08
一方、救護室。
「ビィ、あなたも休んだ方がいいんじゃないの?」
治療を終えたリュウの様子を見に来たセイレンは、リュウのベッドの横に椅子を置いて座っているビィに声をかけた。ビィはセイレンの言葉に、小さく首を振る。
「いえ。私は、マスターのそばにいます」
「でも」
ビィも先ほどの戦闘で魔力を消費し、その上リュウの治療においても治癒魔術を長時間発動させていた。かなりの魔力を消費をしているはずだ、とセイレンは心配の声をかけた。
「私は、ここにいます」
セイレンの方を向かず、じっとリュウを見つめながらビィは言った。頑なにリュウのそばに居続けるビィの姿を見て、これ以上言っても無駄だと感じたセイレンは小さく息を吐き出した。
「……わかったわ。リュウのこと、任せたわよ」
「了解しました」
ビィが頷いたのを見て、セイレンは部屋を出る。
「……あら」
部屋を出てすぐそばにあるベンチに座っている姿を見て、セイレンは小さな声を上げた。
「あっ、あの」
そこにいたのは、リュウの教え子であるロード、サイル、エコの三人。リュウの病室から出てきたセイレンを見て駆け寄ってきたロードが、ためらいがちにセイレンに声をかけた。三人とも、見て取れるほどの不安げな表情を浮かべている。それを見て、セイレンは小さく微笑んだ。
「どうしたのかしら?」
「……リュウ先生の、容態は……」
不安をまとった声で、ロードは小さく尋ねる。ロードの両隣に立つサイルとエコも、眉をゆがめてセイレンを見ている。
「受付で、リュウ先生の部屋の番号は教えてもらったけど、面会はできないって言われて……容態も、教えてもらえなくて……」
「……そうね」
学生たちの痛々しいほどの視線を受けたセイレンは、三人から少し視線をそらして、一つ息を吐いた。
「心肺機能は正常に戻ったし、外傷もほぼ治癒している。魔力波動の乱れもごくわずかしか見られていない」
「じゃあ……!」
「でも、リュウは目覚めていないわ」
期待を込めたサイルの言葉を遮るように、セイレンははっきりと言った。
「詳しくは言えないけれど、リュウは精神的に大きなショックを受けている。それが少なからずとも影響しているはずよ」
「あの」
その時、ロードが先ほどより少しだけ大きな声で、尋ねた。
「リュウ先生に、昔、何があったんですか……?」
「……え?」
想像していなかったロードの問いに、セイレンははっと目を開いてロードを見た。
「どうして、そんなことを?」
「ビィさんが、言っていたんです。リュウ先生は、悪い夢を見ている……それが、『嫌な記憶』とつながっているって」
「……そう」
ビィ――ドールがそこまでしてリュウ――マスターのことを知ろうとしている。一般的なドールの行動からかけ離れているその行動の意味は、セイレンにはわからなかった。
「あなた達も聞いたことのある事件に関連していることよ。ただ、私の口からは説明できない。これは、リュウの心に関わる話だから」
「リュウ先生の、心……」
「……心配してくれてありがとう。でも、ここは関係者以外立ち入り出来ないわ。それに、学生は今、自宅待機中でしょう? 外に出ていたら、ミリーネに怒られるわよ」
いつもと同じようにふっと笑いながら、セイレンは学生三人に言う。そして、それ以上は何も言わずにその場を去った。
「ロード、帰ろう」
去ってゆくセイレンを見つめていたエコが、ロードに言う。しかしロードは、じっとリュウの病室の扉を見つめていた。
「……リュウさん……」
そして、ロードが見つめる病室の中。ビィはじっと眠ったままのリュウの姿を見ていた。
「マスター」
ビィの声に、答える誰かはいない。本来答えてくれるはずのリュウは、しっかりと目を閉ざしてしまっている。
「マスター、申し訳ありません。マスターを、守りきれず」
――自分の安全ぐらい、自分で守れるんだよ!!
「私は、貴方を守るために存在しています」
――お前の魔術で人を傷つけるな……
「マスター、私は、どうすればいいのでしょうか」
――お前の欲望のためだけに魔術を使った、だと? そんなことのために魔術は、ドールはあるわけじゃない
「マスター」
ビィは毛布からはみ出していたリュウの手を取り、両手でそっと包んだ。
「それでは、貴方の魔術は何のためにあるのですか?」
「お母さん!」
少年が呼ぶと、母親は裁縫をしていた手を止めて、少年の方を見る。微笑む顔は、優しく、温かく、少年はそれを見るのが、大好きだった。
「どうしたの?」
「あのね、お姉ちゃんがほしいの!」
少年の言葉に、母親は「え?」と聞きかえした。それから持っていた裁縫道具をテーブルに置き、少年と目を合わせるようにしゃがむ。
「お姉ちゃんが欲しいの? 妹じゃなくって?」
「うん、お姉ちゃん! 友達のお姉ちゃんがかわいくってやさしいから、ぼくもお姉ちゃんがほしいの!」
「そうなの」
確かにほかにきょうだいがいないのも寂しいのかもしれない。そう思いながら、母親は少年の黒い髪を優しく撫でる。少年は嬉しそうに笑い、そしてまた母親を見上げる。
「ねえお母さん、お姉ちゃんってどうすればできるの?」
「うーん……お姉ちゃんは難しいかもしれないわね」
「えー」
「でもそうね……一つだけ、方法があるかもしれないわ」
「方法? どうするの?」
くす、と笑う母親の顔は少女のようだった。少年の頭から手を放し、母親は人差し指を立て、口元に当てる。
「それはね、内緒。本当にお姉ちゃんが出来たときに、わかるわ」
それから半年後、母親――ヒスイ・フジカズは、死んだ。少年――リュウ・フジカズの目の前で。
目の前は、真っ暗だった。
「ここは……」
リュウが小さく呟いた声は、ひどく反響して自分の耳に届いた。反響のせいか、声がやけに弱々しい。
「……違う」
反響のせいなどではない。握る手も、地を踏む足も、頼りなく震えている。よく見ると、それは自分のものと言うには、あまりにも小さい手だった。
「――龍」
優しく呼ぶ声。それは、リュウがずっと聞いていた声。
「……母さん」
声の方を見ると、穏やかに微笑んでいる母――ヒスイの姿があった。いつも見慣れていたはずの母の姿なのに、リュウは何故か、恐怖を覚えていた。この続きは見たくない、と、本能が叫んでいた。
「母さん!」
そこから逃げてくれ、と言いたかった。しかし、その言葉より、ヒスイの背後に魔法陣が現れ、黒い光がヒスイの体を貫くのが、先だった。
「あ……ああっ……!!」
ゆっくり、ゆっくりと、ヒスイの体が傾き、暗闇に包まれた地に落ちる。
「……誰も、わかってくれないのよ」
その声は、リュウが一番聞きたくないと、しかし今一番聞かなければならないと思っているもの。
「私はずっと、何度も何度も言ってきたのに」
倒れたヒスイの代わりにそこに立っていたのは、粒泪。
「姉さんはわかっていないのよ。魔法使いと人間が結ばれて幸せになれるはずがない。生きる時間が違いすぎるの、私たちと人間は」
泪の言葉は、淡々としていた。感情の込められていない、台詞を読んでいるだけのようなもの。
「……私は忠告したのよ、ずっと。これが、幸せの形だって」
ヒスイの身体を見下しながら、泪は言った。
「貴方ならわかってくれるでしょう?」
「違う……」
リュウは、泪の言葉を否定する。
「違う、こんなことのために魔術はない……! 誰かを傷つけるためのものじゃない……!!」
――リュウ。魔術はね、優しい力なのよ
それは、リュウが幼いころ、ヒスイがずっと言っていた言葉だった。
――強いけれど、それを自分勝手に使ってはいけない。誰かを傷つけるために使ってはいけないの
ヒスイの言葉こそ、リュウが魔術を使うときの信念。
「俺は」
先ほどまで弱々しかった声が、はっきりと通る。手も、足も、震えは収まっている。
「俺は、お前を許さない」
母が大切にしていた魔術を、汚した、お前を。
目の前にいる泪を、リュウは睨む。その瞳に含まれている感情はただ、一つだけ。
――それでは、貴方の魔術は何のためにあるのですか?
その時、誰かの声が、リュウの耳に入ってきた。
「……この、声は」