第三十七章
美鳥が投げたナイフを、時雨は自分の持つ黒い剣ではじき返す。すぐに美鳥が居たほうを向くが、そこに姿は無い。
「……」
「これで終わりよ!!」
上方から声がした。時雨が上を向くと、美鳥が時雨に向かってナイフを投げる体勢になっていた。時雨は剣を構えたが、それより先に美鳥の手からナイフが放たれた。
どん、どんどんどん、とテンポよく爆発するような大きな音が響く。あたりに土煙が生じて、視界が悪くなった。美鳥は着地して、あたりを見渡す。人影は無く、時雨が倒れたと判断して、にやりと勝ち誇った笑みを浮かべた。
「時雨、アカツキはレッドムーンが貰うわよ」
「……なら、貴女は何が欲しいの?」
聞こえてきた声に、美鳥ははっと目を開いた。少しずつ薄くなる土煙から、人影がうっすらと現れる。
「時雨……」
「レッドムーンがアカツキを手に入れたとして、貴女は何が欲しいのかしら、美鳥」
時雨は、倒れていなかった。平然とした表情で経っている時雨を見て、美鳥はぐっと奥歯を食いしばった。苛立った様子の美鳥に対して、時雨は冷静で落ち着いている。
「……どういう意味よ、それは」
「貴女がしていることは、どれもナナコのためのように思えるわ。貴女の決意、というものは無いのかしら」
「……あたしの、決意?」
その言葉に、美鳥は眉をぴくりと動かした。一瞬苦い表情をしたが、すぐに真っ直ぐな視線を時雨に向けた。
「あたしの決意は、今、こうすることよ」
美鳥は再びナイフを握った。ゆっくりと腕を上げて、刃先を時雨に向ける。
「ナナコ先輩のために動くこと。それが、あたしの決意。あんたに否定される理由なんて、何も無いわ」
時雨はふっと微笑む。
「貴女のその真っ直ぐな視線、すごく素敵だと思うわ」
「褒めていただきどうも、ありがとう。そのついでに、あたしに倒されてくれると嬉しいわ」
ナイフを構え、美鳥は走り出す。時雨は動かず、美鳥が来るのを待っているようだった。
「消えなさい、時雨!!」
叫ぶと同時に、美鳥はナイフを投げつけた。一本のナイフは時雨に近づくにつれて数を増す。それを目の当たりにしても、時雨は動かなかった。
「これで、終わりよ!」
美鳥の声と同時に、周囲に再び土煙が舞った。
「諦めなさいよ、時雨! あんたがレッドムーンにつけば、それでいいのよ!」
煙の中で、美鳥は時雨が先ほどまでいた方向に向かって叫ぶ。しかし、そこからの反応はない。
ほっとしたのと同時に、何か心に冷たいものを感じた。美鳥は、俯いて小さく息を吐き出す。
「……、これで、いい……。これで……」
「時雨さん!!」
そのとき聞こえた声に、美鳥は顔をあげてはっと目を見開いた。そして、美鳥は時雨がいた方向に走り出す。右手に、緑色に光るナイフを握った。
「っ、何で……!」
土煙の中、美鳥は走る。少しずつ、人影が見えてくる。
「何で、何でなの……!」
泣きそうな声で、苦しげに呟く。美鳥は、目をぎゅっと閉じた。
――あの頃と、何も変わらない
「時雨!! あんたを終わらせてやるわよ!!」
ナイフを振り上げて美鳥は叫ぶ。そのままナイフを人影に向かって下ろそうとした、が、
響くのは金属と金属のぶつかり合う音。
美鳥は手に、強い衝撃を感じていた。表情は、奥歯をぐっと食いしばったような苦しげなものになる。
「……美鳥、どうして」
土煙が少しずつ薄くなる。はっきりし始める視界の中で、美鳥は黄色い光を認識した。
「亜華音」
そこに立っていたのは、亜華音。黄色く光る剣を二本、両手にしっかりと握りながら美鳥をじっと見つめている。
「美鳥、どうして、なの」
「……何が」
「何って、……どうして、時雨さん、を?」
亜華音の後ろには、膝をついて倒れるように座っている時雨の姿があった。美鳥はそれを見て、鼻で笑った。
「決まってるじゃない。時雨を倒すの。レッドムーンに来てもらうために」
「時雨さんは、どこにも属さないって」
「亜華音。あんたも聞いたことあるでしょ? ナナコ先輩の言葉」
亜華音は表情を曇らせる。美鳥の言いたい言葉は、わかっていた。
「欲しいものを手に入れるためには、強引な手だって必要になる。今のは、強引な手ってことよ」
「そんなのおかしいよ」
はっきりと否定する亜華音。美鳥は、胸のあたりがぎゅっと苦しくなったのを感じた。
「強引に手に入れるって、傷つけて手に入れるって、おかしいよ。相手を傷つけて手に入れたって、それは本当に手に入れたって言えないよ」
「あんたに……」
あんたに、何がわかる。
零れ出ていた言葉を抑えるように、美鳥はぐっと拳を握った。
「……美鳥、私と美鳥は友だちだよね」
しかし、その言葉で美鳥の拳の力はふっと弱まった。胸にあった苦しさもふっと消えて、何故か体が軽くなった気がした。
「だから、わかって欲しい。時雨さんが私の大切な人で、守りたい人だってこと」
「……なら、教えてあげる」
すう、と息を吸って美鳥は言葉を吐き出す。声色は怒りであり、憎しみであり、嫉妬であった。
「あたしにとって大切な人は、ナナコ先輩。ナナコ先輩が求めるもののために、あたしは動く。あたしがここにいる理由は、ナナコ先輩のため」
「美鳥……」
震える亜華音の瞳を見た瞬間、美鳥の記憶の中にいた人物の顔が生じた。
何度忘れようと思っても、何度目を閉じても、その瞳だけは忘れられなかった。
「――きいろ」
「え?」
美鳥の口から零れた言葉は、わずかに亜華音の耳に届いた。どういう意味なのか、亜華音が聞き返そうとしたそのとき。
「亜華音!!」
時雨が背後から叫ぶ。はっと顔をあげると、亜華音に向かって飛び掛る美鳥の姿があった。