四十四

 

 

 亜華音は、目の前にいる美鳥を見つめていた。

 荒い呼吸をして、時雨を、そして亜華音を睨んでいる美鳥。その姿に、亜華音の表情は険しいものとなる。

「亜華音、どうして」

「時雨さん、下がっていてください」

 背後にいた時雨に声をかけられた亜華音は、時雨のほうを見ないまま早口で言った。亜華音の気迫に押された時雨は、何も言えぬまま後ろに下がった。

「亜華音、来たんだ」

 呼吸を落ちつかせた美鳥が、乱れた髪を手で整えながら亜華音に声をかけた。

「……美鳥が止めろって言ったから」

「誰が止めろって言ったのよ。あたしは、止められるならって前提をつけたでしょ」

「嘘だ」

 亜華音はじっと美鳥を見つめたまま、はっきりと美鳥の言葉を否定した。亜華音の今まで聞いたことのないような口調に、美鳥はびくりとわずかに肩を震わせた。

「美鳥は、止めてほしかったんでしょ。もしも止めてほしくないなら、いつ時雨さんを襲うかなんて、言うはずない」

 美鳥の手が、震える。抑えようと手を握るが、それでも震えは止まらない。それを隠すように、美鳥はにやりと笑いながら亜華音に言った。

「何言ってるのよ、亜華音。あんた、そこまでバカなわけ?」

「美鳥よりは、マシだと思ってる」

 ぴくり、と美鳥の眉が動く。怒りをあらわにする美鳥に対し、亜華音は眉間に皺を寄せて真剣な表情を浮かべたままだった。

「ねえ、何でこんなことしてるの、美鳥」

「何で……? あんた、何でそんなこと聞くの?」

「わかんないからだよ。美鳥が何でこんなことしてるのか」

 亜華音は、剣を下ろしたまま。美鳥はナイフを出して強く握り締めた。

 時雨に向けたときになかったためらいが、亜華音に対しては生じていた。

「あたしは、ナナコ先輩のために時雨を倒すの。時雨を倒して、アカツキを手に入れる。それがナナコ先輩の願いだから」

 乾いた笑いを浮かべながら言う美鳥に、亜華音は違和感を抱いていた。

――助けて

 再び、亜華音には美鳥の声が聞こえた。 

「美鳥、何で」

 その時、亜華音はようやく違和感の原因がわかった。

「何で、そんなに苦しそうなの?」

「……え」

 問われた美鳥は、驚いたように目を大きく開いた。

「ナナコ先輩のため、って言ってるときの美鳥、苦しそうだよ」

 美鳥の中にある何かの糸が、ぷつりと切れた。

「黙れ!!」

 美鳥は持っていたナイフを亜華音に向かって放った。一つだったナイフは一気に数を増やし、まるで横殴りの雨のように亜華音に降りかかってきた。どん、どんどんどん、とナイフが地面にぶつかる音が連続して響き、亜華音の周囲は土煙に隠れた。

「はっ……はは……ははは……」

 荒い呼吸をしながら、美鳥は笑っていた。それから腰が抜けたかのように美鳥は地面に座り込んだ。地面に手をつき、俯いて美鳥は呼吸をする。

「ははっ……、あ……、ああっ……」

 美鳥の目に、涙が溜まる。表情は笑っているはずなのに、涙はぼろぼろとこぼれる。そんな自分の状態に気付いていない美鳥は、ただ荒い呼吸を続けて中途半端な声を上げるだけだった。

――これでよかったはずなのに

――ナナコ先輩のためになるはずなのに

『亜華音を倒せ』と言ったナナコの姿を思い出し、そしていつも自分に優しく微笑みかけるナナコの姿を思い出して安堵を感じていた美鳥は呼吸を落ち着かせる。笑みは先程より強まり、それに比例するように涙の量も増した。

――これでよかったはずなのに?

 直後、美鳥の脳裏に浮かんでいたナナコの姿は消え、次に映り出たのは

「希色……!」

 

――美鳥、どうして

 

「あああああああああああああっ!!!」

 美鳥は頭を抱え、叫ぶ。

 先程までの安堵は完全に消え去り、その代わりに大きな絶望感が美鳥を襲った。まるで冷水を浴びたかのような悪寒が全身を駆け巡り、目の前が歪んで、視覚が機能しなくなる。頭の中に、いつも美鳥の中にあるあの瞬間が何度も何度もフラッシュバックする。

 女子生徒に囲まれた一人の少女。囲む女子生徒の中にいる自分。床に膝をついて冷たい視線を浴びる少女の味方のはずだった自分。しかし、その関係はたった一言、そしてそれに対する自分の返答で崩れ去った。

「あたし、あたしが……っ、あたしが……!!」

「……美鳥」

 美鳥の耳に回想ではない、現実の声が届いた。ゆっくりと顔をあげ、土煙の上がっているほうを見る。うっすらと、影が見えた。

 両手に黄色く光る剣を握っている亜華音が、煙の中から現れる。

「あ……、亜華音……」

 美鳥の口から、掠れた声が漏れた。

 

 

 

 

  

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