ティル号は目的の島に向かって進んでいた。
「このままなら、明日の朝に上陸できる……が」
「それまでに作戦を立てないといけない、ってわけだ」
「うん」
深刻な表情を浮かべるクレイズとアイリに対して、ハリアルはぼけっとした表情で空を見ている。先ほどまでのやる気はどこに行った、とクレイズとアイリは大きくため息を吐き出した。
「おい、ハリー。今回行くのは、今まで盗みに入った場所と訳が違う。強化人間の開発施設だった場所ってことは、その設備があって、まだ開発を行っているかもしれない」
「そうなんだ」
「……なんでそんな余裕なんだよ?」
とうとう我慢の限界を超えたアイリが眉間に皺を寄せて、低い声でハリアルに尋ねた。
「強化人間とかさ、よくわかんないけど俺たちの目的はアオを連れ戻すことだろ? なら、突っ走ってアオが居る場所に行けばいいだけじゃん」
何でそんなに悩んでいるのか、と言うようにハリアルはアイリの問いに答えた。呆然としているアイリの横でクレイズが小さく笑った。
「何ていうか、ハリーに言われると悩んでいることがバカバカしく思えてくるよな」
「そうそう! 悩んだってどうしようもねえじゃん? だから、考えるより行動だ!」
「ああ、もう……お前はー!」
アイリはハリアルの頭に手を乗せてがしがしと強く撫でる。ぐしゃぐしゃになったハリアルの青銀色の髪を見て、アイリはようやく表情を緩ませた。
「ま、それもそうだよな。強化人間ぐらい私がぶっ倒せばいいわけだし」
「さっすがアイリ!」
笑いあうアイリとハリアルの姿を、まるで自分が保護者になったようだと思いながらクレイズが微笑ましく見る。
「……けど、なあ」
今まで盗みに入った場所とは違うのは事実である。そして何よりも、ハリアルの直感だけで行く先に本当にアオがいるのか。
「まあ、後者は気にしなくてもいいか」
そう呟いて、クレイズは双眼鏡を持って甲板に出る。空を見上げると、不気味な薄暗い雲が全体的にかかっている。そして、前を見れば小さな島があった。
「……あれが、強化人間の施設」
双眼鏡で島の様子を確認する。コンクリートで簡単に作った箱のような建物が二、三個確認できた。海と孤島、という組み合わせには不釣合いなその建造物に、クレイズは不気味さを感じていた。
「リーズ、着いたか?」
「ああ、多分あれだ。……っていうか、また変な呼び方をするな」
後ろから声をかけてきたハリアルにささやかなツッコミを入れつつ、クレイズは双眼鏡を渡す。
「へー、あれが施設ってヤツ? 何か明らかに悪いことやってるじゃん、って感じの場所だなあ」
「……何ていうか、そうだよな」
ハリアルの言葉に何となく同意できるクレイズは、苦笑いを浮かべて返事をした。
「さて、そろそろ着くが……とりあえず俺とアイリが入り口周辺で一発騒ぐ。あとはお前に任せる」
「おう、了解!」
双眼鏡を外して、ハリアルはクレイズに向かって親指を立てて笑う。クレイズも親指を立てて、ハリアルのそれにこん、と軽くぶつけた。
「アイヴァン様、島に近づく船が」
「……船、ですか」
部屋にやってきた部下の男の言葉に、アイヴァンは一瞬眉をひそめた。が、すぐに笑みに変えて男に言う。
「では、丁重に歓迎しなければなりませんね」
「歓迎、ですか」
「ええ。ここにある全力を用いて、ですよ」
その言葉の意味を理解した男はにやり、と無気味に笑う。
「かしこまりました、アイヴァン様」
そして男は一つ礼をして、部屋を出て行った。アイヴァンはデスクの上にある通信機を操作して、外部と連絡を取る。
「私です。接近する船に関して、迎撃はしなくても構いません。ですが、上陸してきた人間に対してはセキュリティの全てを尽くしてください。彼らの目的は“ネコノメ”です。なんとしても、死守してください」
言い終えると、アイヴァンは通信機の電源を落とした。それからアイヴァンは、ふっと笑みを浮かべる。
「例え、貴方がたの命と引き換えにしても、ですよ」
それからアイヴァンも部屋を出て、アオがいる検査室へと向かった。アオは検査台に固定されたままで、すでに抵抗を諦めていた。
「アオ様。ティル号がこの島に接近しています」
「……え?!」
アイヴァンの言葉を聞いた瞬間、虚ろだったアオの瞳に、光が灯る。
「ティル号……ハリーが……?!」
「ええ。貴女を、取り戻しに来たのでしょう」
「どうして……!」
何故、自分なんかを助けるために危険を冒すのか。アオは、震える声で誰が答えるわけでもない問いを呟く。
「こうなっては、完全に教会軍と対立する存在となります。彼らはただではすまないでしょうね」
「そんな! お願いです、ハリーたちを助けてください!! 私は、どうなっても良いですから!!」
「――その言葉に、偽りはありませんね?」
言い終えると同時に、アイヴァンは何かの機械を操作し始める。アオがはっと目を見開くと、検査台が少しずつ傾き、垂直に立つ。
「えっ……?!」
「検査データは十分獲得できました。あとは、実践のみです」
「どういう……」
直後、アオの全身に電流が走る。それは以前のものよりもかなり強力なもので、叫び声さえもあげることが出来なかった。
「あっ……、ああっ……!」
アオの頬に、涙が落ちる。その雫は、アオがずっとつけている翡翠色のペンダントに落ちた。
「ハリー……!」
「おら!!」
どんっ、と大きな音がして、白装束の男が地面に叩きつけられる。その上にまた一人、一人と倒れてゆく。
「ったく、単調な動きの奴ばっかりじゃねえか」
「そう言うが、数は数だぞ」
鼻で大きく息を吐き出し、腰に手を当てて呆れたように言うアイリに向かって、クレイズは苦い表情を浮かべてナイフを白装束の男たちに向けて投げる。とん、とん、と軽やかな音がして、男たちの腱にナイフが刺さり、そして崩れる。その様子をアイリはちら、と横目で見た。
「さっすが、『必中奏者』だなあ。いいねえ、そういうかっこいい名前で呼ばれるのって」
「お前もあるだろ。『鬼のアイリ』、だったっけ?」
「あんなダサいのは論外だ。もうちょっとセンスある言葉選べっつーの」
「いや、お前のことを的確に表現した名前だと思うけどな」
「ああ? あとでぶん殴るぞ、クレイズ」
そんな会話をしている間、クレイズもアイリも手を止めていない。迫ってくる敵はクレイズのナイフで急所を撃たれ、近づいてきた敵はアイリの拳の前に倒れる。互いに背を向けながらも、絶妙のタイミングで攻撃を続けていた。しかし、それでも白装束の男たちは勢いを落とさない。クレイズは、入り口の扉の方を見て、大声をあげた。
「ハリー!! ここは俺たちでやる! さっさと行け!!」
「わっはー! リーズ超かっこいいー!!」
場に不釣合いな楽しげな声に、一瞬クレイズとアイリは脱力しかけた。声の主、ハリアルはにっこりと満面の笑みを浮かべて二人に向かってピースまでしている。
「まかせろ! さっさと終わらせてくるぜ!!」
そう言うと、ハリアルは二人の戦闘の隙間を通り抜けて奥の扉へと進んだ。あまりにも速いハリアルの動きに、白装束たちは捕まえることが出来なかった。その動きこそが、ハリアルの名に『疾風』とつく由縁である。
「逃がす、なっ?!」
と、先陣を切ってハリアルを捕まえようとした白装束の男の背中に、アイリのとび蹴りが入る。
「お前らの相手は私らだって言ってんだろうが。理解できないバカは嫌いだよ!」
にや、と笑いながら親指を下に向けて叫ぶアイリに、男たちは表情を引きつらせた。
入り口のホールを抜けてしまえば、白装束の姿はない。と、言うよりは人という人が誰もいない状態だった。廊下に響くのは、ハリアルが走る足音だけ。
「……なんでだろ」
その状態を疑問に思いながらも、ハリアルは事前に打ち合わせた場所に向かっていた。
「アオがいると思われるのは、おそらく、ここだ」
上陸する前、クレイズが施設の構造図で示したのは『第一研究室』と書かれた場所だった。
「ここが研究、実験を主に行っていた場所だ。多分、アオもここに捕まっていると思う」
「確かに……」
「なるほどねえ。……ん?」
相槌を打っていたハリアルだったが、視線をクレイズの指した場所から別の方に向ける。
「なあ、ここは何だ?」
ハリアルが指さしたのは第一研究室から少し入り口側に近い場所だった。施設の中にあるほかの部屋に比べてかなりの広さがある。ハリアルに言われ、アイリも視線をそちらに移す。
「講堂、って書いてるけど?」
「ああ。そこは研究発表や会議に使っていた部屋だろう。三百人ぐらいは収容できるくらいの広さがあると思う」
「三百人?! そんなに入れるのか?」
「この施設の人間だけじゃなく、教会軍の人間も入るだろうからな」
クレイズの説明にアイリは「へえ……」と驚いたような声を上げる。ハリアルは無言のまま、その部屋を見つめていた。
そして、実際に施設に乗り込んでも、そのときの直感が離れない。ハリアルは分かれ道で足を止め、両方の道を見比べる。一つは第一研究室に繋がるもの、もう一つは講堂に繋がるもの。
「……間違いない」
ハリアルの直感は、揺るがなかった。
「……ううっ」
薄暗い意識の中からようやく目覚めたアオが見たものは、まるで映画館のステージから客席を見ているような光景だった。広い室内にはいくつもの椅子があり、そして、自分の近くの席に、あの見慣れた姿があった。
「……アイヴァン、さん」
「お目覚めですか、アオ様」
にこり、と笑うアイヴァンはアオが目覚めたのを確認して立ち上がった。それから、ゆっくりとアオに近づいてくる。アオは逃げようと身体を動かしたが、動けなかった。
「今、貴女がどのような姿かご存知ですか?」
「どのような……?」
「十字架にはりつけにされているのですよ、アオ様。貴女に、ふさわしいと思って」
言葉の意味を理解したアオは、わずかに動く首を左右に振る。確かに自分の両手は身体に垂直に挙げられて、そして枷で固定されている。足も起立の状態で固定されていて、アイヴァンの言うことが正しいことがわかった。
「全く、あの海賊たちも頭が悪いものですね。ここに上陸して、貴女を取り戻そうとするなんて」
「……どうして」
アオの言葉はアイヴァンに向けられたものではない。俯くアオは、わずかに震えていた。
どうして、自分なんかのために危険を冒すのか。どうして、自分なんかを助けようとするのか。自分さえいなければ、ハリアルたちが危険な目に遭わなかったのに、と何度思っても現実は変わらない。
「お願いします……ハリーたちを、助けてください……!」
震える声でアオはアイヴァンに言う。顔をあげると、アイヴァンは穏やかな笑みを浮かべていた。
その、直後。
「アオ!!」