自治会室を出た亜華音は、腕時計を確認してため息を吐き出す。まだ授業の途中で、中途半端に戻っても内容が理解できないような気がした。

「……どうしよう」

 もっと自治会室にいればよかった、と思いつつも亜華音は廊下を静かに歩いていた。そんな中で、亜華音は先ほどまで透と芳夜の言葉を思い出していた。

 ずっと捜し求めていた『図書室の亡霊』、時雨。昨日、亜華音は透が確かに時雨を「消す」と言っていた。何故、透が時雨を消そうとしているのか、そして時雨とは一体何者なのか。

「……そうだ」

 亜華音は足を止め、方向転換をした。

 

 図書室の前は、しんと静まり返っている。普段授業で使われている校舎から離れているために、授業中は人の気配が全く無い。

「なんか、放課後よりもこっちのほうが雰囲気出てないかな……」

 亜華音はそんなことを呟きながら、図書室の扉に手をかけた。がちゃ、という音がして扉が開かれる。

「来たのね、亜華音」

 中から聞こえてきたその声に、亜華音ははっと目を見開いた。

「時雨、さん……」

 図書室の大きな窓に寄りかかって立っている、黒く長い髪を持つ女子生徒。それは、亜華音が探していた時雨その人だった。

「自己紹介をした覚えはないけれど、そうね。私は、時雨と呼ばれているわ」

 穏やかな笑みを浮かべる時雨に、亜華音の胸が高鳴った。頬が赤くなった亜華音を見て、時雨は目を細めた。

「どうして、ここに来たの?」

「私……、知りたくて」

 時雨の問いに、亜華音は答える。普段の亜華音からは想像できないような、嫌に弱々しい声だった。

「昨日のこと、本当のことだったんですか? 私、夢だと思っていて」

「そう、夢だと思っていたのね……」

 時雨は窓から離れ、亜華音に近づく。時雨の黒い瞳の中に亜華音の驚いた顔が映っていた。

「けれど、夢じゃないの。あのことも、私のことも」

「時雨さんの、こと……」

「貴女は私を求めてここに来たのでしょう? 『図書室の亡霊』の私を」

 時雨はゆっくりと亜華音に向かって手を伸ばす。時雨の手が、亜華音の頬に触れた。その瞬間、亜華音の目が大きく開かれた。

「っ?!」

「ほら、冷たいでしょう?」

 亜華音の赤い頬が、時雨の手の冷たさで少しずつ色を落ち着かせる。驚きで震える亜華音の目は、それでも時雨の姿を捉えていた。

「すごく、冷たいです。氷、みたいに……」

「亜華音は素直ね。私、そういう子は嫌いじゃないわ」

 楽しそうに言う時雨は、亜華音の頬から手を離した。ぼんやりとしていた頭がハッと冷静になった亜華音は時雨に声をかけた。

「あの、時雨さん」

「わかっているわ。あの空間のことでしょう」

 時雨が言うと同時に、鐘の音がした。それは、昨日の放課後に聞いたものと同じだった。

「この音……!」

 ふわり、と風が亜華音の頬に当たった。風が少しずつ強くなり、そしてついには目が開けなくなるほど強い風が当たりに吹いた。亜華音は腕を顔に当てて風を避けようとしたが、それでも前は見えない。

 壁が消え、天井が消え、空が広がる。空間の色が少しずつ消えて、残ったのは赤い色だけだった。

「亜華音、目を開けて」

 風が止むと、時雨が声をかけてきた。ぎゅっと目を閉じていた亜華音はゆっくりと目を開く。

「ここ、は……」

 あたりを見渡し、そこが昨日来たのと同じ赤い空間だとわかった亜華音は、時雨を見る。

「ここは、アカツキ。私たちはそう呼んでいるわ」

「アカツキ?」

「そう。ほら、見てみて」

 時雨は空を指差した。亜華音が空を見上げると、そこには真っ赤に染まった月が浮かんでいる。

「赤い月が浮かんでいるから、アカツキ。単純でしょう?」

「ここは、一体なんなんですか? 昨日の爆発も、何が起きたのか……」

「ここではね、魔法が使えるの」

 ぱちぱち、と亜華音は瞬きをする。言葉の意味がわからず、亜華音はしばらく無言で時雨を見つめていた。時雨はにこりと微笑んだままで、何も言わない。

「ええっと……、魔法、ですか」

「そう。不思議な力は一般的に『魔法』と呼ばれるでしょう? だから、私はこの空間で発動できる不思議な力を『魔法』と呼んでいるわ」

「不思議な力……。じゃあ、昨日の爆発も」

「ええ。あれは透の魔法よ」

 時雨に言われて、亜華音は透の姿を思い出す。鋭い瞳から放たれる威圧感を思い出して、亜華音は少しびくりと震えた。

「……真木田先輩と、時雨さんはお知り合い、ですか? というか、学園自治組織と……」

「そうね。無関係とは言えないわ」

 しかし、その関係について深く語るつもりは無いようで、時雨はそれ以上語らなかった。その愁いを帯びたような瞳の時雨を見て、亜華音の色々尋ねようとしていた気持ちが一気にしぼんだ。

何か触れてはいけない領域がある。伸ばしかけた手を、あと少しというところで戻したような感覚を亜華音は覚えた。

「亜華音。貴女は、これからどうする?」

「え?」

 唐突な問いに、亜華音は聞き返すような声を上げた。時雨は、じっと亜華音を見つめている。

「アカツキのことを知った以上、貴女も今までと同じようには過ごせなくなるわ」

「それは、どういう意味……、ですか?」

「ここに入った以上、貴女はもう……戻れない」

「戻れない、って……!」

 亜華音の言葉の途中、目の前が白くなる。亜華音も、時雨も、目を大きく開いた。同時に、強い爆風が吹いた。

「きゃあああああ!!」

 

 

 

 

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