第三十章
もしも、あたしがあの人と出会っていなければ、
きっと、あたしはあの暗闇の中に閉じ込められたままだった。
もしも、あたしがあの人と出会っていなければ、
きっと、あたしはあの過去の中に閉じ込められたままだった。
あたしにとって、あの人は光。
あたしにとって、あの人は未来。
だから、あたしは、あの人のためにどうなってもいいって、思うの。
「美鳥おっはよーん! やっぱり美鳥がいなくちゃダメってすごく痛感したわー!」
美鳥が欠席した翌日の朝。登校してきた美鳥の姿を見て、柚季がすぐに駆け寄り、美鳥に抱きついた。
「何よ、柚季。そんなにあたしが恋しかった?」
「もー、本当に! 美鳥さまの偉大さがわかったわー!」
「……え、本当に何があったのよ?」
あまりにも大げさな柚季の反応に美鳥が不審そうな表情を浮かべていると、小春がそばに寄ってきた。
「おはよう、美鳥」
「おはよう小春。あのさ、昨日なんかあったの? あたしがいない間に……」
「ええっと、それはー……」
小春が苦笑いを浮かべて昨日の出来事を話した。内容としては別に変わった出来事はなかったのだが、ただ、いちいち物足りないものがあった。
「もうね! 亜華音のボケにツッコミを入れられるのは美鳥だけだって、痛感しました!」
「あの、あたしの需要ってそれだけ……?」
「そんなことないよ。あ、これ、昨日の授業のノートね」
柚季の言葉に寂しく思っていた美鳥に、小春が授業のノートを差し出した。美鳥は目の前にいる小春が、女神に見えた。そのとき、
「おっはよー! あ、美鳥元気になったー?!」
「出たな、諸悪の根源」
「なっ?! 何故朝からそんな扱い?!」
教室に明るく入ってきた亜華音に対し、美鳥が冷たい一言を浴びせる。美鳥に抱きついていた柚季も冷たい視線を亜華音に送っており、唯一小春だけが苦笑いを浮かべていた。状況が全く把握できていない亜華音をみて、三人は同時に吹き出して、笑った。
「ところでさ、亜華音も美鳥も、土曜日暇?」
「土曜日って、今週の?」
昼休みの食堂で、柚季が唐突に亜華音と美鳥に尋ねた。亜華音が訊くと、柚季はこくりと頷いた。
「そ。時間はねー、朝の十時からで、三時ぐらいまで。どう?」
「時間よりも、その中身の説明じゃないの? まさかやらしいことをさせようって……」
「美鳥ー? そうじゃなくってねぇ」
「うちの試合なの」
柚季が美鳥に説明しようとしたとき、口を開けたのは小春だった。その言葉に、亜華音も美鳥も驚いたように大きく目を開いた。
「小春の試合、って」
「弓道部?」
亜華音と美鳥が尋ねると、小春は小さく頷いた。
「でね、応援! アタシは新聞部の取材で行くし、だから一緒にどうかなーって。あとね!」
柚季は身を乗り出し、そばにいた亜華音の顔に迫った。
「透様が、参加するのよ! 弓道部の助っ人として!」
「透様、って……真木田先輩が?」
亜華音の言葉に、美鳥が一瞬表情を引きつらせた。
「弓道部の先輩がけがしちゃったの。それで、出場できるのが今回の試合は二年生だけで、補欠もいないから真木田先輩に頼んで……」
「透様ってすごいのよ! 中学時代は、弓道大会で個人優勝何度も取ってるのよ!」
「すごいね……っていうか、その情報はどこから?」
「新聞部ルートよ」
ふふん、と誇らしげに柚季は言った。熱狂的なファン、目の前の柚季はまさにそんな言葉がぴったりだと苦笑いをした亜華音は思った。
「で、亜華音と美鳥は行くの?」
「あたし、パス」
手をひらひらと振りながら、美鳥は柚季の問いに答えた。予想していなかった美鳥の言葉に、柚季は驚いたような表情を浮かべた。
「え、何で?」
「んー、数学の特別課題が出てるのよ。だから、また次の機会にでも誘って」
へらりと笑いながら答える美鳥に柚季と小春は少し寂しそうに「そっかー」と答える。一方、亜華音は不安そうな表情で美鳥を見つめていた。
それから小春と柚季が席を離れた後、亜華音は美鳥に尋ねた。
「真木田先輩が、いるから?」
「まあ、そんなところよね」
お茶を飲みながら、美鳥は答えた。
「あんまり自治組織に関わりあいたくないのよね。あたしとしては」
「うん……」
「別に、亜華音が行くのには何の問題もないでしょ? 行っておいで」
ふっと微笑みながら、美鳥は亜華音に言う。亜華音は少し悲しげな顔をしたが、美鳥の顔を見ているとどんな顔をすればいいのかわからなくなった。
「いや、でも普通に数学のプリントやばいからね。あの問題数、幟先生も鬼だよねえ?」
「大丈夫。私なんか、その三倍も出されたから」
「まあ、あたしのほうが優秀だもんね、亜華音より」
「もー! 励ましたらすぐにそういうことを言うー!!」
亜華音が怒ったように叫ぶと、美鳥は笑いながら「亜華音のばーか」と言う。亜華音も、笑いながら美鳥をなじる。
いつもと同じ光景が、そこにあった。