04

 

「はい、おしまい」

 目を閉じて待っていたミリーネに、セイレンが声をかける。ゆっくりと目を開くと、満面の笑みを浮かべたセイレンの姿が目の前にあった。起き上がって、自分の身体を一通り見た後、ミリーネはセイレンに尋ねる。

「……あの、私、大丈夫ですか?」

「それは、私に何かされてないかって意味で?」

「えっ、いや、そういうわけではなくっ」

 慌てて否定するミリーネを見て、セイレンは楽しそうにくすくすと笑う。

「安心しなさい。あなたの魔力波動は安定してるし、異常は見られなかったわ。ついでに、私も何もしてないわよ」

「……よかったです」

「それはいいとして。やっぱりあなた、アイテム変えてみない?」

 突然のセイレンの言葉に、ミリーネは「へ?」と間抜けな声を上げた。

「前からね、フリジアが言ってたのよ。あなたの魔力波動のパターンとか、センスって言うのかしら? そういうのから考えたら、あなたはロッド使うよりもストーンの方が良いって」

「あの、ちょっと待ってください! 私、ストーン魔術なんて使ったことないです!」

「だから今から訓練するのだろう」

 ミリーネの慌てた声に答えたのはセイレンではなかった。背後から聞こえた声に、ミリーネはびくりと肩を震わせ、ゆっくりと後ろを見る。

「……ふっ、フリジア先生……」

 鋭い黄金の瞳で見下す、フリジア。ミリーネの頬に、心地のよくない汗がつっと落ちた。

「私も銃型ロッドを使っているが、これもストーン魔術の応用だ。だが、いきなり応用を教えたところでお前は使えないだろう」

「は、はあ……」

「そこで」

 フリジアは手の中にあった何かを、ミリーネに向かって投げた。一瞬反応に遅れたミリーネだったが、何とかフリジアが投げて来た物を受け取ることができた。

「……これって」

 ミリーネの手の中にあるのは、指輪。緑のストーンがついた金色のもので、よく見ると指輪部分に魔術コードが彫られている。

「調整は完了しているな?」

「もちろん、ばっちりよ」

「では、実践だ」

「……はい?」

 フリジアとセイレンが会話を交わした後、突然話を振られたミリーネはまた間抜けな声を上げた。

「ストーン魔術、基礎ぐらいは知っているな」

「えっと、座学で少しだけですが……」

「なら、その復習だ。来い」

 そう言って、フリジアはミリーネに背を向けて、検査室を出た。しばらく、フリジアの言葉の意味が理解できず呆然としていたミリーネだったが、

「…………はあ?!」

 フリジアの姿が完全に見えなくなったとき、ようやくそんな声を上げて、慌ててフリジアの後を追いかけたのであった。

 

 サイレンの音が、響いた。

「……ったく」

 その音を聞いた途端、デュオは全身の力が抜けたかのようにその場に座り込んだ。それを見ていたリュウも、壁に寄り掛かって呼吸を整えようとしている。

「お前、何な訳? ありえねえだろ、その身体能力」

「……」

 デュオの呆れたような問いかけに対しても、リュウは一切答えない。またこんな感じかよ、と思いながらデュオは大きく息を吐き出し、天井を見上げた。

「何が楽しくて、お前、一人でやってんだ?」

 それは、デュオがリュウを見ていていつも感じていたことだった。今までと違う問いに気付いたリュウが、わずかに顔を上げ、デュオを見る。

「一人で勝手に動くこと全部が悪いとは思わねえけどさ、その分、自分がきつくなるだけだぞ」

「……俺は、別に」

「きつくない人間が、そんなひっでぇ顔してるか?」

 天井を見ていたデュオが顔を下ろし、リュウを見た。デュオの表情は疲れ切ったものの中にも、真っ直ぐとリュウを見つめる真剣みが含まれていた。

「将来ここで働くっていうなら、そんな顔してるとフリジアさんにぶっ飛ばされるぞ」

「何言って……」

「わかってんだろ? お前、あの人がどんな人かぐらい。それに、お前にあれだけ言ってくれるのはフリジアさんしかいねえよ。そうだろ、“狂った黒”」

 デュオの口から出た、自分の不名誉な名に、リュウは表情をゆがめた。しかし、表情をゆがめた理由はそれだけではない。リュウの顔を見ていたデュオはそんな確信を持ちながら小さな笑みを浮かべた。

[気が済んだかしら、マイマスター?]

 しばらく続いた沈黙の空気の中に、リコーの呆れたような声が響く。それと同時に、デュオの足元に、白い猫が現れた。

「へいへい、満足しましたともマイバディ。で、結局どっちが勝った?」

[ダメージ二ポイント差で、あなたの勝ちよ]

 リコーの言葉に、デュオの顔に引きつった表情が張り付いた。勝った、というもののわずか二ポイントの差しかない。学生相手に本気になった上に、接戦となると後から上司にどんな文句を言われるか、デュオは想像したくなかった。

 そんな時だった。

「終わったか、デュオ」

「ふっ、フリジアさん?!」

 突然聞こえてきた声に、デュオはびくりと肩を震わせる。そして、ゆっくりと背後を見ると、座り込んでいるデュオを黄金の瞳で見下しているフリジアと、その後ろからこっそりと顔を覗かせているミリーネがいた。ミリーネにまでもあの様を見られたか、とデュオは苦笑いを浮かべながらフリジアに「ど、どうも」とぎこちなく声をかけた。

「……二ポイント」

 ぽつり、とフリジアが零した言葉に、デュオの背筋がぴんと張った。

「学生相手に、それだけの差とは、な」

「……すみません」

 それ以外に何と言えるだろうか。デュオは項垂れながら小さく謝罪の言葉を述べた。フリジアはそんなデュオを放置して、リュウの目の前に立った。

「デュオ相手に二ポイント差か」

「……はい」

 ようやく呼吸が落ち着いたリュウは壁から身を離し、真っ直ぐに立った。

「まあ、悪くない成績だ。だが、次はどうすればあの男に勝てると思う?」

「……次は負けません」

「よく言うぜ……」

 はは、と乾いた笑いを浮かべるデュオだったが、言葉は本人が思っている以上に深刻な色を帯びていた。いつ、リュウに追い抜かれてもおかしくない、という不安がにじみ出ている。

「簡単にこの男に勝てるいい方法を教えてやろうか」

 フリジアの発言に、リュウは少しだけ、目を大きく開いた。黒い瞳の中には、期待のようなものが含まれていた。

「ミリーネ、ルースと協力すること、だ」

「……は?」

 返事をしたのはリュウ――ではなく、先ほどまでフリジアがいたデュオのそばで立っている、ミリーネだった。

「ふ、フリジア先生? 今、何て」

「実習初日に言ったはずだ。私に二度、同じことを言わせるな、と」

 聞きかえしたミリーネに対し、フリジアの黄金の瞳が鋭く向けられる。もちろんそんな視線を受けたミリーネに平然な様子があるはずもなく、「すっ、すみません」と震える声で返事をするのが精一杯という状態になっていた。フリジアはミリーネの隣にいるデュオを一瞥した後、再びリュウを見た。

「……俺一人で十分です」

「それなら何故、今回勝てなかった?」

「それは……」

 自分一人では勝てないことを、リュウは解っていた。解っていたが、誰かに頼ることなど、リュウは出来ないと感じていた。

「答えは今出せなくても良い。来週、もう一度お前に、こいつと戦うチャンスを与えてやる。それまで、好きに訓練でもしていろ」

「……マジっすか」

 フリジアの提案に苦笑を浮かべながら声を上げたのはこいつ、ことデュオであった。

「……もう、一度」

 リュウは小さく零して、視線だけをちらりとデュオに向けた。その視線を感じたのか、デュオはリュウの方に顔を向けてにやりとした笑みを浮かべた。

「ま、次はもうちょっと差をつけて勝ってやるけどな?」

「……」

 デュオの言葉に、リュウはわずかに眉間に皺を刻み、それから顔ごとデュオから視線を逸らした。

「では、ミリーネ。お前の特訓をする」

「……はい」

 フリジアに言われ、ミリーネは諦めたような弱々しい声で返事をした。

 

 

 

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