去る人は、三月
こんな仕事まで生徒会がするのか、と呆れながら俺はいわれた場所へ向かっていた。
外は桜満開で、このまま日向ぼっこでもしていたいと思ってしまうぐらいいい気温だった。だが、そんなことをしてしまったら俺の生徒会での居場所がなくなってしまう。生徒会長は、意外と怖い人だと思う。
言われた場所は、校舎の裏側にある大きな桜の木。こんなところに大きな桜があることを、俺ははじめて知った。よく会長は知っていたな、と思っていると木の下に人の姿が見えた。木に背中を寄りかけて、力なく座っている。これは完全に、寝ている。すーすーと規則正しく呼吸するその人の胸元には、ピンクのリボンでできた花が飾られていた。
「……あの、」
その人の肩をとんとんとたたきながら声をかける。眉間に皺がよると、「うう……」と小さくうなされてゆっくりと目を開いた。焦点の合っていない目が、ゆっくりと俺の姿をとらえ始めた。
「……君、は?」
「生徒会の者です」
「セート、カイ?」
明らかに寝起きです、と言ったような張りのない声に、少し肩の力が抜けた。
「生徒会庶務、中辺総一です。お届け物を持ってきました」
「届け物? 誰から?」
「会長の、四葉かなこ先輩からです」
「ああ、クローバーから」
名字から由来しているであろうあだ名を呟きながら、その人は楽しそうに微笑んだ。そのあだ名で呼ばれる度、会長が苦い表情を浮かべているのを俺は知っている。友人が付けたひどいあだ名だ、と会長は言っていたが、この人が付けたのだろうか。
「それで、何?」
「これです」
俺が渡したのは筒。それは、本来その人が受け取るべきだった卒業証書が入っている。
「ああ……」
「ああ、じゃないですよ。卒業式サボるなんて、聞いたことありませんよ」
「そう? 別にいいと思うけどなあ」
にっこりと笑って、その人は桜を見上げた。いいと思うなあ、なんて言葉で片付けてよいものだろうか。目の前に居る人の考えが、俺にはまったくわからなかった。
「ねえ、君」
「はい?」
「これ、開けてよ」
先ほど渡した卒業証書の入った筒を俺のほうに向けて、その人は急に言ってきた。何言ってんだ、と思っていても俺の手はすでに筒を受け取り、ふたを開けていた。
「中、見て」
「中?」
それはつまり、卒業証書を、ということだろうか。何故そんなことを、と疑問に思いながら卒業証書を取り出した。
「名前、わかる?」
「名前って、先輩の?」
「そう。そこに書いてる名前、よんでみて」
広げた卒業証書には、その人の名前が記されていた。会長から名字は聞いたことはあったが、下の名前までは把握していなかった。正直、この人と関わるとは思いもしていなかったからだったが。
「……タバ、サンガツ」
「…………ふっ」
笑われた。
自分でも、何故こんな風に読んだのだろうと思った。思ったが、言ってしまったものはもう取り消すことはできない。
「サンガツかあ、初めてそう呼ばれたなあ。あ、でもよく名字読めたね」
「よく、会長がおっしゃっていたから……」
「なるほど。クローバーも私のことが好きなんだねえ」
にやにやと笑いながら言うものだから、会長がいつもあなたのことを愚痴っていますよ、なんて言えなかった。
「田羽先輩」
「下の名前で呼んでいいよ。サンガツって」
その名前を言われると、何故か俺が恥ずかしい。
「ミツキ、ですか? 下の名前」
「うん。三月って書いてミツキ。三月生まれだからって、まんまだよね」
「なんか、すみません……間違えてしまって」
「いいよ。むしろ、こっちが面白かったし」
楽しそうに笑いながら、田羽先輩は立ち上がった。スカートについた土を払って、俺のほうを見る。
「ナカベくん、だっけ?」
「はい」
「それ、あげるよ」
田羽先輩が指さしながら言ったそれ、とは、俺の持っている卒業証書だった。
「……え?」
「あ、もうこんな時間か。じゃ、私は失礼するよ」
腕時計で時間を確認した田羽先輩は思い出したかのようにそう言って、俺に背をむけてそのまま去ろうとした。
「ちょ、っと?! あの、これ?!」
「せっかく出会えた記念だ。あげるよ、ソーイチくん」
「いやいやいや! 記念でも何でもないじゃないですか!」
正直言うと、人の卒業証書なんてもらっても、困るだけだ。自分の卒業証書ですら邪魔だと思うのに、人のとなればなおさらである。
「じゃ、またいつか取りに来るよ」
「いつかって、いつですか!」
「うーん、じゃ、来年の三月。そのときまで、私のあだ名覚えていてね」
振り向いて、田羽先輩は言う。あだ名、とは、つまり
「タバ、サンガツ。ほら、覚えやすいでしょ? サンガツさんが三月にその卒業証書を取りに来るって」
じゃーね、ナカベくん。いや、ソーイチくん? まあいいや。ばいばーい。
田羽先輩はそんな感じのことを言って、呆然とする俺を置いて歩き始めた。
「って、ちょっと待ってくださいよ?!」
何で俺があんたの卒業証書を持ってなくちゃならないんだ! と、俺は田羽先輩が向かった校舎の角を曲がったが、そこにはすでに田羽先輩の姿はなかった。逃げられた、完全に逃げられた。
「……どーすんだよ、これ……」
このまま持って帰ったら、絶対会長に怒られる。言い訳をするべきか、それとも一から十まで事情を説明するか、そう考えたらどちらにしろ言い訳をすることになっていることに気づいた。
「マジ意味わかんねぇよ、あの人……」
あの怖い会長にあだ名を付けた時点で変人とは思っていたが、ここまでとは思っても居なかった。俺は肩を落として、会長の所に向かうことにした。
そんな出来事から一年経った。
気づいたら俺は生徒会副会長になっていて、卒業生を見送っていた。もちろん、去年とは違って卒業式には全員参加していた。
「ありえないよな、あんなこと」
ホームルームに戻り、自分の鞄の中身を見る。本来俺が持っているはずのない卒業証書の入った筒が入っている。あんな約束を覚えているわけない、あの変人だぞ。そうは思っていても、気づいたら俺はあの桜の木の下に居た。
「……来るはず、ないか」
絶対あの人は適当なことを言って俺にこれを押し付けただけだろう。そう思ったら期待していたような自分が馬鹿らしくなって、がくりと肩の力が落ちた。ここまで来ると、笑えてしまう。
「あれ、一人笑い?」
その時、目の前から声がした。顔を上げると、そこには本来この卒業証書を受け取るべきだった人がいた。
「田羽、先輩」
「一人笑いするなんて、もしかしてソーイチくんって変態?」
どんな言われようだ。世界の一人笑いする人に謝れ、とは言えるはずもなく、苦笑いを浮かべて「ははは……」と乾いた笑い声をあげておいた。
「あ、もしかしてソーイチくん、忘れてる?」
「え?」
「私の、あだ名」
にっと歯を見せて笑う田羽先輩の姿は、あの時と全く変わっていない。そういえば、卒業してからどうしているのか全然聞いていなかった。でも、きっと、先輩は自由気ままにやっているのだろう。そう思うと、変わっていないことに納得してしまった。
「……覚えてますよ」
忘れられるはずもなかった。こんな変な人に関わって、何故か自分が恥ずかしい思いをしたことを。
「タバ、サンガツ」
そして、あの時感じた不思議な、胸の高鳴りも。
季節を全く読まずに書きました。六月にまさかの卒業式ネタでした。 思いついたのは『三月』と書かせて『ミツキ』と読む女の子のコンプレックス物語、だったのですが、気づいたら変人先輩に振り回される生徒会役員の話になっていました。 全然ご本人は出ていませんがクローバー先輩は美人で実は怖い人という設定です。ソーイチくんもその恐ろしさを知っているのでしょう(笑) 本当にもうちょっとクローバー先輩、出したかったなあ……。 |