第十八章
放課後の図書室は、夕日が差し込み、アカツキとは違う赤い色に染まっている。
その夕日が最も差し込む窓に、背中を寄りかけて立っている時雨を見て、亜華音の表情は不安げなものから嬉しそうなものとなった。
「こ、こんにちは、時雨さん!」
「そんなに緊張しなくてもいいのに。それで、どうしたの?」
くすり、と笑いながら時雨は亜華音に尋ねた。時雨の笑みを見た亜華音は、心臓が高鳴るのを感じた。
「その、どうしたって言われると……特に何もないのですが……」
「あら、そうなの?」
「ただ、時雨さんに会いたいな、って思って……」
亜華音のその言葉に、時雨は驚いたようにぱちぱちと瞬きをした。
「私に、会いたい?」
「いや、その、だって……。前にも言ったように、私、『図書室の亡霊』に憧れていたんです。何ていうか、今までとは違う、普通じゃない世界にいける気がして」
少し恥ずかしそうにしながら、亜華音は言葉を続ける。
「私、個性があるような人間じゃないし、特技も全然ないんです。誰かよりも秀でたものがない、っていうか」
「そう、なの?」
「はい。だから、自分が今生きている世界とは違う世界にいけたらなあ、って思ったんです」
だから、と言うわりには話が繋がっていないように思った時雨だったが、亜華音が目をきらきらと輝かせているのを見て、話をさえぎるのも悪いと思って亜華音の話を聞くことにした。
「何ていうか、普通な私でも、『脱、平凡!』ってなれるんじゃないかなあって思ったんです。もしも『図書室の亡霊』を見れたら、実は私、霊感あるんだー! とか思えるんじゃないかな、って!」
「……うん?」
微笑みながら、時雨は首を傾げた。しっかり話を聞いていたはずなのに、何か抜けているような気がした。
「つまり、その……。貴女は、『脱、平凡』というもののために、『図書室の亡霊』である私に、会いたかったの?」
恐る恐るというように、時雨は慎重に亜華音に尋ねる。亜華音は強く頷いた。
「そうです! だって、時雨さんと出会えた私は、今までの私と違う私ですから!」
「今までの私、と……」
亜華音の言葉を、時雨は小さく呟いた。時雨の声は、どこか悲しげな色が含まれている。そんな時雨の呟きに気づかない亜華音は、言葉を続けた。
「時雨さんに出会って、助けてもらったとき、私……その」
言葉の終わりのほうがやけに小さくなった亜華音の声に、時雨は首を傾げた。
「どうしたの、亜華音?」
「……時雨さんは、一目惚れってどう思いますか?」
「え?」
今までの話と何が繋がるのかわからないような質問をされた時雨は瞬きをしながら声を上げた。
「一目、惚れ?」
「助けてもらったときに、私の名前、『素敵』って言ってくれたじゃないですか。そんな風に、綺麗な人に言われたのは初めてで、嬉しくて」
綺麗な人、と言われた時雨は少し顔を赤らめた。しかし、それ以上に亜華音の頬が真っ赤に染まっている。
「何ていうか、ドキドキしたんです。だから、これって一目惚れなんだろうなあって、思って」
「そうなの……」
楽しそうに言う亜華音に対して、時雨の表情はどこか暗い。それを見て、亜華音は目をハッと開いて、首を振った。
「ご、ごめんなさい! 一人で変なこと言って! えーっと、私が言いたいのは、その……」
「ううん、いいのよ。それで、貴女が言いたいのは?」
先ほどまでの暗い表情は消え、時雨は少し目を細めて穏やかに尋ねた。亜華音は、頬を真っ赤に染めたまま、時雨の問いに答えた。
「好きな人を、守りたいって思ったんです」
「好きな人?」
「最初は、私を助けてくれたり、真木田先輩と対等に戦ったり、強い人なんだなって思っていました。でも、時雨さんだけ戦っているのは見たくなくて……、傷つくのは見たくなくて、守りたいって、思って」
あの時、沙弥の剣に勝つことができたのは、その思いがあったから。
亜華音は言い終えた後、大きく息を吐き出した。少しだけ、頬の赤い色が落ち着いたようだった。
「ごめんなさい、一方的に話しちゃって」
「気にしなくていいわ。むしろ、聞かせてくれてありがとう。貴女の思いが伝わってきて、嬉しかったわよ」
今まで自分と関わってきた人間とは違う。亜華音の話を聞いて、時雨はそう感じていた。
一方の亜華音は、時雨の言葉に顔をぱあっと明るくさせて、「はい!」と元気よく返事をした。
「時雨さん。あの、私も色々……」
聞きたいことが、と言いかけたときチャイムが鳴った。
『下校時刻になりました。校舎にいる生徒は窓とドアの施錠を行い、速やかに寮に帰ってください。繰り返します――』
「あっ……」
「チャイム、鳴ったわよ。早く戻ったほうが、いいんじゃない?」
時雨が天井を指差しながら、亜華音に言った。時計を確認すれば、いつの間にか針が六時三十分を示していた。
「えっと、それじゃあ……また、来ます」
「いつでもいいわよ。私はずっと、ここにいるから」
ふっと微笑む時雨に、亜華音の胸は再び高鳴った。それから深く礼をして、亜華音は図書室を去った。去ってゆく亜華音の背中を見る時雨の瞳はどこか嬉しそうで、どこか悲しそうなものだった。