オーバー・パワー

 

〈基本知識〉

 その時代は、『一般人』と『魔法使い』が共存している『科学』の時代。『魔法』は『一般人』の知り得ない超常現象と認識されている。もちろん、『魔法使い』にとっては当たり前、常識の世界なのだが、『一般人』に説明しても理解できないだろう。

世界人口のほとんどは『一般人』で構成されている。『魔法使い』は年々増加傾向にあるものの、まだまだ少ない。『魔法使い』は突然変異で発生する。一種の超能力である。時々、『魔法使い』は超能力者と呼ばれることもあるが、現在ではほとんどが『魔法使い』と呼ばれている。『一般人』にとっては『魔法使い』も超能力者も大して変わらないと認識されていて、『魔法使い』にとっては超能力者なんて眼中にない。

 

 

〈東原の記録〉

 彼女の様子が異常であると感じたのは先週の月曜日。彼女はずっと同じ窓を見つめている。翌日も、そのまた翌日も、彼女はずっと窓を見続けている。

「東原、先生」

 彼女が私の名を呼んだのは先週の水曜日。久しぶりに聞いた彼女の声は、擦れていた。食事もせず、窓を見続けた彼女は少しやつれていた。

「私、外に出たいです」

 彼女がそう言った。だからこそ、彼女はずっと窓を見つめていたのだろう。外に出たい、という彼女の願いを私は叶えることができなかった。彼女はあくまで『研究対象』。外に出して異変が起きたら一大事だ。

「申し訳ない」

 私がそう言うと、彼女は小さく微笑んだ。駄目で元々、訊いたらしい。私は少し、悲しくなった。

「東原先生、天気はよかったですか?」

 彼女の声は、とても柔らかくて心地よい。私は彼女の声を聞くのが嫌いではなかった。

「とても晴れていたよ」

「そうですか。空がとても、青いですね」

 再び彼女は窓を見る。よっぽど彼女は外に出たいのだろう。しかし、彼女が外に出ることはないだろう。

 

 実験は失敗に終わる。

 

 それは決定事項だった。目の前の彼女はつまり、失敗作なのだ。こんなにも美しく、優しい声を持っているというのに、彼女は失敗というレッテルを貼られている。その事実はとても悲しいものだった。私と共に実験をしていた仲間もまた、悲しんでいた。

「ここまで成功したのに、どうして」

「どうして、か。結局は運まかせなのだろう」

 私が言うと、私の部下の楠木がいままでの実験データをまとめた書類をぐしゃぐしゃに丸めた。その書類を地面に叩きつける。彼はこの実験に「全てを賭けている」と言っていた。

 私たちが行なっていた実験は、対『魔法使い』の生命体を作り上げること、いわば人工の『魔法使い』を作る実験である。楠木は恋人を『魔法使い』に殺害された為、『魔法使い』を恨んでいた。だから、実験に全てを賭けていたのだ。

「東原先生」

 実験を終えた彼女が私のもとにゆっくりと歩いてくる。彼女は楠木に小さく一礼したが、彼は彼女を少し睨んだ後、その場を去った。

「ごめんなさい、先生」

「謝ることではないよ。我々の努力が足りなかったまでだ」

「でも、楠木さんを悲しませてしまいました」

 そう言っている彼女の声こそ、悲しげなものである。私はどうする事もできず、彼女を実験待機室まで送った。楠木は、それからしばらく私のもとに来なかった。失敗のショックが大きかったのだろう。私はただ、そう思っていた。

 

 

 彼女は実験を失敗した先週の日曜日からずっと実験待機室にいた。そして翌日の月曜日に私は彼女の異変に気付いて、水曜日に久しぶりの会話を交わした。彼女はその間、食事を取っていなかった。なので、私と彼女は一緒に昼食をとった。

「先生、私には何もできないのですか?」

 スープを口に運びかけていた私はスプーンを置いて彼女を見た。

「私は、皆さんを悲しませたくない。実験を、成功させたい」

「申し訳ない。私にはどうしようもできないことだ」

「どうしてですか? 先生は、素晴らしい頭脳をお持ちだと聞きました」

 きっと楠木が言ったのだろう。以前、彼女に楠木が何かを教えていた姿を何度か見かけた。彼女は私の手にすっと触れた。人の体温とは思えない、冷たい手がそこにある。

「私、ただの実験体で終わるのですか?」

「そうなるかもしれない」

 上の決定ではそうなってしまうかも知れない。私は彼女に嘘をつくことはできなかった。彼女はそれでも微笑んだ。

「ありがとうございます、先生」

「何故、礼を言う?」

「東原先生は、正直に教えてくださったから。他の方は正直に教えてくれないと思います」

「そんなことない」

 私が答えると、彼女は小さく首を振った。その微笑みも、やはり美しい。

「先生、ありがとうございます」

 まるで鈴のような柔らかい声。今まで触れていた彼女の冷たい手が、離れた。少しだけ寂しく思った。

「私は、何もしていない」

「一緒に食事をしてくれてるじゃないですか」

 そう言って、彼女はスプーンを手にしてスープを口に入れた。しばらくの間、私たちは会話をしなかった。

 

 

「私、『魔法使い』は嫌いじゃありません」

 彼女がそう言いだしたのは先週の金曜日だった。突然の発言に私は驚かされた。

「嫌いじゃない? 『魔法使い』が?」

「はい。だって、変わらないじゃないですか『一般人』も『魔法使い』も」

 彼女はそういうけれど、『一般人』である私には到底理解できない言葉であった。やはり、人工でも『魔法使い』だからか、私たちと違う考え方を持っているようだ。

「そうなのか?」

「そうじゃないですか。見た目も使う言葉も同じ。なのに、何が違うのです?」

「根本が違う。『魔法使い』には『一般人』にはない力がある」

「それは個性と同じです」

 まっすぐに私を見つめて彼女は言う。黒い瞳の奥に私が見える。

「先生は、そうお考えにならないのですか?」

「そうは考えなかったな。けれど、個性にしても恐ろしい部分がある」

 私が言うと、彼女は一瞬悲しげな顔をした。そうだ、彼女も『魔法使い』に近い生命体なのである。

「東原先生」

 私の名を彼女の柔らかい声が、悲しげな何かをつけて呼ぶ。

「私、『魔法』は使えません」

 彼女の言葉ははっきりと聞こえた。私を貫こうとするようなその声は先ほどまでの柔らかさを感じさせない。

「だけれど、私は『魔法使い』になる実験を受けました」

「ああ」

「先生、私のことをお嫌いですか?」

 私は否定した。

「なら、私のことを恐ろしいと思いますか?」

 首を振り、否定をする。彼女を恐ろしいと思ったことは一度もない。

「私も、先生のことを恐ろしいとか嫌だとか思ったことなんてありません」

「何が言いたい?」

「私は失敗作。だから中途半端に『一般人』であり、『魔法使い』でもあります」

 そして彼女はその日、口を開こうとはしなかった。

 

 

 楠木が新しい実験を行なうと言い出したのは彼女と話した翌日、先週の土曜日だった。楠木の目の下には大きな隈ができている。

「新しい、実験?」

「ええ。新しい実験体を入手しました。だから、新しい実験ができますよ」

「どんな内容だ?」

 私が尋ねると彼は実験データの書類を見せた。行なう、と言いながら既に実験は行なわれているらしい。楠木のデータには実験の内容が事細かに記されている。しかし、その内容は現在彼女に行なっているものよりも激しいものだった。いつ実験体が死んでもおかしくないような、非道な実験である。

「楠木、どういう事だ。これは、基準の実験の範囲を超えている」

「そうでもしなければ成功しないのですよ!!!」

 肩で荒く息をして、楠木は叫んだ。そんなにも人工の『魔法使い』、対『魔法使い』生命体を作り出そうとしているのは、彼が恋人を『魔法使い』によって殺害されたことが大きいのだろう。恋人が殺害されるまでは彼女と話す姿を見かけていたのだが、殺害されてからの楠木は恐ろしいほど実験に執着した。彼女との会話もなくなり、実験の結果のみを見つめていた。

「すみません、東原さん。けれど、私はどうやってでも実験を成功させたいのです」

 そう言って彼はその場を去った。楠木の背中はまるで何かにとり憑かれているように見えた。

 

 日曜日。午前中、実験待機室に向かうと、彼女はぼんやりとまた窓の外を見ていた。

「東原先生、今日の天気はどうでしたか?」

「雨と風がひどい。いい天気とは、いえないな」

「ですよね」

 彼女が微笑む。柔らかい声が、私の耳に響く。

「ねえ、先生。外に、行きたいです」

「どうして、そんな事を考えた?」

 私が尋ねると彼女が驚いたような顔をした。そして、少しだけ笑って彼女は答えた。

「外が綺麗だからです。東原先生と外を見てみたくて」

「外を、見たいのか」

「はい。どんなものがあるのか、見てみたいです」

 そして彼女は目を閉じて首を振った。

「無理なのは、わかっています。言ってみたくて、ただ、それだけです」

 彼女は微笑む。私には何もできることはない。彼女の思いは把握しているのに、私は何もできない。

 午後、私は今までの実験のデータをまとめていた。そして、先日楠木から受け取った実験データを見る。私には彼を止める権限も何もないため、彼の実験をただデータで知ることしかできなかった。果たして実験体はどうなっているのだろうか。あの実験を続けていては、実験体はもう死んでしまうだろう。

「実験は、失敗か」

 彼女に行なってきた実験は今まで発生した『魔法使い』の事件の事例からわかった『魔法』と同等のものを彼女の体に埋め込むというものであった。しかし、連続で何日も続けると彼女の体に大きな負担がかかってしまう。時間はかかるが、確実に彼女に力を与えられる方法だった。楠木が行なっているのはそれを一日でまとめて行なおうとしているのだ。その様な実験は、実験体に大きな負担をかけて生命活動に影響を与えてしまう。

「楠木……」

 彼は、一体どうしてしまったのだろう。私が実験データを見つめていたそのときだった。

 事件が発生した。

 

 

〈東原の記憶〉

 東原の実験観察室に楠木が入ってきた。

「楠木」

 楠木は東原の声を聞いて口元を小さく上げた。その表情の変化に気付いていない東原は楠木に実験についての話を出した。

「やはり、君の実験は間違っている。あのような実験を続けていたら、実験体だとしても、肉体が持たない」

 しかし、楠木にはその声が届いていない。

「楠木、もう一度方法を考え直すべきだ」

 東原がそう言った瞬間、楠木はズボンのポケットから小さなナイフを取り出した。それを見て、東原は目を大きく開いた。

「何を、するつもりだ」

「私は、実験を成功させたい。ただ、それだけです」

 楠木がナイフを振り上げた一瞬、東原は実験観察室を飛び出た。楠木はゆっくりと歩き、東原を追う。

「楠木、どういうつもりだ!」

「私の邪魔をする者は、消えろ!!」

 楠木の狂った言葉は廊下に響く。東原は実験待機室の前に来てしまった。このままでは、彼女も巻き込んでしまう。そのとき、実験待機室の扉が開かれる音がした。

「東原先生? どうかしたのですか」

 扉の隙間から彼女が顔を出す。東原ははっとして、廊下の向こう側を見る。笑顔のままの、楠木がいた。

「扉を閉めろ! 出てはいけない!」

「何が起きているのですか、先生?」

「いいから、部屋に入りなさい!!」

 東原が言っている間に、楠木は東原に向かって走っていた。

「先生!!」

 走ってくる楠木の姿を見て、彼女が叫ぶ。そして、彼女は東原の腕を引っ張り実験待機室に入れた。すぐに扉を閉めて、楠木を中に入れないようにした。

「開けろ!! 今すぐに開けろ!!!」

 扉を強く叩く音と、楠木の狂ったような言葉が響く。肩で荒く東原は呼吸をして、彼女もまた怯えた表情を浮べている。

「楠木さんは……どうしたのですか?」

「わからない…ただ、彼は彼で新しい実験を行なっているらしい。だけれど、彼の実験は危険だ」

「危険…?」

「君の実験を一日に何倍もしている。もしかしたら、彼の実験体は死んでしまったかも知れない」

「そんな」

 しばらくして、扉を叩く音がしなくなった。けれど、鍵をこじ開ける音がし始めた。楠木も実験者であるため、実験待機室の鍵を持っているのだ。

「先生…!」

 彼女が東原の腕を掴んだ。そして、扉が開かれる。

「お前のせいで……お前が実験に失敗した、せいで……」

 獣が唸るような声で、楠木は言った。低く禍々しいその声に東原は『魔法使い』に対するもの以上の恐怖を感じた。これが『一般人』なのか。これが私と同じ姿のものなのか。そして楠木はナイフを東原に向ける。

「お前のせいだ、全て、全てお前の……お前の……!」

 ナイフが天井の電光にあたり、銀に輝く。

「お前のせいで!!!!!!」

 銀色が東原の目の間に近付いた。

 

 

〈東原の記録〉

 私が目を開くとそこは実験待機室だった。起き上がるとそこにはナイフを持って血まみれで倒れている楠木と、実験待機室の壁に寄りかかっている血まみれの彼女がいた。

「どういう…ことだ……」

「せ、ん、せい」

 擦れた彼女の声が聞こえた。私は彼女のもとに駆け寄る。彼女の呼吸は短く、浅いものだった。

「大丈夫か、しっかりしろ!」

「先生…ご、め……んな、さい」

「どうして謝る!」

 苦しげな表情をしているのに、彼女は私の前で笑顔を作った。

「本当は…『魔法』使えるのです…ずっと、ずっと……隠していました…」

「どう、して…」

「怖かった……先生が、私と…一緒にいてくれないって思ったら、怖くて」

 彼女が微笑み、私の頬に触れる。水のように冷たい手が私の頬を冷やした。

「せん、せい……私のこと、こ、わい…ですか…?」

 私はいつか彼女に言った『魔法使い』に対する印象を思い出した。『魔法使い』は恐ろしい。私はそう言った。しかし、私の目の前にいる少女は、苦しいはずなのに笑って、私の頬に触れていた。彼女の呼吸はどんどん浅くなってゆく。

 例え彼女が『魔法』を使えても、実験体の一つであっても、誰かを殺してしまっても。

「そんなはず、ないだろう」

 私が言うと彼女は苦しみから解放されたように微笑み、そのまま目を閉じた。私の頬に触れた手が落ちる。

 

 

「私は、東原先生のことが、好きでした」

 聞こえもしないはずの声が、その部屋に響いた。

 

 

 

 :あとがき:

東原先生はかなりいい男性だと思います。

そんなことを主張したかった話……じゃないですよ!(笑)

この話は、「最後の魔法」からできた物語、といった感じです。「最後の魔法」が一般人視点だったので、今回は微魔法使いの視点からです。でも結局怖いのは一般人だよね、って話です。

少女と東原先生は、多分愛情ではないけれどそれに近い関係にあったと思います。

報われない二人、って切ないですよね。

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