三十五

 

「ワタシ、亜華音くんが欲しいな」

 いつもナナコは唐突なことを言う。だから、ナナコの言葉は気まぐれか何かかと、美鳥は思いたかった。

 しかし、そのナナコの顔は、本気だった。いつもの笑みがなく、どこか冷め切ったような表情を美鳥に向けている。

「亜華音が、欲しい……?」

 美鳥の声は、不安げに震えていた。それを聞いたナナコは表情をふっと緩めて、いつもと変わらぬ笑みを浮かべる。

「どうしたんだい、美鳥? そんな怖い顔をして」

「……どうして、亜華音、なんですか」

 美鳥は自分の声が低くなっていることに気付いていない。美鳥は自分の瞳が震えていることに気付いていない。

 しかし、ナナコは全て、気付いている。

「どうして? キミも知ってるだろう、美鳥。彼女が、今、一番時雨に近い存在だって」

「……」

 ナナコの、レッドムーンの目的は『時雨を手に入れること』。そのため、ナナコは亜華音を敵視していない。むしろ、自分たちの仲間にしたいと思っている。

「逆に訊こう。美鳥、どうしてキミは亜華音くんではいけないと思うのかな?」

「いけない、わけじゃないです。だた、少し先輩の言い方が気になって……」

「ワタシは、亜華音くんのことが好きだよ」

 瞬間、美鳥の目がはっと大きく開かれる。ナナコは、それを見ながら言葉を続けた。

「亜華音くんは面白い子だよね。ワタシの言葉に対してああいう反応をしてくれる子は初めてだよ。キミもそう思わなかった?」

「……」

 ナナコの問いに美鳥は答えない。と、言うよりは答えられないという表現がふさわしいような状態だった。驚愕の表情のまま、ナナコをじっと見つめている。

「欲しいなあ、亜華音くん。かわいいし、面白いし、役に立ってくれそうだ」

「……あたしじゃ、ダメですか」

 くしゃ、と表情が歪む美鳥。ナナコはそれを見て、にやりと笑う。

「あたし、先輩のためなら何でもできます。なんでもします。だから、あたし、」

「亜華音くんを倒せる?」

 いつもと同じような口調で、ナナコは美鳥に尋ねる。その言葉に、どれほどの意味が含まれているか、考えていないような口調で。

「……あたしが、亜華音を……?」

「美鳥くらいの実力があれば亜華音くんは倒せると思うけどね。そうして亜華音くんを手に入れたらいいかな、って思うけど」

「亜華音を、倒す……」

 ナナコの言葉を繰り返した美鳥は、頬の熱という熱が引いたように感じた。

「亜華音くん、今一番時雨に近いからね。彼女がワタシたちについたら、アカツキも手に入りやすいと思ったけど」

「なら、あたしが時雨を手に入れます」

 美鳥は低い声で、決心したように言った。ナナコは、眉をわずかに歪めて笑みを消した。口を開かずにいると、美鳥は続きの言葉を発する。

「時雨を手に入れるのが、あたしたちの目的ですよね。なら、あたしが時雨を倒して、手に入れれば、それでいいんですよね。亜華音を、倒さなくても」

「……まあ、そうだね。いいよ、美鳥がやりやすい方法で」

 そう言うと、ナナコは美鳥の頭に手を乗せ、優しく撫でた。密接する体から、ナナコの熱を感じた美鳥ははっと驚いたような表情を浮かべた。

「キミなら、ワタシの願いを叶えられるかもしれない。美鳥、期待しているよ」

「……はい」

 目を閉じて頷く美鳥の表情は、幸せに満ちていた。好きな人の傍にいられる、少女の表情だった。

 

 そして、月曜日の朝。

「本っ当に透様が優しくてかっこよくって!」

「もう柚季ずっとこの調子だったんだよ? テンションについていくの大変だったんだよ」

「なんか、いつもと逆みたいでしょ?」

 興奮する柚季、呆れたような亜華音、いつもと同じような穏やかな笑みを浮かべる小春。そんな三人を見て、美鳥は苦笑いを浮かべていた。

「亜華音も柚季に負けるってことはわかったわ」

「あ、でも一番すごかったのは亜華音がね、怒ったことかな?」

「ちょ、柚季!」

「……亜華音が怒る?」

 予想外の柚季の発言に、美鳥は首を傾げて繰り返し言った。亜華音は必死で柚季を止めようとしていたが、喋り始めた柚季はもう止まらない。

「そうそう! アタシらの後ろに座ってた他校の子がさあ、透様の悪口みたいなの言い出したわけ。『協調性が無い』とか何とか! で、それに亜華音が『本人に向かって言ってみたらどうですか?!』って!」

「待って! 私、そこまで言ってないから!」

「いーや、言ったね!」

 ふん、と胸を張って言う柚季を見ながら、亜華音は小春と美鳥に「ち、違うからね!」と顔を真っ赤にさせて否定している。

「でもかっこいいじゃん、亜華音。そういうのってはっきり言えるってなかなかないよ? だよね、美鳥」

「……うん」

 小春に話を振られても、美鳥はあいまいな返事をした。美鳥の声を聞いて、亜華音はぱちぱちと瞬きをして美鳥の方を見る。

「美鳥、どうかした?」

「え、何が?」

「いや……、なんか今日、元気ない?」

 美鳥の顔を覗き込みながら、亜華音は尋ねる。亜華音にとっては素朴な疑問だったが、美鳥にとってそれは一番亜華音に言われたくなかった言葉だった。

「何でもない。ごめん、あたし、幟先生にプリント出さないといけないから」

「え、ちょっと、美鳥?」

 美鳥は逃げるようにその場から去り、教室を出た。突然の様子の変化に、亜華音だけではなく柚季と小春も驚いたように美鳥の去った教室の扉を見た。ぱたぱた、と美鳥が廊下を走る音が響いている。

「どうしたのかな、美鳥? そんなに透様の話が嫌だったかな」

「どうだろう……。まあ、美鳥って真木田先輩のこと苦手って言ってたし」

「……」

 不安げに話し合う柚季と小春をよそに、亜華音は美鳥のいなくなった方向を見つめていた。

 

 

  

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