11
久しぶりに、こんなにゆっくり眠れたかもしれない。
デュオとミリーネがブリッジに戻り、しばらくリュウは眠りについていた。ここまで穏やかな気持ちで寝るのは、随分久しぶりのような気がして、リュウは深い眠りに入り込んでいた。
――龍
静止した水面に、一滴の水が落ちる感覚。
――ねえ、貴方ならわかってくれるでしょう?
頭の中に響く声を聞いた途端、背中に悪寒が走る。
「……粒、泪」
暗闇の中、リュウは声の方に向かって言った。掠れた声は、沈黙を続ける暗闇の中に響く。
――私はただ、姉さんに解って欲しかっただけなのよ
何度も何度も頭の中で反芻した声。しかし、いつもと違う、今まで聞いたことのない言葉に、リュウは違和感を覚えていた。
――どうして、解ってくれないのかしら
――どうして、止められないのかしら
――ねえ、龍。貴方なら
――貴方なら――――
「――――っ!」
リュウははっと目を開いて飛び起きた。
「どうされましたか、マスター」
ベッドのそばに座っていたビィがリュウの様子に気づき、声をかける。リュウは額から汗を垂らしながら、小さく息を吐き出した。
「いや……今、あの女が……」
その時だった。
「フリジア!!」
悲鳴のような男の声が、病室の外に響く。リュウとビィは、病室の扉に同時に視線を向けた。
「今の声……」
まさか、と言いながらリュウは病室の扉を開けて、廊下を見る。そこには、ストレッチャーに乗せられて運ばれる誰かと、それを追いかけるクロウドやレン、第一隊の魔導士たちの姿があった。乗せられているのが誰か、などは、言われなくても理解できた。
「……フリジア、さん」
がらがらがらがら、車輪の回る音が廊下に大きく響く。リュウの不安げな言葉も、車輪の音に、かき消された。
「マスター」
リュウの背中に向かって、ビィが声をかけた。
「行かれるのですか」
感情の含まれないその声の意図は、リュウを止めるためなのか。
「……ああ」
扉を静かに閉め、リュウは頷いた。
先ほど暗闇の中で聞こえてきた泪の言葉。
――貴方なら――――
その続きの言葉を頭の中で反芻させながら、リュウは壁に掛けてあった自分の黒いコートに袖を通した。
「俺が、行かないといけない」
小さく呟きながら、首にネックレスをかけて、扉の前に立つ。その隣から、小さな足音が聞こえた。
「……ビィ」
「私も行きます」
隣に立つビィは、紅い瞳を真っ直ぐにリュウに向ける。止められる、と思っていたリュウにとって、ビィのその発言は予想外のものだった。
「私は、マスターを守るために存在します。今度こそ、必ず、貴方を守ります」
感情は灯されていないはずの言葉に、強い意志を感じたリュウはふっと口に笑みを浮かべた。静かに扉を開け、外に向かって、廊下を歩く。
「リュウ」
リュウとビィの背後から、声がかけられる。振り向くと、そこには険しい表情を浮かべている、セイレンの姿があった。
「……どういうつもり?」
「俺は、行きます。粒泪の、ところに」
「あなた、自分の状態が解っているの?」
セイレンは怒り交じりの早口に言いながら、リュウの元に向かう。目の前で立ち止まり、眼鏡の位置を直しながら、セイレンは言葉を続ける。眼鏡の向こう側の視線は、リュウを貫くように、鋭い。
「これ以上感情的に魔術を使ったら、自分がどうなるかぐらい、解っているんじゃないの?」
「……」
セイレンの言葉に、何も言えなくなるリュウ。それを見たセイレンは、一つ大きな息を吐き出して、言葉を続けた。
「魔力の暴走」
それは、魔道管理局に所属する魔術士、魔導士、そして魔法使いの誰もが恐れている事態。魔力の制限を無視して魔術を展開させれば、いずれは魔力に飲み込まれて身を滅ぼす。そんな当たり前のことは、誰でも――リュウも知っていることだった。しかし、それを改めて言うセイレンの表情は、至って真剣なものだった。
「……解っています」
「なら、ルイ・ツブラギの所に行かせるわけにはいかない」
「けれど、粒泪を、止めたいんです」
リュウの発言に、セイレンは驚きの表情を浮かべた。
「……止める?」
「……後の責任はすべて取ります。だから、行かせてください。必ず、粒泪を止めます」
怒りに任せているわけでもない。ただ、純粋に――止めたいと思っている。リュウの表情を見ていたセイレンは何か言いたげに視線を逸らしたが、リュウを引き留めるだけの言葉を思いつかなかった。
「――必ず、戻って来い」
その時、第三者の声がリュウの耳に届いた。声がした方――先ほどまでリュウたちが進もうとしていた方向を見ると、デュオの姿があった。いつもと変わらぬ、口元に小さな笑みを浮かべたデュオ。
「もう一度言う。必ず戻って来い。これは、命令だ」
いつか言われたことのある言葉に、リュウもつられたように口元に笑みを作っていた。
「ああ」
デュオに頷きながら返事をして、すれ違うようにしてリュウは外へ向かって歩む。その一歩後ろを歩くビィがデュオの横を通り過ぎた。かつ、かつ、と二人が外に向かって歩く音が遠のいてゆく。
「行かせて、よかったの?」
足音が完全に聞こえなくなった頃、ようやくセイレンがデュオに尋ねた。尋ねられたデュオの方は、顔を俯かせて表情を隠していた。
「……行かせるしかできませんでした。これが例え司令官として適切でない判断だとしても、俺は、あいつを行かせます」
「根拠は」
「――信じていますから」
ようやく顔を上げたデュオが、はっきりと言った。
「あいつは、自分のすべきことをする。そんな顔をしてました。だから、俺は、それを信じます」
穏やかで、しかし確信を持った笑みを浮かべているデュオ。その姿を見て、セイレンはそれ以上追及することを、諦めた。
「……全く、無茶ばっかりするんだから」
外の雨は、まだ止んでいない。わずかに強まった雨の中を、リュウとビィは、傘も差さずに歩いていた。
「……マスター」
「ああ」
異変に気付いたビィの言葉に、リュウは頷いて足を止めた。リュウの前方の地面に、黒い魔法陣が展開される。
「来たか」
ばり、ばりばり、と電流が通るような音がリュウの耳に届いた。魔法陣の上に、少しずつ黒い影が生じ、少しずつ人の形となる。黒い長髪、赤いスーツ。その姿は、間違いなく、
「粒泪」
リュウが名前を呼ぶと、泪は口の端をわずかに上げた。
「龍。やっぱり、来てくれたのね」
「……ああ」
リュウは真っ直ぐに泪を見つめて頷く。ロッドを握っている手に、より力が加わった。
「お前を、止めに来た」
「止める? それって、どういう意味かしら」
「……こんなことをして、何になるって言うんだ」
「こんなこと?」
リュウの言葉に、泪の笑みが、歪んだ。
「貴方は、私が何をしていると思っているの、龍?」
「ただの、人殺しだ」
「違うわ。私はね、みんなに教えてあげているの。正しい道を」
くすくす、くすくすと泪は笑う。笑っているのに、まるで感情は含まれていない。まるで、人形の様だ、とリュウは感じた。
「正しい道、だと?」
「みんな、解っていないのよ。魔法使いが人間と結ばれても、不幸を呼ぶだけだって」
「……どういう意味だ、それは」
自分の両親を否定するような泪の言葉に、リュウの表情が歪む。
「そうね……貴方にも、話してあげましょう、龍」
雨の中、泪の声ははっきりと、リュウの耳に届いていた。