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「――魔術展開」

 リュウは唱えると同時に、走り始めた。足元に展開された魔術によりリュウは跳躍し、泪の距離との距離を一気に縮めた。

「いらっしゃい、龍」

 待っていた、と言うように泪はリュウの胸にめがけて手を向ける。黒い魔法陣は、リュウの胸元で展開される。

「早く終わりそうで、安心したわ」

「それはどうだろうな」

 リュウは屈み、泪の腹に鎌の柄頭を強く当てた。想定していなかった攻撃だったのか、泪は防御できず、リュウの力のままに後ろへふらついた。

「馬鹿ね、龍……。そのまま、私を斬っていれば良かったのに……」

「……お前を斬ったところで、何が残るんだ」

 咳き込みながら苦しげに言う泪に、リュウは視線を落とす。黒い鎌の刃は、雨に濡れて雫を落としていた。

「お前を斬っても、意味がない。俺は、お前を止めたいだけだ」

「……止めたいのなら、殺しに来る覚悟ぐらいないと、ね?」

 瞬間、泪の姿が消えた。リュウははっと顔を上げて、泪の魔力波動を探そうとした。が、

「じゃないと私が貴方を殺すわよ?」

 背筋に走る冷たい何かを感じたリュウは、左足を一歩前に出して振り向きながらその場から退こうとした。が、それよりも先に、脇腹に熱い感覚が伝わる方が早かった。

「うっ……?!」

 足の力が弱まり、リュウの身体が大きくふらつく。

「あら、かすっただけ? もうちょっと奥まで入ると思ったんだけど」

 かすむリュウの視界に入ってきたのは、赤いスーツの、粒泪。その右手には、リュウが持っている物と似たような黒い鎌が握られている。鎌の刃から滴る雫は、鈍い赤色。

「……ふざけやがって……」

「ふざけてなんていないわ。私はいつでも真剣だもの」

 楽しそうな言葉、笑う泪。しかし、目には、感情が映し出されていない。混沌とした瞳の奥、彼女は一体何を見つめているのか――リュウには理解できなかった。

「……魔術展開……!!」

 絞り出すような声でリュウが唱えると、泪の前後左右に黒い魔法陣が現れる。リュウは脇腹を手で押さえながら鎌を泪に向けた。

「束縛!!」

 黒い魔法陣からいくつもの鎖が泪に向かって放たれる。しかし、泪は逃げようとせず、そのまま鎖に縛られた。

「……また同じことされるなんて。ああ、つまらないわ」

 ぎり、ぎり、と鈍い音を立てて鎖が揺れる。

「ねえ、龍? 貴方、これで本気なつもりなの?」

 リュウが展開した魔法陣に、亀裂が走り始める。鎌を泪に向けるリュウの手が、小さく震えはじめた。

「期待外れよ、リュウ」

 亀裂が大きくなり、完全に魔法陣を割く。ガラスが割れるようなけたたましい音が、雨の音と重なる。

「……魔術展開!!」

 泪に向かって再び魔法陣を展開するリュウ。泪はにやりと笑い、リュウに向かって跳躍する。

「それで防げると思っているのかしら?」

 泪は魔法陣の前まで来ると、回し蹴りの体勢に入る。身体を思うように動かせないリュウは、その場から逃げられず、胸の前で腕を組むしかできなかった。

「馬鹿ね」

 泪の足が、魔法陣を破り、リュウの腕に直撃する。泪の全身の力が加わった蹴りは、リュウの身体を容易く飛ばすことができた。

「ぐあぁっ?!」

 悲鳴のような声を上げて、リュウは地面に叩きつけられる。雨で出来た水溜りに、リュウの脇腹から流れる血が混ざって鈍い色を作り出した。

「……姉さんも、同じような顔をしていたわ」

 濡れた地を歩く音が、一歩ずつ、リュウに近づく。泪は小さく息を吐き出し、リュウを見下していた。

「私が幸せを教えてあげたって言うのに、私を全部否定するような顔をしていたの。私は……姉さんを思っていただけなのに」

「……違う」

 リュウは右手にある黒い鎌を握る。その動作を、泪は感情を灯さない瞳で静かに見ていた。

「お前の幸せと、母さんの幸せは違う……当たり前のことだ……」

 鎌を地面に突き立て、それを支えにリュウは立ち上がる。

「……お前が、全てを否定されたように……お前も他人の幸せを否定しているだけだ……」

「何を言っているの? 私は、本当の幸せを教えただけよ」

 泪は髪をかき上げて、リュウを睨む。

「何も悪くない」

 泪の口から出る言葉は、焦りを含んだものだった。

「私は正しいことをしている」

 リュウは地面から鎌を引き抜き、ふらつきながらも真っ直ぐに立った。

「私は何も悪くない。私は正しい。私と同じようになって欲しくない。私のような苦しみを味わってほしくない。ただそれだけよ」

 早口に言う泪の表情に、揺らぎが見えた。それは泪から出る魔力波動のせいなのか、それとも――。一通り言い終えた後、泪の口元に再び笑みが浮かぶ。

「……そう、私は正しいの」

 雨は降り続けている。リュウは腹部の痛みを感じながらも、鎌を握り直した。

「だからね、愚かだったのは姉さんだったのよ? 私の忠告を無視したから」

 笑みを浮かべる泪の口から、言葉が放たれる。

「――あんなみっともない姿になったのよ」

 泪の視界から、リュウの姿が消えた。

 

「魔術展開」

 

 低い声は、獣の唸り声とよく似ていた。泪が背後を見たとき、そこには泪に向かって鎌を振るうリュウの姿があった。

「そう……」

 泪は右手に魔法陣を展開させてリュウに向ける。そこから勢いよく、いくつもの矢が放たれるがリュウは一切避けない。服が裂けようとも、皮膚に傷が入ろうとも、リュウは泪に向かうのをやめなかった。まるで痛覚を完全に無視した行動だった。

「やっと、本気を出してくれたのね……龍!!」

 リュウの振るう鎌の軌道を読み取った泪は転送魔術を発動させてその場から姿を消す。すぐにリュウの背後を取り、魔法陣を展開させる。このまま胸まで貫けば、と泪が思った直後だった。

「……え」

 リュウの姿が、消えた。雨の滴が減ったのを感じ、泪は顔を上げた。

「なっ?!」

 上空に魔法陣を展開させ、そこから泪に向かって落ちてくるリュウ。大きく振るわれた鎌には、先ほどまでの躊躇いは含まれていなかった。泪は両手を上に向け、結界を展開させる。刃と結界がぶつかり合い、雨の音にもかき消されない、大きな音が響いた。

「そう……っ」

 泪が展開した結界に、ぴしぴしとひびが入る。結界を展開している泪の手が震えはじめた。

「くっ……!」

 泪は結界を解き、その場から跳躍して後退する。しかしリュウが振るった鎌は確実に泪の身体を捕らえていた。

 地面を滑る音がした後、ようやく泪は動きを止めた。それからそっと自分の右肩に手を当てて、傷の深さを確認する。雨粒が当たる傷口は、絶え間なく痛みを与え続けた。

「なるほど……」

 そして泪は顔を上げ、肩に当てていた手をゆっくりと離し、その手についた血を舐める。自分の前方に立つリュウは、視線を泪に向けることなく、黒い鎌を翳した。黒い刃から滴る雫は、先ほどまでとは違う色を呈している。

「……粒泪」

 ぽつり、と呟くリュウの声は、異様に低い。それを聞いた泪の口元に、笑みが深まる。

「俺は、お前を」

 

「許さない」

 

 

 

 

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