三十九

 

 何度も、同じ光景を見る。

 

「ねえ、そう思うよね、佐木さん?」

 名前を呼ばれて、びくりと肩を震わせる。本当は否定したい気持ちでいっぱいのはずなのに、目の前の少女を見ると、否定することができなくなってしまった。

「あ、あたし……は」

 視線を床に向ける。そこには、美鳥のよく知る人物が、床に落ちた筆箱を拾おうとしていた。あえて美鳥やその周りにいる少女たちに視線を向けないようにしているのか、ずっと床を見て、散らばったペンを拾っている。

「ねえ、気持ち悪いと思わない? わざわざ、持ち物を全部同じ色で統一するなんて」

「そうそう。そんなに自分の名前大好きなの、って思っちゃうよねー」

 あはははは、と不快な笑い声が上がる。しかし、それでも彼女は笑い声を気にしないようにひたすらペンを拾い、筆箱の中に入れた。黄色い筆箱は、美鳥がよく知っているもの。

「ねえ、佐木さんもそう思わない?」

 笑いながら、美鳥に問うその目は、笑っていない。

 答えなければ、今度は、自分が。

「……そう、だね」

 美鳥は視線をそらし、逃げるように答えた。しかし、視界の端で彼女が動いたのが見えた。視線を少しだけ戻すと、

 

 大きく目を開き、困惑しているような表情を浮かべる彼女の姿。

 

「美鳥、どうして」

 

 彼女の掠れた声は、美鳥の耳にはっきりと届いた。

 

 今までずっと一緒にいたのに、初めて見たその表情に、初めて聞いたその声に、美鳥は言葉を失った。

「だよねー、あははは」

「本当にウケるよねー」

「どういう思考してるかわかんないよねー」

 あはは、あはは、と少女たちの笑い声がぐるぐると巡る。しかし、美鳥は全く笑えなかった。体の心からすっと冷えてしまったようで、まるで動けない。気持ちの悪い汗が、首の後ろからつっと落ちてゆくのを感じた。

――あたしは、なんてことをしてしまったんだ

 そのとき、美鳥の隣に立っていた少女がそっと近づき、耳元で囁いた。

「大丈夫。あんたは助けてあげるよ、佐木、さん?」

 ぞっと、全身に鳥肌が立った。それと同時に、ほっと安堵している自分もいた。

――あたしは、なんてことをしてしまったんだ

 

「……うっ」

 目覚めると、そこは薄暗い自室。美鳥は額に手を当てて、大きく息を吐き出した。

「……あたし、何してるんだろ」

 昨日、アカツキを出た後逃げるように自室に入った。それから食事も摂らずにベッドに倒れこんだままだった。あれからまたアカツキに行って時雨を襲撃しても良かったのだが、気力を完全に無くしてしまった。何より、また亜華音と会うのが嫌だった。

 美鳥はゆっくりと起き上がり、カーテンを開いた。外は曇っていて、朝日が差し込む隙間もない。時計を見て、ホームルームまであと三十分ほどになっていることを確認した。そのとき、扉が叩かれる音が響いた。

「美鳥、学校遅れるよー? 早く出てこーい」

 いつもと変わらない、亜華音の声。

「こーらー、遅刻するぞー」

 昨日まで向かい合って戦っていたとは思えないほど、明るく元気な声。きっと、亜華音はいつか美鳥が言っていた言葉を信じているのだろう。しかし、今の美鳥はそれに答えられない。

「……あたし、は」

――あたしは、あの時と違う

「ねえ、美鳥」

 扉の向こうから聞こえる亜華音の声が、少しだけ弱々しいものになる。

「私、は……美鳥と戦いたくない、と思ってるよ」

 美鳥は言葉を返さない。それでも、いつ聞こえなくなってもおかしくない様な小さな声に耳を傾けていた。

「だから、お願いだから、時雨さんを傷つけないで」

「あんたは、バカだよ」

 それは扉の向こうに向けた言葉だった。しかし、扉の向こうの亜華音には、聞こえていない。その声のトーンのまま美鳥は言葉を続けた。

「そうやって、自分だけ綺麗なままでいようと思ってんの? ふざけないで」

――綺麗なままでいたいのは、自分だと言うのに

「……先に行くね、美鳥」

 かつ、かつ、と廊下を歩く音が遠のく。完全に音が聞こえなくなった途端、美鳥はベッドに倒れこんだ。

 

「えー、ホームルームを始める。……ん? 佐木はどうした?」

 誰もいない中央あたりの席。そこに本来座っているはずの美鳥は、いない。晶子がきょろきょろと確認していると、亜華音がすっと手を挙げて言った。

「声はかけたんですけど、反応なくって……もしかしたら、寝込んでるのかもしれません」

「返事なし、か……。連絡はきていないから、まだ寝ているのかもしれないな。まあ、あとで確認するとしよう。それでは連絡事項を――」

 ホームルームが終わると、亜華音のもとに柚季と小春がやってきた。

「どうしたのよ、美鳥?」

「わかんないけど……返事なくって」

「昨日から様子変だったもんね……」

「もしかして、サボり?」

「なんか、美鳥ならしそうかも」

 柚季と小春の言葉に、亜華音がはっと目を開いた。二人が何気なく発した言葉が、いつもと違うように聞こえた。

「……亜華音、どうしたの?」

 何も言わない亜華音に、小春が不思議そうに声をかける。亜華音は顔をあげて、二人の顔を見た。

「どうして、そう思うの?」

「え?」

「美鳥なら、サボりそう、って。どうして、かなって……」

 苦笑いを浮かべながら亜華音が言うと、小春と柚季は顔をあわせて首を傾げた。ちょうど、授業開始のチャイムが鳴った。

 

 

  

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