15

 

 

 再び、リュウの姿が消える。泪は魔力波動を読み取り、リュウの出現する方――傷のある右側に身体を向けた。すぐ目の前に、黒い魔法陣が現れていた。

「甘いわよ、龍」

 泪は左手を魔法陣に向けて魔術を展開させようとした。が、

「甘いのはお前だ」

 背後から聞こえてきた声に、泪の目がはっと開かれる。まさか、と首をわずかに後ろに向けかけた泪だったが、それ以上後ろを見ることは、できなかった。

「ぐぁっ?!」

 腹部に感じる急激な圧迫感と激痛。がら空きになっていた左の脇腹に、リュウの膝蹴りが入っていた。ごっ、という鈍い音を身体の奥で感じた泪は表情を苦痛に歪める。

 左の脇腹を押さえながら、何とか倒れるのを堪えた泪だったが、呼吸をするだけでも随分身体が痛むことに気付いた。

「……何を……したのかしら……?」

 ぜい、ぜいと荒く呼吸をする泪を見るリュウの目は、冷たい。黒という色を超えた、冷たい色の瞳は泪を機械的に見つめている。そして、淡々とした口調でリュウは泪の問いに答えた。

「魔力波動を打ち込んだだけだ。魔法使いの身体でも、それなりの痛みがあるはずだろう」

「お決まりの呪文を言わなくても、それぐらいはできるって言うの? 本当に、貴方ってすごい子ね……」

「……」

 リュウはふ、と小さく息を吐き出した。

 そういえば、いつから自分は魔術を展開し続けているのだろうか。黒い鎌に視線を向けると、いつの間にかそれはロッドという形を失い、黒い魔力波動で覆われた――禍々しい鎌となっていた。

「……そうだな」

 口元に、笑みが浮かぶ。何が楽しいのか、リュウにはわからない。薄ら笑いを浮かべながら、リュウは鎌を握る手に力を込めた。

「お前にとっての幸せが、人と同じ時間の中で死ぬことなんだろ?」

 一歩、一歩とリュウは泪に向かって歩く。それを見た泪が逃げようと一歩足を後ろに引いたが、足が動かなかった。

「……なっ?!」

 泪の足元にいつの間にか魔法陣が展開され、その足を黒い影のような帯が縛り付けて固定していた。泪は魔術を展開させようとするが、発動させる直後に打ち消されてしまう。鎌に強力な魔力を纏わせ、泪を縛りながら、その泪の魔術を打ち消す――普通の魔導士では到底できることではない。

「なら、俺の生きる時間の中で、」

 目の前に迫るリュウを、泪はただ見つめるしかできなかった。目を大きく開いて、目の前の光景を焼き付けるように見る表情は――あの時、リュウが見たヒスイの姿とよく似ていた。

「――――お前が死ね」

 鎌を振るうリュウ。泪は抵抗をやめ、穏やかな笑みを浮かべた。泪の身体に鎌が、

 

「魔術展開」

 

 その場に新たに生じたのは、少女の声と、刃が結界とぶつかって弾き返される甲高い音だった。

「……」

 どさり、と言う音がして泪の身体が地面に落ちた。リュウは倒れた泪の姿を一瞥した後、視線を別の方向に向けた。

「……どういうつもりだ、ビィ」

 リュウの視線の先にいたのは、リュウと泪に向かって両手を出し、魔術を展開していたビィ。ビィが手を下ろすと、泪の身体に生じていた結界がふっと消えた。泪の目はしっかりと閉ざされている。

「私は、マスターの命令に了解していません」

「……何?」

 紅い瞳を真っ直ぐにリュウに向けるビィ。薄暗い雨の中でもビィの瞳が輝いて見えるのは、魔鉱石で作られた偽物の瞳であるからか、それとも。

「マスター。貴方の魔術は、何のためにあるのですか」

「……俺の、魔術」

 それは、何処かで問われた質問。深い眠りの中で、聞こえてきた声と、同じもの。

「貴方は私に、誰かを傷つけるために魔術を使うなと仰いました。貴方は、魔術は誰かを傷つけるためのものではないと仰いました。では、貴方の魔術は? 貴方の魔術は、何のためにあるのですか?」

 ビィは、早口で尋ねる。雨で濡れたビィの頬に、雫が落ちる。

「貴方の魔術は、誰かを傷つけるためのものではない!!」

 はっと、リュウの両目が開かれる。

「俺は……」

 からん、と音がして、魔力波動を失った鎌――ロッドが地面に落ちた。リュウの視線は、地に落ちた、力を失ったロッドに向けられる。

「……俺は、何をしていたんだろうな」

 自嘲するような小さな言葉を零したリュウは、ゆっくりと目を閉じて息を吐き出した。それから顔を上げて、ビィを見る。

「ありがとう、ビィ。悪かった」

「問題ありません、マスター」

 いつもと変わらぬビィの返事を聞いて、リュウはようやく安堵の表情を浮かべた。そして、地面に倒れている泪の元に近寄り、通信魔術を展開させた。

「こちら、第三隊リュウ・フジカズ。人形使い……ルイ・ツブラギを確保した」

 

 

 

 

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