四十六

 

 

 煙の中から出てきた亜華音は、目の前の状況に一瞬驚きの表情を浮かべた。

 自分に対して攻撃をしていたはずの美鳥が、涙を流して膝をついている。亜華音の姿を認めた瞬間、乾いた笑みを浮かべる。

「美鳥……?」

「亜華音……無事、だったんだ」

 美鳥の頬に伝う涙を見て、亜華音は表情をふっと緩めた。

「うん、私は」

 亜華音が口を開いた瞬間、ひゅん、という鋭い音が聞こえた。頬にわずかな痛みが生じた、と思って触れると傷ができていた。

「……え?」

 亜華音が美鳥を見ると、美鳥は俯いていた。地面についた手には、緑色に光るナイフが握られている。

「何で……倒れないのよ」

 震える、美鳥の声。震える、美鳥の手。

「なんであんたは倒れないのよ!!」

 顔を上げて悲鳴のように叫ぶ美鳥は、再び涙を流していた。眉間の皺は深く、眉は歪んでいる。

「あたしは、変わりたいのに……! あの時と同じようになりたくないのに!! なのに、何で?! 何であんたはそこに立ってるのよ!!」

「美鳥、何を……」

「どうしてあたしじゃダメなの……?! ねえ、何であんたなのよ!!」

 発せられる言葉は、美鳥の本心。それを、言葉を受けている亜華音は感じていた。

「あたしは変わるはずだったの……。先輩のために、何でもできるあたしになったはずだったの……なのに、何で亜華音が欲しいって、何であんたがそんなに求められるのよ! 何であんたを倒さなくっちゃいけないのよ?!」

 ナナコを愛する感情と、亜華音を大切に思う感情。そして、かつて希色という大切な親友を傷つけた罪悪感。

 どれも美鳥の本心だった。偽りのない美鳥の本音を聞いた亜華音は表情を変えぬまま美鳥の前に立った。それに気付いた美鳥は、きっと亜華音を睨む。

「……何よ」

「美鳥、ごめん」

「何が……」

「私、全然知らなかった。美鳥が、そんな風に悩んでたこと。全然気付けなかった。気付けなくて、ごめん」

 そう言うと、亜華音は深く礼をした。それから身体を起こし、亜華音は「でもね……」と言葉を続けようとしたが、その前に大きく息を吸った。そして、

「何で言わなかったのよ?! 苦しいとか、わかんないとか、何でとか、思ってること、どうして言ってくれなかったの?! いっつも美鳥は人のことバカバカ言うけど、そういう事言わない人だって十分バカだと思うんだけど!!」

 一気に言葉を美鳥に向けて発した。美鳥は目を大きく開き、「あっ、あの」と途中で言葉を入れようとしたが、亜華音の言葉は勢いが強く、隙間がなかった。

「大体、ナナコ先輩が私を倒せって美鳥に頼むのも変な話だよ! そんなに私を倒したいなら美鳥じゃなくってナナコ先輩自分から来ればいいだけの話じゃん! それなのに美鳥に頼むなんておかしい!! それでも美鳥が倒すって言うなら私だって戦うもん! 例え美鳥が相手だとしても……」

 そこでようやく、亜華音の勢いが弱まる。最後の方はどこか弱々しく、消え入りそうな声だった。

「……亜華音」

「前、透さんに言われたの。戦うなら、ためらいを捨てろって」

――ぶつかるならためらうな。戦うのなら迷いを捨てろ。お前の覚悟は、その程度で揺れるものなのか

 それは、亜華音にとって戦いを決心するきっかけとなった言葉だった。

「私は、ただ時雨さんを守りたいと思う一人の人間として戦うの。一年の千条亜華音でも、どこの組織に所属していない千条亜華音でも、美鳥の友人の千条亜華音でもない」

「……一人の、人間」

 美鳥は小さな掠れた声で呟く。それを聞き、亜華音は苦い笑みを浮かべた。

「美鳥と戦うの、私も本当は嫌だよ。でもね、美鳥がナナコ先輩のために……大好きな人のために戦うって言うなら、私も守りたいって思う人のために全力で戦わないといけないと思う」

 単純な理由で戦う亜華音を見て、美鳥はいつの間にか顔の筋肉にかけていた力を弱めていた。

「そう、か」

 自分は、何を迷っていたのだろう。美鳥がそう思ったとき、亜華音は美鳥の前に立ち、右手を差し出していた。

「美鳥、立てる?」

「……うん」

 亜華音の手を掴み、美鳥は立ち上がる。久しぶりに立ち上がったせいか、美鳥の身体がふら、と傾く。そのまま、亜華音の身体に寄りかかる。

「大丈夫、みど」

 

 亜華音は、美鳥の名前を呼び終えられなかった。腹部に感じた痛みは、ひどく、鋭い。

 

「……バカはあんただよ、亜華音」

 美鳥と入れ替わるように、今度は亜華音が地面に膝をついてしゃがみこんだ。突然の痛みに混乱する亜華音は、落ちつこうと荒い呼吸をする。が、それで痛みが引くわけもない。痛みの中、意識がもうろうとし始める。

 それは、いつかナナコが美鳥に言った光景と同じようなものだった。

――簡単な話だよ。

 キミが亜華音くんをアカツキに呼んで『ごめんね、もう戦うのはやめよう』と言う。

 亜華音くんが許したその瞬間に、亜華音くんの胸をキミのナイフで貫けばいい。

アカツキの傷はここでは残らない。

 

それでキミが時雨を倒すチャンスはできる

 

「バカね、亜華音。あたしは、あんたみたいに単純な理由で戦ってないの。あんたはただ時雨のために戦うって言ってるけどね、あたしはそうじゃない。あたしは、ナナコ先輩のためだけじゃなくて、あたし自身のために戦ってるのよ」

 地面に俯いてしゃがみこんでいる亜華音を、美鳥は鼻で笑いながら見下す。その光景は、美鳥の胸の中に秘められたあの光景と酷似していた。しかし、美鳥はいつも抱いていた気持ちの悪い感覚を忘れていた。

「わかったの、亜華音。あんたを消すことは、あたしにとっての、答えだって」

 痛みの中にいる亜華音に聞き返す声は出せない。肩を揺らし、亜華音は呼吸をするので必死になっていた。ゆっくりと、亜華音は顔をあげる。

「……美、鳥」

 亜華音の視界の中に入った、ナイフを亜華音に向けて振り上げている美鳥の表情は、

 

 

 

 

  

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