PoP×冥探偵6
お気に入りのパンプスが、と幸橋泉は自分のかかとを見る。彼女の婚約者である水市晴時のために少し遠くまで買い物にきたと言うのに目的のものは見つからず、さらにはパンプスのかかとが外れてしまったのだ。
「はぁ……」
幸橋は小さく肩を落としてため息をついた。そして帰るために駅の方向に歩き出した瞬間、かかとが片方ないせいでバランスが崩れてしまった。
「きゃっ」
目の前に地面が見える、と思ったとき手を誰かに引かれた。そのまま勢いに任せて何かにぶつかる。どうやら、人の胸、しかも男性のようだ。幸橋は顔を上げる。
「あ、ありがとうございます……」
そのとき、幸橋は小さな鼓動の高鳴りを感じた。
幸橋少女の恋愛手帳
「泉が変なんだ」
休み時間、水市は真剣な顔をして中田にそう言った。突然言われた中田は「へ?」と間抜けな声をあげた。
「変、って幸橋が?」
中田が言うと水市は人差し指を口の前に持ってきた。中田の声はクラスでもよく響く方で、それを恐れての行動らしい。水市は嫌に真剣な顔をしている。
「何が変だって言うんだ? 別にそんな感じしないけど」
中田は視線を水市から幸橋に持って行く。休み時間と言う事で幸橋の席の前に望田と上里がやってきて何かを話している。その様子から何かおかしい部分を中田は見つけることが出来なかった。
「なんか、ぼんやりしてる」
「えーっと…」
それって、割といつもじゃないの? そう言いかけた言葉を中田は飲み込んで水市の言葉を待つ。
「朝話したけどなんか上の空っぽいし、ため息の回数がやけに多い」
「た、ため息ですか。それは気付かないなあー」
「何かあったのか…?」
中田の棒読みにも気付かない水市は顎に手を当てて悩み始めた。中田は困って広塚に視線を送る。広塚はちょうど本を読み終えたらしく、その視線に気付いた。中田はこれぞとばかりに激しく手招きをする。
「…何だ?」
けだるそうな広塚の声を聞いて中田は少し安心していた。もう一人で悩まなくて済む。
「なんか、幸橋の様子がおかしいらしいんだよ」
「はぁ…」
「なんか知らね?」
「知るか」
広塚はあくび混じりにそう言うと、水市が静かに広塚のほうを向いた。その視線は鋭く、普段の水市からは想像出来ないような恐ろしさを含んでいる。広塚と中田はその視線にびくりと肩を震わせた。
「本当に、何も知らないのか?」
「は、はい…申し訳ないです、何も知らなくて」
「中田は?」
「すみません、何も、知らないです」
「そうか」
広塚と中田の口調を変えるぐらいに水市の気迫は恐ろしいものだった。そして、水市は再び幸橋の方を見た。望田と上里は会話に花を咲かせているが、幸橋はその会話を一歩引いたところで聞いている様子だった。幸橋は普段から望田たちのように大声で話すことはなく、小さく相槌を打ったりしているぐらいだった。しかし、今日はその様子が何か違う。
「確かになんか違う感じだなー…」
「いや、完全に違う」
水市があっさりと言うのを見て、中田と広塚は顔をあわせて小さくため息をついた。と、そのとき
「それって恋じゃね?!」
上里の大げさな叫び声が教室に響く。休み時間に騒がしい教室も少し静まった。しかしその様子に気付かない上里と望田は会話を続ける。
「そんな美形に抱かれたって、絶対惚れるって!」
「そうそう! え、もしかして泉の好みだったりするの?」
「そ、そういうのではなくって!!」
珍しく幸橋が声をあげる。その顔は真っ赤に染まっていて、慌てている様子がよくわかった。
「いいなー、そういう出会い…ロマンチックだよなぁ」
「そうそう。そこから素敵な恋に発展、とか……」
「だから、ち、違いますっ!」
上里と望田の言葉に幸橋は耳まで真っ赤にして必死に否定した。中田と広塚はハッとして水市の顔を見る。
「こ……い………?」
血の気が引いたような真っ白な顔をして水市は呆然としている。これはまずい、と中田と広塚は水市の肩を叩いたり背中をさすったりして意識を取り戻そうとした。
「晴時!! しっかりしろ!!」
「おい、目がやばいから!! 水市、起きろ!!」
「こ、…こ、……い………い?」
そんな一生懸命な二人を尻目に望田と上里の妄想トークは続く。
「抱きしめられた胸の鼓動、忘れられなーい、とかなっちゃって」
「あの時の手の温かさを忘れられねー、とかなって」
「もう一度、会えませんか? なんて言っちゃって」
「そんでもって深い愛に発展しちゃってー!」
「私が好きなのは晴時さまだけですわ!!!」
その叫び声に望田と上里、広塚と中田、そしてクラス全体が驚きの表情をした。叫んだ張本人、幸橋は肩で荒く息をしていて顔は先ほどまで以上に赤くなっていた。普段の幸橋にある『お嬢様』のイメージを吹き飛ばすその姿に全員が呆然としていた。が、しばらくして歓声や拍手、口笛の音が教室中に溢れた。
「幸橋が告ったー!! 再告白ー!!!」
「さっすが、大胆じゃねーか!!」
「おい、水市お前の返事はどうなんだよ!」
歓声を上げた一人、小野が水市に返事を求める。その一言でクラスの全体の視線は幸橋から水市(とそのそばにいた中田と広塚)に移る。水市は幸橋の叫び声に目覚めたらしく、小さく瞬きをしていた。そしてしばらくの沈黙の後
「俺も同じに決まってるだろ」
と言った。また歓声がクラス中に響いた。このクラス、なんかいつもお祭り気分だな……と広塚は小さくため息を吐いた。
「でも泉の様子が変だったのは確かだねえ」
放課後、誰もいない教室に幸橋と話をしていた望田と上里を呼んで、三人は幸橋の様子を聞いた。
「ぼんやりしてる、っていうか上の空っていうか、なあ」
「うん。なんかいつも以上にほわほわしてたし」
「いや、ほわほわって何だよ」
望田の言葉に広塚がツッコミを入れると望田はむすっとして「乙女の気持ちがわからぬ男には到底理解できん感情じゃ」と言ってきた。広塚はそのとき、一生乙女の気持ちを理解できないだろうと思った。
「それで休み時間に話してた、抱きつかれただの手のなんとかだの、何の話だ?」
「え…」
中田の問いに、望田と上里は顔をあわせて口を閉ざした。解かりやすいぐらいに、怪しい。
「何かあるのか?」
水市がやっと口を開く。その声は恐ろしいぐらいに刺々しく、望田たちを貫こうとしているようにも思えた。広塚と中田は慌てて水市を教室の外に引っ張り出した。
「晴時、お前はとりあえず喋るな!」
「少し冷静になってから、な!」
そう言って扉を強引に閉める。水市は深く息を吐いた。
「えーっと、それで? 何かあったわけ?」
中田が上里に声をかけると、しばらく俯いて「水市には言うなよ」と言って話を始めた。
「泉な、今水市にプレゼント作ろうとしてるんだよ」
「プレゼント?」
「そう。だから、水市に内緒で瀬々良木まで買い物に行ってきたらしくって」
「それで、転んだところを男の人に助けてもらったんだって」
上里の言葉を望田が続けて話は終わった。どうやら望田たちが盛り上がったのはその助けてくれた男のことのようだ。幸橋曰く、優しそうで素敵な方とのことだったため女子の妄想を膨らませてしまったらしい。
「泉、ああ言ってたけどやっぱりその人の事、結構気にしてるんじゃないかな?」
確かに……割と鈍感な方の広塚だったが、その望田の言葉には同意できた。中田も強く頷いて「だろうなあ」と相槌を打つ。あの顔を赤くして必死に否定する部分、気にしている様子は理解できる。
「でも晴時、相当心配してたからな……どうにかしてやらないと」
「事情説明するなら、プレゼントのことは伏せてもらえる? じゃないと泉、凹むだろうし」
おねがい、と手を合わせる望田と上里を見て二人は困ったようなため息を吐いた。これを言って、水市が無事であればいいのだけれど……そんな不安は見事に適中した。
「………男に、助け、ら、れた」
望田たちが帰り、二人が事情を説明した後まるで壊れたスピーカーのように、水市はそう言った。予想通りの反応だったため、中田と広塚は目を閉じて水市から顔をそらした。
「そうか……そうなんだ、何だよ、泉…俺に言えば、買い物だってついていくのに……」
とか何とかブツブツ呟く水市に背を向けて二人はひそひそと会話をする。
「なあ、水市ってあんなキャラだったか?」
「いやー、多分もう幸橋にゾッコンなんだろうな…ありゃ過保護っていうのか?」
「全く理解出来ない。さっぱりわからない」
「ま、彼女とまだまだ始めの一歩を歩んでいる啓ちゃんには理解できないザマスね」
「誰が啓ちゃんだ……!」
「そうだ」
水市の声にくだらない会話を交わしていた二人は肩を震わせる。またあの怖い視線が出てきちゃうのー…と泣きそうになりながら振り向くと水市は何かひらめいたような顔をしていた。
「泉、今週末用事があって瀬々良木まで行くとか言ってたな」
「そう、なんだ」
「またその男に会うのかもしれないな」
「ああ、か、かもな」
広塚がぎこちなく返事をすると水市の目からフッと光が消えた。まさか、と中田が思った瞬間水市の体がふらりと傾いた。
「わー!!!! 晴時ー?!」
倒れる、というところで中田が水市を支えた。そして水市は乾ききった砂漠のような笑い声を上げている。たった三人しかいない教室でそんな笑い声を上げられると教室は不気味になってしまう。
「あー!! そうだ、瀬々良木だろ?! だったらしゅーちゃんにでも頼めばいいじゃん!!」
「そ、そっか! だって高橋さん探偵だもんな!! そういう尾行とかも慣れてるんじゃないかな?!」
半泣きになりながら中田と広塚が叫ぶと水市はハッと起き上がった。
「そうだ、こういうときこそしゅーちゃんの出番だ」
「……え、ええっと…?」
柊一郎は少しだけ電話の向こう側に苛立ちを覚えていた。突然昔からの友人が電話したかと思えば「密会の尾行をして欲しい」との事だったからだ。
「あのね、晴ちゃん。言っていいかな」
『何?!』
「一応僕もこれを仕事としているんだよね。だからね、あんまり遊びに使って欲しくはないんだよ…」
『遊びじゃない!! 俺は本気なんだ!!』
水市の気迫のある声に、柊一郎は驚いた。普段は静かなほうなのに、今回はよっぽどのことらしい。しかしそれとこれは話が別だ。
「でもね、君の友達の後を尾行するっていうのは」
『友達じゃなくて婚約者!!!』
水市がそう叫んだところで、電話の向こうが騒がしくなった。
『もしもし、高橋さん』
「広塚君?」
『すみません…もう水市なんか完全に壊れかけてて、つい高橋さんの名前出したんです……』
水市が壊れかけているのには電話の出だしの『しゅーちゃん助けて!!』のあたりから気付いていたが、広塚たちが柊一郎の名前を出すところまで、というのは大変な出来事のようだ。
「そう、なんだ…」
『本当にすみません! 水市は俺たちが説得しますから』
『お前らがそうしろっていったじゃねーかー!!』
『落ち着け晴時ー!!!』
電話の奥から水市の叫び声とそれを押さえているであろう中田の悲痛な声が響く。と、そのとき柊一郎の手から電話が消えた。
「大丈夫、任せて!」
「あ、碧乃君?!」
「困っていることがあるなら、この芹川碧乃さんにどーんと任せちゃいなさい! あとおまけに先生も」
胸をどん、と叩いて碧乃が言う。そして視線を柊一郎に向けた。
「困っている人がいたら例え西だろうが東だろうが行って助ける! それが探偵の基本構造ですよ」
「いや、でもね…」
「どうせ今週末も予定空いてますし、いざとなったら私一人で行きますよ」
だから任せてください、と碧乃は柊一郎にウインクを向けた。こうなったら何もいえない柊一郎は困ったように目を閉じて「今回だけだよ……」と蚊の鳴くような小さな声で言った。そんな間にも碧乃は広塚と会話を交わして電話を切った。
「いいじゃないですか、先生。この間の望田さんの時はノリノリだったし」
「いや、それとこれは違うでしょ」
「違いませんよ! あ、それともやっぱり女の子に頼られる方がよかったんですかあ?」
碧乃が柊一郎を白い目で見る。「あのね、碧乃君」と言いかけた柊一郎を、手を出すことで碧乃は制した。
「冗談ですよ。じゃ、これは私からの依頼って事にしてください。広塚君たちを助けてあげる、って」
「……う」
「それに、先生もあの水市君の様子、心配じゃないんですか?」
そう言われると、確かに心配である。水市があんなに荒れ狂っている姿(というか声)を柊一郎は聞いたことがなかった。それで心配にならないほうがおかしい。
「そうだね…何があったかは気になるし」
「そう来なくっちゃ」
「でも、この依頼料金はボーナスから引いておくよ」
柊一郎がそう言うと、碧乃は「ボーナスなんて貰ったことないですけどね」と反撃した。
家に帰った幸橋は週末の予定を考えて少し微笑んだ。手帳を開き、今週と来週の予定を見る。本当ならこの間の週末に終わるはずの買い物がこんなに伸びてしまった、と少し憂鬱な気分になったけれど悪いことばかりではなかったとまた口元を小さく上げた。
「楽しみですわ……」
手帳の週末の部分に『瀬々良木』と記して閉じる。幸橋はあの時自分を掴んだ手を思い出した。また彼と会えることは、婚約者がいる身として不謹慎だが楽しみにしているのだ。
「早くならないかな……」
幸橋がそう呟いたとき、すぐそばに置いていた携帯が鳴った。ハッとして幸橋は携帯をとる。
「もしもし…あ、はいっ」
幸橋の表情が輝く。
「はい、はい…今週の、はい、土曜日。大丈夫です、はい……ええ、楽しみにしてます」
そう言って、電話を切ると幸橋は手帳を閉じた。その顔は、幸せそうな輝きを帯びていた。
「…所長」
碧乃が帰ってから静まった書斎で柊一郎が本を読んでいると、目の前に石蕗が立っていた。
「ん、どうしたの石蕗」
「…実は、休暇を頂きたいのですが」
休暇? と柊一郎は視線を本から石蕗に向ける。いつも通りの無表情で石蕗は柊一郎を見つめている。
「…今週の、土曜日に」
「土曜日…うん、別にいいけど。どうしたの?」
「……少し、人と会う約束をしましたので」
「人と会うなんて、なんだか珍しいね」
「………まあ」
それだけ言って、石路は礼をして台所へ向かった。時間は七時を過ぎようとしている。夕食の時間か、と柊一郎は再び本を読み始めた。
「泉」
電話の翌日、登校中の幸橋は名前を呼ばれてハッと顔を上げる。そこに、心配そうな水市の顔があった。
「そうしたんだ、泉」
「え、……何が、ですか?」
ぎこちないその言葉は怪しさだけを水市に感じさせた。幸橋は微笑んでいるが、それもまたぎこちない。
「お前、俺に何か隠していないか?」
その言葉にびくりと肩を震わせた幸橋。やっぱり、と水市は目を閉じて息を吐いて幸橋の顔を見た。
「泉、何で隠したりするんだよ。そんな事、しなくても…」
「ご、ごめんなさい…まだ、言えないんです……」
「まだ、って…」
「もう少しだけ、時間を下さい。あと、少しだけ」
幸橋が困ったような笑顔を浮べる。水市は少し悲しくなりながらも、話題を変えた。
「なあ、泉。今週の土曜、一緒に出かけないか?」
「……ごめんなさい、本当に時間が欲しいのです」
そう言って幸橋はぱたぱたと走り出す。その背中を追いかけることも出来ず、水市は立ちすくんで見つめていた。
「それでこんななってるわけか?」
教室で虚ろな目で黒板を見つめている水市の姿を見て、広塚は呆れたような声をあげた。同じように呆れた顔をしている中田が頷く。
「魂抜けてまーすって顔だな、こりゃ」
「おーい、水市ー。起きてるー?」
広塚が水市の前で手を振るが、全く反応無し。中田が水市の肩を揺らすが、それにも反応無し。
「死んでる?」
「死んでる。魂抜けきってる。もう戻って来れない感じだな」
こんな顔をしている水市の姿なんて初めてだ、広塚と中田は困ったように水市を見る。水市はただ遠い目をしてどこかを見つめている。
「あ、そういえば今週末だろ? ほら、原因解明まで魂を繋ぎとめろ、な!」
中田が強く水市の背中を叩いて励ましの言葉をかけたが、その声が水市本人に届いているかは定かではない。
「魂がそんな簡単に抜けるはずないだろう」
一方、その後ろで呆れた顔をしたもう一人、アーディスがそんなごもっともな意見を言った。
「いや、そうだけどな。でもあの水市の姿はまずいだろ」
「…どういうことだ?」
「なんていうか、ほら。お前だって普段の水市知ってるだろ? それから連想できるか、あんな顔」
そう言われて、アーディスはじっと水市の顔を見る。眉間に小さな皺がより、その皺が少しずつ深くなる。どうやら真剣に考えているらしい。その横顔を広塚は見つめて答えを待つ。
「理解出来ない」
がくり、広塚はアーディスの答えを聞いて肩を落とした。予想していた通りの答えだったが、わざわざ期待をさせるような考え方をしてそれはないだろう。そんなツッコミを心で小さくしながら、広塚は水市を見る。
「そんなにまずいことか」
「まあ、まずいだろ。あの姿」
広塚の言葉を受け、アーディスはもう一度考えた。が、やはり理解出来ないもので、考えることを諦めた。
「なんか水市死亡フラグ立ちまくりねー」
と、広塚の隣にやってきたのは望田であった。死亡フラグ……? すこし聞きなれない言葉をさらさらという望田を広塚は少し引いた目で見た。
「あれ、生き返りそう?」
「いや…多分無理じゃね?」
「でも泉の方はわりとご機嫌だったよ。なんか、手帳の土曜日の所を見て幸せそうだったし」
「土曜日、か……」
その日、全てがわかるのだろう。そんな安心をしていた広塚は重要なことを思い出した。
「中田ー……すごく重要なことを思い出したわ」
「重要?」
「俺、土曜日試合だった」
それを聞いた中田の顔が一気に真っ青になった瞬間、チャイムが鳴った。