それから数十分後。
「……どうしたんだ、クレイズ。こんなところで」
買い物から帰ってきた一同は、船の書庫の前に立っているクレイズの姿を見て驚いたような表情をしていた。
「客人だ」
「……客?」
「ああ。あまり好ましくない客だ」
苦い表情を浮かべながら答えるクレイズの言葉に、アイリは表情を険しくさせる。アオも少し表情を曇らせた。
「……教会の、人げ」
「ちゃーっす! わざわざ来てくれてどうもーっす!」
アイリがクレイズに確認をしようとするのをさえぎるように、ハリアルは扉を思い切り開いて中にいる人物に声をかけていた。アイリとクレイズ、そしてアオが驚きで大きく目を開ける中、ハリアルは満面の笑みを浮かべている。
「こちらこそ、お留守のときにお邪魔して申し訳ありませんでした、船長さん」
中にいたアイヴァンは目を細めて微笑んで左胸の辺りに右手を当てて深く礼をした。
「船長のハリアル・マティルアだ。ハリーって呼んでくれ」
「サンリグト教会上位司祭、アイヴァン・ブリューナクと申します」
ハリアルが差し出した手を握り返すことはせず、アイヴァンは小さく頷いただけだった。それからハリアルとアイリ、アオは同じソファに座り、向かい合うソファにアイヴァンが座った。クレイズは部屋の隅で壁に寄りかかるように立っていた。にこりと笑うアイヴァンとへらりと笑うハリアルの間に漂う空気に痺れを切らしたアイリが、小さく息を吐き出して話を切り出した。
「で、あんたの用件っていうのは?」
「単刀直入に申します。アオ様を、返していただけませんか」
目を開いて答えたアイヴァンの口から出たのは、予想通りの言葉。アイリとクレイズはちらりと互いに視線を向けた。アオはびくりと肩を震わせたあと、小さく俯いた。
「何で?」
素朴な疑問を尋ねるようにハリアルはアイヴァンに訊いた。アイヴァンは黄土色の瞳を向かい側に座るアオに向け、そしてハリアルへと変えた。
「アオ様、いえ、“ネコノメ”は教会軍の重要機密であり、最高兵器とされているものです。それを、貴方たちのような一般人が所有したままでは危険です。私たちの目的は、太陽神サンリグトによって作られた世界を守ること。だからこそ、世界に生じた悪しき存在を打ち消し、美しい世界を保つために軍を作り、そして最高兵器を所有していました。しかし、それが一般に流れてしまうことは、清浄な世界を保てなくなる恐れがある。つまり、これは太陽神の意思に反することであり、我々は避けなければならない事態。だからこそ、私たちはアオ様を保護し、管理する必要があるのです」
語り終えたアイヴァンは爽やかな表情を浮かべているが、質問をしていたハリアルはぱちぱちと瞬きをしているし、アイリはいつの間にか知恵の輪を弄っている。クレイズはあくび交じりだったが、何とか話を聞いていたらしい。まともに聞いていたのはアオぐらい、という状態である。
「あー、つまり? アオを前みたいに教会の中にずっと居させるってことなのか?」
「教会の中、と限定するわけではないですが、教会の関係者によって管理することが必要となりますね」
「んー……でもなあ」
ハリアルは顎に手を当て、隣に座るアオを見た。
「アオ、お前はどうなんだ?」
「私?」
突然尋ねられたアオは驚きを隠せない様子でハリアルに聞き返した。ハリアルは頷いて、アオの発言を待っていた。
「……私は……その……」
ちらり、とアイヴァンを見る。つり目はいつの間にか閉じられてにこりと微笑んでいる。
「私は、ハリーが言ってた、私しか知らない世界を、見ていきたいです。これからも海を見たり、屋台に飾られているものを見たり、していきたいと思っています。だから、教会に戻るつもりは、ありません」
「なるほど」
「それに、ハリーたちは悪い人たちではありません! 私の力も、誰かを傷つけるために使うようなことは、今までもしていないし、これからもするはずないです!」
アオはテーブルにばん、と両手を叩きつけて身を乗り出し、強く言い切った。今までにない強い口調に、アイリとクレイズは驚いたような顔をしていたが、ハリアルは満足そうな笑みのままだった。そしてアイヴァンはアオの言葉に頷きながら話を聞いていた。
「貴女のお気持ちはわかりました、アオ様」
「では……」
「ええ。これ以上、教会に戻ることを強制することはできないことはわかりました」
微笑んだままのアイヴァンを見てアオはほっと安堵していた。もしかして強引に連れて行かれるかもしれないと思っていたアオだったが、アイヴァンの言葉に偽りの様子が見えない。それは、アオだけでなくアイリやクレイズにも理解できていた。
「ハリアル様」
「ん、どうした?」
「申し訳ないのですが、しばらくここに居させてもらってもよろしいでしょうか? 迎えの者を呼んだのですが、時間がかかってしまう様なので……」
「おう、それは全然問題ないぜ! ゆっくりしていけよ」
にっと歯を見せて笑うハリアルに警戒の様子は全くない。アイリとクレイズも緊張していた表情を緩めて、部屋を出て行っていた。
「ありがとうございます、ハリアル様」
ふっと、アイヴァンは微笑んだ。歪んだ口元に気付くものは、誰もいない。
ざあざあと、波の音が響く。
船は止まっていても、波は止まることを知らない。そんな海を、アオはぼんやりと見つめていた。
「アオ様」
その時、アオの背後からアイヴァンが声をかけた。振り向いて微笑んでいるアイヴァンを見て、アオも微笑んだ。
「お隣、よろしいでしょうか」
「はい、どうぞ」
アオの隣にアイヴァンが立ち、同じように海を眺める。
「そんなに、海は珍しいものでしたか」
「……はい」
アイヴァンの問いに、小さく微笑みながらアオは答える。
ハリアルに攫われて初めて知った世界は、今まで自分が見てきたものの何倍も、何十倍も、何百倍も広い世界だった。空は今まで見た事のないような色を映し出し、海は想像や写真で見たものよりも動的なこと。揺れる船に不安になりながらも、先にある土地に期待が広がること。今まで知る由もなかったことを知る喜びが、初めてアオに生まれた。
「全く、奇妙な発言をされますね」
「……え?」
声色は先ほどと変わらぬ穏やかなままのアイヴァンだったが、何かがおかしいとアオは感じた。違和感を抱きながらアイヴァンを見ると、彼は黄土色の瞳をじっとアオに向けていた。それを見たアオは、背筋がぞっと冷えるのを感じた。
アイヴァンの瞳は、まるで獲物を見つけた獣のようなものだったのだ。
「私は貴女が教会に帰ることを強制するつもりはありません。しかし……今、この船がどのような状況にあるかご存知ですか?」
「どんな、って……」
「教会軍最高兵器を奪取したとして、最高罪をつけられています。教会軍に見つかれば即刻処刑されることとなるでしょう」
「最高罪……、処刑……まさか?!」
「全員死刑」
穏やかな口調のままで発せられた言葉は、アオが最悪の想像をしていたものと一言一句違いがなかった。
「あなたは……ハリーたちを、殺しにきたって言うの……?!」
震える声でアオが尋ねると、アイヴァンはふっと小さく鼻で笑った。
「安心してください。私は彼らを捕まえるためにここに来たのではありません。私の目的は、アオ様、貴女を連れ戻すことです。しかし、私の意思と教会軍のそれが同じとは言えません」
にこりと目を細めて笑うアイヴァンに対し、アオは全身が震えていた。
「もうすぐ教会軍の船がここにやってきます」
そして、そっとアイヴァンはアオの耳元に顔を近づけ、囁いた。
「賢い貴女なら、正しい判断ができると私は信じていますよ」
アオは震えたまま、胸に下がっているネックレスをぎゅっと握り締めていた。
「……おーい、アオ?」
いつもアオがいる場所にやってきたハリアルだったが、そこにアオの姿はない。
「リーズ、アオ見てない?」
「クレイズだ。アオは……さっきまでその辺りにいたはずだが」
尋ねられたクレイズはあだ名を訂正しながらハリアルの問いに答えた。同じ場所を見たクレイズだが、確かにそこにアオはいない。
「そういえば、あの教会の男は?」
「あー、そういえばあいつもいなくなったなあ。もしかして、帰っちゃったのかな……」
「……まさか」
いなくなった教会の男と、アオ。そこから連想できるのは唯一つ。
「ハリア」
クレイズが声をかけようとした瞬間、ハリアルは走り出していた。向かった先は、アオが普段使っている部屋。
「アオ!!」
ハリアルが声を上げて呼ぶが、そこにもやはりアオはいない。しかし、机の上には見慣れない封筒が一つ置かれていた。
「……これって」
その封筒を開き、ハリアルは中の手紙を読んだ。
ハリアル、アイリ、クレイズ
突然いなくなって、ごめんなさい
ただ、これから私が一緒にいると、みんなを傷つけてしまうかもしれないのです
私のせいで傷つくみんなを見たくないから
私のせいで誰かが傷つくなんて絶対に嫌だから
だから、私は教会に戻ります
今までたくさん迷惑をかけてしまってごめんなさい
何も知らない私に丁寧に全てを教えてくれてありがとう
私に世界を見せてくれてありがとう
さようなら
「ハリー、アオは……」
アオの部屋に入ったクレイズとアイリが見たのは、机の前でぴんと背筋を伸ばして立っているハリアルの背中だった。ハリアルはやってきたクレイズとアイリに気付いたものの、顔を向けないまま尋ねた。
「……リーズ、この近くにある教会軍の施設、何がある」
「さあ、まだ何も調べてないからわからないな」
「どれぐらいすればわかるのか?」
「三日あれば」
「二日だ」
クレイズの答えに被せるようにハリアルが言った。アイリが驚きの表情を浮かべ、反論を口にする。
「ちょっと待て?! 何も情報持ってないのに、一日で調べられると思ってんのか?!」
「……はあ、無謀な要請するなあ」
怒り口調のアイリとは打って変わってクレイズはのんきな声で答える。するとゆっくりとハリアルは振り向いて、アイリたちを見た。
「悪いな。ま、俺も手伝うことは手伝うからさー!」
「って、あんたがクレイズの手伝いしてまともな状態になったことなんてあったっけ?」
「失礼だな! 俺だって役に立つことあるんだぜ?!」
「はいはい、うるさいうるさい」
ハリアルとアイリのじゃれあいを止めて、クレイズはふうと大きく息を吐き出した。
「まあ、この周辺の教会関係の施設は何となく把握してるけどな。だけど、それを知ってどうするつもりだ?」
愚問、と思いながらもクレイズは尋ねる。見えきった答えにアイリは苦笑いになっていた。
「決まってんだろ?」
びし、と天井を指差しハリアルは宣言する。
「アオをもう一回盗み出す!!」