第三十三章
金曜日の放課後、柚季の誘いを断った美鳥は美術準備室にいた。
「ねえ、美鳥」
椅子に腰掛け、肩を縮めて座る姿は、緊張を現していた。表情も緊張の色を映していたが、その中にはどこか嬉しそうな笑みも浮かんでいた。
「どうしたんだい、美鳥。そんなに、緊張して」
そんな美鳥の隣に座るのは、ナナコ。美鳥の緊張を読み取り、そっと美鳥の肩に手を乗せた。瞬間、美鳥はびくりと体を振るわせた。ナナコは、ふっと笑みを浮かべる。
「すっ、すみません!」
「いいよ美鳥、そんなに硬くならなくても。ところで……」
それから、ナナコは沈黙する。急に言葉を切ったナナコを不思議に思った美鳥は、ゆっくりと顔をナナコのほうに向けた。
「ナナコ、先輩?」
「ねえ、美鳥」
甘く、囁くように、ナナコは美鳥に語りかける。
「美鳥は、ワタシのことが、好きかい?」
瞬間、美鳥の頬が真っ赤に染まった。ばくばく、と自分の脈拍が強く打っているのが耳の内側から聞こえてきた。
「す、好き、です」
「ふふっ。かわいい反応だね、美鳥」
ナナコは微笑みながら、美鳥の頬に触れる。
「どうしてそんなにも、ワタシのことが好きなのかな?」
「え……?」
ナナコの唐突な問いの意味がわからず、美鳥は首をかしげる。ナナコは手を美鳥の頬から離し、それから美鳥の手を握った。
「ワタシは、こんなにも好意を抱かれるような人間じゃない。なのに、キミがそれほどまでに思う理由があるのか、と気になっていてね。どう、なのかな?」
ナナコの言葉に、美鳥はふっと過去のことを思い出した。
「初めて会ったときの言葉が、忘れられなかったから……」
美鳥とナナコが初めて会ったのは、入学式の四ヶ月前のことである。
「……失礼しました」
その日は、暁翔学園の推薦入学試験が行われた日。美鳥は試験の面接を終えて、会場だった教室を出た。それからゆっくりと振り返って、教室の扉を見つめる。
知り合いは、いない。それを確信して、美鳥はほっと胸をなでおろした。教室の前に用意されていた荷物置場に置いていた鞄を取って肩にかけ、廊下を歩き始める。
美鳥には、暁翔学園に絶対に入りたい、という思いは全くない。ただ、自分の知っている場所から遠くに行きたかった。進路を考えたとき、自分の成績でもそこそこ入れそうで、全寮制の高校を見つけたとき、この学校でいい、と思っていた。
「キミ、推薦の子?」
そのとき、美鳥の後ろから声が聞こえた。振り向くと、そこには暁翔学園の制服を着ている女子生徒が立っていた。しかし一瞬見たとき、その服装が制服に見えないほど、その女子生徒は乱れた制服の着こなしをしていたのだった。
「……はい」
綺麗な人だな、と思う反面、その乱れた服装を見て関わりあいたくないと思っていた。美鳥が右足を一歩後ろに引きながら返事をすると、女子生徒はにこりと微笑んで美鳥に向かって歩き始めた。そして、美鳥の目の前に立つと、美鳥の頬に右手を伸ばした。突然のことに、とうとう美鳥は一歩下がった。その顔は、真っ赤に染まっている。
「な、何ですか!」
「いや、ごめんね。つい、可愛いから、と思って」
くすくすと笑う女子生徒に対して、美鳥は表情をゆがめた。眉間に皺を寄せ、睨むように女子生徒を見る。
「あの、あたしに何か用ですか?」
「キミがどうして、わざわざこの学校に来たのかな、と思ってね」
その言葉に、美鳥はびくりと肩を震わせた。女子生徒は口の端を上げてにやりと笑う。
「この学校に何か特徴があるわけじゃない。部活でも別に何かが秀でているわけでもないし、ただ女子校で全寮制、というぐらいが特徴だ。キミの制服はこのあたりじゃ見かけたことのない制服だから、遠くから来たのかな?」
「……あたし、は」
美鳥は言葉を続けようとしたが、口を閉じた。何故、どこの誰とも知らない人間に、自分の事情を話さないといけないんだ、と思い、視線を女子生徒からそらした。
「宇津美ナナコ」
「……え?」
「ワタシの名前だよ。名乗らずに、ぺらぺらと喋ってごめんね」
にこり、と女子生徒――宇津美ナナコは微笑んで言った。
「ただ、キミとワタシが似ているように思えたんだ」
「似ている……?」
「そう。誰とも関わりあいたくない、そんな目をしているんだ」
ナナコの言葉は、美鳥の心の中を見透かしたようなもの。驚きで美鳥が目を大きく見開くと、ナナコはゆっくりと美鳥に近づいた。今度は、美鳥は一歩も引かなかった。
「キミなら、ワタシと同じところに行けるかもしれない」
「同じ、ところ?」
美鳥が繰り返すように呟くと、ナナコは美鳥の頬に手を伸ばし、触れた。ナナコの手は、あまりぬくもりがないように美鳥には思えた。
「図書室の亡霊」
「……図書室の亡霊?」
「会ってみるといいよ。せっかく、この学校に来たんだから」
それだけ言って、ナナコは美鳥の頬から手を離し、美鳥に背を向けて歩き始めた。
「図書室の、亡霊……」
美鳥は、ナナコに触れられた頬に手を当てた。まだ、どこか冷たいような感触が、残っていた。