桃色キッス!

 

 どうして俺が、こんな面倒なことに巻き込まれているのだろうか。

「あたしにキスしなさい、桃太郎」

 黒く長い髪を持つその女子生徒は、俺を指さしてはっきりと命令した。彼女の名は島田ミカ。俺とは同級生で、クラスメイトである。前述したように黒く長い髪を持っていて、瞳もやっぱり黒。学校の制服も黒のセーラーなので、彼女は全身黒尽くめ。しかし、それは黒い学ランに身を包んでいる俺も同じだ。そんな同級生島田ミカは、突然俺を誰も来ないような体育館裏に呼び出した。そして、最初の発言に至る。

「どうしたのよ、桃太郎」

「あの、さ。その、桃太郎って俺のこと?」

 俺が尋ねると、島田は指を下ろして頷いた。それから俺を睨んだ。

「キスしなさい、桃太郎」

「待て待て。とりあえず落ち着けよ島田」

「あたしは至って冷静よ。だからさっさと唇と唇を合わせなさい」

 どこが冷静だ。確かに表情は冷静そのものだが、絶対に頭は混乱していると思う。そんな、いきなりクラスメイトにキスしろって命令するか。

「島田、本当に落ち着けって。まずな、俺は桃太郎じゃないから」

「でも、あんたは岡山桃司でしょう?」

 再び俺の顔に向かって人差し指を指す島田。その名は確かに俺のものなので肯定の頷きする。

「ならあんたは桃太郎よ。早くキスしなさいよ」

「意味がわからん」

「意味がわからないはずないでしょう? あんたは桃太郎なのよ」

 名前に『桃』という字が入っているせいで確かに『桃太郎』とからかわれた事があるが、それはもう小学校低学年の時の話である。今、俺も島田も高校生だ。そんな風に言われるのはもう何年ぶりか、少し新鮮に思えた。けれど、島田がからかいの意味で俺をそう呼んでいるようには思えなかった。

「俺が桃太郎?」

 まず、俺の頭の中にある『桃太郎』の知識を引っ張り出そう。

 昔話に出てくる主人公で、お爺さんとお婆さんに拾われた巨大な桃から生まれた少年だ。それから成長した桃太郎は猿と犬と雉を連れて鬼が島と呼ばれる鬼の巣窟に行く。そして、鬼を倒して宝物をお爺さんたちに持ち帰ってハッピーエンド。

 一方俺のことを考えてみよう。俺は割と普通な高校生である。成績はあまりよくないし、部活には所属していないせいでプラスポイントが少ない。けれど、そんなに変なこともしていないはずだ。こんな風に女子生徒と関わりを持つことなんてほとんど縁がない。だから、今島田に呼び出されただけでもかなり緊張している。人はこれをヘタレと言うらしい。

「何で、俺が桃太郎なわけ?」

「そんなの知らないわ。あんたの家が桃太郎の一族の血を引き継いで、あんたは桃太郎の力を持っているのよ」

「……はい?」

 そんなの聞いた事ない。それだったらすぐに母さんが浮かれて「実はうちってあの桃太郎の一族らしいのよー!」なんてはしゃいで俺に報告してくれるだろう。

「何それ?」

「あんた、かなりバカね」

 呆れたような顔をして島田がため息を吐いた。バカなのは認めるけど、いきなりそんなことを言われて「何それ?」と言うのは仕方ないだろう。少しばかり俺も腹が立ったので、島田に反論してみる。

「まあ、仮に俺の家が桃太郎一族の血を引き継いでいて、それで俺が桃太郎の力を持っていたとしてもさ、何でお前とキスしないといけないわけ?」

「あたしが鬼の力を持ったからよ」

 何でもないことのように、島田は言った。また新しい単語が出てきた。これならまだ英単語を百個ぐらい覚えるほうが楽かもしれない。

「鬼の力?」

「そうよ。桃太郎の話ぐらいはわかるでしょ? それに出てくる鬼よ」

「鬼退治の鬼だろ? それなら桃太郎さんが全員退治しただろ」

「鬼の肉体自体は退治できても、力だけは残ったのよ」

 あの物語の中に実は鬼の力なんてあったのか。そんな描写どこかあったか?

「それで、あたしの家はその力を引き継ぐ者が生まれてしまうのよ」

「はぁ」

「鬼の力は鬼だけじゃ何の意味も持たないし、桃太郎の力も桃太郎だけなら何でもないのよ」

「へぇ」

「ただ今年は鬼の力も桃太郎の力も揃ったの。そのおかげであたしの鬼の力が目覚めてしまうのよ」

「はぁ」

「あんた、どうでもいいって思っているでしょ?」

「うん」

 俺が返事をすると、島田は突然左足を一歩下げた。何事かと思っていたら、島田の足がぐるりと回って俺の右頬に直撃した。あ、パンツは見えなかった。

「うぁ?!」

 そのまま俺は倒れこんだ。島田は回し蹴りなんてしていません、と言いたげな顔をしている。

「ふざけないで。あんたの桃太郎の力が目覚めても何も起きないだろうけれど、あたしの鬼の力が目覚めたら厄介なことになるのよ」

「厄介?」

「あたしは鬼の支配に飲み込まれてしまう。年を重ねるごとに鬼の力は強くなって、今抑えこむのも大変なのよ」

 大変、という言葉が似合わないぐらい静かな言い方。島田は俺をギロリと見下す。

「いつあんたを殺すかわからないわ」

「それ、どういう意味?」

「鬼が目覚めて真っ先にすることといったら、自分を倒した奴に仕返しをすることよ。それも、何倍返しにもして」

 島田は冷静に言うが、それは結構、いやかなり物騒なことじゃないか? もしかして、今の回し蹴りもそれがあるとか?

「お前、俺のこと嫌いだろ?」

 俺は蹴られた頬を触って腫れていないか確認した。ちょっと腫れている。それから俺はゆっくりと立ち上がった。

「別に、岡山桃司としてのあんたには全く興味ないわ」

 言葉通り興味も関心もないような目で俺を見る。俺は確かに目立つようなこともしていないし、クラスでもいるかいないかわからないような存在である。島田がそう言うのも理解できた。

「けれど、あんたは桃太郎。あんたが桃太郎なら、あたしにキスしてもらわないと困るのよ」

「いやいや、だから何で桃太郎が鬼にキス?」

「桃太郎が鬼退治できたのは力があるからよ。つまり、あたしの中にある鬼の力を浄化できるってわけ」

 その方法が、キスだなんてなんとも便利な鬼だ。

「なあ、島田」

「何? 質問なら手短にしてちょうだい」

「そのさ、お前は俺にキスされても平気なわけ?」

 俺の問を聞いて、島田は少しだけ驚いたような顔をした。さっきまでずっと睨んでいたから、その表情をする島田になんだか不思議な感情を抱いてしまった。

「どういう意味?」

「お前だって鬼どうこうの前に自分の意志があるだろ? ファーストキスが俺でいいわけ?」

「あたしのファーストキスはお父さんよ」

 おおっと、これは。

「いやいや、でも同世代にされるのは初めてだろ?」

「幼稚園の頃、男友達にされたわ」

「その時はさすがに唇じゃないだろ」

「唇にされたことだってあるわよ」

 なんて激しい幼稚園児。俺なんかそんな経験を、生きていて一度もした事ないぞ。これからだ、人生まだまだ長い……と言い聞かせていたが、チャンス到来。しかし、これはなかなかひどい設定下でしなければならない。

「島田、本当にいいのか?」

「覚悟は決めたわ」

 島田はすっと目を閉じた。彼女の長い睫毛が、目元を彩っているように見えた。そして俺は島田の肩を両手で優しく掴み、少しずつ顔を近づけた。が、

「ごおっほぅ?!」

 全身を走る痛み。いや、全身というよりは男にとって大切な部分が強い刺激を受けた痛みである。俺は奇声を上げて前のめりに地面についた。

「何をしているの」

「ふざけんな! 人がキスしてやろうと思って蹴るなんてどんな話だ?!」

「……え?」

 第三者の声に頭が冷たくなった。島田も驚愕の表情をして、声のほうを見ていた。そこにはクラスメイトの姫城カイであった。名前から判別しにくいが、女子生徒である。姫城は俺と島田の顔を見比べて、そして叫んだ。

「岡山が、島田さんを襲った――――――――!」

 クラスで出す何倍もの声を姫城は出した。そんな声、どこから出るものなのだろうか。

もちろん、その声は学校中に響いた。生徒や教員が誰も来ないはずの古い校舎の裏に、全員大集合といえそうなぐらい人が集まった。全校集会じゃあるまいし……。

 

***

 

 その時からの俺の日常は一変してしまった。

 まず姫城から事情を聞いた担任が俺に怒鳴った。島田が何故か「岡山くんが襲ってきました」とか言い出すから話がこんがらがってしまった。そしてその話はプチ全校集会で集まっていたみんなに聞こえたわけで、俺はキス魔だなんてレッテルを貼られた。

「で、今に至る」

「……本当に、お母さんは悲しいわ」

 そう言って母さんが目頭にハンカチを当てて泣くフリをした。あくまでフリである。

「確かに桃司、あんたはあんまりにも男の子らしくないとは思っていたわ。いや、見た目じゃなくって、中身的な意味ね。ほら、女の子とも仲良くなかったし……。でも、まさか女の子を、しかも学校の古い校舎裏で襲うなんて……お母さんはちょっと嬉しいやら、かなり悲しいやら……」

「あのさ、俺が好きで女を襲うと思う?」

 俺が尋ねると、母さんは首を振った。

「そんな度胸、あんたのどこにあるのよ」

 何かもう、全体的に痛い。母さんは学校に呼び出され、現在担任が島田に事情を聞いているのを待っている。何だよ、自分から「キスしろ」と命令したくせに「岡山くんが襲ってきました」なんて。俺は悲しい。ものすごく、悲しい。

「なあ母さん」

「何?」

 俺は島田の言っていたことを母さんに尋ねてみることにした。

「桃太郎の力って存在すると思う?」

「存在するわよ」

「それを俺が引き継いでいるとか、ってマジ?」

「マジよ」

 あんまりにもあっさり言うから、一瞬聞き逃しそうになった。けれど、母さんは桃太郎の力について肯定した。

「あれ、言ってなかったっけ?」

「初めて聞きました」

「あらー、それはお母さんったらドジっ子ね」

 そう言って、自分の頭を握りこぶしでこつんと叩く。ドジっ子って年でもないだろうが。

「じゃあ、あんたが襲ったって子は鬼の子だったりするの?」

「島田ミカって奴」

「あらあら、島田の子? それは鬼の子じゃない」

 どうやら島田ミカ=鬼というのも本当らしい。これ何てファンタジー?

「岡山さん」

 声と共に、俺たちの居る接客室の扉が開かれた。担任と、島田がいた。

「とりあえず、島田から事情は聞きました。岡山……お前がしたことはどういうことかわかっているのか?」

「えっと、……え?」

 俺がしたこと? と言われたら、島田が「キスしろ」と言ったのでその言葉通りにキスをしようとしたことである。それ以外は、特に何もしてない。

「お前は、嫌がる島田に無理やりキスしようとしたらしいな」

「……はぁ?!」

 俺が声をあげると、母さんが俺の頭を掴んで強引に下げさせた。

「本当に、うちの息子が申し訳ありません!」

「ちょ、母さん!?」

「あんたも謝りなさい!!」

 さっきの桃太郎と鬼の話はどこへやら。母さんはもう一度担任と島田に向かって「申し訳ありません!」と叫んだ。ここで俺が鬼だの桃太郎だの言ったら、確かに変だと思われる。ここは島田への怒りをぐっと堪えて謝ることにしよう。

「すみません、でした」

「……」

 俺が顔を上げると、島田は申し訳なさそうな顔をしていた。それから担任に擦れた声で話し掛けた。

「少し、岡山くんと話がしたいです……」

「ま、まあ岡山のお母さんも居るから大丈夫だろう。岡山、わかっているな」

 担任が俺を小さく指さしそう言い残して、部屋を出た。

「……島田、どういう事だ」

 担任の足音が遠くなってから、俺は島田に尋ねた。

「ごめんなさい。あんな事、言うつもりはなかったの」

「俺を陥れてそんなに楽しいか!?」

「そうじゃない! 私の意志で、あんな事言うはずないでしょう!?」

「じゃあ何で!?」

「落ち着きなさい、二人とも!」

 俺と島田の言い争いを止めたのは、母さんだった。俺と島田は突然の怒鳴り声に呆然として、母さんはゆっくりと二人の顔を見た。そして、笑った。

「落ち着いたみたいね。ミカちゃん、あなたは思いのほか鬼に支配されているようね」

 その言葉に、島田がびくりと肩を震わせた。そういえば、島田は鬼の力は強くなっていて、抑えこむのが大変だとか言っていた。

「今この場に居るのも苦しいでしょう?」

 母さんが尋ねると、島田は頷いた。その表情から苦しさなんて見えないけれど、本当は必死なのだろう。先ほど、俺のキスの件であんな事を言ったのは、俺が本当にキスをして鬼の力を浄化されないようにするため。納得できる。今後、俺はなかなか島田に近づけなくなるだろう。

「ごめんなさい、岡山くん」

 初めて島田に名前を呼ばれた。

「あなたを追い詰めるようなことをしてしまって……本当に、ごめんなさい」

「いや、その、別に、いいよ。うん」

 そんな風に謝られたら、怒る気なんてなくなってしまう。別に島田が悪いわけじゃないし。

「しかし困ったわねえ。ただでさえうちの桃司ったら、女の子に接触できないのに……これじゃあ全然ミカちゃんと関われないわね」

 確かに、担任も今後俺の動向を気にするだろうし、他の生徒から島田と俺を隔離するようにされてしまうだろう。そうなったら、キスどころの話じゃない。

「そうね、ミカちゃん。今日からうちで暮らしなさい」

 母さんが、平然とそう言った。

「……え?」

「はぁ!?」

 島田と俺は驚きを隠せず、声をあげた。

「だって、一緒に暮らしてればキスするタイミングぐらいあるでしょう?」

「いやいやいやいや! それは島田の家の事情とかもあるじゃないですか、母さん!?」

「いえ、私の家は大丈夫です」

 島田が、平然とそう言った。

「先ほど父に確認を取ったら、行ってこいといわれました」

「行ってこい、って?」

 俺が尋ねると、島田はじっと俺を見つめて一言。

「キスを貰いに行ってこいって」

 

***

 

「女の子がいる食卓って、いつもと違うなあ」

 父さんがまじまじと島田を見ながらそう言った。島田は俺に見せたことのないような穏やかな笑みを浮べて小さく父さんに会釈をした。「ありがとうございます」なんてそんな柔らかい声聞いた事ない。

「なあ、父さん」

「どうした?」

「本当にうちの家って、桃太郎の力引き継いでんの?」

 俺が尋ねると、父さんは何回か瞬きをして頷いた。頷くのか。俺の頭は混乱していた。顔には出していないが、俺は激しく混乱している。

「冗談だろ」

「何度言えばわかるの。あんたは桃太郎なのよ」

 先ほどまでの穏やかさが嘘のように、島田は俺を睨んだ。やっぱり島田に嫌われている、俺。

「あんたが桃太郎じゃなければ、あたしはここに居ないわ」

「そう、ですよねー……」

「まあまあ。ミカちゃん、ゆっくり過ごせばいい。気を遣うことはないからね」

 父さんの言葉を聞いて、島田はまた微笑んで頷く。何だこのギャップは。

 それから食事の後、母さんが言った。

「じゃあ、桃司とミカちゃんは同じ部屋でいいわね?」

「え?!」

 その発言に俺だけでなく島田も声を上げた。当たり前の反応である。

「か、母さん?! 何その決断は!」

「何、って……だって、一晩一緒になればキスの一つや二つできるでしょ?」

「いやいやいやいやいやいやいや!!!」

「わかりました」

 必死で俺が否定する横で島田が真っ直ぐ母さんを見据えて頷いた。俺は隣の島田を見る。横顔は凛としていて、とても綺麗だ。

「今晩、彼と寝ます」

「待て!! それは色々と誤解を招く発言だ!」

「なら、今すぐ私にキスをしてくれるの?」

 島田が鋭い目つきで俺を見て、尋ねる。母さんが「あらあら」と言ってどこかへ消えてしまった。

「……い、ますぐ…………」

「今すぐ。早く」

 目を閉じた島田を見て、俺の心臓は強く強く高鳴った。ヤバイ、確かに島田はすごく綺麗だ。綺麗で、凛々しくて、綺麗。今、俺は島田の美しさを表現できない自分のボキャブラリーの少なさに絶望している。何ていうか、本当に綺麗だ。

「……いいのか」

「ええ」

 俺は島田の肩を掴んだ。少しずつ、少しずつ島田の唇が近付く。さあ、あと少しで島田の唇だ。これで島田の鬼の力もなくなり、俺もファーストキスをゲットできて一石二鳥。さあ、俺の青春が始まるぞ――――――

 

***

 

「これはひどい」

 姫城が俺の顔を見てそう言った。元々姫城カイというこの女子生徒は、男女問わず誰とでも話す人間だった。だから、俺の顔を見てすぐにやにやと笑いながら俺に話し掛けるのも普段と大して変わらない。

「すっごく、痛そう」

「触るな。本当に痛い」

 そう、俺は今痛いのだ。頬が赤く腫れて現在ガーゼでその腫れを抑えているのだが、見た目がかなり痛い。そして実際痛い。

「もしかして、あの後ミカさんにやられたの?」

「いや、違う。母さんに殴られた」

 嘘だけど。本当は、島田にいきなりビンタされたのだけど。このガーゼの下には、島田の赤い手形がはっきりと写っている。あの廊下でキスしようとしたら、島田が無表情で俺の頬をそれはもう、素晴らしいぐらい強くビンタしたのだ。

 ちなみに、昨日の夜も散々だった。一緒の部屋に寝たのはいいものの、それだけだった。夜中に女子を襲うなんて、それはさすがに俺の理性が抑えた。逆に島田が何かしてくれるのか、と期待したのだが何もなかった。しかも、夜中のうちに何度か島田が起き上がり、俺に殴りかかってくるのだから、夜はほとんど眠っていない。島田曰く「鬼の力が夜のうちに発動して、あんたを殺そうとしたのね」との事。マジ勘弁。

「まあ、キス魔なんて言われたら、ねぇ」

「はぁ……」

「ほらー、クラスでの視線も冷たいですよー」

 姫城の言う通りである。視線を少し上げてクラスを見ると、普段からかかわりの少ない友人たちは俺を忌み嫌うように見ていた。ひそひそと交わされる会話の中では「あいつ変態だって」とか「気持ち悪いよね」とか「近付きたくない」などなど誹謗中傷の嵐。

「ああ、安心して」

 そんな暗い言葉にぼんやりと耳を傾けていた俺の思考を断ち切るように姫城が明るい声を出す。

「あたしは、そんなことでおかやーを嫌うようなことはしないよ?」

「……って言うか、お前があんな大声出すから人が集まっただろ」

「あれ、そうだっけ?」

 惚けるな。しかし、姫城のキャラはこんな感じなのであまり深くつっこまない。そのほうが身のためである。

 それから、クラスに島田が入ってきた。普段島田に話し掛けない女子もさささと島田に駆け寄り「大丈夫だった?!」「怖かったよね!」「あいつ最低よね!!」と声をかける。姫城も島田に近寄って同じように声をかけていた。それから女子の鋭い視線は俺に集中した。普段は開かない数学の教科書を開いて気にしないようにした。けれど俺の心は痛い。

「別に、何でもないわ」

 冷たい島田の一言が、女子生徒の声をすべて凍てつかせた。聞いているこっちも寒くなってしまった。クラスでも確かに誰かと会話をすると言う事が少ない島田だったが、それはさすがに冷たすぎるだろう。大半の女子生徒がそんな島田から引く中、たった一人島田のそばに残った人物がいた。

「ミカさん、恥かしがりやさんだねぇ。そんな風に言わないで、ほら笑え笑えー」

 にこにこと笑う姫城。お前の度胸はすごいぞ。

「別に恥ずかしがってないわ」

「またまた。ミカさんって、誰かと話すときかなり緊張してない?」

「してないわ」

「ほら、視線がずれた。それが緊張の証拠だよ、ミカさん」

 人懐っこい笑顔で姫城が島田に言った。島田が少し驚いたような顔をして、姫城の顔を見る。

「……」

 それから黙った島田の手を姫城が取って握った。

「緊張しなくていいよ。だって、クラスメイトでしょ?」

「……き、じょう……さん」

 名を呼ばれた姫城は笑顔のままだ。島田の表情が、どこか柔らかくなった気がする。姫城の力を感じさせる出来事だった。

 

***

 

 日中は同級生だけじゃなく先生、さらには先輩後輩たちにも冷たい目で見られた。人の噂は七十五日……だったか。早く二ヶ月とちょっとが過ぎればいいのに、とこんなに願ったことはなかなかないだろう。二ヵ月後には定期考査が来るが、それよりも噂が流れる方が大切である。

 しかし二ヶ月経っても問題は解決しない。俺が島田にキスをしない限り、島田は俺をまた殴る、蹴る、ビンタ、殴る、蹴る、ビンタ……を繰り返し続けるだろう。そのうち武器でも持ってくるのではないか、と俺は不安になる。武器、ってもう俺を殺す気満々だろ。俺、まだ死にたくないし。

「はぁ……」

 この授業を乗り越えさえすれば、冷たい視線たちからも解放される。それが本当に救いである。まあ、家に帰って島田に暴行されなければさらに救われるのだが。そんなことをぼんやり思っていたら授業は終わった。意外と五十分という時間は早く流れるものである。

「ねーね、おかやー」

 こんな個性的過ぎるあだ名で俺を呼ぶのは約一名。姫城が人懐っこい笑顔で俺の席の前に立っていた。

「何だ?」

「放課後、暇?」

「帰りたい」

「帰らせない」

 その発言に俺は姫城の顔を真剣に見てしまった。しかし姫城の表情は変わっておらず、ただ笑顔のままであった。女子生徒が「帰らせない」なんて男子生徒に言うと、それはちょっと誤解を抱いてしまっても仕方ない。

「ぜひ、放課後に体育館裏に来て頂きたいのです」

「体育館裏?」

 それって、軽いトラウマの場所。

「うん、体育館裏。来てくれるよね」

 姫城の言い方は尋ねる、というよりは確認のようなものだった。俺が来ることは前提されているらしい。全く、勝手な奴である。

「まぁ、いいけど」

 別に姫城だから、問題ないだろう。これで島田だったら、俺は絶対断って逃げるように帰るだろう。誰にも目のつかない場所で島田はきっと証拠を残さず俺を殺すかもしれない。おっと、怖い。

「うん、じゃあ放課後待ってるね」

 そう言って姫城は小さく手を振って女子たちが会話している中に入っていった。そういえば、姫城は何故、俺を呼び出したのだろう。ぼんやりとしている頭で、俺は考えた。

 島田の時も、同じようなシュチュエーションだった気がする。島田も同じように一日の授業が終わろうとしたときに俺を呼んで、「放課後、暇?」と尋ねた。いつもクラスで見せる無表情で島田は俺に尋ねた。それから、あの出来事に巻き込まれた。

 まさかな、と思って俺は机に突っ伏した。一瞬だけ、姫城が俺を見ていた、気がした。

 

***

 

「おい、姫城」

 俺は姫城に言われたとおりに体育館の裏にやってきた。俺が声をかけると、姫城は壁の裏側からひょっこり顔を出した。

「やっほー、おかやー」

「やっほーじゃねぇよ。で、何だよ……人を軽くトラウマの場所に連れてきやがって」

「そう? んー、でもトラウマを乗り越えるにはちょうど良くない?」

 どこが。そう思ったけれど、いちいちツッコミを入れるのも面倒に思えてきた。

「それで、何だよ……わざわざこんな所に呼んで」

 これも、島田に呼ばれたときに言ったのと同じ台詞のような気がした。これで姫城が「私にキスしなさい」と言ったら完璧にデジャヴ。しかし、姫城が言ったのは俺が予想もしてないことだった。

「用があるのはあたしじゃなくって、ミカさん」

「……え?」

 すると姫城が出てきた壁の裏側から、少し俯きがちの島田が出てきた。

「島田?」

「ねえ、ミカさん。おかやーに用があるんでしょう?」

 姫城が島田の耳元で声をかける。

「大切な、用が」

 その瞬間、島田は俺の方に向かって走ってきた。何で、と思ったら腹に強い衝撃。胃のものが一気に出そうな感じがした。島田の握りこぶしが、俺の腹に入っていた。

「がっ……」

「ね、おかやー」

「き、じょ……う…………どういう、ことだ」

 島田がすぐ姫城の隣に戻った。俺は前のめりに倒れながらも、姫城の姿を見る。姫城は笑っていた。

「どういう? 大切な用、それはね……」

 口元が上がる。

「桃太郎の生まれ変わりを、この鬼の一族が殺すことだよ」

「なっ!?」

 鬼の一族、その言葉が姫城から出るとは思ってもいなかった。

「ねぇ、岡山桃司くん。君は、”キジョウ”ってどう書くか知ってる?」

 まるで口調が別人だ。俺が知っている『姫城カイ』ではない。

「鬼の城、そう書いてキジョウ鬼城って読ませるの。でもね、そんな風にしたら貴方もミカさんも、私に接触しないでしょう?」

「お前は、最初から……」

「そう。最初から知っていたよ。貴方が桃太郎の生まれ変わりであること。そして」

 姫城は島田の頬に優しく触れて顔を上げさせた。島田の目に、輝きは無い。

「ミカさんが、私の同族であることもね」

「島田に何をした!」

「何? 彼女の鬼の力を目覚めさせただけよ。いずれ来るとは思っていたけれどね」

 くすくすと楽しそうに笑う。

「そうそう、カイっていうこの名前もね、鬼と北斗七星の斗って言う字でカイ魁って読ませるの。すごい鬼っぽいでしょう?」

「お前は……鬼の力に飲み込まれてもいいのか?」

 島田は、それが嫌で俺にキスをするように言った。けれど、姫城は……魁はそんな様子を見せていない。

「鬼の力さえあれば、何でもできる……なんてね。そういえば言ってなかったっけ?」

「何を、だ……?」

「私、鬼なの」

「……は」

「鬼ってね、桃太郎が全部倒したわけじゃないのよ。ちゃんと生き残った奴らだっているの。そして、時代に合わせて姿を変えたわけ」

 楽しそうに魁は言った。そして、魁の瞳が一気に赤くなり、髪は金色、そして頭から二本の角が現れた。本当に、鬼だ。

「だから、お前は島田の力を目覚めさせれたのか……」

「そう。そして、貴方を殺して、桃太郎の力を断つ。鬼の時代が来るってわけよ」

 魁がそう言って手を前に出した。すると、一本の刀が現れた。

「ミカさん……いいえ、魅華と呼んだほうが正しいね。鬼の力の望むまま……桃太郎を、殺しなさい」

 魁が言うと、島田は刀を受け取り俺に再び向かってきた。嘘だろ、と刀を振る島田から避けるためにしゃがむと、俺の後ろにあった木がどん、という重い音を立てて倒れた。

「嘘だろ……」

「さあ、どうする桃太郎?! 鬼の力ごと、その女を斬るか!」

 高笑いを上げる魁。虚ろな目で俺に刀を向ける島田。俺は、どうすればいいんだ。

「やれ!!」

 魁の言葉を受けて島田が再び俺に刀を振う。俺は何とか避けながらその刃から逃げる。

「島田! 目を覚ませ!! 鬼の力に本当に取り込まれるぞ!」

「本当? 甘いぞ、岡山桃司。彼女はもう既に、鬼に取り込まれている」

「ふざけんな!! 島田、目を覚ませ!!!」

 しかし島田の刃は一向にぶれず、ただ俺だけを狙っている。怖い、と俺の本能が叫んでいた。でも、それ以上に島田を助けたい気持ちでいっぱいだ。

「島田! 島田ミカ!! 目を覚ませ!!!」

「ははははははは! 愚かな人間だなあ、桃太郎の生まれ変わり。無駄なことをせず、自分の力を解いて、その女を殺してみれば良いだろう? それか、殺されるか、だな」

 魁の笑い声が耳障りだったが、よい情報を得た。そうだ、俺はただ桃太郎と言われてる、だけじゃなくって、マジで桃太郎の力が有るんだ。

「頼む……!」

 俺の中にある桃太郎の力、どうか島田を助けてくれ…………!

「魅華、やりなさい」

 顔を上げると、島田が刀を振りかぶろうとしていた。嘘だろ……諦めきった、刹那

 金属と金属のぶつかり合う音。

 目の前には刀の刃が二つ。

 一つは島田が魁に渡されたもの。もう一つは――――――俺自身が持つもの。

「なんだと……?!」

 魁が小さな叫びを上げる。そして俺は島田の刀を強く押した。ひゅん、と空気が斬れるような音がして、島田の持っていた刀が地面に刺さった。

「魅華!! お前の力、解き放て!!」

「島田! 目を覚ますんだ!!」

 虚ろだった島田の表情に、歪みが見えた。もしかして、俺の言葉は届いているのか?

「島田、お前は鬼になんか負けてないんだろ!! あんな大口叩いといて負けるなんてふざけるなよ!!」

 島田が目を強く閉じて、頭を抱える。

「お……、か…………やっ……ま」

「俺だ! 俺はここに居る!! 島田、目を覚ませ!!」

「お……かや……ま、くんっ………!!」

「魅華! お前の中の、鬼の力を解き放つんだ!」

「島田、負けんじゃねぇ!!」

 そして俺は島田の肩を掴んだ。強く閉ざされていた島田の目がゆっくりと開かれる。

「おか……やま、……くん……」

「今、助ける」

 躊躇いも、恐怖も無い。目を閉じて、島田の唇と自分の唇を重ねた。

「ば、馬鹿な!!!」

 強い光が、あたりを包んだ気がする。全身が、軽くなったようだ。目をあけて顔を離すと島田もしっかりと目を開いていた。

「岡山くん…………」

「よかった、無事で……!」

「この……裏切り者が、島田魅華!!!」

 魁が憎憎しげに島田に向かって叫ぶ。

「残念ね、私は元々あなたの所にいたつもりは無いわ。それと、私の名前は――ミカよ」

 島田は先ほど俺が飛ばした刀を地面から抜き、魁に向けていた。そして俺も、同じように刀を向ける。

「島田を痛い目に合わせやがったなこの鬼が。この桃太郎様が成敗してやる」

「あら、自分のことやっと桃太郎って認めたの?」

 島田が意外そうな声を上げる。この状況で認めないのも、逆にすごく空気読めてないだろ俺。

「まあ、そんな話はどうでもいいわ」

「それもそうだな」

 俺たちは頷いた後、魁に、鬼に向かって走った。

「ふざけるなあああああああ!!!!」

 鬼が叫び、炎を手から出した。島田が刀で炎を斬り、俺はその隙間から鬼に向かって刀を振った。鬼の、断末魔の叫びが響いた。

 

***

 

「島田」

「ミカでいいわ。何、桃司」

「あのさ、ナチュラルに名前で呼ばないで。緊張するから」

「そう? 本当に、あなたって中途半端なところで一途よね」

「褒め言葉として受け止める」

 あの鬼との戦いから早一週間。ごくごく普通の日常が、久しぶりに帰ってきた気がする。

 ……ただ、今までには無かった島田との関係があるけれど。

「あの時の言葉、今でも本当に助かったわ」

「あの時……?」

「負けるな、って言ってくれたでしょう? すごく、うれしかったのよ」

 改めてそう言われると、言ったこっちが恥かしい。すこし、顔を俯けてしまう。

「島田」

「だからミカで良いって言ってるでしょう」

「あのさ、俺とお前って何だろうな……関係的に」

「桃太郎と鬼」

 何となく予想していたけれど、本当に返されるとなんだかガッカリとしてしまう。

「そうじゃなくってさ」

「恋人、では無いわね」

 あっさり俺の言いたいこと否定。さすが島田、としか言いようが無い。俺、悲しい。

「でも」

「でも?」

「これからそういう関係に持って行くのも、悪くないわ」

「……それって」

 俺が島田の横顔を見ると、なんだか楽しそうに笑っているではないか。嘘だろ、と無意識のうちに呟いていた。

「本当よ、桃司」

 そう言って、島田が……ミカが、俺の唇と自分の唇を重ねてきた。あの時、力を封印するのとは違うもの。

 

 多分、これは始まりのキスじゃないかと俺は思った。

 

 

 

桃月勘違い日本昔話、な『桃色キッス!』でした。

元々は友人にネタを提供してもらおうとしたら『桃太郎』をモチーフに、という案が出たのですが、その結果がこれです。ヘタレ桃太郎と最強鬼娘のラブコメディーです。桃月の大好物です。

基本的に桃司くんはヘタレなので、きっとミカちゃんのアピールにもうまく対応出来ずにたじたじになっていると思われます。しかもミカちゃんはやるときゃやる子なので、さらに桃司くんは大変そうです。頑張れ桃司!

しかし『桃太郎』って言っているのに、犬・猿・雉が一切出てこない桃太郎ってどうなんでしょうか……。いずれ、犬・猿・雉の話も書けたらいいなあとは思っています。

 

 

BACK