チューリップ・フェスティバル
最悪の状況だ。
僕と彼女は、目の前に広がる赤い花畑を見つめていた。晴れでも雨でもない、曇り空の下で。
今日は僕と彼女にとって、『はじめてのデート』で、少し離れた街で行われているチューリップ・フェスティバルというものを見に行くことになった。しかし、互いにやっと予定が空いたと思ったら、天気は優れない。車に乗り込むときは、灰色の雲の隙間から空が見えていたのだが、チューリップ・フェスティバルの会場に向かえば向かうほど、雲は厚くなっていった。そして、到着した今は、いつ雨が降ってもおかしくないような曇り空。
こんな天気の中で、わざわざチューリップを見に来る物好きはいない。そう言わんばかりに、会場には僕ら以外誰もいなかった。
本当に、最悪の状況だ。
正直、車の中の会話だけでもいい状況ではなかった。彼女が好きと言っていたアーティストのCDを前日にレンタルショップで借りて、彼女が好きそうなテレビも見て、どんなことを話すかも決めたのに、全く役に立たなかった。
「あ、僕この曲好きだな」
「わたし、あんまり好きじゃない」
「……」
「……」
「そういえば、昨日のドラマ。なかなか面白い展開になっていたね」
「昨日、帰ってからすぐ寝たから見てない」
「……」
「……」
助手席に座る彼女はじっと真正面を見て黙っていた。会話はぶつりとそこで途切れて、車内には彼女の好きなアーティストの曲が延々と流れていた。
そんなことを思い出して、僕は少し憂鬱になった。きっと、彼女もこんな状況を良く思っていないだろう。そして、こんな状況に持ってきた、僕のことも。
こんな曇り空の下でも、チューリップの色だけは鮮やかだった。曇りで薄暗い中、よけい映えて見える。
「チューリップ・フェスティバルって」
隣で歩く彼女が唐突に口を開いた。何を言うのか、少し期待していた僕は彼女の顔を見る。彼女は僕のほうを向かずに、言葉を続ける。
「たいしてチューリップ無いわね」
厳しい彼女の言葉が、僕の胸に突き刺さる。「もうちょっと事前に調べて、いい場所に連れて行けよ」という意味も含まれている気がした。
確かにチューリップ・フェスティバルという割にはチューリップの色は赤だけだし、彼女の言うようにチューリップの本数もたいして無い。あったとしても、五百本くらいだろうか。さすがに、どこかのテーマパークのように何千本や何万本も用意出来ないのだろう。どうせ、小さな町の運動公園でのイベントなのだ。
僕は、小さく息を吐いた。吐いた後に、僕は後悔した。隣の彼女の顔を慌てて見ると、聞いていなかったらしく、広がるチューリップ畑を見ている。せっかくのデートなのに、それも『はじめてのデート』なのに、彼女の横でため息を吐くなんて、タブーだ。彼女のテンションも、自分自身のテンションも下げてしまう。
「……あ」
彼女が小さく口を開いたと、同時に、僕の頬に雫が落ちてきた。とうとう、雨が降り始めてしまった。
「まずい……」
僕は慌てて鞄から折りたたみ傘を探す。慌てていると、普段なら簡単にできることも、上手くいかなくなる。鞄の奥底に手を伸ばしても、傘が見当たらない。そう思っていたら、急に体に当たっていた雨の感触が無くなった。
「え?」
「傘、忘れたの?」
彼女が、いつの間にか取り出した自分の折りたたみ傘を広げて、僕を入れてくれていた。
「あり、がとう」
「こんな天気で傘を忘れるなんてね」
何やっているのよ、あなたは。そんな言葉が続きそうな声色に、僕の肩は小さくなる。そんな僕にも彼女は傘を差し続けている。
「持って」
「……え?」
「あなたのほうが背、高いでしょう。だから、持って」
どうやら彼女は僕が傘を持っていないと思っているらしく、相合傘をしよう、と言ってきている。このまま傘を探しても見つかりそうにないから、僕は頷いて、彼女の傘を受け取った。
ざあざあ、と雨が降る中でもチューリップの色はやけにはっきりとしていて、鮮やかだ。
「桜って、さ」
二人の間にあった沈黙を破ったのは彼女だった。しかし、視線は僕に向けられていない。
「雨の中で見るのも綺麗って、聞いたことない?」
「ああ……、何かで見たことある気がする」
「なら、チューリップはどうなのかしら」
「チューリップ?」
雨の中で咲くチューリップ。桜の場合は、雨に打たれて花弁が散るから美しいのだろうけれど、チューリップは雨に打たれるくらいでは散らない。果たして、雨とチューリップという組み合わせは、桜と同じような美を生み出すのだろうか。
なんて、自分でもよくわからない自問自答をしていると、隣の彼女がくすりと笑った。
「可笑しい」
「何が?」
「そんな風に、真剣な顔で考えるなんて」
「君が言ってきたのに」
僕が言っても、彼女はくすくすと笑い続けている。その顔を見て、僕はやっと安堵した。何にせよ、彼女が『面白い』とか『楽しい』と感じてくれているのなら、僕はそれで安心する。
「あなたって、本当に真面目ね」
「真面目?」
「そう。だって、わざわざわたしの好きなアーティストのCDも揃えてくれたし、わたしがいつも見るドラマも見てきてくれたし。あれ、絶対あなたは見ないって思っていたのよ」
そうだったのか。わざわざ今までのあらすじまで確認した僕は、少し恥かしくなった。確かに、あの番組は『イケメン』といわれる人たちが活躍するような番組で、男性向けではないとは思っていた。案外、見れば面白かったのだけれど。
「ごめんね」
「え?」
笑いを収めた彼女が、突然謝った。何で謝られたのかわからない僕は、ずっと前を見る彼女の横顔を見た。
「ちょっとね、いじわるしちゃった。車の中も、さっきも、冷たく言っちゃって」
どういう事だ? 全くわからない僕は何も言えず、ただ、彼女の言葉を待った。
「わざとあんな言い方ばっかりしたの。だって、あなた、すぐに詰まって面白いから」
……僕は、からかわれていたのか。僕はちょっと、泣きたくなった。
「だから、ごめんねって謝ったのよ。本当に、そんな風に凹まないでよ」
「どれだけ僕が心配していたか、知らないで……」
「いいじゃない。結果、成功しているわよ」
一瞬、その言葉の意味がわからなくて、何度か瞬きをして彼女を見た。彼女は、微笑んでいる。
「わたしにとって、いい『はじめてのデート』だったわ」
そう言う彼女の頬は、暗いこの空間でチューリップと同じくらい、鮮やかな赤色に見えた。
ものかき交流同盟『春祭り2010』に出展させていだきました。 タイトルにもなった『チューリップ・フェスティバル』は某テーマパークの催しをイメージして書きました。と、いってもスケールはかなりダウンされていますが。 『はじめてのデート』で緊張しまくる男と、そんな男をからかう女の話でしたが、二人のなんともいえないぎこちなさが出ていればいいなあ、なんて思っています。ぎこちない男女が大好きです! |