「おら、出てこいピンク頭!! じゃねえと、この建物全部ぶっ壊すぞ!!」

 男の怒鳴り声が、取調室周囲に大きく響く。取調室の周囲に配置されている管理局員たちは緊迫した空気を保って――いなかった。

「……やけにのん気な空気だな」

 取調室に一番近いところにいる局員たちはライオットシールドを構えているものの、その表情はどこか呆れているものである。その後ろに配備されている魔術士や魔導士もロッドを持っているが、特に戦闘態勢に入っているというわけでもないらしい。あたりに漂う空気は気だるく、やってきたばかりのリュウとセアも緊張していた表情を緩めていた。

「やっと来やがった、テメェ」

 そんな二人の背後から、低い声がかけられる。びくり、と肩を震わせたセアとは対照的に、リュウは小さく息を吐き出して振り返った。

「レン、もう少し言い方って物があるだろ」

「あァ? こっちはもう五時間待たされてんだ。ルミナ、さっさと片付けてこい」

 その場の責任者である、第一隊副隊長のレンが苛立ちを露わにして言う。苛立ちを背中から感じているせいか、セアは恐ろしくて振り向くことができなかった。

「っていうか、これだけ人がいるならさっさと突っ込めばよかっただろ」

「それで相手に魔術使われてここをぶっ壊すってか? それで後始末がどれだけ面倒かテメェわかってねーのか?」

 いや、ルミナが行ったところで結局壊れるだろうけど、などと言えないリュウは苦笑いを浮かべて取調室の方を見た。中からまだ何か怒鳴り声が聞こえているが、それを真面目に聞いている人間は誰もいない。リュウは中にいる魔法使いに届かない苦笑を向けた。

「……ともかく、片づければいいんだろ。ルミナ」

「は、はいっ」

「は? まさかテメェも行く気か?」

 リュウがセアを連れて歩き出そうとしたとき、驚いたようにレンが言った。予想していなかった反応にリュウも驚いたように「え?」と聞きかえした。

「あの魔法使い、ルミナ以外を連れて来たらここを壊すってほざいてやがったぞ」

「……なるほど、そういうことか」

 相手の言い分に納得したリュウは、小さく息を吐き出した。どうしてこんな時に限ってこんな面倒なことになっているのか……と思いながら、視線をセアに向けた。

「だが、一人で行かせるのは……」

「あ、いたいたー! リュウー! せ……ルミナー!!」

 その時、二人に向かってセイレンが走ってきた。その手には、リュウが見慣れたあるものが握られている。

「セイレンさん、それって……」

「事情を説明するわ。二人とも、ちょっと来て」

「えっ、あ、はい」

 セイレンはリュウとセアの腕を掴んで、取調室から離れ、人の少ない廊下の隅に引っ張った。

「何とか突入前に間に合ったわね。ヴァンから事情を聞いて焦ったわ」

「あの、そちらに持たれているものは何ですか?」

 ほっと一息ついているセイレンに、セアは首をかしげながら尋ねる。それは、ルミナが普段用いているハンマー型のロッドだった。

「これは、ロッド。あなた達の世界で言うところの呪物ってヤツかしら」

「え? でも、ここは別の世界では……?」

「前にあなたと同じ世界から来た人がいたのよ。その彼からデータをいろいろ取らせてもらったのよ」

 にやり、と笑いながら言うセイレンを見たセアは、自分と同じ世界から来たという人物に少しだけ、同情した。

「それで、そのデータとあなたの魔力波動を合わせて調整したのがこのロッドよ」

「……って、いつの間にセアの魔力波動確認したんですか?」

「あら、検査部長の実力をなめないでいただけるかしら?」

 笑みを変えぬまま言うセイレンに、リュウだけじゃなくセアも表情を引きつらせた。

「そういうわけで、はい、セア」

「え? あっ、はい」

 セアはセイレンが差し出してきたロッドをしっかりと握りしめた。

「あなたの普段使う魔術の発動行為の後に、ロッドのキーワードである『魔術展開』を唱えれば、魔術が発動されるわ」

「……え?」

「つまり、普段魔術使う後に『魔術展開』って言えば魔術が使えるようになるってことだ」

 セイレンの専門的な説明にきょとんとしたセアだったが、リュウの説明を受けてようやく理解することができた。

「それで、私は、あの部屋にいる人をその……ぶっ飛ばせば、いいんでしょうか?」

 穏やかな口調とは不釣り合いな言葉を交えながら、セアはリュウとセイレンに確認する。確認されて、リュウは「うん……」と頷きかけたが、小さく首を振った。

「セア。行くな」

「え?」

「あんな状況の奴だ。何をしでかすかわからない。余計な刺激を与えたら、君も危険になるかもしれない」

「……」

 真っ直ぐにセアを見つめるリュウの瞳は、真剣だった。

「でもリュウ。あいつ、ルミナを連れてきても来なくても暴れるつもりよ? それなら先にセアに飛ばしてもらった方が……」

「だからって、何も知らない彼女を巻き込んでいいんですか。こんな何が起きるかわからない状況なのに」

「私は大丈夫です」

 セアが、はっきりと言った。それから、自分の肩に乗せられているリュウの手にそっと触れ、リュウに向かって微笑む。

「出来る限りのことはします。中の人に投降を呼びかけて、それでもだめならわたしがどうにかします」

「だけど」

「わたしも、自分の身を守れる程度の魔術なら使えます。それに、わたしのせいでそのルミナさんという方がいなくなってしまっているのですから……」

 申し訳なさそうに言うセアを見て、リュウは視線をセイレンにずらす。セイレンはそのリュウの視線から逃げるように斜め上を見ていた。

「わたしにできることがあるのなら、わたしはします。だから、行かせてください」

 空色の瞳はリュウを見つめる。強い意志を込めたその瞳に、リュウは小さく息を吐き出した。

「……わかった。俺も外から君をフォローする。もし危険を感じたらすぐに逃げてこい」

「はい。ありがとうございます」

 にこり、と微笑み、セアはロッドを強く握りしめて取調室へと向かっていった。

 

***

 

「うっわー! すっごーい!!」

 街にある屋台街を歩き進めるルミナは、物珍しそうにあたりを見ながら楽しそうな声を上げている。その一歩後ろでルーウェントもきょろきょろとあたりを見ながら歩いていた。

「本当に……すごいですね」

 普段の正式な法皇の服装とは違うような、菫色の髪をしっかりと隠す外套をかぶってしまえばルーウェントも街を歩くただの少年になってしまう。それにルーウェントを引っ張って歩くルミナが加わればただの中のいい姉弟の姿だった。

 しかし、そんな二人について行くように歩く私服のシャルフは微笑ましげに見ているどころか、周囲にとげとげしい雰囲気を作り出していた。その原因は、本来なら大人数の警備がなければ外に出ることが許されないルーウェントを引っ張り出してきたルミナへの怒り――ではなく、いつルーウェントが狙われるかわからない状況に対しての警戒。騎士としての自分の務めを果たそうとするシャルフの真剣な態度が前面に出た結果である。が、

「……ねえ、ルーくん?」

「え? ルー……くん?」

 耳元でルミナにささやかれた言葉に疑問符を浮かべながら、ルーウェントはルミナの言葉を待った。

「シャルフって、いっつもあんななの?」

「あんな……と、言うと?」

「あの仏頂面。顔は悪くないと思うんだけど、あの仏頂面どうにかならないかしら。もったいないと思うのよねー」

「あ、ああ……」

 ルミナの言うような視点でシャルフを見たことのないルーウェントは、肯定とも否定ともいえないようなあいまいな返事をした。しかし、ルミナの言うことは理解できなくもない。シャルフがいつもの無表情を大きく変えるところを、ルーウェントも見たことがない。

「あ! ルーくん、あっちに面白そうなものあるわよ!」

「え? あっ、ルミナさん!」

 突然走り出したルミナを追いかけようとルーウェントも走り出した時だった。

「うわっ」

「あぁ?!」

 大きな音を立てて、ルーウェントは地面に倒れこむ。それに気づいたシャルフとルミナがはっと大きく目を開きルーウェントに駆け寄った。

「大丈夫?!」

「お怪我はありませんか」

「ええ、大丈夫……」

「こっちは大丈夫じゃねえけどなあ?」

 三人の耳に、男の不愉快そうな声が届いた。顔を上げて声の方を見ると、右腕を押さえながらルーウェントを見下している男がいた。

「あー、いてぇいてぇ。急に走り出してぶつかるなんて、礼儀がなってねぇガキだなー」

 その声を聞き、ルーウェントははっと顔を上げた。にやりとした、歪んだ笑い。男は視線をルーウェントから自分の着ている服に向ける。街中を歩くにはやけに高級そうな装飾の多く付いた服の、ボタンの一つに手を当てた。

「あーらーらー?」

 わざとらしい、大きな声。男は服についている装飾用のボタンを外すと、ルーウェントの顔の前に突きつけた。

「見ろよ、これ? ほら、傷、入ってるだろ?」

「え……」

 ルーウェントの前に突きつけられているのは、青い宝石のようなものがついているボタン。ルーウェントは目を凝らしてボタンを見つけたが、傷らしきものは見えなかった。

「あーあ、せっかく貴重な宝石から特別に作った物なんだけどなあ。どこかの礼儀のないガキのおかげで台無しだぜ?」

 大げさなため息を吐き出し、男は手に持っているボタンをちらちらとルーウェントのそばにいるルミナやシャルフに見せつけながら言う。きらきらと輝く透明な石と、表情を引きつらせるルーウェントを見比べたシャルフは、男の正面に立った。

「何だ?」

「申し訳ありませんでした。そのお詫びは私がしま」

「ちょっとおっさん!」

 シャルフの機械的な言葉を遮るようにルミナが声を上げる。男はシャルフの後ろにいるルミナを見た。

「何だ、小娘?」

「その石、ちょっと見せてみなさいよ」

 ルミナはシャルフの横に立ち、男に向かって右手を差し出した。男は一瞬眉をぴくりと動かしたが、ルミナを見て鼻で笑った後、ボタンを渡した。受け取ったルミナは、親指と人差し指でボタンをつまみ、じっと睨むように見つめる。

「何を考えている」

「何って、こうすんのよ!」

 シャルフの質問に答えるように、ルミナはボタンを上に向かって投げた。

「な、何をするこの小娘!!」

「魔術展開」

 男の怒鳴り声を受けながらも全く動揺を見せないルミナは、首にかけていたネックレスを外して上に向ける。すると、ネックレスはハンマー型のロッドと変形した。見たことのない魔術に、男だけでなくシャルフとルーウェントも驚きの表情を見せていた。

「見てなさいよ。魔術展開!!」

 ロッドを上に向けてルミナが再び唱えると、ロッドの先端を中心に赤い魔法陣が展開された。そして、そこから一気に炎が放出される。その火力に、その場にいたルミナ以外の人物は全員目を大きく開き、驚きを隠しきれていなかった。目の前にいる少女が、こんな大規模の魔術を使えるのか、と。

「ほら、みなさいよ」

 火が消えると、空から黒い何かが降ってきた。それを見て、男が「あっ?!」と悲鳴のような声を上げ、黒い何かのそばに駆け寄った。まるで、それを隠そうとするかのように。

「あたしが知ってる限り、宝石って軽く火あぶりにしてもこんな炭みたいになることはないはずなんだけど?」

 地面にしゃがんで元宝石の黒い炭を拾い上げている男を見下しながら、ルミナが言う。

「おのれ……この、小娘が!!」

 怒りを込めた叫び声をあげ、男はルミナに銃を突きつける。それはただの銃ではなく、魔法銃。それを見たルーウェントがはっと目を開いた。

「ルミナさん!!」

 ルーウェントが叫ぶのと男が引き金を引いたのは同時だった。

 ぎん、と甲高い金属音がルミナの耳に届いた。

「……え?!」

 ルミナの目の前には、剣を男に向けて立っているシャルフの姿。その肩には、傷跡が見えた。

「シャルフ……?!」

「……どうしてお前はそんな無謀なことをする」

 シャルフが淡々とした口調で言う中、ルミナの視線は血の赤色に滲む肩に向けられていた。

「シャルフ、肩が……!」

「……大した傷じゃない」

「大した傷よ! ……ちょっと、どいて」

 ルミナはシャルフの横を通り抜けて、男の前に立った。男は銃を構えたままだったが、とっさに現れたシャルフに動揺した様子を見せていた。

「な、何なんだお前ら……?! う、動いたら撃つぞ!!」

「……撃てるもんなら撃ってみなさいよ」

 裏返る男の声に対し、ルミナの声は冷静で低いものだった。

「くっ……この、ガキが!!」

 男が再び引き金を引く。

「ルミナ!!」

 ルミナの後ろから叫び声が聞こえた。しかし、ルミナはにやりと勝利を確信した笑みを浮かべていた。ロッドをくるくると器用に回し、そして唱えた。

「魔術展開!!」

 ルミナの目の前に魔法陣、そしてその魔法陣の中心には赤い光の弾。ロッドを回し終えたルミナはその赤い球を、ハンマー部分で強く打ち、放った。

 

***

 

「……やっと来たな、ピンクのガキ」

「……はい」

 取調室に入ったセアは、引きつった表情で室内を見た。壁はぼこぼこに凹んでおり、取調べ用に使われているであろう机はひっくり返って部屋の隅に追いやられていた。窓ガラスは何とか割られていないものの、傷が多く入っている。魔術なしにどう暴れたらこんなことになるのだろう、と思いながらセアは折り畳み式の簡易椅子に座っている男の前に立った。

「単刀直入に言います。投降してください」

「ああ? 投降だあ?」

「この部屋の周りには多くの魔術師の皆さんがいます。あなた一人では勝ち目はありません」

「はっ! どうだか。俺に勝ち目が無いんだったら今頃突入してるだろ?」

 にやにやと不快感を与えるような笑みを浮かべながら魔法使いは言う。しかし、セアは視線をそらすことなくじっと魔法使いを見つめた。

「へえ……相変わらずお前、生意気な態度だな」

「……」

「でもな」

 魔法使いは立ち上がり、セアに迫る。突然の行動にセアははっと目を開いて一歩身を引いたが、肩を魔法使いに掴まれた。

「いっ……?!」

「近くから見ると意外と……いい女じゃねぇか、お前」

「何を……!」

 セアは鋭い視線を魔法使いに向ける。が、魔法使いはひるむどころか余計愉しそうに笑っている。肩を掴んでいる手と反対側の手で、セアの顎を掴み、顔を無理やり自分の方に向けさせた。

「嫌いじゃないぜ、お前みたいな女」

「……っ!」

 セアは魔法使いの腕に、持っていたロッドを下から上に向かって叩きつけた。ごっ、という鈍い音がして、魔法使いの手はセアから放れた。その隙にセアは扉の前まで走り、魔法使いと距離を取った。

「いっ?! テメェ……!!」

 魔法使いはロッドで叩かれた腕を押さえながら、セアを睨む。セアは呼吸を荒くさせながらも、おびえた様子を見せずに魔法使いを睨み返していた。

「これ以上此処にこもっても無駄です。早く投降してください」

「……誰がするかよ!!」

 叫びながら、魔法使いは地面に手をつく。直後、セアの足元に黄色い魔法陣が展開された。

「きゃあ?!」

 どんっ、という音がして地面が崩れ、セアの足が床に埋まった。完全に動きが取れなくなったセアを見て、魔法使いはにやりと笑う。

「さあて……どうしてくれようかな、ピンク頭のお嬢ちゃん」

 セアはロッドをぎゅっと握り、魔法使いに向けた。魔法使いはそんなセアを見ても余裕の表情を浮かべている。

「どうせお前の攻撃は一直線だ。そこから動けないお前の魔術を避けることなんて、簡単なんだよ」

「……」

 魔法使いは言いながら一歩ずつ、セアに近づく。セアは魔法使いを見ないように、頭を下げた。それを見て、魔法使いは笑い声をあげた。

「っははははは! 諦めたか、ピンク頭! まあいいぜ、俺が楽しく遊んでやるよ」

「<唸れ、焔>」

 その時、聞きなれない単語がセアの口から発せられたことに魔法使いは気付いた。

「……何だ? もしかして、おまじないの呪文か何かか?」

「<舞え、浄火>」

 魔法使いのからかうような言葉にも耳を傾けず、セアは言葉を続ける。

「<爆ぜよ>」

「……何?」

――つまり、普段魔術使う後に『魔術展開』って言えば魔術が使えるようになるってことだ

 リュウの言葉を思い出しながら、セアは顔を上げて、叫んだ。

「――魔術展開!!」

 

***

 

 激しい爆発音がした後、何が起こったのか、セアもルミナも覚えていなかった。

 ただ一瞬だけ、普段自分が来ている服を着ている、自分によく似た少女を見たような、気がした。

 

 

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