山田太郎物語―存在許可証―

                   

「『存在許可証』の提示をして頂きたいのですが」

 ……は?

 チャイムの音を聞いた私は、玄関の扉を開いた向こう側にいるスーツ姿の男性の言葉にただ唖然とした。聞きなれない単語を、その男性は言った。

「えっと、もう一度言っていただけませんか?」

「『存在許可証』です。『存在許可証』の提示を」

 営業スマイルを浮べるスーツの男性はそう言った。セールスマンのように見えるけれど、許可証、という言葉からセールスマンと言うよりは役場の人間であると思われる。こんな昼下がりにスーツ姿と鞄を持っている男性はほとんどセールスマンに思ってしまう。ここからもしもセールスをするとしたら一体どんな高額商品が出てくるのだろうか。予想がつかない。

「存在、許可証ですか…」

 私が言うと、男性は頷いた。「そうです、『存在許可証』です」

「あの、何で提示しなくちゃいけないんですか?」

「定期的に『存在』を確認する為に『許可証』が必要なのですよ。これがないと、あなたの『存在』は『許可』されていないことになって、『証明』されないのです」

 長々とした言葉をよく言ったものだ。マニュアル通りの説明、と言う印象を受けた。

「存在を、許可、証明…。えーっと、よくわかんないんですけど、その、存在許可証、でしたっけ?」

「よくわからない、と申しますと?」

「だから、ちょっと見たことがないと思うんですよ…。あ、もしかして何かと勘違いとか間違えたりとかして、どこかに直しちゃったのかも…」

 「はぁ…」力なく男性が頷く。その様子からして、男性は帰るつもりはないのだろう。今までのセールスマンを追い払ってきた私の経験が語っている。そこで、私は時間稼ぎをしようと考えた。

「だから、その……存在許可証ってどんなものか見せていただきませんか? それ見ればもしかしたら、どこに片付けたか思い出せるかも知れないんで」

 まずいなあ、これは失敗したかも知れない。そう思ったとき、男性は頷いた。まさか頷いてもらえるなんて、ちょっと驚いた。

「わかりました。では、私の『存在許可証』でよろしければ」

 そう言って、男性は鞄の中から一枚の薄い紙を取り出す。一番上にでかでかと『存在許可証』と書かれており、その下に少し小さめの文字で様々なことが記されている。

「こちらが、私の『存在許可証』です。これで、私の『存在』は『許可』されて、『証明』されています」

 そうなんですかぁ、などと言いながら私は男性の許可証を見る。彼の名前は『山田太郎』と記されている。なんだか典型的な男性の名前だ。逆にこの名前をつける人って少ないんじゃないかなと思った。許可証には名前、生年月日、血液型、経歴といったものが記されていて、履歴証のようだ。

 しかし、携帯の機種やチャームポイント、好きな食べ物、好みの異性のタイプなど履歴書には普通書かないものも記されている。どう考えても好みの異性のタイプは絶対就職などには使わない。

「ご覧になったこと、ありませんか?」

 存在許可証とやらに見入っていると、男性…山田太郎が私に声をかけた。

「えーっと……」

 まずい。これはその存在許可証を見せるまでは山田太郎はずっと、しかもしつこくここに居るだろう。今まで何度かセールスマンを見ていると、分類が出来ることを知った。何回も言ってきてすぐに帰るタイプとすぐに帰らないタイプ。もちろん、山田太郎は後者だ。

「も、持ってないかもしれません」

「それは大変だ!」

 先ほどまで割りと淡々とした声で話していた山田太郎が目を剥いて大声を上げた。そのリアクションはやけに大げさだった。まるで、演技のようで、少し不気味。

「それでは貴方の『存在』が認められていないことになりますよ! 大変だ!」

「……はい?」

 さっきから思うのだけれど、誰に私の存在が認められていないといけないんだ。誰に私の存在を証明しないといけないんだ。ちょっと苛々してきた。早く帰らないかな、山田太郎。

「困りましたねえ……」

 山田太郎はうーんと唸って腕を組む。その動きも演技っぽい。

「あの、その存在証明証…でしたっけ? それってどこかの役場かなにかでもらえるものなんですか?」

「いえ、これは必ず持っているものですよ」

 そんな事言われましても……これはセールスよりもたちが悪いな、と私は目を細めた。

「再発行、とかできませんか?」

「再発行……ですか。できないことは、ありませんが…」

 山田太郎はスーツの胸ポケットからハンカチを取り出し、額についた汗を拭いた。その表情は困ったような顔をしている。何だ、再発行できるならいいじゃない。もしかして、その困った顔は仕事が増えたからか? 働け、公務員。

「それでは、貴方の『存在』を『証明』できるようなものを提示していただけませんか?」

「はい、わかりました」

 存在を証明…ねぇ。私は山田太郎に背を向けて部屋に行く中で考えていた。身分証明ができるものでいいのかな、と思い部屋の机の引き出しを開ける。

「見つかりましたか?」

 玄関に戻ると山田太郎が微笑みながら私に尋ねた。私は「はい」と言って頷き、部屋から持ってきた保険証を山田太郎に見せた。

「…ええと、それでは貴方はナガサワマサミさんでよろしいですね?」

 ………はい?

 その名前は、私の名前ではない。

「あの、すみません。それ、私の名前じゃないんですけど」

「え? ですが、こちらに明記されている名前はこうなっていますよ」

 山田太郎が、私に保険証を見せた。そこには確かに『ナガサワマサミ』と記されている。嘘だ、と私は口を押さえた。もしかして間違えて持ってきたのかもしれない。私は慌てて運転免許証を見せた。

「すみません! 間違えちゃったのかも……こっちなら大丈夫だと思います!」

 山田太郎は運転免許証を手にとり、じっと見つめた。何度か頷いて、再び私に言う。

「それでは、ナカマユキエさんでよろしいですね?」

「は?」

「ほら」

 山田太郎が見せた運転免許証には確かにナカマユキエと書かれている。

「嘘…」

「嘘ではありませんよ」

「ちょっと待ってください!」

 山田太郎に対してよりも私は自分に言い聞かせる為に叫んだ。どういうことだ、私の名前はどこにあるんだ。走って部屋に向かう。

 机の中にある、私に関係するものを出す。それは学生証であったり、会員証であったり、履歴書であったり……

 ハマサキアユミ、ニイガキユイ、ホリキタマキ、ナカジマミユキ……

「違う! 私の名前じゃない!」

 アキヤマリナ、アオキサヤカ、ヒラノアヤ、ミヤベミユキ……

「違う! 違う!!」

 キムラタクヤ、フクヤママサハル、オオタヒカリ、サクライショウ、サトウタケル……

「違う! 違うの! 私の名前じゃない!!」

 いくら探しても、私の名前は見つからない。私の名前はどこ? 私の名前は何? 私の存在はどこ?

「私の存在は……」

 

 私の存在は…、私の『存在』は『許可』されているの? 私の『存在』は『証明』されているの?

「私は、誰?」

 

「見つかりましたか?」

 再び、同じ言葉を聞いた。声のしたほうを向くと、そこには山田太郎が立っていた。先ほどまでとは打って変わって無表情になっている。

「え…」

「貴方の『存在』みつかりましたか?」

 声は穏やかなのに、顔には全くもって穏やかさがない。一歩ずつ、山田太郎は私に近付く。

「私は…」

 部屋中に散乱している私に関係するものを見る。そこには一切、私に関係していることは記されていない。私の『存在』を『証明』してくれるものは、何もない。

「私は……」

「貴方の『存在』は『許可』されていません」

 機械のような山田太郎の声が私の耳にはっきりと届いた。その声に、穏やかさも何もない。山田太郎が、土足で散乱しているものを踏む。そこに記されているものは、誰の『存在』を『証明』したものなのだろう?

「『許可』されていない『存在』は私が処理しなければいけないのです」

 そう言って、私の腕を山田太郎が掴んだ。少しずつ、力が加わって私の腕に痛みが走る。どこからそんな力が湧くんだ? このまま力が加わり続けたら、骨が折れるんじゃないか、と言うぐらい痛い。

「その感覚も、『許可』されていません」

 山田太郎が言った瞬間、腕の痛みが消えた。いや、無くなった。

「いや…」

 ごきん、という不気味な音がした。私はゆっくりと山田太郎が握っていた腕を見る。ぶらん、と力なく私の腕は垂れ下がっている。

「……うそ」

 それでも山田太郎は腕を掴んだままで、ぱきぱきぱきと乾いた音がした。骨の砕ける音だ、と理解した時、私の耳から音という音が消えた。

 何で? そう思って、山田太郎の顔を見る。その途端、視界が消えて、真っ暗になった。そうか、聴覚も視覚も『許可』されていないからだ。冷静にものを考えられている今の状態が不思議だ。

 そう思っt――――――――――――――

 

 

 はじめまして、私、山田太郎と申します。以後、お見知りおきを。

 さて、私のことについて少しだけ説明させて頂きたいと思います。私、これでも重要な職に就いているのです。ただのサラリーマンではないのですよ。

 私の重要な職、それは『存在』を『許可』されているか確認をするのです。そのために、『存在許可証』の提示を求めているのです。ちなみに私の『存在許可証』は……え? 見せなくていい? そうですか……。それで、それがなければ、『存在』が『許可』されず『証明』されなくなるのですよ。これはとても大変なことなのです!

 ……え? そんなものがなくても、自分の『証明』ぐらいできる?

 そう仰いますがね、そういかないものですよ。貴方だって一度ぐらい思ったことがあるでしょう?

「別の何かになりたい」

「別の誰かになりたい」

「自分がもう嫌だ」

 こう思うたびに、貴方は自分の『存在』を認めようとしないまま『存在』しようとするのですよ。これはすごく重大な問題であることを、貴方は知らないでしょう?

 だからこそ、この『存在許可証』が必要になるのです。貴方がここに『存在』していることを『許可』して『証明』する、大切なものです。

 貴方の『存在』を『許可』するのは貴方自身、貴方の『存在』を『証明』するのは貴方自身。そう思われているでしょう? 確かに間違ってはいません。間違ってはいませんが、でもそれはあくまでも自分の中の……自己満足に近いもの。結局、自己満足は他人に認められない場合が多いじゃないですか。つまり、他人にはっきりと自分の『存在』を『証明』する為に、生まれながらに持っているものが『存在許可証』なのですよ。

 ………はあ。ああ、すみません、ため息なんて吐いて。今日もまた『存在』を『許可』されていない人を見つけましてね……多くて困ったものです。

 

 ところで、

 

 貴方の『存在許可証』はどこにありますか?

 

 

 

 

 

:あとがき:

イメージは世にも奇妙な物語です。そんな、山田太郎物語でした。

しかし山田太郎というタイトルなのに主人公は太郎さんじゃない……のかな?

そしていろいろな名前が出てくるあたりは桃月の趣味がよくわかる感じがします。完全に趣味突っ走ってるけどお許しください(笑)

この作品はかなりお気に入りな話です。文芸でもよい評価を頂いたので思い出深い作品にもなりました。

『存在許可証』は一体誰が、どこで作っているのか……ところで、貴方の『存在許可証』はどこにありますか?

 

 

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