「全く、愚かですね」
その男は、届いた封筒の中身に目を通した後、乱暴にそれをデスクの上に置いて大きく息を吐き出した。男の部下はその大げさに響いた音にびくりと肩を震わせ、「すみません!」と謝罪を入れた。しかし、男はそんな言葉など聞いていないようで、回転椅子をくるりと回して、部下に背を向け、目の前に大きく広がる窓を見た。
「……これまでして、『ネコノメ』の行方がわからないとは、一体何をしているのですか」
「相手が、あの疾風海賊団で……、行方を特定することが、困難でありまして……」
「困難、ですか」
ふ、と笑い、男は立ち上がり窓に触れる。
「たった一隻の船を見つけることすらできないとは……。全く、無能な集団ですね」
「も、申し訳ありません!」
「もう結構ですよ。二度と、私の前に現れないでください」
振り向いた男は、穏やかな笑みを浮かべる。しかし、その笑みからは想像できないような殺気が、その男から発せられていた。真っ直ぐに殺気を受けてしまった部下の青年は、恐怖で震えていた。どうすればいいのかわからなくなっていた部下の青年は、その場に立ちすくんだままだった。男はその様子に気付き、そのまま青年に近づく。
「私は二度同じことを言うのは好きではないのですがね」
そして、男は青年の肩に手を乗せて、言った。
「消えろ」
「……全く、不愉快ですね」
男はデスクの上に備え付けていたお手拭で、丁寧に自分の手を拭いた。
「気分が悪い」
大きく息を吐き出し、男はお手拭を地面に叩きつけるように投げた。赤く染まったお手拭を見て、男はデスクの上に取り付けてある通信機を操作し、連絡をする。
「私です。部屋の片づけをお願いします。あと、しばらく外に出ます」
そう言うと、男はデスクの前の床を見下した。そこにあったのは、一人の男の、血まみれの死体。
また一つ息を吐き出して、男は部屋を出た。
猫目の青色
青を求める者――Blue in the DARKNESS
「……海」
ざあざあと、波の音が響く。
アオはぼんやりと海を見ながら小さく呟いた。黄色の瞳と対照的な青い海が、アオの目の前に広がっている。
「あんた、飽きないわねえ」
「……アイリ」
そんなアオの隣にアイリが立った。呆れたような表情でアイリはアオを見ているが、アオはアイリに視線を向けずにぼんやりとしている。反応の鈍いアオに対し、アイリはため息をひとつついて、ポケットの中から知恵の輪を取り出してがちゃがちゃといじり出した。
「……ねえ、アイリ」
「ん?」
「アイリは、海を見ないの?」
ざあざあと、波の音が響く。
アイリがアオを見ると、その視線を跳ね返すようにアオがアイリをじっと見つめていた。思っていたよりも強い視線に、アイリはぱちぱちと驚いたように瞬きをした。と、同時に知恵の輪が外れる。
「あんたみたいに、わざわざ見ないわね。いつも見てるから」
「……すごいね」
アイリの返答を聞くと、アオは首を動かして再び海を見る。青い水面が揺れ白い波が絶えず生じる海は、アイリにとっては何がすごいのかわからなかった。そんな疑問に答えるように、アオは言葉を続けた。
「アイリも、ハリーもクレイズも、私の知らない世界をたくさん知っている。ずっと、こんな広い海の上にある世界を知っているのに、私は……」
「アオも俺の知らない世界を知ってると思うけどな」
そのとき、突然アオとアイリの間に声が入った。二人は声の主がどこに居るのか、と辺りをきょろきょろと見回していたが、姿は見当たらない。と、思ったそのとき。
「いよ、っと」
とん、と軽い音がして二人の後ろにハリアルが姿を現した。まるで軽くジャンプして着地したかのような軽い音しかしなかったせいで、ハリアルの突然の出現に、アオだけではなくアイリも驚いたようにびくりと反応していた。
「あんたはどこから湧いて来るんだよ?!」
「えー、上からに決まってんだろ? でもさあ、アオ」
「……全然説明になってないし」
アイリの問いに適当に答えたハリアルはアオの前に立って、海を指差した。
「俺やリーズ、アイリは確かにアオよりも海を知ってる。でも、アオはアオしか知らない世界があるんじゃないのか?」
「私しか、知らない世界?」
初めて聞いた単語、というようにアオは疑問を抱いたようにハリアルを不思議そうに見る。ハリアルはにっと笑って頷いた。
「そ。多分、俺とリーズとアイリでも全然違う世界を知ってると思うし、これからもそうだと思うぞ。だから、アオもこれからアオしか知らない世界を見ればいいんだよ」
「……私しか知らない世界を、見る……」
一言一言を噛み締めるようにアオが呟くと、隣にいたアイリがぐしゃぐしゃとアオの頭を撫でた。
「ハリーってごく稀に、いい事言うよなあ。まあ、そういうことだよ、アオ」
「……うん。ありがとう、ハリー、アイリ」
「おーい、お前らー。飯できたぞー」
そのとき、クレイズが厨房から出てきて三人に声をかける。それと同時に、ふわりとクレイズが作ったであろう料理の香りが三人のもとまで漂ってきた。それを感じ取ったハリアルはぴょん、と跳ねてクレイズの元に走り出した。
「うおー! 飯だ飯だー!」
「アオ、行くよ。早く行かないと、ハリーに全部食べられるよ?」
「あ、うん」
アオは頷き、アイリとともに歩き始めた。
「高い。もっと安くしろ」
「勘弁してくれよ姉ちゃん……これ以上安くされたら赤字だぜ……」
「もっと安くなるだろ? わざわざこっちはあんたの店を選んで買ってやろうとしてやってんのに、そういうこと言うのかい? ああ?」
疾風海賊団一行は、一旦上陸して、生活必需品や食料の調達を行っていた。ハリアルとアイリ、そしてアオは町に出て買い物を行っている。
「じゃあ、半分の価格で……」
「交渉成立!」
「……す、すごい」
値切りというよりは、もはや脅し。そんなアイリの様子を見ながらアオは驚いたようにぱちぱちと瞬きをしている。一方のアイリは満足したように頷いて、店主に言われた金額を払った。それから振り向き、アオに向かってにっと笑った。
「これぐらいしなきゃ、普段の稼ぎで十分な生活はできないだろ? ハリー、これ持つ!」
「うおお?! またかよー」
アイリに荷物を渡されたハリアルだが、すでに紙袋を胸の前でいくつも抱えている状況。新しい荷物は、ハリアルの視界を完全に奪っている。
「うるさい。さあ、次行くぞー」
そんなハリアルの状況を見ようともせず、アイリはすたすたと歩き始める。それについていこうと、ハリアルも歩くが、どこかぎこちない歩き方をしていた。そんなハリアルの隣を不安げな表情のアオが歩く。
「あの、ハリー……、私も、一つ持つ、よ?」
「いや、大丈夫! これぐらい、余裕余裕!」
「そう見えないけど……」
「いいんだよ。ハリーは体力ぐらいしか使えないから」
ひらひらと後ろのハリアルに手を振りながらアイリは次の店に向かっていた。アオはどうすればいいかわからず、そのままハリアルの隣で一緒に歩いていた。
「……あ」
そのとき、アオの足が止まる。それに気付いたハリアルも数歩先で足を止め、ゆっくりと後ろに下がった。
「どうした、アオ?」
「え、えっと」
アオが止まったのは、とある屋台。ハリアルはアオが見ている方向にある商品を不思議そうに見ていた。
「アオ、これが欲しいのか?」
ハリアルの言う『これ』とは、大きな丸い石のついたネックレスのことである。澄んだ翡翠色の石が、きらきらと輝いている。
「その、ハリーの目の色とよく似ていて、きれいって思っていただけで……欲しいって、わけじゃ」
「すみませーん、これくーださい!」
「え、ハリー?!」
アオが言うよりも先にハリアルは店主に声をかけていた。驚きの声を上げるアオの方を向くと、ハリアルは荷物をアオに預けた。
「ちょっと持っててくれ」
「ちょっと、ハリー! そんないいって!」
「おう、何だい兄ちゃん? 恋人にプレゼントか?」
店主がからかうように言った言葉に、買い物袋に隠れたアオの顔が真っ赤に染まった。しかし、ハリアルはけろっとした様子で
「そんなんじゃねえよー。仲間、へのプレゼント」
と返答していた。緊張してしまった自分が少しだけ恥ずかしくなったアオはふっと笑った。
「こらハリー!! 無駄な買い物しやがって!」
ちょうどネックレスの代金を払い終わったそのとき、ハリアルとアオの背後からアイリの怒鳴り声が響いた。びくりと震えたアオとは対照的に、ハリアルはへらりと笑ったまま。
「無駄じゃねえよ。これ、アオへのプレゼントだよ」
「プレゼント、だあ?」
「そ。だって、はじめてアオが『きれい』って俺に教えてくれたものなんだぜ?」
「アオが?」
ちら、とアイリはアオを見る。買い物袋で見えない顔を、さらに反らして隠している。ハリアルが嘘をつくはずもないし、嘘をついてまで女物のネックレス(しかも屋台で売っているようなたいした価値のないようなもの)を買うはずもない。そして何より、アオがそんな意思表示をするとは思っていなかったアイリはふっと小さく息を吐き出して「そうか」と頷いた。
「なら、それはこっちにやって、お前は荷物を持つ! アオに持たせてどうするんだい!」
「はーい」
素直に返事をして、ハリアルは荷物をアオからひょいと奪い取った。アオは突然の出来事に呆然としたが、ハリアルが『疾風のハリー』と呼ばれるような人物であることを思い出し、これぐらい大したことがないのだろうと感じた。それと入れ替わるようにアイリがアオの首にネックレスをかけた。
「お、似合ってるじゃない?」
「え?」
「その色、アオに良く似合ってると思うよ」
「当たり前じゃん! だって、アオが自分で選んだものなんだぜ!」
「……私が、自分で選んだもの……」
胸の辺りに下がっている翡翠色の石に触れながらアオは小さく呟く。それと同時に、口元が小さく上がって、少しだけ嬉しくなった。
「さーて、買い物続けるぞー。早く帰らないとクレイズにキレられるぞー」
「リーズはアイリと違ってそんなすぐにキレませーん」
「何だとぉ?!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐアイリとハリアルの一歩後ろを、アオは少しスキップ交じりに歩いていた。
同じころ。
「思ったより溜まってたな……」
船で見張り兼留守番をしていたクレイズは床に置いた本の山を見てため息混じりに呟いた。
騒がしい人物がいなくなったついで、と言うことで書庫の整理をしていたクレイズだったが、想像していた以上の量があり正直驚いていた。
「どうするかな……処分はしないとしても、そろそろ売りに出すか? だが、読み返さないってわけもないし、いや、でもこれ以上溜めても荷物になるだけだし……うーん……」
腕を組み、唸るクレイズはとりあえず外に出て部屋に溜まった埃を出そうと扉を開けた。ふわ、と潮風の香りが鼻をつく。そして甲板に出て、ふと港のほうを見ると、じっと自分たちの船を見る姿が見えた。
「……ん?」
港とは不釣合いに思えるような、きっちりと着こなしているスーツの男。遠目から黒く見える髪は、前髪を七三にきっちりと分け、長い髪は一切の乱れなく一本にまとめられている。男はクレイズの視線に気付いたのか、顔をあげた。
「こちらの船は、疾風海賊団のティル号で合っていますか?」
「……」
男の唐突な問いに、クレイズの思考は一瞬止まった。が、その問いから男が何者か、少しずつ絞られてきた。
「人に素性を聞くときはまず自分から、っていう決まりを知らないのか?」
クレイズが挑発するように言うと、男はつり目を細めて微笑んだ。
「それは失礼しました。私は、こういうものでして」
男は首の後ろ辺りに手を回し、服の下に隠れていた首飾りを外して取り出した。そこに下げられていたモチーフを見て、クレイズの表情は引きつった。
「サンリグト教会、上位司祭のアイヴァン・ブリューナクと申します。少し、ティル号の方とお話したいことがありまして」
装飾のついた十字架を下げている男――アイヴァンは笑みを一切崩さないままはっきりと言った。