三十二

 

 トンッ、というような高い音がした。

 的の中心には、一本の矢が刺さっている。

「……」

 亜華音は、何も言えなかった。ただ、目を大きく開いて、その光景を見つめるしかできなかった。

「……」

 亜華音の隣にいる柚季も同様で、じっと見つめている。

 視線の先には、弓を持っている透の姿があった。透は的を見つめて、弓を構える。呼吸を止め、瞬きも止める。

「……」

 透が手を放した瞬間、ぱん、と弾けるような音がした。それからまた的を貫く高い音がして矢が刺さる。

 じっと透の横顔を見つめながら、亜華音はこうやって透の姿を見ることが初めてだと気づいた。いつもは、その矢が向けられるほうに立っているため、横顔を見るのは初めてだった。

 透の視線はどこか冷たく、亜華音はいつもびくりと震えていた。視線だけで心臓を貫かれて、動けなくなる。視線を合わせることが、怖いとすら思ってしまっていた。

 しかし、今は違う。亜華音は透から視線をそらすことができなかった。真っ直ぐに的を見つめる透が瞬きをしないように、亜華音も瞬きができない。まるで、意識が一致しているかのようだった。

 

 試合が終わった瞬間、亜華音は大きく息を吐き出した。一気に緊張から開放されたように、肩の力が抜けた。

「すごかった……」

「本当、すごかったねー! 透様、かっこよかったぁ……」

 うっとりとした表情でもう誰もいなくなった会場を見つめる柚季に、亜華音は「そうだねー」と笑いながら頷いた。

「さて、亜華音! 今から取材に行くわよ!」

「え、取材?」

「そ! 今日の目的は取材なんだから! 行くわよー!」

 そう言って、柚季は亜華音の腕を掴んで走り出した。連れられて走る亜華音は、つまずきそうになった。

 

「こんにちは! 新聞部の者でーす!」

 まるで突撃するような勢いで、柚季は選手控え室に入った。続いて、引っ張られるように亜華音が控え室に入る。状況がわからない亜華音は、控え室にいた弓道部員の上級生たちの視線を一気に受けたように感じて、肩を縮めた。

「やあ、取材ご苦労さま」

 そんな亜華音たちのもとに、一人の女子生徒がやってきた。穏やかな微笑を浮かべながら、女子生徒は柚季と亜華音にペットボトルのお茶を渡した。

「こんにちは、広橋部長! お時間ありがとうございます!」

「どういたしまして。いい記事書いて、弓道部の宣伝よろしくね」

「もちろん、お任せください!」

「あっはは、頼もしいなあ」

 弓道部の部長は、柚季の返事を聞いて大きな声で笑った。それから、視線を柚季から亜華音のほうに向けた。

「あれ、初めて見る子だね?」

「せっ、千条亜華音です! よ、よろしくおねがいします!」

「……亜華音?」

 そのとき、亜華音の声に反応した人物が一人いた。亜華音も、その声のほうを見て、人物を確認する。

「あっ」

「どうして、お前が?」

 眉間に皺を寄せて不思議そうな表情を浮かべている、透。結いなおしている途中だったのか、黒く長い髪は下ろされている。しばらく亜華音を見つめた後、透は亜華音たちのそばに近づいた。

「確か、新聞部には所属していなかったな」

「えっ、えーっと……」

 無表情で質問されると、言葉に詰まってしまう亜華音。視線を泳がせながら言葉を探している亜華音を、透は先ほどと同じような不思議そうな表情で見つめている。

「あ、アタシの取材を見学したいって言われたので、連れてきちゃいました! お邪魔でしたら、さっさと帰らせますんで!」

 と、透と亜華音の間に柚季が入って、叫ぶように言った。すぐ近くに憧れの人物がいるせいか、柚季の顔は真っ赤に染まっている。

「じゃ、邪魔って何?! 私、何にもしてないのに!」

「いや、別に構わない」

「ありがとうございます! ええっと、じゃあ広橋部長!」

 柚季が振り向いて部長を見ると、部長は必死で笑いをこらえるように口元を手で被っていた。

「い、いいよ……。君が、言っていた、真木田さんの取材、好きにしちゃって……」

「は?」

 部長の言葉に、透が声を上げる。それから、透は部長に小声で尋ねた。

「部長、何の話でしょうか。私は、聞いていませんが」

「ほら、今回初めて自治組織が協力してくれたでしょう? こう言った活動をもっと表に出したい、って芳夜が言ってたから、宣伝しようと思って」

「私は、聞いていません」

 人のいないところで話を進めたのか、と透は少しだけ芳夜に怒りを覚えながら、部長に言う。

「そうなの? まあ、そんなに深い話はしないと思うから、取材受けてきて」

 にっこり、と笑いながら部長に言われてしまったら、何も言い返せない透。諦めたように、透は柚季のもとへ向かった。

「取材、よろしくお願いします」

「はっ、はい! こちらこそ、よろしくお願いします!!」

 深く礼をする透に、柚季は叫ぶように言って同じように礼をした。そんな光景を、亜華音と部長は楽しそうに見つめているのだった。

 

 

 

 

  

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