その頃、アイヴァンと共に行ったアオは教会軍の施設にたどり着いていた。
「……ここは」
「私の管理する施設ですよ。どうぞ、お入りください」
今まで行ってきた教会関係の施設とは違い、神聖というような雰囲気は感じられない。施設内にいる人間も、法衣ではなく白衣やスーツを着た者ばかりである。
「教会の、施設……ですよね」
そんな雰囲気の違いに戸惑いながらアオはアイヴァンに尋ねる。するとアイヴァンはふっと鼻で笑い、苦い笑みを浮かべた。
「ええ、間違いありませんよ。ただ、ここは教会寄りではなく軍寄りの施設、と言ったほうが正しいでしょうか」
「軍寄りの、施設?」
「ここは軍の兵器開発施設です」
言い終えると、アイヴァンは呆然とするアオを置いて歩き始めた。しばらく歩いていたアイヴァンだったが、動かないアオに気付いて振り向く。
「どうされましたか、アオ様」
「……どうして、兵器開発施設なんて……そんなところに、私を……」
「全く、察しが悪いですね」
直後、アイヴァンの姿はアオの前から消える。はっと目を開いたアオだったが、すぐ背後に気配を感じた。
「なっ」
振り向こうとした瞬間、首の後ろ辺りに強い衝撃を感じた。うめき声も出せずに、アオの意識は唐突に暗闇に落ちた。倒れるアオを、アイヴァンは腕一本で支えた。
「これが“ネコノメ”の力ですか?」
呆れたようにアイヴァンは呟くと、近くにいた施設の職員にアオを運ぶように指示した。アオを渡した後、ポケットから取り出したハンカチで手を拭く。
「全く、大した物ではないですね、“ネコノメ”というものも」
ハンカチを地面に叩きつけ、アイヴァンは自分の部屋へと戻った。部屋はきれいに掃除されていて、一切の埃もない。それに満足したアイヴァンはふっと表情を緩めてデスクについた。椅子に座り、背もたれに体重をかけて天井を見上げる。
「……“ネコノメ”をあんな子どもに託すとは、全く、神は何を考えているか理解できませんね」
そしてデスクの上にあるノートパソコンを起動させる。キーボードを叩くと、画面にグラフや文字列が大量に表示された。それをアイヴァンは目を左右に動かして無表情のまま見つめていた。
「今回も失敗、ですか。まあ、いいでしょう……“本物”が手に入ったのですからね」
[アイヴァン様]
その時、画面の端に小さな通信画像が入ってきた。そこに映し出された白衣の男が書類を片手にカメラの方を見ている。
「どうしましたか」
[“ネコノメ”の基礎データが取れました。そちらに送ります]
「わかりました。覚醒はしましたか?」
[いえ。今だ気絶状態です]
「そうですか。引き続き、観察をお願いします」
そう言って、アイヴァンは通信画像を消す。それからまもなくメッセージが送られ、検査室にいるアオの情報が送られてきた。体温や心拍数、呼吸状態など基本的な情報のみがそこに記されていた。
「見せてもらいましょうか、“ネコノメ”。本物がどれほどの力があるのかを……」
翌日の朝。
「とりあえず、この島の周辺にある教会関係の施設はこんなもんだ」
ティル号の食堂。テーブルの上には、現在ハリアルたちがいる島とその周辺の島々について記されている地図が載せられている。その地図の中には赤い印がいくつかつけられており、それがクレイズのいう教会関係の施設であることがわかった。それを見て、アイリは苦い表情を浮かべた。
「……意外と多いんだな、教会の施設って」
「この辺は特に信仰が強いからな、教会との協力体制が強いらしい」
「ふーん……なるほどねえ」
ハリアルは赤い印をとんとん、と人差し指で一つ一つ触れていた。と、その時ハリアルの手が止まった。
「どうした、ハリー?」
「ここ、気になる」
そう言ってハリアルが示したのは、現在地から少し行った所にある孤島。しかし、そこには教会関係の施設がある、という印はない。
「何でだ?」
「勘」
「さっすがー」
「……待てよ」
ハリアルの勘にアイリは呆れたように返事をしたが、クレイズは険しい顔をしてその孤島を見ていた。それに気付いたアイリがクレイズの顔を覗き込む。
「どうした、クレイズ?」
「この島、もしかして」
そう言って、クレイズは食堂を飛び出した。突然のことにアイリだけでなくハリアルも珍しく驚いたような顔をしている。それからしばらくして、クレイズが一冊の本を持って戻ってきた。
「やっぱりそうだ」
本のあるページを開きながら、クレイズは一人で納得をしていた。
「何がやっぱりだよ」
「ここ、昔の研究施設だ」
「研究施設?」
「ああ。かつて行われていた『強化人間』の開発研究施設だ」
「……強化人間、って」
アイリが引きつった声を上げる。クレイズは険しい顔のまま、本を閉じた。ハリアルは孤島をとんとん、と人差し指で叩いた。
「目的地は決まった。行くぞ!」
アオが目覚めて感じたのは、『白い』という印象だった。
身体がひどくだるい。手を動かそうとしても、力が入らない。というよりは、手が動かせない。
「……うっ」
そして、アオは状況を思い出した。その時、天井にあるスピーカーから声が聞こえた。
[お目覚めですか、アオ様]
「……アイヴァン、さん」
[覚醒状態を確認。心拍数110、血圧100の60、呼吸数7]
[ご気分はいかがですか]
ベッドに固定するように手首と足首、それと首に枷がつけられていた。
「とても良いとは、言えません」
[そうですか。それは申し訳ありません]
スピーカーから聞こえるアイヴァンの声には、謝罪をするような様子が見られない。むしろ、アオの返答に喜んでいるような感すらあった。
あれから意識を失ったアオが目覚めると、今と同じ白い病室のような部屋に連れられていた。そのときは、何もつけられておらず、自由に動けた。しかし、部屋を出ようとしたら白い帽子、白いマスク、白い戦闘服を身にまとった何人もの男たちに襲撃を受けたのだ。
「ここから先は、通させん」
男たちは一斉にアオを攻撃し始める。突然の出来事に一瞬アオは戸惑ったが、“ネコノメ”は動じなかった。これまでに行ってきた戦闘訓練で鍛えられたアオにとっては、男たちの攻撃はただ単純でしかなかった。目の前の標的に対して襲い掛かるだけの攻撃は、避けてしまえば容易く隙ができる。隙を突けば、すぐに相手は倒れた。武器を持っている相手に関してはさらに単純で、武器にまかせて自身は隙だらけという状態だった。
「……何なの、これ」
いくら倒しても倒しても、数は減らない。それどころか、あとに出てくる男たちの戦闘能力が高くなってきていた。自分より弱い相手でも、数が多ければ疲労は蓄積される。
「うっ?!」
相手の持っていた突き棒が、アオの鳩尾に入る。とうとうアオは、腹を抱えてその場に倒れこんだ。
[攻撃終了]
どこからか、アイヴァンの声が響く。その声を聞いた男たちは、咳き込むアオを攻撃せずただじっと見下していた。
[観測時間二時間五十八分四十二秒三八、到達レベル二十一、負傷人数六十三人、重傷度判別――]
意識がもうろうとするアオの耳に、アイヴァンとは別の男の声が届く。しかしその意味はアオの中では理解できずにいた。ただ、何かの報告がされているのだろう、とだけぼんやりとアオは思っていた。
[負傷も随分回復されていますね。これも、“ネコノメ”の力というものでしょうか]
スピーカーの声は穏やかだが、感情が含まれていないようなもの。アオは不快感を露にした表情で天井のスピーカーを睨んだ。
「何が、目的なんですか」
[私の目的ですか? そうですね、貴女に解かり易く説明してあげましょう]
マイクに向かっているアイヴァンは、穏やかで、そして不気味な笑みを浮かべた。
[“ネコノメ”の人工開発ですよ]
「……え」
想像もしていなかったアイヴァンの言葉にアオは目を大きく開く。
[現存する兵器の中で最強と呼ばれている“ネコノメ”。それは一体どのような原理で発生するのか、どのように得られるのか、解明されていません。偶然“ネコノメ”を持つ者を教会軍が保護し、その能力を極限までに引き上げる。そうするしか、教会軍はその兵器を得ることができませんでした。しかし、それではいつ王国軍が同じことをするか解かりません。我々は、王国軍より先を行かなければなりません]
「どうして、そんなことを……」
[神による世界の統一を図るため、ですよ]
くす、と笑いながら言うアイヴァンに、アオは全身の鳥肌が一気に立ち上がったように感じた。体温が低下したのではないか、と思うほど悪寒が生じた。
「何を……そんなこと、したら……ま、また、戦争が!!」
[そうですね。また、あの大戦が繰り返されるかもしれませんね]
他人事のように言うアイヴァンに、アオの怒りが限界に達した。ベッドから起き上がろうとしたが、がちゃがちゃと金属がぶつかり合う音だけがして、動くことはできなかった。
「どうしてそんなことを望むんですか?! そんなことをして、一体誰のためになるんですか?! 神様が、そんなことを望んでいると言うんですか!!」
[それが、世界を創造した者の責任です。太陽神サンリグトが創った世界を、神の代行人である我々が管理するのが道理です]
「違う!! 世界は誰かに管理されるものじゃない!!」
がちゃがちゃ、と枷に抵抗するように暴れながらアオは叫ぶ。
「世界は広くて、誰かが管理できるようなものじゃない! みんなで生きて、そして分かち合うものだって、私は知ったから!!」
[それは愚考ですよ、アオ様]
直後、枷から強い刺激が走る。それが電流であると気付いた瞬間、アオの全身に痛みと痺れが伝わった。
「きゃああああああっ!!」
[全く、悲しいことですね。神に選ばれた貴女が、神を否定するような発言をするとは]
「……違う、こんなの……」
アオは電流によって抵抗する力が失われていた。掠れた声で呟くが、その声はアイヴァンには届かない。
「だめ……止めなくちゃ……!」
手を動かそうとしても、わずかにしか上がらない。このままでは、最悪の事態になる。止められるのは自分だけ、と解かっていながらもアオの脳裏には一人の姿が浮かび上がっていた。
「ハリー……!」