幸せは、四葉

 

 毎日に潤いがなかったわけではなかった。朝登校して、同級生に挨拶をされ、それに返事をして、自分の席について、授業を受ける。放課後になれば生徒会室に向かい、役員たちと行事について話し合いをする。潤いがない毎日とは、到底思わなかった。

「おはよう、かなこ」

「おはよう」

 朝登校して、同級生に挨拶をされ、それに返事をして、自分の席について、

「おはよう、クローバー」

 後ろから聞こえてきた声にため息を吐き出しながら、返事をする。

「その名で呼ぶな。といったはずだけれど、田羽」

 振り向けば、同級生のその女子生徒が笑顔を浮かべていた。

「何故? 君にとても似合う名だと思うのだけれど」

「人を馬鹿にしたいのか?」

「馬鹿になんてするはずないじゃないか。君のように素敵な人を馬鹿にする人間が居るのなら見てみたいね」

 大げさな口調で言う女子生徒は、田羽三月という。彼女と出会って三年経ったが、私は未だに彼女の人間性を理解できていない。むしろ、理解したいと思わない。

「田羽、その言い方はとても腹立たしいからやめろ」

「それなら、私のことを一度ぐらい下の名前で呼んでくれないか」

 まただ。田羽は何かと「下の名前で呼べ」と言ってくる。だが、私は基本的に人を呼ぶときは名字なので、あえて田羽だけを下の名前で呼ぼうとは思わなかった。

「いつも思うが、田羽はどうしてそんなにも下の名前で呼ばれたいんだ?」

 私が尋ねると、田羽はにこりと楽しそうに笑って答えた。

「君のように素敵な人に下の名前を呼ばれたいと思うのが普通だと思うのだけれど?」

 恋愛小説の読みすぎだ。私は、そう思った。

 

 自分の名前にコンプレックスがあったかと問われれば、答えはノーである。逆に誇りがあったのかといわれると、それもノーだ。私は自分の名前が変だと思ったことは、一度もない。

「会長。それ、何ですか?」

 私の机の上にある白い封筒を見て、生徒会庶務の中辺総一が不思議そうな顔をして尋ねた。書類を出しにきた彼の目に、それは偶然入ったのだろう。

「手紙、だ。見ればわかるだろう」

「いや、そうですけど……その、『クローバー』って言うのは?」

 白い封筒に黒いペンで『クローバーへ』と記されているのを見て、中辺は疑問に思ったらしい。机の上においていただけで、よくそんなに食いつけるな、と思う。

「私のあだ名だ。友人がつけた、ひどいあだ名」

「か、会長にあだ名……」

 中辺が引きつった顔をして手紙と、それから私を見た。

「それで、その手紙は何の手紙ですか? 生徒会への要望、とか」

「本人曰く、ラブレターらしい」

 私が言うと、中辺が驚いたように目を大きく開いて、数回瞬きをした。

「か、会長にラブレター……」

「どうした、中辺」

「いや、その……会長って、やっぱりモテるんですか?」

「さあ、どうだろうか」

 そのようなことを意識したことがなかったので、中辺の問いにはそう答えるしかなかった。そして私は中辺から受け取った書類に軽く目を通した後、机の上にあった封筒を開けることにした。

「……」

 私が封筒を開けようとしたとき、中辺の顔が目の前にあった。

「中辺」

「はい」

「人の手紙を横から見るとは、いい趣味をしているな」

 中辺ははっとして、頭をぶんぶんと振った。

「す、すみません! お、俺仕事終わったので、今日は失礼します!!」

 深く礼をした後、中辺は慌てた様子で生徒会室を出た。そんなに慌てなくても、と思ったが人が居ないほうが手紙は読みやすいのでそれはそれでいいことにした。

 封筒を開くと、便箋のほかに何かが入っていた。

「……なんだ、これは」

 それは、四葉のクローバーのモチーフがついたヘアピンだった。便箋を開くと、真ん中に一行だけしかかかれていなかった。

『一目見たときから君に似合うと思った。ぜひつけてほしい』

 まさにラブレターのような一言に口元の筋が緩んだ気がした。

「恋愛小説の読みすぎだ、田羽」

 

 

 田羽はとても変な人間だと思う。今まで私が出会った人間の中でも、堂々一位の変人だ。

「きっと、田羽のような人間に、今後出会うことはないと思う」

 卒業してから二ヶ月経ったその日、偶然田羽と出会った私は、近くの喫茶店で一緒にお茶をしていた。

「奇遇だね、クローバー。私も、君のように素敵な人間に出会うことはないと確信していたところだ」

「その名で呼ぶな、と何度言わせるつもりだ」

「君にとても似合う名だと思うよ。むしろ、誰も君をクローバーと呼ばなかったかのほうが不思議だ」

 言葉どおり不思議そうな顔を浮かべて、田羽はコーヒーに口をつけた。私もアイスティーのストローに口をつけ、中身を飲む。

「田羽。何故、私のことをそんなふざけた名前で呼ぶ?」

「ふざけた、とは失礼な。これは、私の愛情表現だよ、クローバー」

 にっこりと楽しそうな笑顔を浮かべて田羽は私に言う。こういう言葉は、異性から言われたいものだ。

「ふざけているな、相変わらず」

「私がいつ、ふざけているって?」

「いつもだ」

 腹が立つというよりは、呆れてしまう。ただ、いくらそう思っても、私はこの田羽三月という人間が嫌いになることはなかった。

「クローバーなんて、単純なあだ名だ。そして、呼びにくい」

「そんなことないさ。クローバー、クローバー、クローバー」

「何度も呼ぶな、気色悪い」

「そういう反応をするということは、君はクローバーという名前を自分の名前と認識しているということだ」

「わかった。だから、黙れ」

 私が言うと、それでも田羽はやはり楽しそうな笑顔のままで、コーヒーを飲み干した。私のグラスには、まだアイスティーが残っている。

「どうして、私のことを、クローバーなんて呼び方をしたんだ」

 ずっと不思議だった疑問を、私は田羽に尋ねた。田羽は少し考えるように視線を斜め上に向けた後、私のほうを見た。

「君の名前が素敵だからだ」

「それは、私の家族も同じはずだが」

「あと、特別な名前で呼びたいと思うほど、君は素敵な人間だからだ」

 そうだろう? と私に尋ねられても困る。仮に私が「そうだ」と答えたら、自分が素敵な人間だと認めてしまう、ナルシストになってしまう。私は別に自分が大好きなわけではない。

「だから、私は君に、私の名前を呼んでほしいと思う」

「いくらでも居るだろう、田羽の名前を呼ぶ人間なんて」

「ああ、いくらでも居る。でも、彼らと君を同じにしてはいけない。君とは全然違う人間だからね」

「中辺、とか」

 私が彼の名を出すと、田羽は目を少し大きく開いた。それは、驚きの表情だった。

「意外だね、クローバー。君の口から、彼の名が出てくるなんて」

「一番の被害者だからな。それに、あのあと田羽が楽しそうに報告してきたから」

「うん、彼はとても面白い人間だからね」

 楽しそうな口調で話す田羽の姿は、いつも見ているものと少し違うように思った。

「クローバー、もしかして、嫉妬?」

「……は?」

 私の反応を見て、田羽は「やっぱりね」と何か納得したように頷いた。頷くな。

「そうだろう。そうじゃないかと、思っていたよ」

「待て、田羽。誰が、誰に嫉妬していると言うんだ?」

「それは決まっている。クローバーが、ソーイチくんに、だよ」

 とてもおかしな話になっていないか。

「田羽。もしかして田羽は、私が田羽を好きだと思っているのか?」

「もちろん。私がクローバーを愛しているのと同様に、クローバーも私を愛しているだろう?」

「……申し訳ないが、私はそんな趣味を持った覚えはない」

「何を言っている。別に愛だから全てが恋愛というわけではない。親子愛と似たような愛だ」

「私は田羽と家族になった覚えはないぞ」

 呆れて大きなため息しか出ない。田羽と話すのは、かなり体力が必要となってくる。

「嫉妬しているクローバーに言えることとしたら、私は君を愛しているよ。もちろん、ソーイチくんも愛しているけれどね」

「愛が多いことで」

 疲れた喉を潤すように、私はアイスティーを飲んだ。時間が経ったせいで、氷が溶けて、少し薄味になっていた。

 

 

 毎日に潤いがなかったわけではなかった。朝登校して、同級生に挨拶をされ、それに返事をして、自分の席について、授業を受ける。放課後になれば生徒会室に向かい、役員たちと行事について話し合いをする。潤いがない毎日とは、到底思わなかった。

 だけれど、私は彼女に出会った。

「四葉、かなこ? 素敵な名前だ。素敵な君にお似合いの名前だと思う」

 初めて会った彼女は、私にはっきりとそう言った。一体何を言っているのか、と尋ねようと口を開こうとしたら先に彼女が口を開いていた。

「クローバー。私はこれから、君のことをそう呼ぶことにするよ。よろしく、クローバー」

 にこりと微笑んだ彼女は、それだけ言ってどこかへと去ってしまった。

 今まで私の耳に届かなかったような言葉を、彼女は私の目の前にぶつけてくる。心地よいか、と問われればそれは少し疑問を残すが、不快ではなかったので気にしていなかった。

 毎日に潤いがなかったわけではなかった。だけれど、私は彼女に出会った。彼女の人間性についていくことだけで、毎日がどっと疲れるものとなった。

 それなのに、私は彼女から貰ったペアピンで伸びた前髪をとめている。それは、高校を卒業した今でも同様だ。

「それをつけているということは、私を愛してくれている証拠だろう、クローバー」

 自信に満ちたような顔を私に向けて、田羽は言う。その自信はどこから出てくるんだ、と呆れを感じた。

「恋愛小説の読みすぎだ、三月」

 

 

 

 

『去る人は、三月』の続編、というよりはスピンオフな物語でした。『去る人は、三月』では名前しか出なかったクローバー先輩こと四葉かなこちゃんに焦点を当ててみました。

クローバー先輩は最初、『美人だけど怖い人』というイメージだけだったのですが、気づいたらこんな風になりました。美人ですが、かっこいい女の人です。

そして三月ちゃんは何故かクローバー先輩と怪しい関係(笑)になってしまいました。三月ちゃんは本当に、心から、クローバー先輩を愛しているのだと思われます。友情以上のものですが、恋愛じゃないです。た、多分……本人も、そう言ってるし……。三月ちゃん基本的に自由な子なので何をするのかわからないのです(笑)

 

 

 

BACK