレンを冷たい目で見ていた。
「一体、何した」
「話は聞いてたけど、……この程度か」
ぽつり、と零されたリュウの言葉に、レンの目がはっと、大きく開かれた。
「……テメェ、今、何て言った?」
「この程度か、第一隊の『驚異の新人』ってヤツは」
「いい度胸してんな、テメェ!!」
レンは怒声を上げる。が、その表情は声と不釣り合いな、楽しそうな笑みだった。
「……おいおい、物騒な噂って、マジかよ」
そんなリュウとレンの様子を、特別訓練室の外からデュオはそっと見ていた。
ルースから聞いた『物騒な噂』。それは、特別訓練室であの『驚異の新人』と呼ばれるレンとリュウが戦っているというものだった。魔術士と学生が手合せ、というのは、実習担当者や担当者に頼まれた者がすることはよくある話だった。しかし、今回の場合はリュウが自らレンに――それも、『驚異の新人』という噂を聞いたうえで、頼んでしたことだと言う。
「それにしたって……」
一度手を合わせたデュオでも、目の前で繰り広げられている様子に絶句していた。新人と言っても、実戦経験もあり身体能力がずば抜けているレン。彼を相手に倒れず、そして一撃を食らわせた学生など存在するはずがないと思っていた。一切魔術を使えない特別訓練室の中でも、リュウの動きは通常の人間と違うように、デュオには感じられた。
その違いが何か、デュオはようやく理解した。
「……あいつ、何考えてるんだ」
小さく息を吐き出し、デュオは特別訓練室に入る。
「おい、レン!」
デュオが呼ぶと、レンとリュウの動きが同時にぴたりと止まった。レンがデュオに向けた視線は、明らかな殺気が含まれていた。
「……何すか、班長」
レンはデュオの姿を認めると、視線から殺気を消した。一方のデュオはまだ引きつった表情を浮かべている。
「あのな、上司に対して今の目はないだろ。俺を殺す気か、お前」
「別にあんたには興味ないです」
「……本当にお前いい度胸してるな。っていうか、お前書類放り出して、何、学生いじめしてんだよ」
「こいつが手合せしろって言ってきたんで付き合ってやっただけです」
ふてぶてしい態度の部下に、デュオは苦い笑みを浮かべる。
「あのなあ、お前優先順位ってわかってるか? っていうかお前の書類毎回雑なんだよ。フリジアさんに出して怒られる俺の身にもなりやがれ。ほら、書き直し」
「……はい」
レンは不機嫌そうに返事をして、訓練室を出た。そんなレンの背中を軽く手を振りながら見送った後、デュオはリュウの方に視線を向けた。
「で? お前は何であいつに手合せ頼んだわけ?」
「……お前には関係ない」
「はあ……。どうして俺の周りには上に対する態度がなってないやつばっかりなわけ?」
呆れのため息を吐き出しながら、デュオはリュウの元へ歩き、目の前に立った。先ほどまでの笑みを消し、デュオはリュウに尋ねた。
「……お前、どういうつもりだ?」
「何が」
「お前の戦い方の違和感が、やっとわかった。お前、自分がどうなってもいい、って思ってるだろ」
デュオの指摘に、リュウの眉がわずかに動いた。
「前の俺と戦った時も、さっきのレンと戦ってた時も、お前の防御はやけに弱かった。肉を断って骨を断つ? とかそんなレベルじゃねえだろ、お前」
リュウは無言だった。無言で、デュオを睨んでいる。
「そのままだと、お前、死ぬぞ」
軽い脅しのつもりだった。デュオはこれでリュウが引くと思っていた。しかし、
「別に構わない」
その返答を聞いたデュオははっと目を開いた。考えるよりも先に、手が、リュウの服の襟首を掴んで自分の元に引き寄せていた。
「ふざけんな!!!」
目の前でデュオに怒鳴られていても、リュウは表情を一切変えていない。その変化のなさに、さらにデュオの怒りが湧く。
「何が、別に構わないだ!! テメェ、何考えて魔術使ってんだよ!!」
「復讐だ」
熱を帯びていたデュオの頬が、冷える。それほど、冷たい言葉を、リュウは吐き捨てた。
「……復讐?」
「俺は、あの女を殺さないといけない。そのための力だ」
「…………ああ、そうかよ」
デュオはリュウから手を離した。
「お前にとっての魔術って、そんなものか」
「……何?」
デュオの問いかけに、リュウは表情を歪ませた。それを見たデュオは、口元に薄い笑みを浮かべる。
「テメェの魔術で、俺に勝ってみろよ、リュウ・フジカズ。そのテメェのふざけた魔術で」
「何だと」
「そんなふざけた理由で管理局に入ろうって言うなら、俺が全力で潰してやる。覚悟しておけ」
そう言って、デュオは特別訓練室を出た。一人残るリュウは、去ってゆくデュオから目を、逸らした。